山との距離感 〜 ボフパリット西稜にて
テンポ良く同時登攀を続けてきた高揚感と期待感が、少しずつしぼみ始めていた。硬かった岩は、いつしか積み木のようなグズグズの岩屑に取って代わっていた。軽量化のために選んだ華奢な軽登山靴は、雪面を伝わる冷気から足を完全に護ってくれてはいない。

登攀2日目、標高約4700mの細いリッジを行く。行く手にはまだ急峻な細いリッジが延々と続く。瞬時の判断でライン取りやタクティクスを決定しなければならないうえに、袋小路に陥って来た道を戻らなければならないこともしばしば。それこそがリッジクライミングの難しさであり、魅力でもある。写真:鈴木 岳美
浮石の隙間に無理やりカムを突っ込んで作ったアンカーでパートナーの鳴海玄希(ゲンキ)をビレイしながら、行く先を見上げる。同じような岩屑のリッジが、あと500mほどは続いているだろうか。陸上選手がトラックを走れば1分足らずで済むけれど、こちらは完全に1日コースだ。その先に覆いかぶさるように聳えるヘッドウォールへと視線を移す。弱点とおぼしきラインは見当たらない。ところどころ壁の色は明るいけど、それはつまり脆く節理の少ない岩で構成されていることを意味する。そこに、数日前に降った雪がベットリと乗っている。ロッククライミングのためのギアはそれなりに持ってきてはいたけど、アイスクライミングのギアはといえば、各自アルミニウムのクランポンに、軽量のアックスがチームで1セット。それにスクリューが3本のみ。あまりに貧弱だ。

登攀4日目の朝。酷寒のなか、核心となった両側 1000m以上切れ落ちた細いリッジを登る。絶妙のルートファインディングでこれを越えて有頂天になったのも束の間、その30分後にはボロボロのリッジに行く手を阻まれて退却を余儀なくされた。写真:鳴海 玄希
つい30分前までは、核心のひとつであった鋭いリッジを巧みなルートファインディングによって越えることができて、悦に入っていた。登攀4日目を迎えて疲れはあるものの、気持ちは前向きだった。この4日間は楽しいこともあれば、辛く緊張を強いられる場面もたくさんあった。アルパインクライミングなのだからそんなことは当たり前だし、その先にある喜びを知っているからこそ、ここまで登ってこられたのは事実だ。
だけど数々の障壁を乗り越え、精神的負荷を積み重ねてもなお、行く先に待ち受ける可能性の低い(もしくは皆無の)もののために、高いリスクを受け入れることができるだろうか。一昔前の僕自身だったら、むしろ喜んでそれを受け入れていたのかもしれないのだけど。

行く先のわからない不安(期待とも言う)と重荷に喘ぎながら岩壁を登り続ける。写真:鈴木 岳美
「よし、帰ろう。」
なんの逡巡もなく、そう思った。アンカーにたどり着いたゲンキの荒い呼吸が落ち着くのを見計らって、僕は正直にその思いを打ち明けた。まったく同じことを考えていたのか、ゲンキは即答した。
「そうしましょう。もともとあのヘッドウォールは行けるかどうか五分五分だったし。それよりも、よくここまで登ってきましたよ。」
敗退は、一瞬にして決まった。ここまで口惜しさが介在しないのも珍しい。むしろ清々しいくらいだ。それが、単に年齢を重ねて萎んでしまった体力や気力によるものだと指摘されても、僕に反論の余地はない。山頂に立たずして下山するということは、登山の世界では「失敗」を意味する。かつての僕にとっては、悪あがきもまた登山における美学のひとつでもあった。そうやって、いくつかの登頂=成功を引き寄せてきたのも事実だ。だけどいつの頃からか、登山の意味するところの成功か失敗かで僕自身の気持ちは左右されないことに気がつきはじめた。

ボフパリット西面全景。画面手前から山頂に向かって突き上げる標高差1800mのリッジにラインを取った。写真:鈴木 岳美
まったくの未知のところから登山を構築してゆく、すべてのプロセスに意味がある。そして、そこに常に介在するリスクというものが、そこでの経験をより色鮮やかにしてくれることも学んだ。リスクに背を向けて生きるのではなく、リスクと向き合って自身の行動を決定するプロセスには、人間がここまで進化を遂げてきた理由が垣間見えるし、根源的な喜びを伴うものだ。どれだけリスクを取るかの塩梅は、本人の生い立ちの違いや仲間の存在の有無、目指すものの違いからその時々の気分に至るまで、あらゆるものに左右される。成功を手繰り寄せるのも生きて帰ってくるのも、そのプロセスで得た貴重な宝物だ。
僕はこれまでに7回ヒマラヤに行った。成功は1回のみ。思い返せば、少々くだらない理由で敗退したこともあった。もう少し成功したいという気持ちがないわけでもない。だけどそもそも、僕たちが狙うのは難しいところばかり。成功よりも失敗の方が多いのも仕方あるまい。この数十年の経験を経て、より迅速かつ的確な判断ができるようになったのだと正当化することもできる。悪あがきをしなくなったのか?それともできなくなっただけなのか?おそらくそのどちらも正しい。いずれにしても、年齢を重ねる中で、山と僕たち自身の距離感だけは失ってはならない。

北壁全景。山頂の右肩から一直線に落ちる白い筋に沿って下降した。偵察では、この白いもの=氷を使って比較的容易に下降できるものと思っていたが、実際に行ってみたらそれはタダの雪だった。写真:鈴木 岳美
下降は想像していたよりもずっと長く複雑で、そして過酷だった。数日前に降り積もった雪が、雪崩まがいのスノーシャワーとなって僕たちの降りる北壁を覆い尽くす。それをひっきりなしに浴びているうちに、体は芯から冷え切り、足の感覚も失われていった。顕著な白い帯が壁の下まで延びていて、偵察の段階では氷をうまく使って下降できるものと思い込んでいた。だけど実際に降りてみて初めてわかったことは、それは氷でもなんでもなく、ただの固い雪に他ならなかった。雪を支点にして懸垂下降するには脆弱すぎる。そうなれば使えるのは岩しかないのだが、スリングを掛ける岩角はおろか、岩が緻密でピトンやカムを決めるクラックすら見つからない。何度となく、ロープの末端近くまで降りてからの苦しい登り返しを余儀なくされた。絶対に失敗できないというプレッシャーがもたらす疲労は想像以上だ。午後の早いうちには安全圏にたどり着けるだろうとの目論見は見事に外れ、眼下の氷河に注がれていた暖かな日差しも、いつしか消えた。
それから1時間ほど経った頃、傾斜はまだ強いけれど安定した広い雪面に、ようやく僕の足が届いた。慎重に雪面を見下ろして、もうこれ以上ロープを使う必要がないことを確認した。下降器からロープを解除する。ゲンキへのコール。そうしてはじめて、周囲の山々が夕暮れの赤い色に染まっていることに気がついた。ただ何を考えるともなくその光景を目の当たりにしたら、涙が自然と出てきた。歳を取ったせいか、最近涙もろい。無念だとか不甲斐なさだとか、そういったネガティブな感情ではなかった。
強烈なプレッシャーからの解放という意味合いがあったのは事実だけど、もっと単純に言ってしまえば、僕はただ、この息を呑むような光景に感動していたのだ。
「やっぱり山が好きなんだ」
ヒネりも何もない。でも、そんな単純なことに心を動かされたのは紛れもない事実だし、ともすれば陳腐とも思えるその答えが、人生において本当に必要なものはそれほど多くはないということをも教えてくれる。

登攀を終えて、横山勝丘。写真:鈴木 岳美
雪面にクランポンを軋ませながらゲンキが降りてきた。僕は恥ずかしくなって慌てて鼻を啜り、平静を装った。そして、これまで以上に満面の笑みを見せながら、僕たちは大げさにハグを交わした。

登攀を終えて、鳴海玄希。写真:鈴木 岳美