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人と自然の関係を再構築する:雲ノ平トレイルクラブ

千葉 弓子  /  2024年3月13日  /  読み終えるまで11分  /  ハイク

自然から豊かさを享受する私たちはそれらをどう維持し、保全すればよいのか。生態系と景観を守る登山道整備のロールモデルを目指して。

伊藤二朗さんが妻の麻由香さんとともに経営する雲ノ平山荘。夏には多くの登山者がこの地を訪れる。写真:一般社団法人雲ノ平トレイルクラブ

黒部川の源流、北アルプス最深部にある雲ノ平。中部山岳国立公園内、標高2,600m付近に位置するその場所は、近代登山の黎明期には “最後の秘境” と呼ばれていた。草原に点在する地糖、ハイマツや火山岩が織りなす庭園のような風景は、いまもなお多くの登山愛好者の憧れでもある。

そんな美しい景色に溶け込むように佇む雲ノ平山荘のオーナー・伊藤二朗さんはいま、人と自然の関係性を再構築するいくつかのプログラムに取り組んでいる。そのひとつが、生態系と景観に配慮した登山道整備を行う「雲ノ平トレイルクラブ」だ。

日本の国立公園は長い間、観光など利活用に比重が置かれてきた。北アルプスは年間900万人もの利用者が訪れる世界でも有数の国立公園だが、利用量が増える一方で、植生復元や生態系維持など保全活動は量、質ともに圧倒的に足らない状態が続いている。それにより登山道の荒廃は徐々に深刻化し、近年のゲリラ豪雨がさらに追い打ちをかけている。

自然にならって登山道を整備するべきではないか

そうした背景のなか、2022年「雲ノ平トレイルクラブ」は創設された。しかし、その萌芽は実に20年前にまで遡る。二朗さんの父は、戦後すぐに黒部川源流の三俣山荘や水晶小屋、湯俣山荘、雲ノ平山荘の経営を始め、名著「黒部の山賊」の著者でもある伊藤正一さん。フロンティア精神が息づく伊藤家の次男に生まれた二朗さんが、正一さんから雲ノ平山荘の運営を任されたのは2002年のことだ。直後の2003年頃、ある大きな出来事に直面する。行政により富山県の山岳地帯で、大規模な木道工事が行われたのだ。

「端的にいうと、それは自然破壊のように見えました。その理由は明らかで、行政にこうした問題を専門とするエキスパートがいないこと、また誰がどのようにして環境を守るのか、景観や生態系をどう維持していくのかといった目標値が定められないままに工事が行われていたからです」

そう二朗さんは振り返る。生態系や景観を考慮することなく、作業スペースを確保するためだけに、許可された最大面積のハイマツを機械的に伐採し、環境負荷の高い事業が進められていく様子を目の当たりにし、「このままではいけない」と危機感を覚えた。

「人が国立公園のような自然豊かな場所になぜ惹かれ、訪れるのかといえば、文明社会や都市開発で失われた景色や生命の営みを体験したいからです。高山地帯を有する国立公園の価値は本来そこにあるわけですから、生態系や自然の景観を守ることは大前提だと思います」

これまでの方法論では北アルプスの自然環境は守り切れない。そう感じた二朗さんは、自然の摂理に則り、環境と調和した登山道整備の方法を独学で学び、地道に実践していく。

人と自然の関係を再構築する:雲ノ平トレイルクラブ

道ができる以前の景観を思い描きながら施工する。写真:一般社団法人雲ノ平トレイルクラブ

維持管理の方法があいまいな日本の国立公園

「北アルプスでは開拓当初から国の関与が比較的弱く、山小屋創業者や民間団体が成り行き上、登山道などの維持管理を行ってきた歴史があります。日本の国立公園は欧米を参考にしてつくられましたが、海外の国立公園と大きく異なるのは保全の思想が弱く行政予算が小規模であること、現場を把握する正規のレンジャー(自然保護官)の数が圧倒的に少ないことです」

ここで少しだけ日本の国立公園の成り立ちについて記しておきたい。日本では明治44年(1911年)に『日光を帝國公園となす請願』が議会に提出され、その後、昭和6年(1931年)に国立公園法が制定された。昭和32年(1957年)に全面的に改定され、現在のような国立公園、国定公園、都道府県立自然公園といった自然公園法が制定される。国立公園は全国に34箇所存在する。

「登山道は出来上がった当初がもっともコンディションがよく、利用者が増えれば増えるほど荒廃したり、風雪などで浸食されたりしていく。それは当たり前のことなんです。しかし日本の国立公園の多くでは、利活用は推進されてきたものの、それを管理する体制は整えられないまま現在に至ってしまいました。長い年月、山小屋が存在する地域では山小屋の付帯業務として、山小屋のない地域では山岳会などの民間団体が主体となって維持管理してきました」

昭和や平成の登山ブームの頃には山小屋にも人員や費用面での体力があり、各地の山岳会も活況を呈していた。しかし現在では少子化が深刻化し、道具の進化でキャンプ需要が優勢になっていることもあって山小屋の経営基盤は不安定となり、山岳会も高齢化が進んでいる。これまでと同じ方法による維持管理はこの先長くは続けられない。

人と自然の関係を再構築する:雲ノ平トレイルクラブ

雲ノ平山荘を中心に、薬師沢方面、祖父岳方面など、複数のルートに分岐するように敷設された、 全長にして7kmにもなる木道。一般に10年が交換のめどと言われる中、 それらが敷設されたのは多くの箇所でもう30年以上も前のこと。一部区間では崩壊した箇所も見られるなど、メンテナンスが必要となっている。写真:伊藤 二朗

大学との協働による植生復元活動

二朗さんが自然環境を維持するための登山道整備について模索していた頃、東京農業大学の研究者・下嶋聖さんが山荘を訪れた。同大学ではすでに新潟県の巻機山で植生復元活動を行ってきた実績があり、二朗さんの考え方や活動に共感してくれたという。

そして2007年、東京農大との協働で「雲ノ平植生復元活動」がスタートする。大学との協働には大きく2つのメリットがあった。ひとつは情報やノウハウを蓄積できること。自然を復元し、登山道を保全する活動には数年、数十年単位での視座が必要で、そのためには継続した情報の蓄積は不可欠だった。もうひとつは、学生にとっても研究対象としてメリットを感じながら関与してもらうことができること。それは人材育成にも繋がっていく。この活動により、椰子の実ネットと現地にある岩を利用した地形の回復など、ある程度の方法論を確立することができた。しかし、少子化の大きな波は大学にも押し寄せた。

「活動が進めば作業面積も広がり、それに伴ってモニタリングする面積も増えていきます。増える作業量に反して、次第に大学教員の研究に費やせる時間が少なくなり、参加する学生が減り始め、当初考えていた活動規模が担保できなくなっていきました」

次の一歩をどう進めようかと考えていた頃、今度は人づてに、近自然工法の発想で登山道保全を推進する岡崎哲三さんと知り合う。

「岡崎さんの近自然工法の視点は自分が進めてきたものととても近いものでした。たとえば、自然界の斜面にある小川はなぜ浸食を広げないかということに目を向けてみる。土砂崩れについても、どういうところから植生は回復しているかを観察していく。すると、環境に調和した合理的で実践的な答えが見えてくるんです」

人と自然の関係を再構築する:雲ノ平トレイルクラブ

近自然工法の発想で登山道保全を行う岡崎哲三さん(左)との作業。

最大のピンチにより、世の中の風向きが変わった

ものごとが動くときには、さまざまな要因が重なるものだ。お互いに深く共鳴しあった岡崎さんとの出会いの翌年、二朗さんには別のピンチが訪れた。「ヘリコプター問題」だ。長年、山小屋への物資輸送を担っていたヘリコプター会社の多くが、ここ数年で経営方針を変えて物資輸送から撤退していた。そんな折りに、北アルプスで運搬を継続中のヘリコプター会社のヘリ2機が故障し、夏山シーズンを前に物資輸送が間に合わない事態が起こる。このとき、二朗さんは雲ノ平山荘のホームページで「登山文化の危機!山小屋ヘリコプター問題」と題したリポートを発信し、国立公園を取り巻く切実な状況を伝えた。これが大きな反響を呼び、新聞や雑誌などのメディアにも取り上げられる。

自らの活動について、山岳業界内外からなかなか理解が得られずにいた二朗さんは、「この出来事が世のなかの風向きを変えた」と振り返る。

「最大のピンチが最大のチャンスに変わったんです。いろんな人たちが国立公園のあり方に関心を寄せてくれました。成り行き任せで維持管理してきた状況を、そろそろ見直す必要があるんじゃないかとね」

続く2020年、東京三鷹のULショップ・ハイカーズデポに勤める勝俣隆さんが雲ノ平山荘を訪れた。二朗さんの考えに賛同した勝俣さんとともに翌年、「雲ノ平ボランティアプログラム」を立ち上げることにする。東京農大との協働で取り組んできた「雲ノ平植生復元活動」を、あらたな形で継続していこうと考えたのだ。長年、一緒に活動してきた下嶋さんも参加してくれた。活動の根底にあるのは「みなで協力し、積極的に自然に関わっていく」という姿勢。そして、登山道整備のロールモデルをつくることも目的のひとつだった。このプログラムが足がかりとなり、「雲ノ平トレイルクラブ」としての組織化が実現していく。

人と自然の関係を再構築する:雲ノ平トレイルクラブ

植生復元の為の土留めロールを、みんなで息を合わせて設置。写真:一般社団法人雲ノ平トレイルクラブ

自分たちが大切に思うものを、自分たちで守る

二朗さんは自然環境だけでなく、文化芸術に対しても探究心が深い。冒頭にあげた人と自然の関係性を再構築するプロジェクトのひとつに「雲ノ平アーティストインレジデンスプログラム」がある。これは公募により選出されたアーティストが2週間、雲ノ平山荘に滞在し、そこでの体験を昇華させて作品を制作するというもの。自然を捉える視点の多様性を生み出し、攪拌を起こそうという試みだ。なかには、このプログラムに参加するために登山を始めたアーティストもいるという。

日本における登山の歴史を紐解けば、私たちの先祖は実にさまざまな形で山と関わってきた。山岳信仰からなる登山、自然科学などの学術的興味、欧米をお手本に生まれたアルピニズム、里山における炭焼や芝刈りなど生活基盤としての山文化など。戦後は冒険的な登山家の活躍が山岳業界を盛り上げ、その影響から幅広い層の愛好者が生まれて、登山は一大レジャーとして成長していった。

「いま僕たちがやるべきことは、あらためて自然との関わり方を見直すことじゃないかと思うんですよ。自然から享受する感動や生物の営みとの共鳴みたいなものが、僕ら人間の精神や肉体を回復させている。それを守ためにはどうすればいいのかと」

「雲ノ平トレイルクラブ」はそのひとつの表現であると二朗さんは捉えている。応募により集まってきたコアメンバーの顔ぶれは実に多彩だ。庭師を生業にしていた人や大工、建築士、生態系のエキスパート、システム構築を得意とする人、ウェブデザイナーやチームビルディングに長けた人など、それぞれの得意分野を活かしながら関わっている。不特定多数のボランティアで構成するのではなく、持続可能で自立的な組織として登山道整備を行いたいという思いが二朗さんのなかにはある。

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メンバーそれぞれの得意分野を活かした自立的な組織を目指している。

活動はまだ始まったばかりだが、すでに官民連携の協議会を立ち上げることで、中部山岳国立公園内雲ノ平地区で組織的に活動するための正式な権限も取得した。

メンバー全員で共有しているのは「自分たちが大切だと思う世界を、自分たちで豊かに守っていく」というシンプルな考え方。ここで生まれた人と自然との新たな関係性はいつしかひとつのロールモデルとして成長し、次の時代のスタンダードとして受け継がれていくのかもしれない。

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