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地球を走る

寺倉 力  /  2023年6月22日  /  読み終えるまで10分  /  マウンテンバイク

自転車に乗って世界中と出会いたい。そんな幼い日の夢を実現させた坂本達が考える「自転車の冒険」とは。

1999年、パタゴニア。強風が吹き荒れる一本道を、ひたすら南米最南端のウシュアイアを目指す。補給地点が極めて限られているので、通りがかりの車に水を分けてもらったり、工事中のおじちゃんたちにアサ―ドをご馳走になったり……。急に吹き始める強風や、急に収まる風でハンドルを取られて転倒することもあり、憧れのルートだったが気分的には今一つだった。

4年3か月の有給休暇で世界一周の旅に出た

坂本達(たつ)が自転車で世界一周を果たしたのは、今から20数年前のことだ。ツーリング用の自転車にテントや食料などの荷物を満載し、4年と3か月を費やして5つの大陸、43か国を走破。走行距離は55,000kmに及んだ。

人生を変えるような大きな冒険に出発するのは、いつのタイミングがベストなのか。学生時代か、あるいは就職を先延ばしにしたモラトリアム期間だろうか。仕事に区切りを付けた定年後に挑戦する中高年も少なくない。長期休暇を取るのか、それとも会社を辞めるか。いずれにしても、仕事との兼ね合いがひとつのポイントだ。

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1997年、パキスタンからクンジェラーブ峠を越えて、中国新疆ウイグル自治区カシュガルを目指す。パキスタンの風景から一転してパミール高原のなだらかな景色に。景色で心境がこれほどまでに変わるんだと実感

坂本の場合、サラリーマンになって4年目だった。当初は会社を辞めることも想定していた。だが、彼が入社したミキハウスという会社は、多くのオリンピック選手を社内に抱え、活動をサポートしていた。ならば自分の冒険が認められる可能性だってある。その一縷の望みに期待した結果だった。スタートしたのは26歳で、帰国したときには31歳になっていた。その間も会社を辞めることなく、驚くことに有給休暇扱いで旅を続けたことはよく知られた話だ(坂本は2023年現在もミキハウスで勤務している)。

「20代というのは下積みや経験が将来に影響する大事な時期だと理解していました。だから、だいぶ迷いました。良い意味で先の見える人生を選ぶのか、それとも未知の世界で冒険するのか。それでも最終的には、子どもの頃からの夢が勝りました。行かなかった自分をイメージしたら、後から絶対に後悔すると思ったんです。行きたかったな、と思いながら仕事を続けるなんてごめんだと。それが決め手だったと思います」

坂本と自転車との出会いは、親の仕事の関係で7歳から11歳までを過ごしたフランスにあった。世界最大の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」に感化されて、初めて買ってもらった自転車は、24インチのドロップハンドル車。ペダルを漕げばどこまでも行けるという感覚に、子どもながら感動を覚えたという。それですっかり自転車の虜になった。

そんなある日のこと。父と郊外をドライブしている最中に、両サイドに荷物を満載した自転車でツーリングしているフランス人グループを目にした。「あの人たちはテントや食料を自転車に積んで、自転車が壊れたら自分で修理しながらどこまでも走っていくんだ」という父の話で、自分の力を頼りに自転車で長い距離を走ることへの強い憧れを抱いた。それは後の自転車世界一周に至る原体験だった。

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1998年、チベットのラサからカトマンズを目指す途中の標高5,200mの峠手前。酸素が薄いので無理せず走った。泊まる家が見つからない時は、外気温マイナス20℃でもキャンプした。生きていることに感謝

地球を自転車で旅する魅力とは

世界一周に際し、坂本が選んだのは、今でいうグラベルバイクのようにロードも未舗装路も走れるツーリングモデルだった。走る場所によってオンロード用タイヤも使ったが、ほとんどオフロード用タイヤで走った。日本で暮らしていると想像しにくいが、地球には未舗装の道のほうが多いのである。

坂本の自転車は、テントに食料、クッカー、水、着替えの服に加え、工具や予備のスポーク、ワイヤー類、スベアタイヤとチューブなどを持つと、総重量は30kgから35kg近くになった。当然ながら、ロードバイクやマウンテンバイクのような疾走感は期待できない。それでも「自転車には、世界を旅するツールとして格別の魅力がいくつもある」と坂本はいう。

ひとつは「警戒心というハードル」が下がること。世界を旅するということは、未知の土地を訪れ、さまざまな国の人たちと出会って、多様な文化に触れることでもある。その点で、自転車は最適な道具なのだと。

「クルマやオートバイと違って、自転車で行くと、現地の人たちは『よく来たな』というウェルカムな雰囲気で迎えてくれます。汗でベトベトになっていても、ちゃんと出迎えて握手をしてくれる。長く旅をしていると、それが本当にうれしいんですよ」

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1996年、このころから村に泊めてもらって走るスタイルが定着。初めは遠慮も不安もあったが、土地の人と交流することで、安全や、情報や、元気や、勇気を手にできることが分かった。エネルギーの満ち溢れた子どもたちと出会う毎日が楽しかった。

自転車の長旅に付きものなのは、登り坂である。ただでさえ苦しい登り坂に35kg前後の重荷が加わり、場所によってはトレッキングシューズに履き替えて、押して歩くこともあった。

「登り坂は辛いですね。神サマは、なんでこんな罪深い道を作ったんだ、と恨むくらいの気持ちになるんですけど、不思議なことに、そのうちに『自分にもできる』という魔法がかかってくるんですよ。そうして長い坂道を登り切って振り返ると、はるか下のほうに道が見えます。あ、こんなところまで登ってきたんだ、自転車ってすごいな、ってうれしくなるんですよね」

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1999年、夢の一つだったウユニ塩湖でキャンプ。ちょうど満月で、月明りと塩の反射する光で本が読めるぐらい明るかった。ウユニの塩で塩ラーメンを作った。たまに通るジープのツアー客が珍しがって立ち寄って行った

けれども、朝起きて笑顔が浮かぶ日はごくわずかで、たいていは「また朝が来てしまった」と憂鬱な気持ちになると言う。縦走登山でもトレッキングでも、長距離を人力で移動した経験がある人には覚えがあるだろう。明らかに蓄積疲労の影響だ。だが、いったん行動を開始すれば、目の前の霧が晴れるようにネガティブな思いは消え去っているのも同じだ。

「いったんサドルにまたがってペダルを踏むと、肌に当たる風が『前に進んでいる』というメッセージを運んできます。その実感が、僕をさらに前へと進めてくれるんです。やっぱり自転車っていいな! 自転車が好きだな! って思える瞬間ですね」

クルマやバイクと違ってほとんど音のしない乗り物なので、自然のなかにいる感覚をダイレクトに感じることができる点も、自転車の旅ならではだ。

「アフリカの森が風で揺れる音などは、まるで森全体が『ようこそ!』と語りかけてくれるようにも感じられました。ああ、自分は今、アフリカの森に歓迎してもらっているんだなと。そうした瞬間は最高ですし、そのときの感覚って、一生忘れることはないんですよね」

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1996年、ジンバブエ。アフリカ象に注意の看板。怖くても一本道なので行くしかない。まさか出会わないだろうと思ったら、道端にいてびっくり。バイクやクルマと違って、自転車はエンジン音がしないので動物も気が付きにくいのかもしれない。

今度は家族揃って自転車6大陸の大冒険

世界一周を終えた坂本は、すぐさま会社に復職した。そこからは、自転車世界一周で得た価値観をひとりでも多くの人に伝えることが、坂本の新しい挑戦になった。

元の職場である人事部に所属しつつ、社内外に世界一周の体験談やメッセージを話した。それが評判を呼び、全国各地の講演会に呼ばれるようになる。学校や教育関係の団体はもちろん、さまざまな企業に至るまで、現在までに国内外で1,000回以上に及んでいる。

また、自転車世界一周の体験を綴った著書やDVDを出版し、その印税は西アフリカ・ギニアに井戸と診療所の建設と、医学生のための奨学金制度を設立に充てられた。それは自身がマラリアにかかったときに、貴重な薬と食料を提供してくれたギニアの医師と村への恩返しだった。また、同様にブータンに幼稚園を建てて支援を続けている。

そんな坂本が、新たな冒険の旅に出たのは2015年、自転車世界一周の旅を終えて20年後のことだった。

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2018年7月、家族でのチャレンジ4ステージ目のブータン。タルチョ(祈りの旗)の前で休憩中。このとき長男7歳、次男5歳。山道ばかり続いて子どもたちのモチベーションを保つのが大変だったが、村人や通りがかるクルマが声をかけてくれて、ほどよい気分転換に。

あらたなテーマは「坂本家6大陸大冒険」。奥様と幼い二人(現在は三人)の子どもという家族全員が自転車に乗って世界を旅するというもので、毎年夏の2、3カ月を使って、8年掛かりで6つの大陸を走るという計画だった。坂本は言う。

「自転車世界一周の講演活動の反響が非常に大きかったんです。それだけの経験をしたのだなと、自分の経験を客観的に知ることになりました。だったら、家族に対して話をするだけじゃなくて、家族にも経験させたいと思うようになりました」

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2018年7月、ネパールのムスタン。ヤギの群れに遭遇。遠征はネパールの雨期に当たり、しばしば道路が川で流されてなくなっていりと、走行は困難を極めた。バイクを担いで川を渡ってくれたり、子どもをおんぶして渡ってくれたりと、現地の人に大いに助けられた

初年度の2015年はニュージーランドを3か月かけて走った。当時、長男の健太郎くんは5歳、2歳だった次男の康次郎くんはチャイルドシートに乗ってのスタートだった。翌年はスペイン、ポルトガル、スイス。3年目はカナダ、アラスカと、それぞれ800から900kmを走行。4年目からは、チャイルドシートを卒業した康次郎くんも自力でネパール、ブータン、マレーシア、ブルネイ・ダルサラームを走った。

いずれも2、3か月を要するため、夏休み以外に1、2か月は小学校を休む必要があった。そのため、小学校の校長先生に対して「坂本家は冒険の家族だから、遠征のために学校を休みます。勉強はもちろん親が責任を持ちますので、ご理解いただけますでしょうか」と宣言していたという。

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2018年7月、ネパール。ガードレールの無い山道を走る。次男は何度も石でハンドルを取られて転倒した。すれ違うトラックやジープの人たちが、行く先々で私たちのことを伝えてくれるため、どこに行っても地元の人たちに歓迎された。

5年目はトルコとジョージアを予定していたが、出発直前に第三子の妊娠が判明し、急遽行き先を北海道に変更。翌年からはコロナの影響で富士五湖、昨年は四国一周。そして今年の夏は三男の大和くん(3歳)を加えた5人家族でイタリアのローマ巡礼路を走る予定だという。

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2022年8月、スペイン。キリスト教の巡礼路、カミーノを走行中に、なんと、我が家と同じ、子ども3人の5人家族のスペイン人サイクリスト巡礼者に出会い、あっと言う間に意気投合。

個人の冒険を終え、家族のチャレンジへと昇華した

坂本が家族とのチャレンジを始めたのは、47歳のときだった。自転車世界一周から講演活動に意義を見いだし、同時に世界への恩返しに奮闘した。そうして20年という年月を過ごす間に、また以前のような冒険に出たい、という思いに駆られなかったのだろうか。

「ひとつには、当時はすでに子育て中だったので、現実的に一人で冒険に出るという選択肢がありませんでした。また、井戸掘りをしたり、診療所を建てたり、幼稚園を作ったりすることに一所懸命になるうちに、個人でなにかをやろうとは思わなくなっていた。たぶん、個人でやりたいことを、やり尽くしたんです。そこからは、挑戦の単位が身近な人や仲間になり、それが家族になったというわけです」

坂本はこの新たな挑戦を「坂本家6大陸大冒険」と名付けているが、できるだけ「冒険」的なリスクを排して、安全第一を念頭に置いている。妻や幼い子どもたちを巻き込んでまで、リスクを冒すつもりはない。そこは「リスクを承知で未知の世界を突き進んだ以前の単独世界一周とは明らかに違う」という。だから「冒険」ではなく、家族の「チャレンジ」なのだと。

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2017年8月、アラスカ。街と街の距離が離れているためキャンプが続いた。熊が出没するので食料はコンテナに入れ、井戸や川の水で体を洗った。子どもたちがいるおかげで、キャンピングカーの旅行者に食料やデザートをよく分けてもらった

「年を追うごとに、子どもたちの急速な成長ぶりには驚かされます。坂道を登る母親を甲斐甲斐しくサポートしたり、幼い三男の面倒をみたりと、見事にチームの一員として動いてくれるようになりました。中学生になっても、家族と一緒に旅をしてくれるかなと思っての8年計画だったのですが、三男が生まれたことで、長男は中学の3年間も『一緒に家族で行こう』とノリノリ。それで3年間延長です。こんな日がくるとは思わなかったですね」

今年、坂本は55歳になる。幼い日にフランスで抱いた未知なる世界への冒険は、今、家族を巻き込んで、三人の子ども達に受け継がれようとしている。そんな家族との冒険とは別に、坂本には妻とともにそっと温めている計画がある。それは海外のサイクリストたち、特に子どもがいる自転車家族の日本トリップをサポートすること。それは世界各地で世話になったことへの恩返しであり、坂本夫妻としての新しい挑戦の始まりでもある。

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2022年8月、スペイン。サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着。2歳の大和の参加により、前回よりメンバーが一人増え、大人二人、子ども三人の挑戦になっていた。妻の佳香が体調を崩したり、2歳児がいたため何かと大変だったが、健康兄弟が進んで世話を焼いてくれて助かった。たくさんの人たちに支えられたステージだった

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