二つの車輪と一本のフライロッド
全ての写真 植田 徹
灼けた肌がひりひりと痛む。僕は焦っていた。これまで既に400km以上自転車を漕いでいるが、手にしたのは月並みなサイズの魚のみだった。チャンスがなかったわけではない。岩盤脇で捕食を繰り返していたあの鱒には散々フライを投じた挙句最後には見切られ、瀬の中で掛けたあの鱒にはフックを伸ばされて終わった。針先に刺さった一片の鱗は太陽にかざすときらきらと輝き、それは僕の心をより一層陰鬱にさせた。
自転車と1本のフライロッドでニュージーランドを巡る旅。僕がこの方法でフライフィッシングトリップを敢行したのは昨年に続き2度目のことだ。よいフライフィッシャーになりたいと思っている。だから、なるべくフェアな方法でフライフィッシングトリップを行いたい。その答えが、人力のみで移動する旅だった。衣食住の全てを自転車に積み、キャンプをしながらニュージーランドの川を巡り、鱒を追いかける。自転車という乗り物は至ってシンプルで、漕がなければ進まない。自分の肉体こそがエンジンだ。積載できる装備にも限りがある。起きて半畳、寝て一畳。そして、人力で動く2つの車輪。

町から町への道程は長く、100マイルもの間、食糧を買える店が一軒もないこともある。広がるのは牧草地、山、そして川。
北島から南島の玄関口の町・ピクトンへ渡り、川から川へ南島を縦断するようにペダルを踏む。期間は1ヶ月。ゴールはあえて定めなかったが、移動日に漕ぐ距離は100kmを目安に計画を立てた。しかし、計画通りに進むほど旅は甘いものではない。
地図上ではたやすい登りだと読み取れた峠道は、僕の心を挫くには十分なきつい登り坂だった。息を切らして坂を登っていると、エールを送ってくれるドライバーたちがいる。クラクションを鳴らし、サムズアップをしながらニタッと笑いかけてくれるドライバーに、僕は何度も背中を押してもらった。なかでもスペインからのカップルは親切にも「あなたはたくさんエネルギーが必要だから」と車を停めて、袋いっぱいのよく冷えたプラムをくれた。クッキーやナッツ、チョコといった乾いた行動食しか携行していなかった僕にとって、生のフルーツはごちそうだった。暑い日差しに晒されてからからになりかけていた僕の身体に、みずみずしい果汁が染み入る。

峠を登り切った先に広がる景色。蛇行を繰り返す川を目の当たりにし、過酷な登坂の辛さも忘れ、期待に胸が膨らむ。
舗装路を離れれば、車の往来も途絶える。砂利は深く、思うようにタイヤが転がらない。向かい風はさらに僕を押し戻す。丹念に注油したチェーンに、自らが捲き上げた砂ぼこりがまとわりついて、ぎしぎしと音をたてる。僕は文字通り地を這って旅をした。こうした過程を経て川にたどり着くことは、鱒に対する僕なりの敬意とも言える。
順調に距離を漕いだとしても、よいタイミングで川に立てるとは限らない。川のコンディションはさまざまなものに左右される。自転車というゆっくりと進む乗り物を選んだ以上、悪い状況下ではその川での釣りを諦めて先に進むか、釣りができる状況になるまで待つしかない。自然を前にして、僕は圧倒的に受け身だった。今日の雨が、明日にとっての凶であったとしても、明後日にとっての吉にもなり得る。旅を左右する決断を下すことへの迷い、その結果がもたらす自己嫌悪、心は浮き沈みを繰り返した。自転車を漕いで鱒を追うこととは、自分の弱い心と向き合うことだ。

川沿いに停めてあったピックアップトラック。「ここから上流を釣り上がっている」というサインは、他の釣り人への配慮。砂塵を纏うのがこの車種の本来の使い方。
初めて訪れる川となれば、その判断はさらに難しい。旅も半ばに差し掛かったころ、僕はその分岐点にいた。町外れで数日間キャンプをしながら、周辺の川を探索し終えた僕は、次の進路を決めかねていた。東へ行けば、長年この国に通い続けてきた僕にとって、よく知る川がいくつかある。魚の付き場も、釣れたフライも覚えている。再訪すればよい思いができるだろう。しかし、僕は西に進路をとることに決めた。そうすれば1本の長くきれいな線が引ける。僕にとって未知の地を旅することになるが、そこで得られる感覚を大切にしたいと思ったのだ。

この旅で唯一釣りを供にした、数年来の親友であるパブロ。彼はこの旅の意味をよく理解してくれている、僕の数少ない同志のひとり。
目的の川の上流部に至るには、地図を見る限り、林道を漕いでアクセスすることができるようだった。しかし、実際には数キロ進むと道には落石や崩土が目立つようになり、半分も漕がないところで、道は草木に飲み込まれてしまっていた。この先に向かうには自転車を置いて山を歩く必要がある。僕は携行していたバックパックに必要最低限の装備と釣り道具、食料を詰め直した。苔むした木々の中を歩く。幹はこの国特有の黒い菌に覆われていて、酸っぱいような独特な香りを醸している。僕はこの匂いを嗅ぎながら歩くのが好きだ。森を抜けると平らな河原に出る。陽が傾くころ、僕はハットに到着した。6人が寝泊まりすることができる小さなハットの中には誰も宿泊していない様子だったが、外に広がる開放的な草地で野営をすることに決めた。できるだけ自然と自分を隔てるものを減らすことがこの旅の流儀でもあった。テントから少し離れたところに流れる川で水を汲む。ここはまだ竿を振るには川幅が広すぎるが、上流に向けて歩けば理想的な流域部に辿り着くと見込んでいた。

心地よい草地にテントを張る。2本のポールで立てる簡素なもの。床はないが、ニュージーランド特有の吸血虫・サンドフライを遮るためにメッシュのスカートがついている。
翌朝、テントを残して上流を目指す。川面には朝霧が浮かび、草地を歩く僕の脚は露でびっしょりと濡れた。かじかんでいた両手が温まってきた頃、向こう側から大きなバックパックが揺れながら近づいてくるのが見えた。その横にはロッドチューブが括られている。彼も同じく、僕のロッドチューブに気づいたようだ。
「この先にはいい魚がいる。でも、とても厳しい魚たちだ。」
Good luckと後に言葉を続けた彼の顔は、あまり晴れやかではなかった。彼がこの川でより強く抱いた印象はおそらく後者の言葉なのだろう。それは少しだけ僕の心に火をつけた。簡単に手にすることができない魚に惹かれているのだ。
僕は旅に彩りを加えるために鱒を釣っているのではない。鱒を釣るために旅をしている。鱒を釣るとき、よい結果と苦い経験は表裏一体だ。甘い汁だけ味わおうとすることで失われるものだってある。どちらも貴重なものとして受け入れるべきだ。目先の結果に囚われずに、自分がどんなフライフィッングをしたいのか、その一点に重きを置いてロッドを握り続けた。結果に左右されることのない強い心を持ち、ずるいことをしない。カッコ悪いことをしない。たとえ僕と魚しか知らなくとも、それを貫きたいと思った。その時にベストを尽くし川に立ち対峙できた魚こそ、出合うべくして出合った相手なのだ。手段を選ばず魚に出合う機会を最大化することが、果たしてよいフライフィッシングと言えるのだろうか。僕にはそうは思えない。

旅を通して8本の川を巡った。長い孤独の中で、魚と対峙する際のひりひりとする感覚は増していった。僕にはこの釣りこそが世界に触れる方法なのだ。
チャンスらしいチャンスがないまま太陽はすでに真上まで昇り、僕はそれでもなお集中力を切らさないよう努めていた。目の前には膝下ほどの浅くてフラットな流れが30mほど続いている。ふと、水底に沈む二つの岩の間にある影が左右に少しだけ揺れたように見えた。その影を凝視する。間違いない、それは大きな鱒の影だ。それは僕が立つ位置から10mほどしか離れていない。上流から吹く風が少し気になるが、幸い頭上にも後方にもキャストを遮るものは何もない。谷には絶え間なく蝉の声が轟いている。僕は結んでいた大きなドライフライを影の前方に投じた。ゆったりとした流れに乗ったフライはちょうど彼の頭上を通過したが、影は微動だにしなかった。反応がなかったことへの落胆よりも、次の手を打つ希望が残されたことに僕は胸を撫で下ろした。これまでに、一度フライを流しただけでチャンスをふいにしてしまうことが何度か続いていたからだ。彼は水面を見ていない。僕は結んでいたフライの先にさらにティペットを付け足し、ニンフを結んだ。ドライドロッパーというこの釣りも、僕はニュージーランドで覚えた。願わくばドライフライのみで勝負を挑みたいところだが、自分のイデオロギーを貫き通すよりも自然の摂理に寄り添う方が美しいということもこの地で学んだ。
一投目と同じく、フライは彼の頭上を流れた。フライが静かに水面下へ突き刺さる。僕は一呼吸置いて、右手に握ったロッドを高く上げた。紛れもない生命の感触が右腕に伝わり、緊張感が全身を覆う。懐かしい感覚を抱くと同時に、かつてないほどの重さに僕はたじろいだ。

これまでに出合った魚の中でも、特別なブラウン。魚体の美しさだけでなく、出合うまでのプロセスがその価値を高めているように思う。
その夜、僕はシュラフに包まりながらその対峙を脳内で繰り返し再生し、右腕に残る感触を反芻するように何度も味わっていた。彼がフライを咥えてから手中に収まるまで、時間にしておよそ5分ほどの出来事だっただろうが、僕には1時間にも、もっと長い時間にも感じられた。その間、僕は異世界にいるような気分だった。2度繰り返した彼の飛翔。その水しぶきの一つ一つに魅せられていた。蝉の声はもう、僕の耳には届いていなかった。僕と魚だけの世界だ。釣り上げたのは、格別に美しいブラウントラウトだった。生涯忘れないであろう魚。これは風化しない。目を閉じればいつだってあの瞬間へ還ることができると僕は知っている。フライフィッシングとは、そういう崇高な遊びなのだ。

地を這った1ヶ月。この旅が価値あるものであったかどうかは、僕の内面にこそ問われる問題であり、僕の人生がどのように変容するのか、その一点に収斂される。