大きなクスノキの下で
特殊伐採という専門技術を持ちながら、残すべき木は残すという信念を貫く空師の佐野大介。誠実に、丹念に。大木と対峙する彼の耳に、2年前から木々たちの悲痛な叫びが届くようになった。
全ての写真:福島 淳史
地上から仰ぎ見たその人は、あたかも空を歩いているようだった。高さ20mの樹上。しなる幹に軽やかに身を預け、伸びた枝葉を手際よく切り落とす。身のこなしはいかにも鮮やかであるものの、命綱をつけていることが分かっていても、思わず手に汗を握ってしまう緊張感がそこにあった。佐野森業の代表であり、空師の佐野大介さん。この日、彼が取りかかっていたのは、木々の管理を一任されている施設内での枝下ろし作業。危ないから伐ってほしいと依頼された枯れかけの大木と対峙し、いかにして命を残せるかを熟考する。そして、原因を見極めながら無駄なく剪定の手を入れていく。病根を取り除くべく、的確な手当てを施す名医のように。

佐野森業代表の佐野大介さん。空師として東京・神奈川県を中心に活動している。
空師とは、高い木に登り、伐採を行う専門職を指す言葉だ。山中で行われる一般的な林業とは似て非なるもので、主に相手にするのは、社寺林や民家の屋敷林など狭い敷地にあり、そのまま切り倒すことが難しい木々であることが多い。専門性が高く危険を伴うその仕事は「特殊伐採」とも言われるが、木をこよなく愛し、木との対話を続けてきた佐野さんは、空師としての自分をこう定義づけている。
「木を伐ることができる。でも、それ以上に木を残すことができる人であること。空師と名乗るときにそう覚悟を決めました」。
遡ること、約二十年前。世界一周の旅を経て写真家として職に恵まれた佐野さんは「自然の中に身を置きたい」という想いから林業の世界へ飛び込んだ。しかし、自然と関わる仕事がしたいと足を踏み入れたはずの森林組合では、相手にするのは植林されたスギやヒノキのみ。それ以外の木はすべてが雑木という扱いで見向きもされないという現実に直面した。あらゆる樹木や大木を相手にしたいと考えた佐野さんは、特殊伐採に関わる道を選び、山から下りることを決める。それが31歳のときだ。

枯れた高木の伐採は特に命の危険が伴う。木の状態をしっかりと見極める。
ひとくちに特殊伐採といえど、職人に求められる技術はじつに多岐に渡っている。高い木に登る、高所で身を安定させる、安全に木を伐る、円滑なチームワークで伐った木を下ろす……。樹上という特殊なシチュエーションにおける一連の作業は、専門性の高い各工程の技術を磨くことで、完遂するのだ。神奈川県平塚市を拠点に活躍するふたりの師匠に弟子入りした佐野さんは、それら至妙の技を一つ一つ着実に習得し、2008年に独立した。その背景には、木に対しての深い敬愛と、ある種のジレンマがあったのだという。
「可能な限り木を残したいという気持ちがどんどん大きくなっていったんです。人間の都合で伐りたいと思っても、人や多くの生き物のために伐ってはいけない木があることも知りました。ある時、屋敷林にある大木を伐るように言われたんです。でも、じつは、その木は地中の水脈と強く繋がっていて根から吸い上げた水を周囲の木々に再分配するなど、土地全体の水分バランスを取る重要な役割を担っていると、僕は見立てていました。実際、幹を切るとそこから水があふれ出てきて。心苦しく思いながらも伐採した結果、乾燥化が進み、荒れた環境になりかわってしまった。二度としてはいけないと、自分を戒めましたね。残すべき木は残す、それを実践していくには独立するしかなかった」
木を残すための空師。ロールモデルのないそんな生業を志すにあたって、心に決めたことがあった。木に対して誠実であること。そして、仕事を貪欲に求めることはしないこと。その信念は、今もなお佐野さんの中心にぶれることなく根ざしているものだ。
「仕事を欲しがると、余分なことをしてしまうだろう、と。たとえ、お客さんから伐ってくれと頼まれても、状況によってはこの木は伐らない方がいいとお客さんを説得するべきケースもある。そうすると伐採の仕事はなくなるけど、それこそが自分がやるべき仕事だと思ったんです。家族もいるし、もちろん不安はありましたけど、木が嫌がることはせず、自然や環境に対して負荷をかけず、自分が信じる仕事をしていればきっと食べていくことはできるはずだと、開き直ったんですよね」

できる限り少ない道具で木に登り、最小の工数を見立て、最大の効果が得られるよう思考を巡らせる。
足元は、安全靴ではなく常に地下足袋。その理由は、足裏で感じる土や木肌の感触からも、木の健康状態を探りたいから。そんな風に、五感を開きながら全身を使って木と対峙してきた佐野さんは、いつしかこんな確信を抱くようになった。物言わぬ木にも、秘められた知性があるのではないか、と。内に抱えるだけだったそんな解釈を、自明の真実として世の中に広めてくれたと佐野さんが人知れず感謝する一冊の本がある。
2023年に日本版が刊行された『マザーツリー 〜森に隠された「知性」をめぐる冒険〜』だ。一見すると、一本一本が独立しているように見える森の樹木たち。しかし彼らは、土中にびっしりと張り巡らされた、豊かな菌類のネットワークによって繋がり、互いにコミュニケーションをとっている。カナダの森林生態学者が長年の研究によってその事実を科学的に解き明かした本書は、佐野さんがフィールドでの体験から感覚的に捉えていた世界を、ロジカルかつ鮮やかな筆致で見事なまでに描いていた。
「最初は、僕も1本の木しか見てなかった。でも、結局は土の中や菌糸の繋がりが大事であり、地上の姿だけでなく、地中の姿も想像して森全体で捉えるべきなのだと視野が広がっていったんです。自分は科学者ではないけれど、自分なりに確信していたことのひとつが、森の中には必ず中心となる木があるということ。森を整備するときは、その中心を見つけてから地形を見て水の流れを捉え、どう手を入れていくべきかを考えていきます。それがこの本でいうところの、まさにマザーツリー。マザーツリーが地中における水の再分配を担っていることなど、自分が普段考えていたことがこの本の中で書かれていて、自分なりの真実を科学で証明してもらえた気がして嬉しかった」

高木に命を預け、しがみつき、チェンソーの刃を当てる。
現在、佐野さんが仕事の拠点を置く神奈川県大磯町。ここは、明治時代から政財界人や文化人の別荘・保養地として人気を集めたことで、豊かな自然が保たれてきた風光明媚な地域だ。神社の境内や屋敷林、学校施設内の大木など。そこかしこで枝を伸ばす樹木を、単体ではなく森単位で捉えながら向き合い続けること十数年。声にならない木の声に真摯に耳を傾けてきた佐野さんは、2年前から彼らの悲鳴を明白に感じるようになったと、憂いを帯びた目で語り始めた。
「ノコギリは、僕にとっては聴診器みたいなもの。伐るときの刃触りで木の状態を知ることができるんですが、もうはっきりと木の中から水がなくなっています。通常、木は冬になると水を切り、春になると水を吸い上げはじめます。でも、ちょうど2年前から春も夏も冬と同じように木の中がカラッカラ。気温が高すぎるせいで、いくら根から水をあげても葉っぱから水が蒸散してしまい、木の中に水を保持できないんです」
そんな危機に直面したとき、木は自らを守る緊急手段として葉を落とすのだという。焼け石に水のごとく、葉っぱがあることで水分が果てしなく放たれてしまうためだ。
「今年は、秋に落葉するはずの桜の木が6月くらいから葉を落としだして、8月には丸裸に近い桜の木がかなりあった。常緑樹はこのあたりだと通常なら5月くらいに古い葉を落として新しい葉を出すのですが、2月か、下手したらそれより早い時期から葉を落とし始めた。クスノキなんて、出したばかりの新しい葉さえ、暑さに耐えきれずに落としていた。大きな木はまだそうやって耐え忍びますが、経験がない若い木や弱っている木は虫が入り枯れていきます。ついに自然の臨界点を超えてしまった、ここまできてしまったか、と」

木に必要のない痛みを与えないよう丹念に手入れされ、積み込まれた道具。
突き付けられた重くシビアな現実に、沈痛な想いが拭えないまま、佐野さんが整備を手がけるという学校の敷地を案内してもらった。駅前の一等地ながら、財閥の所有地だったおかげで開発の手が及ばずに保たれてきた豊かな樹木群。鬱蒼とした常緑樹の密集地は、佐野さんの細やかな手入れによって、子どもたちが親しみを持てる学びの森に変わろうとしていた。

細やかに丁寧に木に手を入れていく。
校庭の片隅に立派なクスノキの姿があった。佐野さんが子どもたちとともに樹勢回復に努めている木なのだという。枝で編んだ「しがら柵」でぐるりと囲われた根の周りには、落ち葉が潤沢に敷き詰められ、その隙間から実生の幼樹たちが葉を伸ばす。コンクリートのように硬い校庭のグラウンドで、ここだけが小さな森かのようだった。
「音楽や絵によって救われる人がいるみたいに、無意識に目に入った一本の大木や自然の風景に人が救われることもあると思っているんです。大木に救われた僕は、大木を残したい。身の回りに消費されることのない本当の自然があるべきだし、そうしたら少しずつ色々な問題もきっと少しは良くなったりするかもしれない。そうなったらいいなって、思っているんですよね」
休み時間に入ったのだろう。子どもの列が通りすがり、大きなクスノキの下で「こんにちは」と元気な挨拶が響いた。その中のひとりがふと立ち止まると、輝く目で大木を眺めながら、弾けるように話し始めた。この木はとても長生きであること。友達と一緒に日々落ち葉を集めていること。落ち葉のおかげで木が元気になってきたこと。それがすごく嬉しいこと……。暗然たる気持ちに、仄かな光明が差し込む感覚があった。そして、大木を残す理由について、先般、佐野さんが話した言葉が、ふたたび少年の笑顔に重なった。

アンデスのアタカマ高地やチベットのチャンタン高原など厳しい条件で暮らす人々に美しさを見出した佐野さん。2010年に長野県辰野町へ移住し、家族6人で自給的な暮らしを実践している。