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アライと部屋の中のゾウ

マデリーン・ソーキン & Lor Sabourin  /  2022年9月27日  /  読み終えるまで18分  /  クライミング, コミュニティ

ロー・サボウリンとマデリーン・ソーキンの会話

全ての写真:Blake McCord

親愛なるローへ。

私たちの2019年のハルクへのクライミングトリップについて書いてほしいとパタゴニアが言っている、そうあなたから聞いたとき、私は笑って、そして胸と喉が詰まったのに気づいた。覚えていると思うけど、あの旅は苦しかったし、私たちの関係をどうやって表現したらいいのか、そのことについても思いをめぐらせた。私たちの話が、実際にパタゴニアが求めているものになるとは、思わなかった。

クライミングパートナーになることには、当然ワクワクした。年の差が11歳もあって、私の方がクライミング歴が長いから、試してみる価値はあった。最初は典型的な師弟関係として。でも同時に、私たちはクィアとジェンダーと体の不協和音という、重なる部分をもちながら異なる世界を歩んでいた。私たちのクライミングのパートナーシップがどのようなものになるのか、前例がなかった。

その瞬間瞬間に真実を話して、共感することで、一世代違う年代と心の底から語り合う機会が与えられるということを、私は一緒に過ごした時間から学んだ。ともに行動しながらいまそのとき存在しつづけ、類似点と相違点から生まれる避けられない緊張感を口にすることが、まさにお互いのアライとなるために私たちが必要とする薬なのだから。

私の頭が自己改善のスローガンでいっぱいで、体はただ反響定位に反応しているだけだったむずかしい瞬間にあなたに言えたらよかったのに、と思うことがたくさんある。一旦停止して喉が詰まったところからまたはじめたい、と言えばよかった。たぶんそれが、立ち戻ることの価値なのかもしれない。いまはそれができるようになっていると思う。

*

親愛なるマッド(マデリーン)へ。

あなたには話したことはなかったけど、14歳のとき、父が部屋にフィンガーボードを掛ける木枠を作るのを手伝ってくれました。そこを埋め尽くしたアイコン的な登攀の写真と、お気に入りの南東部の岩場の野心的な登攀リストの中心にあったのは、クライミング・マガジンから切り抜いた、あなたとケイト・ラザフォードがムーンライト・バットレスをフリー登攀した記事でした。デトロイト育ちの10代だったから、ザイオン国立公園に行ったことなどなく、ムーンライトを登ることがクライミングジムで傾斜の強い5.12を登るのとどう違うのかも知りませんでした。でもどちらも最高にカッコいいことは知っていました。だから懸垂とデッドハングを十分に訓練すれば、あなたと同じように超カッコよくなれるかもしれないと思いました。

その10年後にムーンライト・バットレスの核心ピッチであなたと出会ったときは、ミーハーな気分でした。核心部で過度にプロテクションをとったとき、あなたは励ましてくれて、アンカーにクリップしたときは、褒めてくれました。あなたがアンカーまで軽々と登ってくるのを待ちながら、通過するあなたに何を言おうか悩みました。あなたは桁外れの存在でした。あなたは自分の真実をためらいなく貫き、次世代のクィアのクライマーがみずからの愛をみずからの方法で追求するお手本に思えました。いま振りかえると、あなたを崇拝することは、私たちのクライミングのパートナーシップであなたの居場所を作ることができなかった多くの失敗の最初のものでした。あなたという英雄への憧れのなかで、埋めることが不可能だと感じられた距離感を、ときとして私たちのあいだに作ってしまったのです。

*

アライと部屋の中のゾウ

ブローハードの核心ピッチを登り終えるロー。

親愛なるローへ。

ムーンライトでのあの収束の日、私は未来がやって来るのを目にしたように感じた。あなたの年齢は、私がルートをフリーで登ったときと同じくらいで、違っていたのはその12年後にあなたがそれをガールフレンドと一緒に達成したこと。あなたの悠々とした動きが気に入って、あれほどゆっくりと登っているのだからとても強いに違いない!と思った。あなたとアマンダが私たちに先を譲ってくれたとき、目が合って、微笑んで、そこで出会えたという素晴らしい偶然の瞬間を共有したのを覚えてる。

私はもうすぐ妻となるヘナの元へ興奮状態で帰った。ケイトと私が2006年にムーンライトをフリー登攀したとき、それは私たちにとって、そして男の人なしに2人の女性が一緒にこの困難な目標を成し遂げたことを祝う、クライミング文化における躍進だった。クィアであることは、当時は本題ではなく、それはどうでもいいことのように振る舞う必要性を感じた。私はカミングアウトしてはいたけれど、クィアのコミュニティを求めたり、虹色の旗を(たまにポータレッジに掲げる以外には)振ったりはしていなかった。クライミングに夢中だったときは、恋愛関係、ましてやクィアの恋人をもつ余裕なんて想像できなかった。そのときは、私のクィアさは自分の別の一部なんかではない、なんてわからなかった。

あなたと私が一緒に登りはじめた当初、クィアの夢を堂々と生きているという雑誌記事のようなイメージを、あなたが私に抱いていたのは知っていた。ビッグウォールや遠征が大好きなのは本当だけど、私の全体的な真実はもっと微妙で、辛いものだった。困難で大きな壁をフリーで登ることへの飽くなき探求は、この世界で自分が大丈夫だと感じていなかったことからのものだった。遠征中は不安と虚しさをしょっちゅう感じていた。

もうひとりのクィアの存在が身近にあることは、私には何か違う感覚となり得る。私たちが共鳴することで、私は自分の肉体全体と結びつき、そのままの姿で自分の空間を埋めることを思い出させてくれる。あなたと出会ったときもそうだった。私の意識はすぐその瞬間に引き込まれた。でもあなたには最初から不安という低音も響いていた。一緒に過ごす時間が増えるにつれてそれが取り除かれることを願っていたけれど、現実には私の一部があなたによって脅かされていると感じていた。私は対抗意識や妬みすらも感じた。

あなたと登ることで、私が遠ざけた自分の一部が戻ってくる瞬間があり、また次の瞬間には、それはあらゆる意味で、クライミングの一途な追求によって自分の開発を区切ったり妨げたことへの、多大な自己批判に爆撃された。なぜもっとクィアのコミュニティと関わらないのか?活動家以上に?そもそも「クィア」や基本的なクィア文化について知っているのか?つねに困難な目標を達成しなければ満足できないのか?私は自分であることが不十分であるように感じて、クィアの人間でありクライミングのメンターとして私に欠けているすべての面のあら探しをすべく、あなたを過度に警戒し、そして追跡した。

あなたと一緒に登ることで、無視しようとした自分のアイデンティティーに向き合うことを強いられてしまった。

あなたと一緒にいるだけで、向き合うことはむずかしいけれど知られることを切望していた自分の境界へと、連れていかれた。マデリーン・ソーキン

*

アライと部屋の中のゾウ

ビレイで過ごす寒い時間。カリフォルニア州イースタン・シエラ

親愛なるマッドへ。

あなたが言ったことはまさに的を射ています。クィアであることについての会話を取り巻くビンジパージ症候群のエネルギーについてです。自分のアイデンティティーを理解してくれる誰かと一緒のクライミングトリップでそのすべてをさらけ出す機会に、とてもワクワクしていたのを覚えています。別のパートナーだったら説明するのに1時間必要だったかもしれない話題に、自然に入り込めたと感じた瞬間もありました。そういった瞬間に駆け込み、一体感に喜び、静かに我慢することの教えに潜在する痛みの流れを感じました。私たちは食べ物、業績、家族、期待度などとの折り合いにお互いがもがいているのを見ました。真にお互いを支え合うための手段のないなかで。あなたにすべてを理解してほしいと願い、それが叶わなかったときは、自分は手に負えない人間なのだという、いつもの感覚に陥りました。

ハルクについて話すことが本題なのはわかっていますが、これらすべては私たちの最初のビッグウォールの旅、メキシコのエル・ヒガンテへの旅のある瞬間を思い出させてくれます。アプローチの最中、自分のジェンダー経験についてよくまとまっていない考えをもち出したとき、あなたがその拙さを補足してくれることを期待していました。こんなふうに言ったのを覚えています。「自分のジェンダーが何かわからないと思ったとき、以前はイライラしたけど、いまは自分の男性的な部分と女性的な部分に、そしてそれらが語り合うのに耳を傾けることが本当に楽しくなってきたんです」

私たちのあいだで何かが変わったように感じたのは、あなたがそれに賛同するのではなく、「それはどういう意味?」と聞いたときでした。自分を説明する必要があるとは思ってもみなかったので、がっかりしました。

でも翌日の夕方、ポータレッジに這い込んだとき、あなたはまたその会話をもち出して、聞いてきました。「性転換を考えたことはある?ホルモン療法とか手術を受けるということを?」と。

寝袋のなかで身をよじりました。クィアのアイデンティティーについて他の人、ことにクライミングパートナーと話すのには慣れていなかったからです。でもあなたから聞かれたことで侵害を受けたようには感じませんでした。ある独特な意味で理解してもらえたように感じました。険しい壁の細いレッジにぶら下がっているときの露出感のような感覚でした。それを思案しはじめるのに、十分な信頼感があったからです。

*

“あなたと一緒にいるだけで、向き合うことはむずかしいけれど知られることを切望していた自分の境界へと、連れていかれた。”

マデリーン・ソーキン

ロー、

あのとき私が言いたかったのは「ありがとう」だった。ジェンダーについて友人と話したことはほとんどなかったから。ましてや私のことを理解してくれるような人とは。その瞬間に何か言えていたとしたら、口を衝いて出たのは「危険!」や「私も!」だったかもしれないし、「あなたの話は私のとは同じようで違う」だったかもしれない。単一のジェンダーとして見られる違和感について表現できたらよかったのに、と思う。ちょっと話すのを止めて会話せずに一緒にいよう、と言えたらよかったのに。

私がそんなことを口にしなかったのは知ってる。そうせずに、黙っていたことも。そして恥ずかしく思ったことも。

谷間が暗くなるにつれて、私たちのあいだに距離ができるのを感じた。狭いレッジで寝ながらその先の日々を、私たちの登攀目標を考えようとした。まるでチャンネルを変えるのと同じくらい簡単なように。でもこうしたアイデンティティーとの関係は、つねに私たちと一緒の部屋に存在する。好むと好まざるとにかかわらず。ときとしてそれは私たちの傍らに立つゾウのようなものであり、あるときはお互いにぐるぐると追いかけたり、またあるときは背を向けたりする。少なくともあなたといるときは、そこにゾウがいないふりをしない、見て見ぬふりをしないことを学んでいる。あなたと一緒にいるだけで、向き合うことはむずかしいけれど知られることを切望していた自分の境界へと、連れていかれた。

ハルクへ旅するころには、クライミングや食べ物や体との関係は無言で語られていて、私たちがしっかり進んでいく緊張感をより意識するようになっていた。その緊張感を指摘することが上手になったとは感じなかったけれど、それを解決する責任は感じた。私はあなたがT(性転換)の最初の数か月をどうしているのかを遠まわしに聞いた。純粋にあなたをサポートしたかったけれど、その部屋には私自身の旅路についての沈黙があった。あなたの転換により、私は自分のノンバイナリーのアイデンティティーとの希薄な関係に気づいて、私自身のジェンダーを「把握する」必要があるという感覚が強まった。

崖錐の下でごぼごぼと平和に流れる水は、自分自身とお互いにより繊細に対応し、クライミングをシンプルに保つことを思い出させてくれるように感じられた。でもそれは私にとって、たやすく耳にできるメッセージではなかった。複雑で困難な登攀目標を達成することで集中できる有形の何かが得られると信じたかったけれど、私たちがベンチュリ・エフェクトで過ごした日は、それが甘い考えだったことを証明した。

*

アライと部屋の中のゾウ

イースタン・シエラの ブローハードの2 ピッチ目で ギアを取るマデリーン。

親愛なるマッドへ。

あの日ベンチュリ・エフェクトでどれだけ自分がやつれ、混乱していたかを覚えています。自分の思いにとらわれすぎて、あなたも恐怖を感じているとは思いもしませんでした。でもあなたが登りはじめたとき、いつもより緊張しているように見えて、どうしたらいいのかわかりませんでした。

あなたは強い人です。あなたが技術や呼吸の指導をしてほしかったなんて想像もつかず、自分の呼吸を落ち着けようとすることしかできませんでした。あなたが必要なことのできる場所を作ってあげたかった。私が気づかないふりをすれば、私たちの両方の目に、あなたのスーパースターとしての地位を保つことができると。あなたがはじめてテンションをかけたとき、私は「その部分は難解だよね」と言い、何でもないことのようなふりをしたのを覚えています。でもあなたは、私があなたの顔の苦悩を見逃すほど遠くにはいませんでした。

私たちがそのルートで格闘しながら、「そんなにむずかしいはずはない」シークエンスから撤退し、次のピッチのリードを譲り合ったとき、私たちにはやっていることを楽しむ真のゆとりがないことに気づきました。

*

ロー、

いま思えば、ハルクで私たちが取り組んだすべては誇れることだけれど、あの旅ほど自分がメンター失格と感じたことはなかったように思う。

ベンチュリ・エフェクトをあきらめたあと、核心部のカーブするひとすじが美しいブローハードは、よりシンプルながらもやりがいのあるルートになるはずだった。でもブローハードで私たちがリズムを得るやいなや、私はまた壁に突き当たった。そのピッチをレッドポイントできるとわかった瞬間、それはもうどうでもいいことになった。私はチャレンジを見つけることに取り憑かれていたけれど、それが現れるとそれを避けた。もっと大きな目標を欲していたと思ったけれど、その欲望はクライミングで感じていた無気力のまわりにある、より大きな恐怖を警戒していた。それは腹立たしい周期だった。

感情的に疲れ果てていた私たちにとって、それぞれが核心ピッチを登ったあとにルートの残りをやらないと決めたのは、うなずけることだった。

*

親愛なるマッドへ。

ブローハードの核心を登ったあとに下降を希望したときは、恥ずかしさと安堵が混ざった気持ちでした。ルートを解決するあなたのために、そこに留まっていたかった。でも疲れ切っていました。あなたは下降に同意してくれたけど、最も必要とされているときに落胆させてしまった、と考えずにはいられませんでした。ハルクから歩いて帰る途中、あなたはエル・キャピタンの憧れのラインを登ったプロクライマーの友人の話をしてくれました。あんなクライマーにそんな信じられないようなことを達成させるものは何なのですか、と聞いたときの、あなたの答えを覚えています。「あの人たちは、あきらめないの」ちょっと吐き気がしました。

そのとき気づいたのです。自分がプロのロッククライマーになるという夢と、そして自分が必要としていることに耳を傾けて、一生懸命頑張って自分の価値を証明しなければならない気持ちと闘う決意を天秤にかけ、夢と決意のどちらかを選択しなければならないかもしれないと。それは過去にも打ちのめされたことでした。

あなたはクィアの素晴らしさを象徴する人だと、ずっと思ってきました。驚くべきクライミングの強大な力によって、あなたはクィアのコミュニティが直面するあらゆる苦悩とは無縁だと思っていたのです。でもあのハルクへの旅で、私たちは各々のやり方でその苦痛に対処しているのだとわかりました。あなたを人間として受け止めることは、次のグレードを克服できたときに自分の嘆きや痛みの経歴をどうにかして乗り越えることができるという信念を手放すことを意味しました。心が痛みながらも、ありのままの自由の感覚もありました。
あなたを人間として受け止めることは、次のグレードを克服できたときに自分の嘆きや痛みの経歴をどうにかして乗り越えることができるという信念を手放すことを意味しました。

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アライと部屋の中のゾウ

ブローハードの核心ピッチを登り終えるロー。

ロー、

あなたを傷つけてしまってごめんなさい。あなたに、あるいは私自身にあれほど厳しくするのではなく、自分の感情を口にする勇気があったらよかったのに。

あなたをサポートしようとしながら、クライマーとして、そしてクィアの人間としての私の旅路についての乱雑な感情を解明しようとして、私はあの旅では往々にして自分の内にこもっていた。成功のために、「本物のクライマー」になるために、私が犠牲にしてきたことのいくつかが、いまでは明らかになった。あなたに同じことをしてほしくない。私の苦悩を目にしたことであなた自身の深い疑問への問いになってくれたらと思う。自分の才能をどう活かしたい?進まざるを得ない場所はどこ?その答えを尊重してほしい。

あなたと一緒にいることで、あなたの真実に向き合いながら自分自身の真実の近くにいることへの挑戦となる。その緊張感を受け入れるのはとてもむずかしい。それが他の人との関係をもつことにおける本質的な部分であったとしても。自分自身を楽しむことができれば、ともにそれについて笑うこともできるのだと思う。メンターになるというのは、あなたが目指すクライマーと、クライマーであるいまのあなたのあいだの緊張を乗り越えるのを手助けすることなのかも。自分がなりたいと思っていた存在、あるいはなれたかもしれないと思っていた存在を手放すことには、悲しみがともなう。でもノーと言いながらイエスと言うことを学ぶことには力がある。

*

“あなたを人間として受け止めることは、次のグレードを克服できたときに自分の嘆きや痛みの経歴をどうにかして乗り越えることができるという信念を手放すことを意味しました。”

ロー・サボウリン

親愛なるマッドへ。

ある境界線が自由をもたらすということこそ、あなたが勇気をもって一緒に探求してくれた最も偉大な教えのひとつでした。関係がないと考えることは恐怖に対処する自然な方法となり得ますが、ジェンダークィアの人間として、分離とはずっと闘ってきました。だからそれをクライミングにもたらすと、不健全な場所へと追いやられてしまう可能性があります。自分を具現化する源として、クライミングが必要なのです。自分自身を突き動かすことを拒否すれば、他の人の内にある自分の潜在的価値を突き動かしつづけることができるということです。

ここフラッグスタッフで、ノンバイナリーのパートナーとのクライミングをはじめました。その人たちは思う以上に強く、自身の理解においてはるか先を進む人です。その人たちのクィア理論の会話とレスト日なしのクライミングのスケジュールについていこうとするうちに、あなたがあの雑然とした冒険でくれた贈り物に気づくようになったのです。

何を言うべきかわからなかったとき、つまり私の言葉で気まずくなったり、危険な感情をかき立てたときも、あなたは会話をつづけてくれました。憤りや焦りなど、あなたが一掃したいと真に願う感情さえ、見せてくれました。そして私の行動があなたの苦しい過去の記憶を思い出させたとき、あなたはそれらを一緒に探求するために必要なすべてを駆使しました。それが不十分と思われるときでも。

マッド、あなたは人間として存在し、私にも人間であっていいと教えてくれたのです。

あなたから学びました。とくに基本的権利のために闘わなければならないコミュニティの一員としてのメンターシップとは、熱望する夢を達成するために誰かを突き動かすことではない、と。それはその人たちが成長し、自分が誰であるかを探求するための肯定を、そしてときとして混沌とした場所を与えることを意味するのだと。

メンターシップとは答えをもつことではありません。それは、若い友が学んだ教訓に耳を傾け、それをメンターである自分自身の癒しの旅路に取り入れることなのです。

*

アライと部屋の中のゾウ

別の角度からローを見ながらビレイするマデリーン。

ロー、

桂冠詩人ジョイ・ハージョのお気に入りの一節を思い出した。「私たちはただ自分になるためにここに現れた。私たちの笑い、傷、幸せ、闘い。」そしていま、ハルクへの旅での最後の瞬間も思い出している。湖の脇の車のなかでの不愛想で意味深な沈黙のあと、下着姿になって汗びっしょりの体を水に沈めたときのことを。湖に膝まで浸かって、そしてまたお互いの前に立ったときのことを。理解し合い、やさしくなったその瞬間、私たちはお互いを、そして自分自身を一瞥した。私たちの違和感。私たちの一体感。そして、ただ一緒にいることに、全身の感謝が戻ってきたときのことを。それはどれだけ素晴らしく、どれだけ美しかったことか。

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