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八ヶ岳:横岳東面・北沢ルンゼ

島田 和彦  /  2014年12月25日  /  読み終えるまで8分  /  スノー

YOKODAKE PEAK VIEW  Photo: KENJIRO MATSUO

八ヶ岳:横岳東面・北沢ルンゼ

YOKODAKE PEAK VIEW  Photo: KENJIRO MATSUO

危うくそのまま滑り降りてしまうくらい忽然と、最後の砦である大滝がその姿を現した。60mのロープがギリギリ20cmほど雪面に届くという宝の場所を探し当て、登り返すという最悪の選択肢は、ようやく消えていった。先ほどからうろついていた熊の親子が、僕らの帰る方向へと走り去っていく。帰路へとつづく安全地帯でいつもどおり最後尾に陣取り、スキーヤーにどうにかして追いつこうと努力するわけでもなく、スプリットボードをただひとり、心ゆくまで堪能している。12時間の山行をスキーヤーについていくのは中々骨が折れることだが、道具をスキーに戻そうとは思わない。まだマイノリティであることを楽しんでいたい。

札幌に住んでいたころは、世界は北海道だけで十分だった。しかし本州に住むようになってからは、ある意味吹っ切れた感じで、雪を求めてどこへでも行く気になった。いまは日本地図を広げては「ここは、どうかな?」と課題を練る範囲が広がったとポジティブに捉えている。

こうした課題に首都圏での生活と仕事とともに取り組んでいくには、それなりの条件が必要になる。滑りの筋肉は必要不可欠だから、シーズンはじめには、ゲレンデを嫌というほど滑り倒す。それができるのも限られているから、行ったからにはこれでもかというくらい乳酸が溜り、12ラウンド戦ったあとのボクサーのようになったら帰ろうと思う。山登りに行けないのなら、ザックをパンパンにして自宅で踏み台昇降を1時間は粘ってみようか。心肺機能のトレーニングのために、ランニングの優先順位も高い。ストレッチは苦手だが、怪我防止や血行のためには仕方がない。岩場でのロープワークやクライミングジムで汗を流すのも然り……。こんなふうに人生で2度とこない冬のために準備をしている。もちろん、パタゴニアでの仕事と両立させながら。

これで何個目だろう。2月下旬、またしても南岸低気圧が横断していく。山梨県は積雪記録を塗り替えた。「ヤバイな、こんなチャンスはこの先いつやってくるかわからない」
いよいよ「八ヶ岳赤岳東面・南沢ルンゼ」の出番が来たと確信した。スケジュール調整からはじまったが、すぐにつまずいた。パートナーのカメラマン松尾憲二郎が3月初めから中旬までスウェーデンへ取材に行くという。僕の予定と合わせると結局3月29、30日になってしまった。すでにパウダーの確率も低い時期。日程を決めつつ状態をみて前後にずらすというのは不可能なこと。このときばかりは、山の状況で動くことのできない自分の生活を恨んだりもした。

そんな矢先の3月中旬、スキーアルピニストの三浦大介氏が自身のブログ「未知へのシュプール」にアップした内容に唖然とした。「八ヶ岳赤岳東面杣添川南沢左俣右ルンゼをコンプリート初滑降」 完璧なラインとコンディション。僕が滑走していたならば、記憶に残る1本になっただろう。そして僕のなかから南沢への興味は急速に薄れていった。
28、29日の本州の天気予報はそれまでチャンスを与えてくれていた南岸低気圧の通過による影響で雨。この時期なら山でも雪にはならないだろう。コンディションも最悪だろうと思うと、やる気にもならない。29日の朝、今回のメンバーであるスキーヤーの近藤達也とクライミングジムにでも行ってテンションを上げようかと話すも、モヤモヤはおさまるどころかさらに加速していく。天気予報と地形図を交互ににらみながら、すでに5時間が経過していた。1日でトライできる長野・東北・新潟あたりの山も候補に挙がるが、いまやりたいというわけではない。悪いながらもやはり八ケ岳に行ってみようと決めたのは、夜半を過ぎたころだった。重い腰を載せた車は、ようやく山梨方面に動きはじめた。

3月30日朝、車内で目を覚ますと凍りついたガラス越しに松尾の車が隣に停まっているのが見えた。とっくに雨は止んだものの、風が変わってから気温がぐっと下がっているようだ。山には雨にかわり、面倒な強風が主役の座を勝ち取っている。赤岳東面・南沢ルンゼは、固く磨き上げられた雪面というよりはむしろ、氷に近いかもしれない。

最終的に決めた今回の課題は「八ケ岳横岳東面・北沢ルンゼ」。停滞していた時間に調べたところ、2006年3月25日に地元の山岳会・白鳳会のメンバーが北沢ルンゼ・大滝手前まで滑り、登り返したと記録には残っていた。しかしここを上から下までつないだコンプリートの滑走記録は、その時点では見つけられなかった。どちらにしても下部の大滝はかなりデカくて厄介だってことだろう。スキーヤーはともかく、スノーボーダーは誰も滑ってないに違いない。

杣添尾根の夏道を利用して上部を目指す。尾根への取り着きと稜線上までは単調な濃い樹林帯のなかをシール登行するのみで、カフェインを注入せずに朝から行動している頭には刺激が少なすぎる。だがそんなまだ目覚めていない思考回路でも、今日という1日がハードになるだろうことは、踏んでも沈まない雪をみれば安易に想像ができた。

予想通り稜線に一歩足を踏み入れた瞬間、20m以上の強風に平手打ちされ、眠気も一気に吹き飛んでいった。さらにその風に乗って飛んでくる恐ろしい飛雪ミサイルをかわせるはずもなく、すべて体で受け止める。空だけは快晴で、少しだけモチベーションを上げる手助けをしてくれている。左には富士山と赤岳山頂、そして願いかなわずの南沢ルンゼ。右には全貌は見えないものの、北沢ルンゼの存在感が体に伝わってきた。主稜線まで尾根を歩き、バカ正直に強風を受けつづけるのはあまりにも男前すぎるので、右の北沢方向に降り、風を交わしながら足を前に出しつづけることにした。

北沢には細い沢が何本か入っているが、いまいるスキーヤーズライト面は日射の影響も少なく、雪の状態もまずまず。その先のスキーヤズレフトにはアルペンムード漂う、岩と雪で構成された大斜面が鎮座しているが、どう見ても堅そうだ。雪の良さそうなここを滑ろうと僕が提案すると、「島田さんはあそこの大斜面ですよ」と近藤が言い、さらに「ブレないでいままでのスタイルを貫きましょう。大斜面でのビッグターンでしょ」と松尾が吹っかけてくる。いやいや、今日の状況わかるよな。気持ちいいのは間違いなくココだろ……。だが5分後には、やるきになった僕の足は、大斜面へのドロップポイントにつづく主稜線へと動き出していた。のせられたのかもしれないが、悪い気はしない。そう、僕たちは快楽的な滑りや芸術的なワンショットにではなく、どうやってその山と旅に取り組んだかに価値を見出しているのだから。気づくと稜線上の強風は止み、滑走の準備はすべて整っていた。「風は川ではない」 アリュートに伝わる言葉だと新谷暁生氏から教わったことがある。

一瞬の孤独を楽しむために、電波の悪い無線の電源はすでに切ってある。ドロップの瞬間はいつも無心だが、滑りはじめると瞬時に脳が動きはじめた。勝負所はこの先に見えてきた岩稜でノド状に細くなっているシュートをすり抜けるときだろうか、それともその先か……。松尾はどこかの稜線上からカメラを構え、その瞬間を狙っているに違いない。

ハードコンディション。このなかで上手く雪を探し当て、雪煙をあげた絵を残したい。そのためには高速で飛ばしながらも、同時にリスクマネージメントも行う必要がある。この状況だと自分の滑りの50パーセントくらいで調整するのが限界だろうか。ノドを通過してからは70パーセントくらいプッシュしてみたい。そんなことを考えていた。
しかしノドを抜け、遠くの稜線に立つ松尾が目に入った瞬間に、スイッチが切り替わった。「立ち位置はあそこか…よしプッシュだ」

滑り手としての僕が満ち足りるのは、こういう場所であり、こういう瞬間なのだろう。

島田和彦はパタゴニア日本支社勤務、ビジュアルマーチャンダイジング担当。

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山岳滑走ノ記:戸隠山と八ヶ岳

FallLine 2015 vol.2に掲載した「九頭龍山南東右俣ルンゼ、厳冬期初滑走」と、本投稿の「八ヶ岳横岳北沢滑走」のストーリーを軸に、これらの山を選んだ理由から登攀ルート、滑走ライン、どんな絵にするのかについて、そしてどう滑ったのかについてを、島田和彦と松尾憲二郎が語ります。登る技術と滑る技術が両立しないとできない山岳滑走の魅力、さらには滑る人と撮る人としてなぜ2人が惹き合うのかなど。神田および渋谷ストアでは、九頭龍山の滑走メンバーのひとりだったパタゴニア・アンバサダーの狩野恭一も登場します。

1月7日(水) 20:30 パタゴニア 東京・神田
1月8日(木) 20:30 パタゴニア 東京・渋谷
1月9日(金) 20:00 パタゴニア 大阪
1月11日(日)19:30 パタゴニア 名古屋
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「九頭龍山南東右俣ルンゼ、厳冬期初滑走」についてのストーリーはクリーネストラインでもお読みいただけます。

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