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孤独な山歩き

根津 貴央  /  2024年8月19日  /  読み終えるまで10分  /  ハイク

ハイキングの楽しさとは。原点に立ち返ってその行為の本質に迫るべく深山へと向かった、いちハイカーの山行記。

全ての写真:武部 努龍

たどってきた道が、忽然と消えた。
あたりを見まわす。踏み跡はない。ここまであったのに消えるはずなどない。見逃しているだけだろう、そうに違いない。こういうときは、無闇に進まずあたりをうろつけば、なんだここにあったのか、という感じでふっと見つかるものだ。

ところがだ。どうにも見当たらない。目の前には小ピークがあり、その南西面を巻くルートがあるはずだった。直登して越えて元の道に合流すればいいかとも思ったが、ピーク付近だけなぜかゴツゴツした岩で覆われ、険峻すぎて越えられそうにない。であればと、北東面からのトラバースを試みるも、足もとが悪すぎてこちらも無理そうだった。おっかしいなぁ……。日も落ちはじめ、徐々に不安のような感情が芽生えてくる。心配、困惑、狼狽といったたぐいではなく、ちょっとゾッとするような、怖さにも似た感覚。

孤独な山歩き

そうだ、これがあるから山や自然の中は楽しいのだ。僕は思い出したようにひとりごちる。歩き旅の文脈で語られることも多いハイキングだが、ハイキングがほかの歩き旅と異なるのは、そのフィールドが山や自然であることだ。これが街歩きだったら、たとえ道がわからなくなったとしても、不安になることはない。スマホで調べればいとも簡単に経路が出てくるのだから。

山や自然の中ではそうはいかない。地図を見て、自分の知識と経験を総動員してルートを探す。それでも見つからなければ、引き返すか、そこで野営するか。どちらを選ぶかは自分次第だ。それがハイキングの良いところでもある。どこかを目指さなくてもいいし、どこかにたどり着かなくてもいい。有名な山やルート、スポットがあると、つい目指したくなってしまうのは人間の性。であれば、およそ何もないようなところに行けばいい。僕はそんな、ハイキングという行為をまっすぐに楽しめる山域が好きだ。

孤独な山歩き

この6月に東京から福岡に居を移した僕は、暇さえあれば自分好みの山域を探すことに夢中になっていた。せっかく九州に住んでいるのだから、ホームマウンテンと呼べるような場所を見つけたかった。そして目にとまったのが、九州の屋根とも称される九州脊梁 (せきりょう) 山地だった。九州脊梁山地は主に熊本県と宮崎県の県境に連なる山々であり、大きく2つの山群に分かれている。東側に位置する霧立 (きりたち) 山地と、西側に位置する向 (むこう) 霧立山地。

今回僕は、霧立山地を選んだ。ここは歴史的にも興味深いエリアで、壇ノ浦の戦い (1185年) で敗れた平家一門が敗走した道、西南の役 (1877年) において西郷隆盛とともに薩軍が敗走した道、と言われているだけではなく、その昔、馬の背で物資を運んだ交易路でもあったという。

この山域は驚くほどアクセスがしにくく、公共交通機関ではほぼ無理でクルマでのアプローチが前提となる。しかし、崩落、落石などにより通行不可となっている道路も多く、登山口までたどり着くことすらままならない。まるで陸の孤島のようだ。当然歩く人は少なく、登山道も不明瞭な箇所がたくさんあり、歩く人を選ぶ山域でもある。それゆえ僕は、ウェブや書籍等で情報収集をするだけではなく、実際にこのエリアを歩いたことのあるローカルの友人 (※) にも経験談を聞き、できる限りの事前準備をして向かうことにした。

孤独な山歩き

とある集落の外れに登山口はあった。道標もあり、それなりに手入れがされているようだった。あたりは一面スギの植林だ。以前は豊かな自然林で覆われていたが、開発が進みいまや麓の多くは人工林になってしまったらしい。

駐車スペースで準備をしていたときに、シャワシャワシャワシャワと鳴り響いていたクマゼミの大合唱は、登りはじめると聞こえなくなった。あたりは思ったほど鬱蒼とはしておらず、木漏れ日もあり、木々や夏草の香りが鼻腔をくすぐる。足もとは人の歩いた形跡がほとんどなかったが、目印となる道標やテープは適度にあり、迷うことはなさそうだった。登りはじめはいつもこんな感じで観察力に満ちている。でも、1時間もすると外向きの意識は薄れてくる。とるに足らないことを思い出したり、僕はいま何をしているんだろうと思ったり。べつに深く思考しているわけではなく、浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返す。マインドが外向きから内向きに変わっていくのを自覚したとき、僕はハイキングにおけるある種の恍惚感を覚える。

孤独な山歩き

パーティーでのハイキングだとそうはいかない。入口に差しかかることはあれど、人と話をした瞬間に意識は外向きに切りかわり、その感覚は解かれてしまう。山域も重要だ。これが今回のような山深い樹林帯ではなく、絶景がたびたび現れるような森林限界を越えた稜線だとしたら、いやがおうにもそこに意識が引っ張られてしまう。

霧立山地はひとたび尾根に上がってしまえば、そのあとは標高1,500m前後の稜線歩き。稜線とはいえずっと樹林帯である。あたりは人工林から自然林へと様相を変え、時おり稜線上から遠くの山並みも望むことができるが、良い意味で目を奪われるようなものはない。バキッとしたコントラストはなく、眼前の木々も遠方の山々も淡くぼんやりしているというか、水墨画のような雰囲気に包まれている。歩けども歩けども変わらない。山というより、ものすごく巨大な森のような気さえする。

「分け入つても分け入つても青い山」

これは大正15年、俳人である種田山頭火がこの地を旅した際に読んだ句である。このエリアの青々とした自然の美しさを見事に表現しているように思える。事実、学校の授業でもそう習った記憶がある。

孤独な山歩き

でも、この句には前書きが存在する。「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」というものだ。山頭火は、この山を自分の境遇と重ね合わせたのではないだろうか。つまり、美しさを表現したのではなく、出口の見えない閉塞感、やるせなさ、憂いというものをこの自然にも感じたのではなかろうか。

山や自然というものは、一義的ではない。その時の自分の境遇や心の状態との相互作用によって、その解釈も世界観も変わってくる。それが、山や自然を歩くこと、すなわちハイキングの面白さでもあると思う。僕は霧立山地を歩きながら寂しさを感じていた。自分自身が寂しくなったわけではなく、寂しさに包まれた世界に足を踏み入れた感覚がした。これは霧立山地の客観的な説明ではなく、僕の中で変換されて生み出された解釈だ。そんな内なる世界に没入できているのが心地良かった。

孤独な山歩き

野営は、ハンモック泊と決めていた。目指すべき場所は決めていない。好きなタイミングで好きな場所に泊まりたかった。テントと異なり平らな場所を探す必要のないハンモックは、樹林帯の霧立山地にうってつけだった。こういう人の気配がいっさいしない (事実、週末を挟んでいるにも関わらず、ハイカーは誰ひとりとしていなかった) 深山では、踏み跡すらない地面を整地し、ドカッとテントを設営するのは似つかわしくない。林間にハンモックを吊るすスタイルのほうが自然をじゃませず、自然と同化することができるような気がした。

日も傾きはじめた頃、水場の近くで野営しようと思い、沢を探すべく稜線の道を外れて斜面を下ることにした。沢があるかどうかは行ってみないとわからない。季節柄、涸れている可能性も十分ある。15分ほど下ると、水の流れる音が聞こえてきた。傍らに水量の豊富な立派な沢が流れていた。

孤独な山歩き

沢から少し上がったところが比較的開けていたので、ここに泊まることにした。さっとハンモックとタープを張って、寝そべる。何をするでもなく、何を考えるでもなく。葉越しから差し込む柔らかな西日を受けながらまどろんでいた。

翌朝、鳥のさえずりで目が覚めた。ピピーッ、ピピーッ、キッキーッ、キョコーキョコー……とリズミカルな高音の鳴き声が、深い森にやさしく響きわたる。後日、鳥に詳しい友人に聞いたところ、声の主はクロツグミではないだろうかということだった。朝の森を愉しんでいる鳥さんをじゃましないよう、僕は静かにアルコールストーブに火をつけた。そして、お湯を沸かし、コーヒーを淹れた。まだ、鳴き声は響きわたっていた。

孤独な山歩き

僕のハイキングの原体験は、ソロハイキングである。長らくひとりでハイキングしてきたおかげで、ハイキングという行為はもちろん山や自然に対してより向き合うことができたし、理解を深めることができた。

これまで僕は、国内外のさまざまなトレイルを歩いてきたこともあり、ハイキングを通じてその土地のカルチャーや人と触れ合うことの魅力も十分理解している。でも、ハイキングという行為の根源的な要素、楽しさは、そのフィールドが山や自然であることだ。それが、ほかの歩き旅とは絶対的に違う点であり、それこそがハイキングたらしめているのだ。霧立山地は、そんなハイキングの魅力を堪能するにはもってこいの山域だった。自然が深く、広大で、とにかく人がいない。

孤独な山歩き

ひとりであればなおさら良い。ひとりというのは孤独だ。でも、物理的にも精神的にも孤独になれる機会など、もはや現代の生活には存在しない。スマホを使えばすぐに誰かとつながれるし、家を出れば外には誰かしら人がいる。

孤独にならないと手にできないものは確かに存在し、それはハイキングで味わうことができる。ひとりだと、山の中で何か起こったとしても、自分で解決しなくてはならない。他者は存在せず、頼れるのは自分だけ。自分を信じるしかない。人目や他人の評価とは無縁。結果や成果もない。誰かが決めた山頂やゴールを目指す必要もない。フィールドは自然の奥深く。守るべきは自然のルールだけ。日常生活で忘れかけていた自由と解放を纏い、自分の好きなように山を彷徨い、遊び、帰ってくるだけでいい。

やっぱり、ひとりがいいのだ。僕はきっとまた、霧立山地に向かうことだろう。

※ローカルの友人:福岡県在住の高田英幸 a.k.a パイセンとFLAT EARTH EQUIPMENTの平野くん。九州脊梁山地に関する、惜しみない情報提供およびアドバイスをありがとう。

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