未来は変えられる〜若者気候訴訟
全ての写真 青山 紗季
世界で増える気候訴訟とは
訴訟という言葉の響きは、 多少の緊張感を伴う。人生の折り返し地点を過ぎた私自身、法廷で裁判を傍聴する経験は人生初めてで、背筋の伸びる思いがした。 原告団として被告と向き合う10〜20代の若者たちの心の内は、察して余りある。
2024年8月、北海道、東京、名古屋、大阪、福岡など10の都道府県から集まった14歳(当時)から29歳までの16人の若者たちが火力発電を運用する大手電力会社10社(株式会社 JERA、東北電力株式会社、電源開発株式会社(Jパワー)、関西電力株式会社、株式会社神戸製鋼所、九州電力株式会社、中国電力株式会社、北陸電力株式会社、北海道電力株式会社、四国電力株式会社)に対して名古屋地裁で民事訴訟「明日を生きるための若者気候訴訟」を起こした。 本来なら自分の人生に専念すべき彼らが原告団となる決意をしたのは、対策が後手になっている気候変動問題への不安や焦りからだ。
原告団は訴状で被告10社に対し、CO2排出量をパリ協定で採択された『世界の平均気温上昇を1.5℃に抑える』という国際目標に整合する水準まで削減することを求めている。日本の排出量の4割超を占める火力発電事業者が国際合意に従うことは最低限の義務であり、違反することは「不法行為」に当たるとの主張だ。

気候変動はある転換点を越えると、もう後戻りはできない劇的な変化が生じる可能性がある。 IPCC の報告書やパリ協定などの国際ルールでは、産業革命からの気温上昇をできるだけ1.5℃以下に抑える目標が掲げられているが、IPCCの第6次評価報告書(AR6)は、2030年代に1.5℃上昇する可能性を指摘している。それまで排出できる量をバケツの水に例えるとイメージしやすい。水は決壊寸前まで溜まっていて、許されるCO2排出量(カーボンバジェット)は、ほんのわずかしかない。
世界のCO2排出量の大部分は化石燃料を燃やすことに由来するため、化石燃料による発電をできるだけ早期に再生可能エネルギーに転換することが必要だが、国や排出事業者の腰は重い。タイムリミットが迫るなか、国や排出事業者対策に行動を促す新たなアプローチとしてここのところ諸外国で増えているのが、司法の判断を仰ぐ「気候訴訟」だ。
背景にはイベント・アトリビューション(EA)などの手法で、地球温暖化が極端な気象にどのくらい影響を与えているのか科学的に分析できるようになったことがある。また、国連が2022年7月の総会で「クリーンで健康的、かつ持続可能な環境へのアクセスは普遍的人権である」と決議したことなども追い風となっている。2022年末までに世界で起きた気候訴訟は2180件にのぼる。
7倍被害を受ける若者たち
気候危機の影響はこれまでの公害訴訟のように、環境汚染と被害の因果関係が直接的でなく、累積したCO2が広範囲に悪影響を及ぼす特徴がある。若者たちが名古屋で訴訟を起こしたのは、愛知が日本第2位の排出量で、国内最大の石炭火力発電所が碧南市にあることが理由の一つだが、一方の原告団が全国から集まったのは、排出量の少ない、自然豊かな地域ほど極端な気象の被害を受けやすい、その特徴を可視化するためだ。
原告団の一人、ドイツ・ベルリンで生まれ育ち、今は名古屋に住む宮澤カトリンさんは、フィリピン・レイテ島の友人宅にホームステイしたことを機に気候変動問題に関心を持った。
現在は自身で立ち上げた環境NPOの代表も務めている。

カトリンさん
「私がレイテ島を訪れたのは、2013年の台風30 号(ハイエン)の襲来で約8000人の死者・行方不明者が出た数年後でしたが、復興が進まない現地の様子を目の当たりにしました。島の人たちは夕飯を食べる時に電気をつける程度で、ほとんどCO2を排出してないのに幸せな暮らしを奪われていることが不平等だと感じました。日本も世界で5番目に排出量が多い国ではあるので、発電者にも国民にも大きな責任がある。自分は原告団ですが、加害者としての認識もあります」
異常気象の影響は貧富、ジェンダー、世代間などにおいて、立場の弱い方ほど被害を受けやすい。 国際NGOオックスファムによる、足のついた果物皿のような形のグラフがその傾向をよく表している。世界で所得の高い10%ほどの富裕者が世界のCO2排出量のおおよそ50%を占めているのにもかかわらず、資金力で被害を軽減できる。 気候変動が「静かな暴力」と呼ばれるゆえんだ。
「私たちが何かできる最後の世代だと思っています。今後生まれてくる子どもたちに、『なんで間に合ううちに何もしなかったの?』と言われた時、『私なりにできることは全部やったよ』と言いたい」
カトリンさんはそう話す。
原告団の若者たちからは不安を訴える声が止まらない。豪雨による浸水被害が頻発するようになり、安全が脅かされるようになった。家族が熱中症で倒れた。雪の降り方が変わり、スキーやスノーボードができなくなった。猛暑で部活動が制限されている。エアコン代を稼ぐためにバイトを増やさなければいけなくなった——
今回の裁判の争点は、このように若者たちの身体的、精神的な健康や生活を脅かす気候変動の影響が人権侵害に相当するという点だ。米サイエンス誌に載った国際研究チームの分析結果によれば、2020年生まれの子どもは1960年生まれの世代に比べ、気候変動の影響を最大7倍受けるという。その影響は若い世代ほど大きくなる。
原告団の一人で福岡在住の会社員、時任晴央さんは、「人権と気候変動は、日本では別々の問題ととらえられがちですが、世界では基本的人権が気候変動によって侵害されているという見方が新しいスタンダードになりつつあります。自分たちは今回それを裁判という形で世の中に知らせていきたい。こと気候変動においては遅れをとっている日本の硬い門扉を開けて、原告として主体的に行動することが一つの突破口になるかもしれないと思って踏み切りました」と話す。

時任さん
時任さんは山林が身近な東京・町田市郊外で生まれ育った。遊び場だった森や昆虫の生息域が開発で変わる様を見たことから気候変動問題に関心を持ち、大学では環境経済学を専攻。在学中はスウェーデンへの交換留学も果たし、議論闊達な文化に刺激を受けたという。卒業後は民間企業に就職し、環境問題との接点は薄くなったが、「心の中にはずっとモヤモヤが残っています。社会人としてできることはないか、社会人であることを口実に逃げていないか、結構考えます」原告団への参加は、そんな悩みの中で踏み出した一歩だった。
2024年、海外から勝訴のニュースが届いたことにも背中を押されたと時任さんは言う。アメリカ・モンタナ州では、2011年に化石燃料の使用制限を事実上禁止する法改正が行われたことは、「クリーンで健康な環境を保持する」ことを定めた憲法に反すると若者16人が訴訟を起こし、勝訴を勝ちとった。韓国でも、政府の温室効果ガス削減目標は不十分で将来世代の基本的人権を保護していないと乳幼児を含む 19人の若者が訴え、憲法裁判所は8月に違憲の判断を下している。
原告団の一人、大学1年生の二本木葦智さんも、司法判断に望みをかける。「どうにかこうにかここまでできると科学者の先生たちが作成したシナリオを提示しても政策に反映されない。事情はあるのかもしれませんが、どうして世界レベルに満たない小さな政策しか打たないのか。大きな政策を打ってほしい」と主張する。

二本木さん
二本木さんは同年代の環境活動家、グレタ・トゥーンベリが2019年に国連で行ったスピーチに衝撃を受け、高校時代から環境運動に関わり始めた。ニュースや新聞をよく見る家庭に育ち、家族とも日常的に政治について議論をしてきたという。「草の根レベルのエコ活動も大切だと思いますが、気候変動問題解決のためには、 政治や社会を動かす大きなムーブメントを起こす必要がある」と二本木さんは考えてきた。
ところが、そうした気候変動対策を求める運動は近年下火になり、高揚感を欠くようになった。「グレタが毎週金曜に学校ストライキを始めた2018年頃に比べると、世界的に見てもデモやストライキの規模が小さくなって、人も集まらなくなっていて、活動はある種冬だと感じています。僕も気候変動のことをもう3年近く訴えてきましたが、なかなか越えられないハードルがあって、もう司法に望みをかけるしかないと原告団に参加しました」
今なら未来は変えられる
第2回口頭弁論期日は2月18日に行われた。一時雪が舞うほど冷え込みの厳しい日だったが、受付には初回期日の倍近い150人が傍聴を希望する長い列を作り、70余席の傍聴席は抽選になった。 一方、被告側はオンラインで出廷。思いの温度差を象徴しているようだった。

裁判所北口には傍聴券を求める支援者の長い列ができた
法廷では、意見陳述に原告の二人が立った。
一人目は福岡県太宰府市出身の高田陽平さん。九州大学の3年生だ。地元が昨夏、計62日の国内猛暑日最多を記録した。暑さのために夏のレジャーやスポーツは制限を受け、頻発する集中豪雨にも不安が募ると話す。被告ら10社が排出したCO2量は世界200カ国中18番目に多い量であるのに、10社の削減計画が1.5℃の国際目標にも整合せず、日本政府が合意した内容にも違反していることがどうして不法行為でないのか、と力強く訴えた。
二人目に意見陳述した角谷樹環さんは、北海道十勝管内に住む高校3年生。北海道ではここ10数年で災害級の豪雪・豪雨が増え、動植物など身の回りの生態系の変化も感じている。
未来への不安と悲観で、夜中に飛び起きることもあるそうだ。今、動かなければ取り返しがつかない。未来世代に自分たちが「愚かで憎むべき世代」と記憶されないためにも、司法の力に頼りたいと涙ながらに訴えた。

意見陳述を終え、支援者に拍手で迎えられる角谷さん(左)、高田さん(右)
裁判は1時間弱で閉廷。裁判所からほど近い桜華会館で行われた報告会には、傍聴者や支援者が駆けつけ、立ち見が出るほどの熱気に包まれた。事前にインタビューした3人に感想を聞いた。
「今日は大成功です。傍聴席は通常第1回期日が一番多く、2回からはぐっと減るのですが、私たちの訴訟は真逆で、前回の倍近い人が傍聴しに来てくれました。 私たちだけでなく、これは日本人全員の訴訟だと思って引き続きがんばります」(カトリンさん)
「初めて法廷に来て原告席に座りました。 裁判はまだ序盤ですが、全く勝ち目のない裁判ではないと思うので、日本で初めての若者気候訴訟を勝訴に結びつけられるように、 そして、そのプロセスを通して社会に刺激を与えられるよう動いていきたいです」(時任さん)
「企業側がこちらの主張にきちんと向き合ってくれないのは、すごく残念でならないです。企業や国の方針を見ていると、1.5℃目標が遠のいてしんどくなることも多いですけど、本当に1回でもいいからプラスに感じることが起きてほしいと願っています」(二本木さん)

報告会には傍聴できなかった支援者も駆けつけ、ほぼ満席に。この日出廷した原告団11人と弁護団がそれぞれ口頭弁論の経過を報告し、率直な思いを語った
第3回口頭弁論期日は 5月に行われる。今後は訴状の内容について、被告側の認否が行われることになる。日本で2010年代に起きた過去4つの気候訴訟はいずれも棄却、却下となっているが、 世界の潮流が変わってきた中、 日本初の若者気候訴訟の行方は国内外で注目されている。
裁判は長期戦になりそうだ。名古屋地裁で裁判を傍聴することが彼らを最も勇気づけることは間違いないが、それがかなわないとしたら、まだ日本ではあまりなじみのない「気候訴訟」を話題にしたり、ソーシャルメディアで拡散することも彼らの挑戦を可視化することになる。あるいは、もし間違った見方が広がるようであれば、それを止めることも彼らの後方支援になるだろう。
若者たちも迷いつつ、道なき道を進んでいる。未来の土壌を作るための勇気ある行動に私たちも伴走していきたい。
