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大きな山に戻るとき

横山 勝丘  /  2023年2月22日  /  読み終えるまで7分  /  クライミング

パタゴニアでの大事故から山へ向かう想いを取り戻すには長い時間が必要だった。

氷河よりK7主峰南西稜見上げるが、見えているのは全体の半分にすぎない。写真:横山 勝丘

登攀5日目の朝。ここはカラコルム、K7主峰南西稜上の標高6,300m地点。テントを叩く雪の音は強まるばかり。3週間前、パキスタンに着いてすぐに引いた風邪が長引き、発作的に起こる咳が止まらない。目指す山頂は600m上の雪雲の中。山頂に立って、それから下降したとしたらあと3日は必要だ。残る食料は2日分。ベースキャンプ撤収は3日後。どう都合良く計算しても、足りない。下山の時だった。

雪の中の懸垂下降。偵察のとき懸案事項として残されていた北側の谷に入ってゆく。ダウンクライミングで進むにはリスクのありすぎる傾斜と不安定な足元。懸垂下降の支点を作ろうにも、肝心の氷は柔らかすぎて細心の注意と時間を要する。降り続く雪は湿気を帯び、ジャケットはみるみるうちに濡れてゆく。頭上には巨大で不気味な懸垂氷河。時折、そこから思い出したように氷塊がはがれ落ち、唸りながら僕たちの目と鼻の先を転げ落ちてゆく。グズグズしてはいられない。だけど眼下に広がる氷河ははるか先で、僕たちの動きはまるで尺取り虫のようだ。
太陽が山際に沈む頃、スノーバー一本を雪に埋めただけの空中懸垂で、僕たちは岩がゴロゴロ転がる緩傾斜帯にたどり着いた。歳のせいか、久しぶりすぎるヒマラヤのせいか、それともあのいまいましい咳のせいか、いずれにしても僕の疲労は想像を越えていた。それでも、良い集中力を保ちながらここまで降りてこられたと思った。まだまだ気は抜けないが、明日の午前中には氷河に降り立てるだろうか。

大きな山に戻るとき

雪の降る中懸垂下降を続けて眼下に広がる氷河を目指す。写真:鳴海 玄希

ヒマラヤは5年ぶりだ。一番最後の海外遠征は3年前のパタゴニア。当時、取り憑かれたように通っていたフィッツロイ山群での懸垂下降中、僕の初歩的なミスによってパートナーが墜落した。3日間にわたる救助活動によって彼はなんとか一命を取り留めたが、怪我のなかった僕も、精神的に想像以上のダメージを食らわされた。コントロールを失った身体が、ゴム毬のように岩を跳ねながら落ちてゆくあのシーンが脳裏にこびりついて離れなかったし、なにより僕自身の行動そのものへの信頼が根底から崩れた。大きな山への熱い想いを取り戻すには時間が必要だった。
それを良い機会と捉え、以前から痛めていた両足首の手術をした。しばらくの間はまともに山にも行かず、リハビリをして過ごした。そうこうしているうちに世界はコロナ禍一色となった。海外遠征などもってのほか。無理して山に行く必要もなく、家の近所で大好きな岩登りをすることにした。

事故から2年が経ち、大きな山への思いが少しずつ再燃してきた。それなのに、具体的にヒマラヤに向かうことを想像すると恐怖に襲われた。ただその恐怖は、あのリアルな事故のシーンを思い出しては戦慄するものとは明らかに違っていた。もっと漠然としていて、あえて言えば山の存在そのものに対する恐怖だった。
日常的に山に入っていれば、目まぐるしく変化する山の状況への対応は迅速かつ的確だ。次に何が起こるのかの想像がつき、過剰な恐怖に怯えることなく、冷静に行動を起こすことが可能だし、最大限の力を発揮することができる。正当化するつもりはないが、パタゴニアでの事故はスピードアップのためにリスクを取りすぎた事によって起きた。それこそが成功へのカギだと信じていたし、その選択が間違っていたとは今でも思っていない。ただ、慢心と焦りが引いてはいけないトリガーを引いてしまった。

どんなときでも冷静に。それさえ守っていれば、もう二度と同じような事は起こらない。それを頭では理解しているはずなのに、怖かった。ずいぶんと長いこと本気の山から離れているうちに、危険や恐怖といった感情のみがムクムクと巨大化していて、山のリスクを正当に評価できていないのだと思った。
また、僕たちの年齢は周囲を取り巻く生活環境や身体的な変化が著しい。そうこうしているうちに、山への憧憬よりも、ある意味安定した日常のあれやこれに引き寄せられ、気がつけばクライマーはその対極をいくような山から自然と遠ざかっていきがちだ。

山に戻ろう。戻るなら早ければ早いほど良いのは明らかだったが、コロナの情勢は好転せず、決断から実行に移すまでにはさらに一年を要した。だけどその間に足首の調子も上向いてきて、山にも頻繁に通えるようになった。あれだけ膨れ上がっていた山に対する恐怖が、少しずつ親しみに変化してゆく過程を楽しんだ。日本を発つとき、家族とのハグは笑顔だった。

大きな山に戻るとき

下部の岩壁帯を登る。岩は硬く快適な登攀だが、フォローの荷物は重くてまったく楽しめない。写真:横山 勝丘

大きな山に戻るとき

迷宮のようなリッジを登る。外的危険は比較的少ないが、この先なにが現れるかわからない不確定要素が核心となる。写真:鳴海 玄希

ひとたび山懐に抱かれれば、心はまっすぐに山に向かいはじめる。山をじっくり眺め、山の鼓動を感じ取り、パートナーと会話を交わしながら、登るべきラインを決定する。そのプロセスを通して、これまで抱いていた恐怖は妄想にすぎないのだと改めて気づく。
もちろん、それでも山に登ることからリスクを完全に取り払うことは不可能だ。危険はどこにでも転がっているし、僕たちは人間だから、見落とすことだってある。3年前と同じように、ミスをする可能性もゼロとは言い切れない。それならば山には行かない方が良い?僕はそうは思わない。

リスクを避けてその世界に足を踏み込まないのであれば、本当のリスクを知ることはできないどころか、その世界そのものを知らずに終わることになる。リスクを知り、自分自身の判断で行動を決定する。登山はリスクマネジメントのプロセスの積み重ねだし、人間は学ぶ生き物だからこそ、あのミスさえも大切なプロセスとして生きてくる。本当の喜びは、そのプロセスの先に訪れるものなんじゃないかと思う。

大きな山に戻るとき

弱点のない岩壁に阻まれて、せっかく稼いだ標高を下げなければならないこともしばしば。写真:横山 勝丘

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ルート上の核心となったフォートレスの登攀。薄く傾斜の強い氷を100m近く登る。 写真:鳴海 玄希

翌日の昼には、僕たちはベースキャンプ前の草地でフヤケた両足を投げ出していた。疲れ切っていて、数時間前まで僕たちがいた背後の山を振り返る気にすらならない。だけど、いまこうして仲間と笑顔で会話を交わすことにジンワリとした温かみと重みを感じていた。

もしかしたら、あの時下山を判断したのは性急だったのではないか? もう少し頑張れたのではないか? リスクを取らなさすぎたかな?そんな事も脳裏を過ったが、五体満足であるという事実こそが、僕たち自身の行動を正当化できる。そう、次があるんだから。もう少し時間が経って体力が回復し、いまいましい咳も治まったら、きっと今回の山をふたたび憧憬の念をもって眺める事ができるようになるだろう。そして、どうやったらこの山が登れるのかとふたたび頭を悩ませる時が訪れるのを、楽しみに待つことにしよう。

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登攀5日目の朝。まだ標高差2000m近くの下降が残る。写真:鳴海 玄希

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