伝統的グリーンインフラと地域連携
欧米で環境のみならず防災減災の対策や地域づくりで積極的に用いられているグリーンインフラ。災害リスクや自然環境の劣化など、多様な課題が顕在化している日本においてグリーンインフラの果たす役割が問われている。
2024年の夏に開催した『ダムネーション』フィルム上映&トークイベント「ダムの真実を伝えつづけてきた10年」のゲスト、吉田丈人氏(東京大学大学院農学生命科学研究科教授・総合地球環境学研究所客員教授)が『実戦版!グリーンインフラ』(日経BP発行)に寄稿された内容を一部抜粋し、多機能性を発揮するための鍵となる、伝統的なグリーンインフラについてご紹介します。
自然資源の利用や災害対策など、世代を超えて地域に受け継がれてきた伝統的グリーンインフラがある。自然の様々な恵みを享受しつつ災いを避けるために活用され、多様な知識や技術が受け継がれてきた。多様な知識や技術を持つ地域の人々の連携は、伝統的グリーンインフラが多機能性を発揮するための鍵となる。
自然が人にもたらす恵みと災いは、互いに深く関係している。様々な恵みが人々の生活を支え豊かにする一方で、時に災いがもたらされる。自然災害は、その災いの最も極端なものであるといえよう。自然の恵みと災いから絶え間なく影響を受けるなかで、人と自然の関わりの歴史がつむがれてきた。自然災害は忌み嫌われるものとして捉えられ、技術の発展とともに、自然災害による被害を減らすことに成功してきた。
しかし、全ての自然災害を技術の力で押さえ込み安全を確保することは、高度な技術が発展した現代にあっても難しい。では、高度な技術が発展する以前は、人々はどのようにして自然の恵みや災いに付き合ってきたのだろうか。その答えは、それぞれの地域で培われてきた自然資源の利用や災害対策などの「伝統的グリーンインフラ」にある。それぞれの地域において人と自然の関わりが模索されつくられるなかで、世代を超えて受け継がれてきた伝統的な知識・知恵・技術(伝統知)や、地域に特有の知識・知恵・技術(地域知)が膨大に蓄積されてきた。伝統的グリーンインフラを現代的なインフラと組み合せて活用したり、現代的なインフラを補完したりすることで、多様な機能の発揮が期待されている。
例えば、土砂崩れや土石流などの土砂災害を防ぐために森林を保全する取り組みは、古くから日本各地にあった。留林や御留山などと呼ばれ森が守られてきた。この取り組みは、保安林の制度として現在まで引き継がれている。また、森林は薪炭や木材など多くの恵みを人々にもたらしてきた。林や森は、家の周囲の屋敷林や海の浜に沿う海岸林などとしても使われ、自然の災いへの対応と恵みの享受の両面から利用されてきた。
川の氾濫に対しては、川岸の堤防が不連続で切れている霞堤とその背後にある遊水地が近世の頃より造られ、現在でも利用されている伝統的な治水施設となっている。川からの氾濫を計画的に遊水地にためることで下流での氾濫を防いだり、浸水した場所から不連続な霞堤を通して水がいち早く排水されることを促したりして、浸水災害の影響を減らすことに役立つ。他にも、輪中と呼ばれる堤防で囲まれた場所があり、水田など農耕に適した低湿地を利用しながら、水害から家などを守ってきた。
また古くから続く集落は、自然の災いを避けながらも自然の恵みを利用しやすい場所に立地していることが多く、土地利用の仕方にも伝統知が見られる。さらには、過去に災害が起こった場所を地域の人々が記憶していくために、災害の履歴を記録した石碑を建てることや、災害が起こりやすい場所を地名として残すことなども、伝統的な方法である。このように、伝統的グリーンインフラの事例は枚挙にいとまがない。
自然の災いによる被害を避けつつ普段の暮らしに自然の恵みを活かすために、地域の自然の深い理解に基づいて、その地域にある自然を幾つもの方法で組み合わせて利用することがある。滋賀県の琵琶湖の西側に広がる比良山麓の地域では、自然災害への対応と自然の恵みの利用がうまく組み合わされている事例が見られる。
比良山地には急峻な山々が連なっており、土砂崩れや土石流が起こりやすい場所として知られる。その山麓には幾つもの集落があり、地域の人々は山の様々な恵みを利用しながら暮らしてきた。土砂崩れや土石流が起こると、花崗岩やチャートの石が山から下って地表に出てくる。その石は集落を災害から守るために使われるとともに、地域の石工によって石材などに加工され、地域の産業に貢献してきた。
石積みで造られた堤防は、川の流れをより安全な向きに固定したり、土石流から集落を守ったりするのに使われている。同じ石が集落に水を引くための用水路にも使われている。その他、土石流を止めるための砂防林が集落の上部に配置されるとともに、里山林として薪炭などにも利用されてきた。地域の自然資源である石は、模様や色彩が美しいチャートが京都などの庭園に運ばれ庭石に、加工しやすい花崗岩が石灯籠や狛犬、その他の石材に使われ、地域の産業を支えてきた。
これらの伝統的な石の構造物は、既に一部が失われてしまったが、いまなお数多くが地域の至る所に残っている。また、石にまつわる地域の文化や土砂災害への対応などは、多様な知識や生計を持つ地域住民の共同体によって、これまで継承されている。
しかし、これらの伝統的で地域の特性に即したグリーンインフラは、技術が発展し地域の自然資源への依存が減少した現代においては、利用される機会が少なくなっている。発展した技術を使った防災・減災機能のより高い構造物に置き換えられると、これまで利用していた伝統的な知恵や技術が必要とされなくなり、次第に地域の人々から忘れ去られてしまう。つい数十年前までそれぞれの地域で受け継がれてきた伝統的な知恵や技術が、現代に生きる人々には従来通り受け継がれていない。人工的な構造物に頼る防災・減災の限界や自然環境への影響などが広く知られるにつれ、自然の災いを避けながら自然の恵みを利用する伝統的な知恵や技術をもう一度見直して活用しようとする動きが広がっている。
現代において伝統的な知恵や技術を見直して活用するためには、伝統的な防災・減災の手法を現代的な視点で再評価し、地域の防災・減災対策に取り入れていく必要がある。例えば、先に挙げた滋賀県の比良山麓にある石積みの堤防は、近年になって設けられた現代的な防災施設による防災・減災の機能を補完できるだろう。土砂災害をとどめる機能を評価することで、伝統的な防災施設を保全活用する意義が理解されるだけでなく、想定規模を超えるような災害に対して、現代的な防災施設と伝統的な防災施設を組み合わせることで、より効果的な対策を実現できる。
伝統的グリーンインフラは、地域の人々によって整備され維持管理されてきた。地域の様々な関係者が参加することにより、多様な知識と技術が活かされるとともに、世代を超えてその知識や技術が継承されていく。例えば、福井県の三方五湖地域では、三方五湖自然再生協議会に設けた部会において、地域の多様な関係者が協議しながら、自然再生と防災・減災の両立に向けた取り組みを実施している。過去の護岸整備で失われた湖岸のなぎさ環境を自然再生するに当たり、湖に流入する河川が洪水時に土砂を運ぶ働きを利用している。河口部に導流堤を設けることで、土砂の堆積する場所をコントロールし、湖岸に沿ったなぎさの再生に成功している。
河川による洪水時の土砂運搬は、古くは江戸時代における新田開発で使われてきた方法であり、昭和の時代までこの地域の人々により受け継がれてきた。しかし、現代的な土地改良手法が普及した近年、この方法を覚えている地域関係者は著しく減っている。
再生されたなぎさには漁獲対象となるシジミの他、多くの底生生物の生息が研究者によって明らかにされた。加えて、自然再生事業として位置付けられているため、地域の様々な関係者によってこの伝統的な知恵と技術が継承されていくであろう。さらには、多様な関係者が参加することにより、シジミ漁や防災・減災、自然環境の再生など、なぎさが持つ多様な機能が活用されていくであろう。
伝統的グリーンインフラがその多機能性を十分に発揮するには、様々な伝統知や地域知を持っている地域の多様な人々による連携が欠かせない。それぞれが持つ多様な知識や技術を利用することで、伝統的グリーンインフラが持つ多機能性を活かせる。また、伝統的グリーンインフラの整備や維持管理は、それぞれの地域の人々が主体となって進めてきた。地域の多様な人々が参加し継続することで、人々の間のつながりや連携が強まり、社会関係資本ともいわれるコミュニティーのきずなが醸成されることにもなる。
例えば、先に挙げた三方五湖自然再生協議会には、地域の多くの関係者が参加し、地域の自然と人とのつながりを再生する様々な取り組みを継続している。地域連携が継続していくなかで、共通した理解に基づく合意形成が進み、伝統的グリーンインフラの整備や維持管理に関わる幾つもの指針や手引き書が作られ、自然再生の取り組みが発展している。伝統的グリーンインフラの活用にとって、多様な人々による地域連携は鍵となっている。
多くの地域に、様々な伝統的グリーンインフラが、今なお残っている。地域の多様な関係者が連携して、伝統的グリーンインフラの整備や維持管理を進めることにより、地域に残る伝統知や地域知が次世代に継承され、コミュニティーのきずなも深まっていく。伝統的グリーンインフラの多機能性を見直し、現代の地域社会に活用することは、地域の持続可能性に大きな効果をもたらすであろう。