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まるで野生馬のように

小森 隆志  /  2024年1月17日  /  読み終えるまで13分  /  サーフィン

自らシェイプしたサーフボードを一本だけ携えて、宮崎に暮らすサーファー・小森隆志がバディと共にヨーロッパを旅する。

子どもの頃から当たり前のように海に接して育ったサラブレットサーファーでもなく、ヤングガンでもない僕らには、生きていく基盤である仕事をこなし、家族が心豊かに生活できてこそ、旅に出る権利が与えられる。このレポートは、共に二人の子どもを持ち、サーフボードシェイパーである僕とサム・ユン(Sam Yoon)さんの旅の記録だ。

「ハワイも行きたいけど、なんか別のこともしたいよねー」と、オーストラリアで暮らしている、サーフボード作りの師匠であるサムさんが言う。「そうですねー! ヨーロッパに行ってみたいんですよねー」と返す。「良いね。ハワイみたいにキャンプしながら旅できたら最高だ」。サムさんは、3年前に一緒にマウイとカウアイを旅した時のことを思い出していたのかもしれない。その時も僕らはバンで移動しながら、テントで野営し、できるだけ現地の食材をベースに自炊して、波があれば一日中海で過ごした。波がない時には山でヨーガをし、来たるべき時に備えて自然のリズムに従っていた。それが自分達の求める旅なのだと共感しあった。

まだ見ぬ土地に対する憧れ。日本という小さな島国を出て、世界の大きさを肌で感じたい。鉛筆でアウトラインを書くことからスタートする、ハンドシェイプしたサーフボードを大西洋の海で思う存分にテストする! という新しい挑戦。自分の可能性を試してみたいという心の奥の本当の気持ちを再認識して、互いの妻や子どもにその想いを伝えて、旅に出た。

何気ない一言からおよそ3ヶ月後、自分がシェイプした一本のサーフボードとキャンピングギアをバックに詰め込んで、ドバイの空港で合流した。今回の旅で行きたいと思っているフランス、スペイン、ポルトガル。空港に着いた瞬間に風と波が一番良さそう場所に行くために、どのエリアからもアクセスしやすい真ん中のマドリード空港を選んだ。今まで太平洋の波しかチェックしてこなかった僕は、冬の大西洋の波高を見て驚いた。まるで冬のハワイのように波が大きいことを示す真っ赤がずっと続いている。到着してからの一週間近く風の合いそうな、フランスとスペインに跨るバスク地方を最初の目的地にすることに決まった。キッチンもトイレもシャワーも付いているキャンピングカーをレンタルし、僕らの旅が始まった。

まるで野生馬のように

写真:小森 隆志

一本勝負
今回の旅に持っていったサーフボードは、8’3。本当は6’3も用意していたが、荷物が多すぎて航空会社に乗せられず、一本勝負となった。サムさんは7’7。彼はその板で 20 feetの波まで乗れるはずだと言う。自分で削ったボードは、どこまでヨーロッパの大波に通用するのだろう。
サムさんの友人たちと合流して、ビッグウェーブが立つパーラメンティアというポイントに連れて行ってもらった。まるでハワイのサンセットのようなフェイスの広い波で、板の性能を試すのにはバッチリだった。ほとんどのサーファーがビッグウェーブガンを使用しており、フランスの波のポテンシャルの高さを感じる。サムさんは、彼らよりも短く、厚みが10cm近くあるサーフボードに乗っている。以前にその分厚いサーフボードに乗らせてもらった時、あまりの浮力にタイミングを合わせきれずに手こずったけれど、慣れてくればビッグウェーブガンのようなテイクオフの早さで、板が短い分だけ取り回しが圧倒的に楽だった。

今回、僕が持っていった板には、サムさんが考えたデザインコンセプトを取り入れさせてもらった。ブランクスは、宮崎県産の桐を使用したkiriflex。木のしなりを感じたくて、桐の一枚板から削ったオリジナルフィンをオンしたサーフボード。

パーラメンティアの波は、自分が鉛筆で書いたアウトラインが水にどのように入って流れていくのかを体感できた。フィンのしなり具合や浮力のバランスなど、一本一本の波を大事に乗って確かめていった。一般的に硬いと表現されるEPS素材に対してギリギリまで薄くしたフィンとの相性が、乗っていて心地よく感じられた。ただし、調子が良いのか悪いのか?一言ではまだ表現しづらいのが正直なところ。旅の間に数回、激しいワイプアウトをしてしまい、それが板のせいなのか、自分のせいなのか、それとも両方なのか。まだ答えが出せていない。サムさんから、初めは良いと感じなくとも、乗り込むほどに良くなってくることもあると教えられる。まるで皮製品のように使えば使うほど味が出てくるような板もあると。

まるで野生馬のように

7’7 Rhino modelでテイクオフする〈Flying soul surfboard〉のシェイパー、サム・ユン。まるでスノーボードをしているようなラインが描けるパーラメンティアは、サーフボードデザインを探求するには最適な波だった。写真:Thomas Lodin

二人のシェイパーが、ひとつの波で踊る
自分で板を削るようになってからいつか会ってみたいと思っていた〈Fantastic Acid〉のシェイパー、トリスティアン・マウセ(Tristan Mausse)を訪ねる機会に恵まれ、彼のホームポイントで一緒に波乗りをした。
サムさんとトリスティアンは、海の中で板を交換し、互いの哲学を確かめ合っていた。僕がひと足先に海から上がって見ていると、二人がセットの波に同時にテイクオフした。10 feetのガンに乗るトリスティアンと、7’7に乗るサムさん。ひとつの波をシェアしながら、まるでダンスのようにグライドする二人の姿を見て、思わずもう一度ウェットスーツに着替えて沖へと向かった。僕もあの美しい光景の一部になりたいと思った。コンテストサーフィンとは対極にあるサーフスタイルを見て、「波乗りの自由」を改めて思う。そして自分が追求していく道は、こちらだと確信した。

まるで野生馬のように

一つの波を二人でシェアするサム・ユンとトリスティアン・マウセ。写真:Thomas Lodin

後日、〈Fantastic Acid〉のファクトリーで、サムさんがトリスティアンのための板を削ることになった。シェイパーからオーダーを受けるシェイパーも珍しいのではないか。互いの板で波に乗り、ひとつの波を共有したことで、彼らにしかわからない感覚が芽生えたのかもしれない。新品のブランクスに、オーストラリアから持参していたテンプレートを乗せてアウトラインを描き、手鋸で落としていく。材料さえあれば、世界中で仕事ができるハンドシェイパーは、サーファーとしても職人としても、とてもカッコよく見えた。僕らは、垂直にリズムよくノコギリで落としていくサムさんを静かに見守った。
しばらくすると隣のシェイプルームでトリスティアンもシェイプを始める。数日前は海の中でひとつの波を共有し、次はひとつの空間で互いのサーフボードを削る。シェイプを初めて3年足らずの自分にとっては一生の財産となる貴重な時間だった。二人は、達成感に溢れているように見えた。

アクシデント、おにぎりと味噌汁
翌朝、ビーチで待ち合わせをすると、さすがはローカル、3−4feetの波がチューブを巻いている。沖からのうねりが溜まりに溜まってインサイドで掘れ上がる波で、素早くタイミングを合わせないと浅い砂浜に打ちのめされてしまう。一年前に似たような波で足首を骨折する大怪我をしてしまった僕は、できるだけ慎重に波を選んでいた。数本バレルに入るが中々メイクできずにいたが、サムさんとトリスティアンは上手く波を掴みメイクしていた。
8’3の僕のボードは決してこの波向きではなかったかもしれない。それでも侍の刀と同じように、一心同体になろうと自分に言い聞かせ、波のリズムに合わせることだけに集中するとようやく数本のいい波に乗ることができた。

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一本一本が真剣勝負。フランスのクオリティの高い波には驚いた。写真:Thomas Lodin

集中力が切れる前に一度上がり、りんごをかじりながら海を見る。すると、サムさんがビーチで膝を付いていた。様子がおかしいと近づいていくと「お腹にサーフボードが当たった」という。「でも、大丈夫だから」と言うので、安心してもう一度、海に入る。サムさんは、海に入ってきたのに、波に乗らずに岸へと戻っていってしまう。砂浜に倒れ込むように寝転んでいるのが見え、これはただごとではないと思いすぐに海から上がった。
「大丈夫ですか?」「大丈夫じゃない、波に乗ろうとしたらブラックアウトしそうになり。。」と、話しながらバタンと跪いてしまった。いつも超人的なサムさんが、まるで別人のように元気がなくなっていく。写真を撮ってくれていた友人のトーマスと、トリスティアンも心配そうにサムさんの顔を覗き込む。
海から上がってきたボディーボーダーから「内出血してるかもしれないから動かさない方が良い」というアドバイスを受けて、すぐに救急車を呼んだ。彼は、看護師だと言う。サムさんの顔色が変化して、眠りそうになっていく。眠らないよう彼の手を握りしめるトーマス。辛うじてウェットスーツを脱がせ、暖かい洋服に着替えさせ、救急車を待つ。いったい何時間待ったのだろう。夕陽が沈みそうになってきた頃に、ようやく砂浜に入ることのできる4WDの救急車が到着した。

まるで野生馬のように

苦しむサムさんを前に、救急車を呼ぶことしかできなかった。写真:Thomas Lodin

夜9時過ぎ、別人のような声のサムさんから「明日手術をすることになったよ」と連絡があった。「今日はゆっくり休んでください」と言って、電話を切った。翌日、手術を終えてICUに入っているサムさんに会いに行った。お腹を強打して、内出血した血液を1.5リッターも抜いたという。あと少し対応が遅れてたら命はなかったとドクターが言っていたらしい。
このまま一緒に旅を続けられるのか? もし手術がうまくいかなかった時はどうしよう……。ネガティブな感情を、何度も呼吸を整えて心を落ち着かせた。一人きりになった僕を気遣ってトーマスが自宅に泊めてくれた。バディの怪我がなければフランス人の家に泊まることなど、僕の人生にはなかったかもしれない。入院中のサムさんを心配する僕にフレンチスタイルの紳士的な振る舞いで迎えてくれた。サムさんを通じて知り合っていくフランス人達の温かいもてなしや振る舞いは、自分の人間力を高めてくれたような気さえする。

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医師に1ヶ月は安静にしなければならないと言われ、複雑な思いだった。 写真:Thomas Lodin

手術して3日目、サムさんから「Onigiri and miso soup please」という連絡が来た。
嬉しくなって、病院の駐車場で米を炊き、おにぎりと味噌汁を差し入れする。翌日には退院し、「そのまま予定通り旅を続けよう!」という。心の中では本当に大丈夫なんだろうか? と、思いながらも彼の気持ちを優先して旅を再開した。
フランスからスペイン北西部に丸一日かけたどり着く。夕方のガリシア地方では、僕の大好きな美しい小波が割れていた。

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自宅に泊まらせてもらい写真まで撮ってくれたトーマス。 アーティスティックな彼の写真の被写体になれた事がとても嬉しい。写真:Thomas Lodin

パワーのない小さな波でも十分な浮力のサーフボードで波乗りすると、ここまで楽しめるのかと嬉しくなる。波のもっともパワーのあるセクションで可能な限り脱力し、波のエネルギーを最大に感じる。波乗りをしていて、とても気持ち良い瞬間。ビッグウェーブから小波まで楽しむことを目指して削った板の乗り味を味わうことができている。自分は、なんてラッキーなんだろう。綺麗な夕陽の中で波乗りをしながら、旅を再開できた喜びと、サムさんが生きてくれていて本当によかったという気持ちで満たされていた。海から上がると、彼はキャンピングカーの中で暖かいシチューを作ってくれていた。旅の喜びをほんの少しの赤ワインで乾杯した。

ポルトガルに到着した翌日から波乗りに復活したサムさんは、まだお腹に3箇所の傷があり、糸で縫ってあるにもかかわらず、本当に怪我をしていたのだろうか? と思うようなパワフルな波乗りをしていた。波を越える際に、「縫ってあった糸が切れた」と笑って言うのを聞いて、僕は苦笑いしかできなかった。僕に彼は止められない。旅のバディとして、最後まで一緒に楽しむしかないと吹っ切れた。最終目的地マデイラ島へ向かうため、借りていたキャンピングカーをマドリードで返却し、走行距離を聞くとおおよそ4,000km。宮崎から北海道を往復するのと距離と同じだった。

憧れの、マデイラ島
パタゴニア 鎌倉にディスプレイされていた写真でその存在を知り、旅の最終目的地として訪れたマデイラ島では、Googleマップと野生の勘でキャンプ地を探した。暗闇の中テントを張り、朝目覚めると100匹以上のヤギが目の前を通ったり、テントのファスナーを開けるとすぐそこに牛がいたこともあった。ガソリンバーナーでコーヒーを淹れ、オーツミルクとマヌカハニーを混ぜ合わせたラテが毎朝の楽しみ。テント泊は、風の通る道筋、太陽の登る角度、月が沈む方角など、普段あまり気にかけない事象を教えてくれる。波を想い目覚める楽しみを久しぶりに味わって、充足感を感じる。できる限り自然のリズムを感じることで、波のリズムにもうまく合わせることができるのではないだろうか?

あの写真のポイントジャルディン・ド・マールは、うねりが足りなかった。数日後にはしっかりとしたうねりの予報があり、僕らは滞在を伸ばすかどうかの判断をしなければならなかった。
旅の始まりと同様、互いの妻に確認をする。出発前から延長するかもしれないと話していたサムさんは延長することに決めた。愛犬が危篤の状態にあると聞いた僕は、このまま旅を楽しめる気持ちになれず、素晴らしい波に乗れないことよりも、家族が辛い時にその場にいないことの方がよっぽど後悔するだろうと予定通り帰国することにした。

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旅の途中、愛犬 Moonの危篤の連絡を受けて眠れずにいた僕は、テントの外に出た。ちょうど満月が海に沈むタイミングだった。この Moonset はきっと、Moonが見せてくれたのだろう。写真:小森 隆志

一ヶ月も家を離れてヨーロッパを旅したことに、僕はもう十分満たされていた。マデイラ島から宮崎に帰るだけでも4日間かかり、随分遠くまで行っていたのだと実感した。必死で生き抜いて待ってくれていた愛犬と家族に会って、僕は旅の意味を深く噛み締めることになる。

そして、超人的な復活を遂げたサムさんから、ジャルディン・ド・マールのビッグウェーブを見事にメイクしたと連絡があった。僕は、まるで自分のことのように、嬉しかった。

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