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the Bond: つなぎとめるもの

麻生 弘毅  /  2022年2月25日  /  読み終えるまで17分  /  クライミング

小さなボルダーから大きな山まで、未知を求めて旅を続けるクライマー・横山勝丘が3シーズンをかけて拓いたユタの岩場。その出会いから結実に至るまでを追ったインタビュー。

トレッキングポールを使い、万感の思いをこめて石板を削り、プラークをつくる。写真:佐藤 正純

全ての写真:佐藤 正純

2021年秋、横山勝丘と加藤直之はアメリカ・ユタ州南東部、モアブ近郊のキャニオンを訪れた。横山は2017年、2019年に続くクライミングトリップ。加藤は2019年以来2度目の旅だが、いずれもユタ州南東部のクラッククライミングの聖地「インディアンクリーク」ではなく、人跡稀なその渓谷へと踏みこんでいる。

the Bond: つなぎとめるもの

ユタにある秘密のキャニオンの奥深くへ。2年越しの旅をともにする横山勝丘と加藤直之

「正確に言うと、ユタへは90年代初頭からスノーボードで滑りに来ていました。インディアンクリークにも何度も足を運んでいます」
加藤の言葉にうなずき、横山が続ける。
「ぼくがインディアンクリークに初めて訪れたのは2009年。その神々しさに惹かれ、それから何度も通っています。そして、モアブ周辺にはインディアンクリークだけでなく、美しい砂岩の岩場がそこら中にある。その可能性、ポテンシャルの高さに気づいてはいたのですが……」

そうしたなか、未知なる渓谷を探求するきっかけになったのが、レジェンドクライマーのジェイ・スミスだった。
「ジェイと初めて会ったのは2009年、デナリのカルヒトナ氷河。天候の悪さから、誰もが手を焼いていたその年のアラスカで、当時50歳を超えていたジェイとパートナーのジャック・タックルは次々と新ルートを拓いていたんです」
それ以前にも、アラスカ、ヒマラヤ、パタゴニアからインディアンクリークのショートルートまで、横山が「これだ」と思ったルートには、ことごとくジェイ・スミスの足跡が印されていた。

「クライミング能力の高さはもちろんですが、ジェイは世界中で2000本近くのルートを拓いているんです。未知を求め、美しいラインを探すというモチベーションにあふれている。尊敬しているクライマーなんです」
デナリでの邂逅以来、ユタのキャッスルバレーの自宅に泊めてもらいクライミングをともにするなど親交を深めていった。

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右からジェイ・スミス、その妻でありパタゴニアのクライミングアンバサダーでもあるキティ・キャルフーン、横山勝丘、加藤直之、撮影を担当した写真家の佐藤正純。

2017年、パタゴニアがモアブ近郊のベアーズ・イヤーズで主催したプレスイベントに参加した横山は、近くまで行くから一緒に登らないかと、メールを送った。
「すると、美しい砂岩の壁にすっぱり割れた、すばらしいクラックの写真が送られてきたんです。ある秘密のキャニオンで宝物を見つけたからトライしに来いよ、って」
ユタの荒野を流れるコロラド川は、気の遠くなるような年月をかけて大地を浸食し、グランドキャニオンをはじめとした巨大な渓谷群を生み出してきた。ジェイ・スミスが見つけ出したその渓谷も、そんな産物のひとつだった。

「両岸を100mの岩壁に囲まれたキャニオンが10km以上続くと。しかも、そんな渓谷が南北に延々と連なっているという。クラックはもちろんですが、誰も手のつけていない岩壁が彼方まで広がっている……初めはその途方のなさに惹かれました」
登ること以上に、未知を見つけ出し、足を踏み入れることに喜びを感じるという横山が言う。さっそくジェイに件の渓谷を案内してもらうと、想像以上の広大さに驚いた。
「これほどすばらしいキャニオンが手着かずなのか……改めて確認すると、ジェイがくまなく歩いたところ、一カ所だけクラック上にアンカーがあったけど、そこ以外は人跡はまったくないと言うんです」
息を飲みつつさらに奥深くへと足を進める。目指すクラックは渓谷の入り口から5kmほど、8番目のバットレスに穿たれていた。
「ジェイは、これが完成したら広大なユタの砂漠のなかでも五指に入るルートになると言うのですが、その言葉の通り、本当に美しいクラックでした」

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早朝にキャンプ地を発ち、クラックのある8thバットレスへ

その年は、ハワイに旅立つ直前だったジェイ・スミスと2日登り、その後、ひとりでキャンプをしながらさらに2日、現地にとどまった。
「登るといっても、端からグラウンドアップのフリーでトライできる状態ではないんです。防塵マスクとゴーグルを着けて下から掃除しながら、50m続くクラックをエイドで登り、上のテラスへ。そこにアンカーを打ちこんでロープを固定したら、今度はロープにぶら下がってさらに掃除しつつムーブの確認。こ~んな大きい石をバールではがしたりしながらね。下に降りたらヘトヘトで、全身砂まみれです」

そうして格闘した4日目の最後、ルート上のすべてのムーブを解決することができた。ピースがそろえば、あとは執念でトライするのみ。
「とは言っても、50mをつなげてひと息で登るのはまた別の次元の話。それでも、絶対にここへ戻り、必ずやこのルートを登ろうと決意しました」

2019年、加藤と倉上慶大とともに、横山は赤い渓谷へと舞い戻った。
「ふたりに声をかけたのは、無限の可能性を秘めた広がりから宝物を見つけ出す……そうしたプロセスをともに楽しめる、希有な仲間だったからです」
19年の旅では渓谷の上に位置するキャンプ場にテントを張り、毎日1時間以上を駆けて車でアクセス、そこから道なき道を30~40分かけて歩き、8thバットレスに通った。
「10kmにわたるキャニオンから、これぞという岩場を見つけることが、まず本当に大変なんです。上から懸垂下降で降りてみたり、対岸から双眼鏡でのぞいたり。通常では考えられないような苦労をしてクリフを見つけ、自分のラインを選び出すところからまずおもしろい。アンカーを打って掃除段階に入ったら、登れるか登れないかは結果に過ぎないんです」
楽しくてしかたないという表情で、加藤は旅を振りかえる。

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2019年、横山と加藤、倉上慶大の3人によるクライミングトリップ。

「ぼくらのやっていることを端から見れば、苦行でしかないはず。そして、インディアンクリークに行けば、クライミング自体が楽しいのは間違いないんです。でも忘れてはいけないのは、インディアンクリークもかつてはこうだったということ。先人のクライマーが岩場に通い詰めることで少しずつ綺麗になり、みんなが登れるようになった。小川山も瑞牆山も、全部そうですよね」

そうして、一カ月にわたる砂まみれの奮闘がはじまる。11月とはいえ、砂漠の日差しは厳しい。猛烈な日差しを放つ太陽が大地に沈むと、凍えるような気温となる。ヘトヘトの体を引きずってキャンプ地に戻ると、火を焚いてビールを飲み、その日のクライミングを振りかえる。ひと月をかけて、3人はいくつかのルートを開拓したものの、横山は宿願を果たせなかった。

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2019年、のちにthe Bondと横山が名付けるクラックにトライする倉上。

2021年11月、三度、横山はユタへと飛んだ。その理由について、パートナーの加藤はにこやかに話してくれた。
「グランドキャニオンを、アメリカの大地を創造したコロラド川がすぐそばを流れており、あのキャニオンもそうしたなかで生まれたんです。地球のスペクタクルを感じるような風景のなかで、ちっぽけな人間が岩を登っている……その感覚がいいんです」

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パタゴニア・スノーボードアンバサダーの加藤直之。2年にわたる旅で、横山とともに喜びを分かち合う。

2021年の旅では、四駆のジープを借りて、渓谷のなかにベースキャンプをつくった。そこから車で15分、さらにハイクで30分ほどで例のクラックにたどり着く。再び掃除から着手してロープを張り、ムーブを洗練させてゆく。現地に着いて10日たつと、ようやくリードトライの態勢が整った。

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敬愛するジェイから託された美しいクラック。弓なりに左上するあたりからロープと合流するあたりまでの20mが核心部。

2年ぶりに見たクラックはやはり美しかった。
「クラックは全長50mほど、核心部の傾斜は100〜105度くらいです。下部の10mは比較的簡単なコーナークラック。とはいえ、このルートでは例外的に岩が脆く、プロテクションを決めづらいので、のっけから緊張を強いられます」
そこを登り切ると、しっかり手を入れられるレストポイントが現れる。
「その先15mが核心部。最初の7~8mはすごく細いクラックが続きます」
第一関節の半分ほどしか入らないクラックが、右上してから左上する。とはいえ、クラック自体が斜めに走っているので、慣れてくると登りやすい。

「ここから徐々にクラックが広くなっていきます。ただ、フェースに足は全然拾えないので、前後にわずかにずれているクラックの縁にスメアリングします」
しだいにフィンガージャムが決めやすくなり、2度目のレストポイントが現れる。そこからクラックは直上するのだが、その7mがもっとも困難なセクションとなる。
「ブラックダイヤモンドの0.5サイズのカムか、それよりもちょっと大きいくらいの一番嫌なサイズのクラックが続くんです」

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岩を持つこと、指先をかけることが許されず、隙間に差しこんだ指のねじれだけで全体重を受け止める。微妙なずれ、わずかなぬめりも許されないなか、極度の緊張が続く。
「いわゆるハードなムーブではないのですが、手順、足順を決めるのに、本当に苦労します」
クラックに指を入れる際、小指も隙間に差しこむのか、それとも外に出すのか、はたまた割れ目の縁にかけるのか。それと同時に、親指を宙空でわずかに曲げるか否か……。
「マイクロムーブと呼んでいるのですが、そうした指先の微細な動きによって、ジャミングの効きや体への負担が変わってくる。そういう違いと効果をひたすら見つける作業に没頭していました」

手指の先から足指の先まで、微妙な位置や入れ方について思考を重ねる。リードクライミングをはじめて4日目、洗練を極めた14手を駆使して最大の核心を乗り切った。そこでプロテクションをひとつ決めると、かつてないほど乳酸がたまり張り詰めた前腕をふるい、続く5mのレイバックセクションに突入する。しかし、これを取ればおしまいという最後の一手で落ちてしまった。

「ものすごく悔しい反面、ここまでくれば時間の問題だという気分もあった。だけど、その後もレイバックセクションで、4回連続で落ちてしまったんです」
その際、最後まで温存してあった指皮がぐちゃっと破れ、必然的に休息を余儀なくされた。

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砂まみれの荒野でのキャンプライフ。夜の気温は、ふたりが暮らす山梨県北杜市の真冬と同じくらい、冷えこむ。

「帰国日が迫ってくると、どんどんナーバスになってゆくんです。キャンプに戻れば焚き火のそばでビールを飲んでわっはっは、なんてやっていたのに、酒も喉を通らなくなる。20時には自分のテントに籠もっていました」
もう登ることは叶わないのでは……。

黒い雲を吹き払うべく、ストレッチを行なう。股関節や肩甲骨まわり、腰骨の横や下。毎日、2~3時間かけて体をほぐしながら、心とともに整えてゆく。
「技術的な核心部である困難な15mを越え、酸欠状態になったところで、次の5m、いわばムーブ的に難しくないところで落ちてしまう……結局、このクラックの難しさは持久力、パンプに苦しむレイバックセクションの5mこそがレッドポイントにいたる核心部だったわけです」

きれいに割れたクラックなので、プロテクションはいくらでも決められる。けれどもそうすると装備の重さ、壁にとどまる時間が増え、その分、体力は削られ、乳酸はたまってゆく。
「その見極めが難しい。結局、核心部の20mで使ったプロテクションは4つだけ。ぼくはけっこう怖がりで、落ちる感覚は大嫌いなのですが、大フォールを受け入れるくらいの気持ちで挑んでいました」

レイバックセクションを越えてなお、ルートは15m残っている。

「そこ自体の難易度は5.11+ほど。単体で見ればそこまで難しくないけれど、下部からつないで核心を越えるまでが5.13ノーマルくらい。そうして、まったく疲労が抜けないまま5m、さらに15m……本当に必死でした」

4年越しの目標を達成したのは、渓谷を去る6日前の11月22日、リードクライミングに入って9回目、3シーズン合わせて42トライ目のことだった。
「スポーツなんかで、ゾーンに入る、という無我の境地があると言いますよね。でも、ぼくはそんなことはまったくなくて、最後の最後まで必死で、いつ落ちてもおかしくないなかでレッドポイントしました」

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2021年11月22日。3シーズン、25日間をかけた42回目のトライ。

それでは、41回目のトライとはなにが違ったのだろう。そこをたずねると、しばらく考えこみ、何もないとこたえる。
「本当にマイクロデータの積み重ねでしかない……とはいえ、やってゆくなかでどんどんムーブが洗練され、力を使わなくなっていったのは事実です。2年前以上に、あのクラックに真正面から向き合うと決めていました。そういう部分では、最後まで逃げずに挑めたと思います」
逃げずに向き合うということの真意は、「絶対に登るぞ!」とある意味、視野を狭めることでなく、登れるまでのプロセスをすべて楽しもうという固い意志にある。

「本当に強いクライマーなら、オンサイトすると思います。でもぼくは決して飲みこみが早いわけじゃないし、そもそもクライミング能力も高くないので、しつこくトライするなかで、指が、脳が動きを覚えていった。それを繰り返すことで、あのジャムの感覚を体得できたというだけだと思います」
最後の一手を取ったとき、横山は吠えた。そして登り切ったテラスでひとり、涙をこぼしたという。

「ほっとしたのと寂しいのと、いろいろな気持ちがない交ぜになって……それまでうるっときたことはあったけれど、涙を流したことはなかった。逆に泣いている人を見ると、またまたそんな……なんて思っていたので、自分でも驚きました」

一方、ビレイをしていた加藤は横山が降りてくるのを待っていた。
「喜びを共有したいのに、ちっとも帰ってこない。早く来いよ、って!」
笑いながら続ける。

「ここでのビレイはほかとは感覚が違って、本当に自分が登っているようでした。一挙手一投足を真剣に見ているから、前日と違う動きをしたらすぐに分かる。こちらも憑かれているというか、ものすごいエネルギーを使いながらビレイしていました」
会心の笑顔にふと思う。彼は、友人の成功を真に喜んでいる。それは、ジェイ・スミスも同様だった。

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「ハワイにいるジェイにメールを送ったところ、成功したことを我がことのように喜んでくれ、熱い返信を返してくれました」
30年をかけ、砂まみれで這いずり回って見つけた宝物を友人に受け渡す。そこにこめられた思いを汲み、力の限りを尽くして成功をたぐりよせ、喜びはみなで分かち合う。クライマーとは、こうした生き物なのだろうか。それとも、彼らの間に流れる特有の感情なのだろうか。
「かつてローガン南東壁を登ったときは、ジェイと、パートナーのジャック・タックル両人に“I am jealous”と言われました。トライする前には“あれは俺の壁だ”とも。結局、このクラックに関しては、ジェイ自身の手に負えないという諦めがついていたということだと思います。もちろん悔しさは持っているでしょう。にもかかわらず祝福してくれるのは、別の感情ですね」

そうして登り切ったルートに、横山は「the Bond」(5.13+)と名付けた。

「Bondとはつなぎとめるもの。ジェイと、仲間と、ぼく自身。そしてあの渓谷。それぞれをつなぎとめていたのはこのルートである……そんな意味をこめました」

そして、砂岩を基調としたユタの岩場には、プラークという文化がある。
「インディアンクリークでもそうですが、板状の砂岩の欠片を削り、ルート名とグレード、初登日と開拓者の名前などを彫り込んで、ルートの取り付きに置いておくんです」
この渓谷とジェイ・スミスに敬意を払い、the Bondを公開するつもりはないという。それでもいつの日か、50年後か100年後なのか、意欲のあるクライマーはきっとこのキャニオンを訪れることだろう。そうして、際立って美しいこのクラックを見つけたとき、その足元に置かれた小さな石板に気がつくはず……。
「何十年先のクライマーとぼくを改めてつなぐ、ひとつのルートを通して経験を共有できる。そういう意味でプラークもBondだと思います」
見せてくれた写真には、ていねいに彫られた赤い石には、開拓者名「J&J」と刻まれていた。

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「自宅の裏の名もなきボルダリングからヒマラヤの高峰までをすべて同等に捉え、そこに広がる無限の可能性を見出せるようになりたいと思う」
かつて、著書『アルパインクライミング考』(山と溪谷社)でそう綴った横山。今回のインタビューでも「ひとつの課題やルートに対する情熱に優劣はつけたくない」と何度も口にしている。それでも、クライマーとしてはアルパインクライミングに資質があると分析している。

「今回のようなショートルートのクライミングでは、一瞬へのフォーカスが重要ですよね」
本当に強いボルダラーやスポーツクライマーは数秒にかける集中力に優れており、気合いを入れた一手をとめる姿を見るにつれ、自身にはそうした肉体的、精神的な強さはないという。

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「逆に、核心が数日にわたって続くアルパインクライミングでは、目の前の技術的な困難さなどなにか一点だけにフォーカスすると、それ以外の外的危険に目が向かず、危険なんです」
取り巻く状況を客観的に見て、多角的な判断を下す――それこそが横山の強みであり、アルパインクライマーたるゆえんだろう。
「だからこそ、ここまで難しいショートルートにフォーカスし、成功できた、登れたのは、新しい経験でした」

the Bondを登ったことがアルパインクライミングに活きるわけでも、他のフリークライミングに強くなるわけでもない。「我慢してやり続ければ、うまくいくこともある」という経験をしただけ……そんなふうに言い、幸せそうに笑った。
「気持ちのうえでは、大きな山も小さな岩も全部同じなんです」
横山はそう繰り返す。
「アルパインクライミングにおいてもフリーの能力が高いほうがいい。けれど、そのために岩登りをやっていると考えたことは、いっさいない。言ってしまえば全部クライミング、その中からやりたいことをやっているというだけです」

そして、クライミングは宝探しのようなものだという。だからこそ、地図や資料に目を光らせているし、日常的に歩き回らずにいられない。毎日のように通う自宅そばの河原に転がる石ころにも、どこかに新しいラインがあるのではと心を躍らせている。

「the Bondはすばらしいラインでしたが、世界はこれだけ広いんで、あれを超えるショートルートだって、絶対にあると信じています」

大いなる山への憧れを抱いたクライマーは、会心の1ピッチを登ることで、さらなる奥行きを手に入れたのではないか。敬愛するジェイは68歳になった今も宝を探し続け、先日もカウアイ島で新たなプロジェクトにトライしてきたという。

そしていま、横山の手にする宝のコンパスは、パキスタンを指している。

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