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Door to Door:まだ見ぬものと出合うために

千葉 弓子  /  2024年8月26日  /  読み終えるまで14分  /  トレイルランニング

トレイルランナーの南圭介が挑んだのは八ヶ岳と南アルプスを繋いだ総距離416kmのトレイル走破。彼にとって長い距離を走ることは自らの「核心」に近づくプロセスだった。

写真:Marco Lui

南圭介は自らを「トランスランナー」と呼ぶ。放浪が好きな彼は常に旅の途上にあり、世界のどこにいるかわからない。住居を定めず、友人宅に居候したり、国内外のトレイルレースを走ったり、小笠原諸島で外来種対策を行ったり、現地のNPOと海洋ゴミ問題などの環境保全活動に取り組んだりしている。

そんな彼はこの秋、壮大なセルフチャレンジを計画している。「GR10」の最速記録(FKT)を狙うという挑戦だ。GR10とは、ピレネー山脈にあるフランスとスペインの国境沿いを走るトレイルで総距離は870km、累積標高差は57,000m。南は友人たちのサポートを受けながら、9日間で駆け抜けようとしている。(*注釈)

このビッグチャレンジへ向かうにあたり、国内トレーニングの締めくくりとしたのが、仮住まいしている友人宅から八ヶ岳連峰と南アルプスの一部を繋いだ片道104km、累積標高差9,200mの道のりを2往復する「Door to Door」の旅だ。

Door to Door:まだ見ぬものと出合うために

家から八ヶ岳連峰と南アルプスを繋ぐルートを決めた

サイケデリックトランスからトレイルランの世界へ

八ヶ岳での挑戦のあらましを記す前に、南がトレイルランの世界にのめり込むまでの過程を少しだけ辿っておきたい。

札幌で生まれ育った南は高校時代にクラブに行き、トランスミュージックと出合った。そして、レイブやフェスなどに興味を抱くようになる。音楽とダンスに夢中になりながら高校を卒業し、専門学校を経て、自動車整備士の仕事に就いた。
整備士として2年間働いた後、貯めた資金をもとに、20代半ばから30歳頃まで海外を放浪する。夏にはヨーロッパ各地のフェスやレイブをまわり、季節が変わると南半球に移動して南米で雑貨などを買いつけた。季節が変わると再び北半球に出かけて、買いつけた雑貨をフェスの片隅で売りながら生活費を稼ぐという生活。そんな放浪の旅に終止符を打ったのには、理由があった。

「僕が好きだったサイケデリックトランスは、自分のマインドの深いところに辿りつくという音楽でした。この音楽で何日間も踊り続けたら自分の中の何かが覚醒するんじゃないかと思って世界中を旅していたんですけど、だんだんこの方法では僕が求めているところには行けないと思うようになって……。それで帰国を決めたんです」

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長和の家で出発の準備。足首にテーピングを行い、装備を調える

トレイルランこそ、もっとも原始的な旅なんじゃないか?

日本に帰ってからも旅への渇望は薄れず、「次は自転車を使った人力での旅がしたい」と考えていた。資金を得るためにGoogleで「無人島、アルバイト」と検索したところ、小笠原諸島で外来植物の対策や海鳥の調査などを行う仕事を見つけた。

3年間は小笠原に滞在するつもりでいたが、1年目のあるとき、台風で土砂崩れにあった登山道を復旧するために丸太を担ぎ上げていて、肩に大怪我を負ってしまう。島の診療所では精密検査が行えなかったため、仕方なく故郷の札幌に戻って病院で診察を受けることにした。
怪我は思ったより深刻で、すぐに入院して手術を行うことになる。手術後、麻酔から覚めて激しい痛みに耐えていると、たまたまテレビで400kmに及ぶイギリスの山岳レースを追った番組を放映していた。幻覚に襲われながらも山道を懸命に走る選手を見たとき、南は「これが僕の求めているものだ!」と確信する。

「自分の足で走るトレイルランこそ、もっとも原始的な旅なんじゃないかと思ったんです。自転車じゃない、これをやろうと決めました。直感ですね」

退院するとすぐにトレーニングを開始し、数ヶ月後に初めて出場したルスツのレースで見事優勝する。そこから一気にトレイルランの世界にのめり込み、気がつけば国内外のレースに数多く出場するようになっていた。そしていつしか「もっともっと長い距離を走りたい」との思いを強めていく。

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南八ヶ岳の岩稜帯を仲間と進む

自宅から、よく知る山々を繋げて2往復してみたい

ーーGR10のFKTに挑む前に、八ヶ岳や南アルプスでの挑戦を決めたのはなぜですか?

南:僕は以前、長野県茅野市に住んでいたことがあって、そのときのトレーニング場所が八ヶ岳山脈と南アルプスの甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳だったんです。今年の最大の挑戦であるGR10では9日から10日ほど走り続けなければならないので、その準備として出来るだけ長い距離を走っておきたいと思っていました。

これまでの最長走行は7日間だったので、よく知っている山々を全部繋げて2往復してみたらどうかと思い立ちました。結果的には、荒天により2周目の途中で止めたので、1.25往復、総距離243km累積標高差は20,700mになりました。

ーー具体的にはどんなルートを辿り、どこで休憩したのでしょうか。

南:まず長和町の家からスタートし、車山の麓をトラバースして白樺湖に下りて、蓼科山に登って大河原峠、双子山を通って北横岳に行き、メルヘン街道を通って南八ヶ岳へ。中山、天狗岳、硫黄岳、赤岳、青年小屋を経て、観音台から小淵沢のインターチェンジ近くにあるランナーの友人の家まで走って、そこを大エイドとして休憩させてもらいました。

その後、尾白川溪谷を通って、甲斐駒ヶ岳、駒津峰、北沢峠、仙丈ヶ岳、地蔵岳から柏木登山口に至るまでが片道です。柏木登山口で折り返して再び長和町の家に戻るルートを2周すると、総距離は416km、累積標高差は36,800mになる予定でした。

ルート
長野県長和町の自宅(友人宅)スタート〜北八ヶ岳主稜線〜南八ヶ岳主稜線〜観音平〜小淵沢に住む友人宅エイド〜甲斐駒ヶ岳神社~甲斐駒ヶ岳~双児山~北沢峠~小仙丈ヶ岳~仙丈ヶ岳~柏木登山口(車デポ/折り返し地点)

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仲間がペーサーやエイドでサポートしてくれた

ーーランナー仲間の皆さんがルートの一部を併走してくれたそうですね。

南:はい。6月19日の朝4時、友人の井原知一さん(トモさん)と玉井僚さん(ガチャ)の3人でスタートしました。ガチャは蓼科山の登山口まで、トモさんは麦草ヒュッテまで一緒に走りました。

1日目は天気がよくて、山頂は30℃近くあり暑いくらいでしたね。水を補給しようと思っていた北八ヶ岳の山小屋の多くが閉まっていたので、持っていた1Lの水ではギリギリでした。日頃から走っているときはあまり食べないので、補給食はバー2本とグミ1つくらい。先が長いので、抑え気味のペースで進みました。

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「100mile100times」をテーマに走るトモさんはリスペクトするランナーのひとりだ

南八ヶ岳は一人旅です。赤岳の頂上近くで水が切れてしまい、そこから4時間くらいは水なしで走りました。グミをひたすら食べて唾液を出すようにしていたんですけど、すっかりペースが落ちてしまって。小淵沢インターチェンジ近くに住む友人の佐藤良一さん(チャンドラさん)宅に夜9時頃に到着して、ご飯を食べ、3時間仮眠しました。2日目の夜2時に再び出発して、南アルプスへ入りました。

ーーこれまではそれぞれの山を走っていたわけですが、八ヶ岳と南アルプスを繋げてみて気づいたことはありましたか。

南:まったく山の表情が違いましたね。北八ヶ岳は樹林帯と少し走りにくい石のトレイル、南八ヶ岳は岩稜帯、南アルプスはひたすら長い登りと下りというコース。甲斐駒ヶ岳で1,500m登ったら疲れ切ってしまい、徐々にペースダウンしていきました。

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北八ヶ岳の樹林帯

南アルプスでは甲斐駒ヶ岳の七丈小屋に水場があったし、北沢峠を下りたところには自販機があり、ほかにも沢が流れていたりしたので、水分補給も問題なく行えました。北沢峠のこもれび荘でカップラーメンを食べて少し元気になったので、仙丈ヶ岳の登りはガンガン登れて、下りもいい感じのスピードで下りることができました。自宅をスタートしてから30時間くらいで折り返し地点の柏木登山口に到着しました。

あらかじめ駐めておいた自分の車で休憩をして、夕方5時くらいに復路に向けて出発しました。そこから再び大エイドの小淵沢の友人宅を目指して走るんですけど、仙丈ヶ岳までの登りで強い眠気に襲われてしまって。片目だけ眼をつむってみたり、真っ直ぐな道は両目をつむったりしながら進んで、夜11時頃に甲斐駒ヶ岳を通過しました。

風に煽られながら、赤岳から見た夕日が忘れられない

ーー眠気でペースダウンしながらも、ここまでは順調です。

南:そうですね。3日目の朝6時に小淵沢のチャンドラさん宅に着きました。山梨在住のトレイルランナー・山本健一さん(ヤマケンさん)も駆けつけてくれて、チャンドラさん宅で早朝から生姜焼きをご馳走になり、お風呂にも入らせてもらいました。このとき大雨警報が出ていたので、しばらく待機することにして、午後1時にリスタートしました。

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小淵沢の友人宅にて。食事や入浴などのサポートを受けた

ものすごい雨だったので慎重に進んでいきました。網笠山あたりから雨は止んだものの、今度はものすごい突風が吹いてきたんですね。ようやく赤岳に着いて、寒くなってきたので持っていたウェアをすべて着たんですが、それでもまだ寒くて。

そのとき西の空が夕日でものすごく焼けていたんですよ。ピンク色からオレンジ色、ウグイス色みたいな緑色がグラデーションになっていて、本当に綺麗で。あまりの美しさに見とれてしまい、その場にメインのヘッドランプを置き忘れてしまいました。それで、そこから先はサブのヘッドランプを着けて進みました。これ、いつか取りに行かねばですね。

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写真: 南 圭介

南八ヶ岳を終えて、夜11時過ぎに麦草ヒュッテに到着しました。友人が用意してくれた補給を摂って、1時間くらい仮眠しました。ここからはトレイルランナーの西方勇人君が併走してくれて、二人で自宅まで走りました。

ちょうど100マイルくらい走ってきたので、かなり疲弊していましたね。水溜まりに足が浸からないように石の上に足を置くようにしていたんですけど、その判断が神経を使うし、時々滑ったりもするのでペースが落ちていきました。

自宅に着いたのは4日目の朝10時頃でした。それからご飯を食べて、昼過ぎまで寝ました。夜から荒天になることを天気予報で確認して、午後1時頃に西方君と河内陽介君と2周目に出発しました。

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スタートから4日目。仕事を終えて駆けつけてくれた西方君と走る

時間を追うにつれて荒れる天気。どう判断するか

南:八ヶ岳特有のがれた岩場に足を置くことに、もう脳が疲れ切っていました。元気なときはなんてことない動作でも、疲れてくると一つ一つ考えるようになってしまい、スピードが上がらなくなるんです。左膝に少し痛みが出てきたこともあってペースダウンし、麦草峠についたのは2周目をスタートしてから10時間後、夜の11時頃でした。その2時間ほど前から雨と風がどんどん強くなっていました。

北八ヶ岳は樹林帯が多いのでそれほど濡れなかったものの、南八ヶ岳は隠れるところもなくずぶ濡れになりました。翌日の朝4時頃に最大風速30mの強風になるという予報が出ていたので、一度ここで区切りをつけ、サポートクルーや撮影チームと一緒に自宅に戻ることにしました。

朝8時に再び予報を見たら、さらに天候が悪くなることがわかりました。僕としては停滞しても最大で12時間までと思っていたので、今回はここで止めようと決断しました。その後、各地に警報が出たので、止めてよかったと思っています。

長い距離を走ると自分の「芯」があらわになる

ーー結果としてイメージしていた距離とは違うものになりましたが、何か掴んだものはありましたか?

南:事前に1往復まではなんとなく想像できていたんです。辛いなりにも進めるだろうなと。でも2往復目からはまったく想像がつかなかったですね。

普段生活をしていると、あまりよくないもの、ネガティブな感情なんかが自分にまとわりついてくる感覚があるんですけど、何日もかけて100マイル以上を走り続けると、そういうネガティブなものがどんどん削ぎ落とされていきます。そして、自分の「芯」だけが残る。

今回のチャレンジでは、赤岳から見た夕日に心が震えました。そんなふうに、ちょっとしたことにもすごく感動したり嬉しくなったりする反面、辛いこともダイレクトに自分にぶち当たってくるから本当にメンタルはきついんですよ。

ただ僕は、その状態を味わうのがすごく好きなんです。ほかでは味わえない感覚だと思うし、自分の芯があらわになることで、これまで僕がずっと見たかった世界に少しずつ入っていけるような気がするからです。

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土砂降りの雨。さらに荒天になることが予想されたため中止を決めた

ーーかなりいいところまで近づけましたか。

南:う〜ん、まだまだじゃないですかね。身体もまだ元気だったし、もっともっと行けたというか。潰れる寸前まで行ったときに、もう少し深い部分が開くんじゃないかなと思っていて。

これまでも長い距離を走り続けると、自分が本当にやりたかったことが浮かび上がってくることがありました。だから迷ったときには、長い距離を一人で走るのがいいんだと僕はわかっているんです。本当に気持ちが確かめられるので。

ーー今回も確かめたいことがあったのでしょうか。

南:走りながらGR10について考えていました。そして、この挑戦が自分のなかにしっかり染みついていることを感じることができました。それに気づけたことはよかったと思っています。

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遠くに見える南八ヶ岳のシルエット。中央は赤岳

届きたいものはおそらく、もう自分のなかにある

南がトレイルランを始めてから約7年が経過した。その間にたくさんのレースに出場し、自分の目指しているトレイルランに賛同してくれるスポンサーや仲間と出会ったことで、この秋、ようやくひとつめの大きなセルフチャレンジが形になろうとしている。

サイケデリックトランスとダンスにのめり込んで放浪していたときに到達したかった境地、見てみたかった世界と、トレイルランで長い距離を走り続けた末に辿り着く場所は確実に響き合っているように思える。

「ほんとにそうですね、そうだと思います。ただ自分が何を見たいのかはまだわからないんです。見えたときに意味が分かるんじゃないかなって。いまはまだ何かあるなと感じるだけです」

見たいものはおそらく、すでに自分の中にあるのだと南は言う。けれど、まだ姿は見せてくれない。GR10を走り切ったとき、その茫漠たる陰はほんの少しでも真の姿を現してくれるのだろうか。形のない何かに、彼は触れることができるのだろうか。

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*注釈2024年8月現在、GR10におけるサポートのついたFKTとしては、エリック・クラヴェリー(フランス)が2020年に打ち出した9日9時間12分の記録があるが、今回の挑戦はそれとは逆ルートになり、記録はまだないと言われている。

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