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豊かな川を取り戻す、その一歩

浦 壮一郎  /  2022年8月25日  /  読み終えるまで12分  /  フライフィッシング, アクティビズム

北海道の一人の釣り人が魚道清掃をはじめ、豊かな川を取り戻すため情熱を注いだ30年。

自然の滝を越えようとジャンプを繰り返すサクラマス。写真:浦 壮一郎

とある観光地に有名な滝があった。駐車場から少し歩かなければ見ることのできない滝なのだが、それは歩く価値のある見事なもので、釣り人なら誰もが知る名瀑だった。
滝の駐車場に車を止め、釣り支度をしていた釣り人がある時、滝を見に来たと思われる観光客に声を掛けられた。車から降りてきた中年女性は指を差しながら次のように質問した。
「すみません、あれが○○の滝ですか?」
釣り人は驚いてしまった。彼女が指を差すそれはどう見ても砂防ダムだったからだ。コンクリートでできた砂防ダムを滝と見間違うその感覚に唖然とする他なかったのである。
釣り人ならば砂防ダムや治山ダムなど、いわゆる堰堤と呼ばれる構造物は見慣れた存在だといえる。ところが世間一般には見たことがない、あるいは「砂防ダムってなに?」と、その存在すら知らない人もいる。河川の上流域、特に山岳渓流に建設されるだけに無理もないが、このような低い認知度の陰で砂防ダムは今も増え続けている。

豊かな川を取り戻す、その一歩

滝と砂防ダムの見分けがつかない人々がいることに驚かされる。近くにあるはずの川が人々の意識から遠ざかっている。写真:浦 壮一郎

ちなみに、国交省管轄における砂防ダムの整備数は実に9万647基。このデータは2002年度の調査によるものであるため、もしかすると現在では10万基に迫る可能性すら指摘される。また、この数値に治山ダムは含まれていない。治山ダムは小さな枝沢にまで建設されている関係上、砂防ダムの数倍あるいはそれ以上とされており、もはや総数を把握することすら不可能。このため砂防ダムおよび治山ダムのない河川はほぼ皆無といえる。
呼び名は関係行政の違いによって区別され、国土交通省および都道府県の河川課等が管理するダムを『砂防ダム』。林野庁と都道府県の林務課等が管理するものが『治山ダム』と呼ぶ。構造上大きな違いはないものの、治山ダムは砂防ダムよりも上流へと建設が進む傾向があり、より人目に触れないダムということができる。
土砂を貯めるという性質上、設置された魚道が機能していない場合も多く、魚道が土砂で埋まり水が一滴も流れていない事例すら散見される有り様。もちろん魚類への影響は深刻である。

豊かな川を取り戻す、その一歩

魚道に土砂が堆積し草木が生い茂る。水が流れない魚道は釣り人にとって見慣れた光景である。写真:浦 壮一郎

北海道も例外ではない。ここでも砂防ダムの問題点にいち早く気づいたのはやはり釣り人たちだった。
道南地方のせたな町で活動してきた釣り人グループ『一平会』では、およそ30年前から砂防ダムの魚道清掃を実施してきた。日本海側に注ぐ小河川の多くには砂防ダムや治山ダムが整備されており、その魚道はことごとく土砂で埋まっていたからだ。
一平会の大口義孝さんは当時の記憶を辿り次のように話す。
「最初は会員個人が小規模に始めたんですが、そのうち複数人で出掛けていって魚道に堆積した土砂を大掃除するようになった。後日その川へ行くとしっかり魚が遡上している。はっきりとした成果が感じられた。それなら、と、会の活動としてやったらいいんでないかってことになったわけです」

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砂防ダム(治山ダム)のスリット化を実現させた釣り人グループ『一平会』の大口義孝さん。「たった1基の砂防ダムで地域が崩壊する」と話し、それを防ぐための活動を続けている。写真:浦 壮一郎

釣りをしていなければ砂防ダムの存在そのものに目を向けることはなかっただろう。まして魚道が土砂で埋まっていることなど知るよしもなかったはず。しかし釣り人であればこそ、その実態に目を背けることができなかったといえる。
一平会の魚道清掃活動は地元紙でも報道され、次第に注目される活動となってゆく。
「当初の3年ほどは会が単独で行っていました。でも、ひと雨降ると魚道はすぐに埋まってしまう。これじゃ埒が明かないということで、ダムを造った行政、工事を手がけた業者に声を掛けることにしたんです。造ったからには管理責任があるわけですからね」(大口さん)

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スリット化される前の治山ダム。サクラマスは激減し、沿岸漁業も衰退の一途にあった。写真:浦 壮一郎

会の活動が認知されるようになると周囲の雰囲気も変わっていった。対象のダムは小さな規模であったことから、施工を請け負ったのは地元の業者だったという。そのダムの魚道が魚類の移動を阻害しているとなれば当然、町民からも厳しい目が向けられる。
「そしたら造った業者も『自分たちも魚道清掃に参加する』となった。規模が小さい治山ダム、あるいは後付けの魚道の場合、地元の業者が工事を請け負っていることが多いんです。この町の業者ですからね、町民や漁業者から『造ったっきりで何もしないのか!』とは言われたくない。責任を感じてくれたということでしょう」(大口さん)
業者が加わったことで魚道清掃の作業はずいぶんと楽になった。とはいえ出水のたびに埋まってしまう状況に変わりはない。魚道清掃をしばらく続けたが、その作業を行うたびに疑問が募ることにもなった。

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一平会の活動は当初、魚道の清掃から始まったが、降雨のたびに作業を繰り返す必要に迫られた。写真提供:一平会

「まとまった雨が降ると元の木阿弥。年に2〜3回は魚道清掃をしなければならないわけです。会のなかでも『こんなこと、おかしいよね』って話になった。と同時に砂防ダム、治山ダムの存在そのものに不信感を抱くようになりました」(大口さん)
そこで1990年代後半、砂防ダムの管理者である北海道、そして治山ダムの管理者の森林管理署に対し直接交渉を行うが、彼らの説明はマニュアル的発想そのものだった。

「治山ダムには山脚崩壊を防ぐ効果があるというんです。でも、それっておかしいですよね。満砂したらそこで川は蛇行を繰り返して、新たに山肌が崩れていくわけですから」(大口さん)
治山ダムはその名のとおり山を治めること、治山事業の一環として実施されている。ダムが満砂すると、それまで流れによって浸食されていた水衝部(流れがぶつかる場所/侵食地点)が土砂で埋まるため、それ以上浸食されないという理屈を説明される。これを山脚固定と呼び、山脚崩壊を防止することが治山ダムの効果のひとつ、だというわけだ。

しかし現実はどうなっているのか。水の流れは満砂によって上方に移動するだけのことであり、大口さんが指摘するように新たな浸食を引き起こしているに過ぎない。むしろ被害は拡大しているともいえる。
いつも渓流を歩いている釣り人なら分かると思うが、ダムがない場合の水衝部とは岩盤であることが多い。極度な増水時には法面(河岸)の土を浸食させる場合もあるが、多くの場合は岩盤に流れがぶつかるだけのことで河岸の崩壊は起こりにくい。
ところがダムが満砂して流れが上方に移動すると、それまで流れが達していなかった山肌が新たに浸食され、結果的に土砂生産を増やしてしまうことになる。これがダム上流地点に見られる問題点だといえる。

もうひとつ、ダム下流部で発生する現象も土砂生産を増幅させている。それが河床低下に伴う河岸崩壊である。これらの現象に詳しいのが『流域の自然を考えるネットワーク』で活動する八雲町在住の写真家、稗田一俊さんだ。

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市民団体『流域の自然を考えるネットワーク』の稗田一俊さん。河床低下や河岸崩壊など、ダムが引き起こす現象に異論を唱え、その現状を伝える活動を続けている。写真:浦 壮一郎

「砂防ダム、治山ダムが建設されると、満砂するまでの間はもとより、満砂後も河床低下が進行し続けてしまいます。河床低下が進行すると次は河岸崩壊が発生して新たに土砂を生産する。また砂や泥ばかりが流れるようになるため、魚たちは産卵場を失い、姿を消してしまう」

貯水ダム、砂防ダム、そして治山ダムによる河床低下の現状を訴え続けてきた稗田さんはこのように話す。大口さんもその主張を支持しており、釣りを通じて現場を見続けてきた人々ならすぐに理解できる現象だといえそうだ。
大口さんが暮らす日本海側のせたな町に対し、八雲町はその反対側の内浦湾(噴火湾)に面した町だ。その中心を流れるのが遊楽部川であり、こちらもまた判で押したように砂防ダムによる影響が顕著だ。
「遊楽部川は昔、80mmとかよほど激しい雨でも降らない限りは濁らなかったんです。ところが今は30mm程度降ると必ず濁るようになってしまいました。支流を含めるともの凄い数の砂防ダム(治山ダム含む)がありますからね。その数だけ(ダム上流の河床上昇で)山肌が崩れ、ダム下流でも(河床低下による)河岸崩壊で崩れが激しくなっている。ダムの上流も下流も、両方で悪影響が出ています」(大口さん)
もちろん砂防ダムの影響は河川に生息する生き物だけにとどまらない。大口さんは続ける。
「河床低下によって(河川沿いの)道路がえぐられています。橋の橋脚も露出して危険な状態になっている。海も変わってしまいました。砂利の供給がなくなって砂浜も姿を消しました。そうしたさまざまな影響が出ているんです」

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河床低下が進行すると護岸下部から道路下の土砂が吸い出されることで道路の陥没を招く。河川事業の落ち度による二次災害だと指摘されている。栃木県、大芦川。写真:浦 壮一郎

砂防および治山ダムがもたらす数多くの問題点に対し、魚道清掃という活動だけでは不十分だと痛感しつつあった。そして大口さんや一平会のメンバーらが辿り着いた答が、既設ダムのスリット化である。

1990年代より始まった一平会の魚道清掃。その活動は1990年代後半に入るとスリット化の要望へと発展し、その実現を目指すものとなっていった。
魚道清掃は一時的に魚類の移動を可能にするが、上記の河床低下や河岸崩壊を防ぐことはできない。もちろん海岸侵食(砂浜の消失)に対しても無力である。米国では、このような課題に対してダム撤去の取り組みが推進されており、日本でも自然本来の川を取り戻すためにダムの撤去が望まれる。しかし、日本の河川でそれを待ち続ける猶予はなく、それは河川環境の荒廃を意味し、さらには地域の衰退へと繋がっていく。現状で最も効果的で実現可能な手法が既設ダムのスリット化だったといえる。

当初は釣り人グループ1団体から始まった活動だったが、土砂供給不足が顕在化してゆくと流域全体の問題として認識されるようになっていった。地域の漁業者らがスリット化を求める活動に賛同してくれたのだ。
実は北海道全域に該当することだが、道南の日本海沿岸もサケやサクラマスの不漁が長年続いていた。そのため漁業者らも砂防ダム等に疑念を抱きはじめ、釣り人と漁業者が協力するという異例の取り組みが実現したというわけである。
そして2011年、ひやま漁業協同組合の漁業者と地域住民、釣り人(一平会)らが協同で『せたな町の豊かな海と川を取り戻す会』を結成。活動は地域全体を視野に入れたものへと拡大していく。

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スリット化を実現した渓流でサクラマスの調査を行う大口義孝さん。次の世代に繋げるための調査活動は今後も続く。写真:浦 壮一郎

同年、せたな町の小河川において本支流含め計4基の治山ダムがスリット化が実現した。そして2020年にも同町の須築川(保護河川/禁漁)にて砂防ダムのスリット化が完了。今後、どのような変化が見られるのか期待されている。
「治山ダムがスリット化された川の河口では、昆布にワカメ、ホンダワラなどの海藻が育つようになり、ウニを大型に成長させています。また北海道ではサケの漁獲減が深刻になっていますが、日本海沿岸南部だけ予測に反して漁獲高は好調です」(稗田さん)

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スリット化後、落差が完全になくなった流れで経過を調査。サクラマスは着実に増え始めている。写真:浦 壮一郎

漁獲高の回復をスリット化のみによる恩恵だと結論づけるにはまだデータが少ないかもしれない。しかしスリット化によってサケやサクラマスの産卵場が大幅に拡大したことは明らかであり、そのことがサケ回帰率の上昇に何らかの恩恵を与えたことはあり得る話だ。
絶滅状態に近かったサクラマスにおいても、その後の調査で稚魚を多数確認している。サクラマスも甦りつつあるということ。そして、その変化は地域の活性化に寄与すると期待されるが、時すでに遅しの感も否めない。

豊かな川を取り戻す、その一歩

磯焼けにより生命力を失っていた河口部沿岸も、土砂が流れ始めたことで海藻が再生しつつある。写真:浦 壮一郎

「かつてサクラマスやサケが豊漁だったからこそ、そこに人が暮らすようになって学校まで出来て、集落が形成されたわけです。道路がなくても、そこが陸の孤島でも、何十年もの間そこに人々の生活が成り立ってきた。ところが砂防ダムができて20年もしたらサクラマスがいなくなり、今、須築川河口の漁業者は一番の若手が78歳です。若い人は誰も残らない。これが現実なんです。川だけでなく地域を壊すのはあっという間。たった1基の砂防ダムで地域が崩壊するんです」(大口さん)

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既設ダムのスリット化により甦りつつある流れには多数のサクラマスの稚魚たちが確認できた。この大きな変化が地域の再生を予感させてくれる。写真:浦 壮一郎

須築川河口に限らず、道南地方の小規模な沿岸漁業はどこも同じような状況だという。ひとまずスリット化が実現し、サケやサクラマスの漁獲高は上向きになりつつある。が、すでに沿岸漁業の衰退は末期状態にあるようだ。
ただし大口さんが言うように豊漁によって集落が形成されたのであれば、この先その地域に若い世代が戻り、活気に溢れた漁村風景が甦る可能性もゼロではない。小さな漁村が栄華を極めたその時代を知らない世代にも、自然が豊かであれば人々も豊かになれること、その光景を見せてあげたいものである。その第一歩がダムのスリット化だといえるのかもしれない。

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上流に海の養分を届けるはずのカラフトマスが砂防ダム直下で渋滞している。彼らを待つほかの生き物たち、その存在に人々が思いを寄せることができさえすれば、未来の川、その姿は飛躍的に改善するはず。写真:浦 壮一郎

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