故郷への長い旅
全ての写真:マシュー・タフツ
編集者メモ:本記事におけるトリンギット語「Áak’w K̲wáan aaní」は、現代のジュノー、およびダグラス島を含む周辺地域全体を表す。
アラスカの地平線の近くに太陽がある。暖かい日光が斜面に降り注ぎ、冷たい空色の影を落とす。硬くてエッジをかけやすい雪の上に新しいパウダースノーが数cm積もっている。昨夜のひどい雨で思いがけず気温は一桁台まで下がり、吹きすさぶ風が雪紋や細やかな溝の凹凸を刻み込み、天然の除雪機のごとくならしていく。高山の景色から眼下にきらめく太平洋へと下る斜面は短くて完璧だ。まるで暗い針葉樹の森の中で見る色鮮やかな樹脂のごとく、低く垂れ込めた雲の合間から琥珀色の日光が差す。暖かさと冷たさ。火と水。自然のバランスの中で見事な対比をなしている。
ワシントン州エバレット出身のエレン・ブラッドリーはトリンギット族であり科学者だ。尾根に立ち、自然と同様に自分の中にある対比のバランスを取ろうと気がはやる。彼女にはスキーヤーとしての望みがある。アラスカ州は北米随一のスノースポーツスポットとして広く知られており、今回、彼女は初めてジュノー地方と呼ばれるÁak’w K̲wáanを訪れた。同時にエレンは、ドッグサーモン族の誇り高き子孫としてトリンギットの伝統の重みも背負っている。
しかし、アラスカ州南東部におけるスノースポーツ業界のならわしの多くが、エレンの先住民的世界観に相反する。その葛藤ゆえに、彼女はこの地域を訪れたいと思いながらも何年も先延ばしにしてきた。しかし、祖の地が誤った形で描かれるのを目の当たりにして、正面から向き合う必要があるという心境に至ったのだ。
そういうわけで雪に覆われた尾根に立つことになったエレンだが、沈みゆく太陽が彼女の顔を半分照らし、もう半分に影を落とすころ、その日の最後のラインを見下ろし、その涙ぐむ目に宿る不安を物語るかのようにこわばった声で静かに語った。
「私たちはまだ、ここに来るべきじゃなかった」
帰郷とは難しいものである。

アラスカ州南東部には、インサイドパッセージの海水から氷や岩の多い山々まで(場合によっては空の上にも)多様な生物が生息している。
アラスカ州南東部に入り組むインサイドパッセージは、入江、火山、洞窟、氷河で覆われた山、フィヨルド、網状に流れる川、島といったさまざまな地理的要素が集まっている。無数の氷河が北アメリカ奥地にある山々から太平洋へと流れていき、淡水と海水が交わる場所は、世界有数の漁場となっている。細く突き出たアラスカ州の約90%がトンガス国立森林公園内にある。その面積は約6.9万㎢で、米国最大の国立森林公園、そして世界で最も手つかずの温帯雨林であり、バイオマス密度の高さも世界随一だ。
はるか昔からトリンギット族は約800kmにおよぶ細長い土地を故郷としてきた。しかし、この豊かな故郷とは対照的に、100年の間にトップクラスのスキーヤーやスノーボーダー、登山家たちが、荒涼たる地球の果てとして関心を示すようになった。いずれにしてもÁak’w K̲wáanへ車で行くことはできない。
後者については、アラスカ州および周辺地域において、スノースポーツ業界と先住民の人々との全面的な乖離を物語っている。マーケティングの謳い文句を見ても分かる。「ミッションを遂行」「頂上制覇」「切り刻め」「引き裂け」「ラインを狙え」「つぶしてつかんで登れ」「包囲戦術」など、業界は高地への愛とも戦意とも取れるような暴力的な言葉を使っているのだ。

エレンの研究の大半は、着生植物を中心としたもの。着生植物は、必要な栄養を周囲から集めながら、サポートを得るために他の植物の上で育つ非寄生性の生物だ。Lingít Aaní(トリンギットの地)の古い針葉樹の幹は地衣類、蘚類、苔類で覆われているため、着生植物が豊富なのだと彼女は指摘する。
その一方で、エレンと一緒に北西部沿岸の原生林をスキーで巡ることは、友人と一緒に遠回りをしながら家に帰るような体験だ。アラスカ州ユーコン・カスコクウィム・デルタ地域内、ユピックのテリトリーにある亜北極ツンドラで気候調査を行っているエレンだが、この10日間のスキー旅行は、エレンの文化に再び触れるためのもの。彼女がLingít Aaní(トリンギットの地)のこの場所を訪れるのは初めてのことだった。伝統ある故郷で他の場所を訪れたことはあるものの、スキーを通じて絆を深めたことはなかった。エレンの初滑りは、レインクラストが割れやすかったり、硬く固まったりと、決してすばらしい体験とは言えなかった。
しかし、Áak’w K̲wáanでの初日、s’íx’gaa(蘚類)に覆われた森林を歩いていると本能的に故郷のように感じられた。うっすら雪が積もるなか、茂みを分け入るのは大変だったが、モジャモジャした木々や生い茂る地衣類が私たちの二酸化炭素やストレスを吸収し、同時に酸素と心の落ち着きを注ぎ込んでくれた。特にエレンは、自分にとって快適なゾーンを見つけたようだった。
「森に囲まれていると、先祖や親族が周りにいるのが分かる。スキーは木々とダンスをしている感覚。この絆を深めておけば、次に戻って来たときに彼らが自分のことを覚えていてくれるはず」とエレンは言う。
イバラの茂みからひょっこり現れると、スキーパートナーを肩越しに見て、エレンはにこやかに笑った。コナー・ライアンは、ハンクパパ・ラコタ族(グレートプレーンズの先住民族の1つ)だ。コナーが直立すると、頭と肩がエレンより高い位置に来る。藪の中の狭い隙間を分け入り、枝があると頭をかがめたり、小枝を折ったりしながら、彼女の数歩うしろを行くコナー。エレンは肩をすくめて笑う。「私は木に囲まれるのが最高に幸せだけど、コナーは空が見えないと閉所恐怖症が出るの」

着生植物は、立派な付けヒゲにもなる。原生林を通り抜ける途中のコナーとエレン。
とりわけエレンは、地衣類、蘚類、苔類と、たくさんのさまざまな着生植物に覆われた木を前にすると立ち止まる。彼女はこれまで、こうした生物とその関係性について研究していて、最近の研究では、着生植物に寄生性があるという今までの理論を覆した。着生植物とホスト樹木の関係は、相互依存であると結論づけたのだ。
エレンのトリンギット族と科学者としてのアイデンティティは、スキーを使うという基本的なアプローチに表れている。その土地に耳を傾けることは、昔から伝わる知識や先住民ならではの方法を知るうえで大切なことだ。

Áak’w K̲wáanでは雨と雪の差は、わずか1度で左右されることが多い。わずかな気温の変化で、冬は積雪が少なくなり、夏は乾燥する。実際にアラスカ州南東部の大半が、2018年初頭から干ばつを経験している。しかし、雪に関してはエレンのようなスキーヤーにはメリットがあるのも確かだ。
「奥地をスキーで巡ることは科学研究のフィールドワークみたいなもの。自分が観察者となり、その場所の声に耳を傾ければ、話を聞き出せる」とエレンは言う。
彼女は先住民のならわしによって、長年はびこるスキーの搾取的事態をいかにして覆すことができるかを分かっている。大きな山を滑るスキーヤーは、雪の自然科学を学び、技術的スキルを磨くのと同様に、自分たちが楽しむ土地との関係性を築くことにも時間を費やすべきなのである。
「大きなラインを滑るためには、常にその土地のことを学び、その限界を感じなければならないと思う。一番いい方法は、自分でその生態系を上に向かって進んでみること。文字通り、山を登ることだ。海から樹木限界線、高山まで1歩1歩登ることで、その土地に敬意を感じるはず」

風雪の強い日に、地衣類で覆われた森の中で束の間のダンスを楽しむエレン。
エレンはこの旅を森でも斜面でもなく、町からスタートした。「伝統ある祖先の地から遠く離れた場所で育った私にとって、常にスキーがこの土地や人々と繋がる入り口だった。だから、単にスキーをするというのではなく、すべての場所を中心とするスキー帰郷にしたかった」
そこでエレンは、アラスカ州のトリンギット族とハイダ族の中央審議会のメンバーたちと会う場を設けた。町でトリンギット族である地元のアーティストや企業家などに偶然会う機会を得て、彼女は先住民コミュニティとスキーコミュニティの共通点を体験してみたいと強く思った。
スキー場では、アルティーク人の地元スノーボーダー、ジェシー・ヘルマン・ヘイウッドと一緒に雨の中、数本滑った。そして、他にも奥地入門コースを教える友人と合流した。トリンギット族のアンソニー・マロットは、アラスカ州南東部でコミュニティが経営するアラスカ先住民の地域企業、Sealaska(シーラスカ)のCEO兼社長だ。この企業は、約1,500㎢以上におよぶ先住民の古くからの土地や水域の管理を行っている。アンソニーは家族と一緒にコースに参加していて、霧雨の中、誰もがにこやかに笑っていた。

ジュノーの港を散策するコナーとエレン。商業漁業は、この地域の主要産業だ。
ジュノーのダウンタウンで一際目を引く建物、ウォルター・ソボレフ・ビルディングにあるシーラスカ・ヘリテージ・インスティチュートの本社にて、エレンは改めてアンソニーに会った。ウォルター・ソボレフは、トリンギット族が誇る学者であり、精神的指導者で、アラスカ州南東部の先住民からもそうでない人からも尊敬される長老だった。また、彼はエレンの大叔父にあたる。建物の内部には、トリンギット族のアーティストが5か月かけて手斧を94万回ふるって完成させた手造りのクランハウスがある。
プロセスには効率的でない部分もあるが、その価値は効率性ではない。意志によって育まれるのだ。よく晴れた冬の日、ヘリコプターがこの建物の上空を飛び去り、スキーヤーたちはフェリーで近隣のバウンダリー山脈やチルカット山脈のアルペンコースへ向かう。大半のスキーヤーは、この彫刻作品や作品に使われている杉の原産地である森を決して見ようとはしない。森と人間は一心同体であるというアプローチをすっかり割愛しているのだ。
ある晩、エレンは力強く言った。「アラスカは、スキーヤーがヘリコプターに飛び乗って山頂へ行き、コースを滑って帰るだけの場所ではない。スキーやアウトドア業界がアラスカを大々的に美化してしまったために、大昔から人々が生活している場所だということを誰も認識していないのは火を見るより明らか。まさに“最後の開拓者”だ」最後の言葉に空中でクォーテーションを付けながら、あきれた顔をするエレン。
「ここは私たちの故郷。だから、ここへスキーをしにくるなら、敬意を払うことを忘れないでほしい」

エレンにとって故郷と再び繋がることは、彼女なりの方法でその生態系すべてと向き合うこと。1月であろうと、まずは海から。
この地域の産業イメージのなかで展開する古典的なアラスカのスキー物語がある。大きな夢を抱えてたどり着くが、条件がそろわず待つことになる。そして、特権を持つ人たちのためにスキーの常套句を考える。天候が急変して、黄金の光の中を滑っていく。完。
このストーリーに引き込まれるのは簡単だ。Áak’w K̲wáanで過ごす10日間の旅では、4日目に1日だけ晴れた。私たちはアルペンへ直行し、魅惑的な光の中、壮大な雪を滑った。
エレンは、私たちにそうしてほしくはなかった。
旅の最終日、高地でエレンが気がかりだったことについて詳しく話してくれた。「私たちは旅の早い段階で、森で絆を築く前にスキーをしてしまった。まだあの場所でスキーをするべきではなかった。だからこそ、この最終日に森で過ごせたことがすごく心地よかった。改めて森へ戻り、絆を一段階深めた気がする」
彼女のアプローチは、そうした意図と再び結びつくことに根づいている。スキーは束の間のダンスであり、様々な要素と必死で闘うものではない。ダンスはその土地を、その土地と一緒になって称えるものであり、闘いは土地を征服することだ。
「スキーは、本質的にこの土地を通じて先住民の活動として認識される必要がある。スキー業界の視点は搾取的で、私たちが先住民の活動を理解するといってもその狭いフィルター越しなわけで、スキーそのものの行為ではない。先住民の人々が、彼らの土地からも、スキーをすることからも、いつどこでスキーができるかという意思決定からも排除されるというのは、私たちの故郷から私たちを消し去るということ」とエレンは言う。

ダグラス島のアルペンに到達し、トレイルを切り開くエレンとコナー。ダグラス島の山々はジュノーの町から上空1,000mの場所にそびえているため、数kmしか離れていないとはいえ、町と山の天候は大きく異なることもある。
伝統ある故郷と再び繋がりながら、単に体験に着目するのではなく、土地と地元コミュニティとの相互関係を築くことで、先住民の土地すべてにおいて、そこで滑るスキーヤーやスノーボーダーに道を示すことができればとエレンは願う。
「絶対に再び学ぶことをおろそかにしないし、再び繋がり続ける機会も失わない」Áak’w K̲wáanでの最後の夜にそう語るエレン。1つ1つの言葉を明瞭に紡ぐ。「すべてが“再び”。“再び”伝えていく。トリンギット語で“I tóo yéi yatee”(あなたの中にある)。すべての教えや繋がりが私の中にある。それを高めるためには意識して努力しなければ」
エレンは黙ってサーモンを食べながら少しの間、考えていた。「故郷へ帰る旅はこれで終わりではないと分かってすごく感動してる。帰郷の旅は日々続くものだし、自分がしようとすべきこと」
「それって、すばらしい選択だと思う」

スキーは、常にエレンがこの土地や人々と繋がれる入り口だ。それは、日の出を浴びる山頂から眼下できらめく極寒の海まで、すべての場所に繋がる術である。