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地形遊びを次世代へ繋ぐ

尾日向 梨沙  /  2024年11月29日  /  読み終えるまで13分  /  スポーツ, スノー

3D地形コースや雪造ボウルを通してスノーボーディングの可能性を広げた、丸山隼人。プロスノーボーダーとして長年活動する中で、ライフスタイルの変化とともに導き出された新たなフェーズとは。

THE WALL 2009 奥只見丸山。写真:遠藤励

春らしい強い日差しが雪面を照らす4月。放射冷却で硬くなった雪はあっという間に適度なシャバ雪となり、リフト1本分の緩やかな斜面に造形されたアイテムを、キッズから大人まで、春の装いのスノーボーダーたちが思い思いに流してゆく。ベースエリアには、たくさんの出店ブース。地域の食を楽しむ人、破けたウエアをリペアに出す人、子どもの試乗ボードを選ぶ人、あちこちから談笑が聞こえ、終始穏やかな時間が流れている。再会を悦ぶ人々は「最高なイベントだね〜!」と声を掛け合う。あまりにもピースな空間を作り出した仕掛け人は“バブルス”こと丸山隼人と、その仲間達だ。

丸山隼人は、現在、長野県信濃町をベースにプロスノーボーダーとして活躍、3D地形コースやボウルを世界に広めた第一人者でもある。ライダーとして脂の乗っていた若い頃に比べ、「ずいぶん丸くなったなぁ」なんて昔を知る仲間からの声が聞こえてくることもある。それは、人生のライフステージの変化がもたらす自然の流れでもあり、逆に言えば、様々な経験を経てたどり着いた姿であり、本質的な部分は何も変わっていないのかもしれない。

そんな丸山が中心となって手がけたイベント『HARMONIZE SNOW SUMMIT』は、長年の想いの集大成のごとく彼ならではの表現方法で行われた。一体どのような考えから生まれたイベントなのか、イベントを通して発信したかったこととは。丸山の若き頃からの足跡を辿りながら、今の想いを探る。

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1989年北志賀ハイツでのジャパンオープン。日本でハーフパイプの大会が始まり2年目。写真:樋貝 吉郎

新潟県長岡市出身の丸山は16歳からスノーボードを本格的に始めた。20歳でプロスノーボーダーとなり、ハーフパイプのプロデビュー戦で優勝するなど大会で活躍してきた。

1990年代初頭、スノーボード創成期で、スノーボード滑走禁止のスキー場が多く存在し、ゲレンデには座り込んでいるスノーボードビギナーがあふれていた時代だ。若くして活躍が目立っていた丸山は数々のスノーボード専門誌でも新進気鋭のスノーボーダーとして誌面を賑わせていた。

丸山と同郷で、ライダーとカメラマンとして30年来の深い付き合いとなる写真家の山田博行は当時の丸山の印象を振り返る。

「当時のスノーボードはプロと言えばスラロームなどの競技やスノーサーフィンベースで、飛んだり回ったりフエイキー(後ろ向き)で滑るスケートボードに近いスタイルは “ニュースクール”と呼ばれていました。バブルスはまさに新世代のスノーボーダーで、彼自身のオリジナリティも重なって、個性的でかっこよかった。当時から雑誌で海外での活躍を見ていたので、同じ地元でありながら雲の上の存在でしたね」

丸山は長岡にある横乗りカルチャーの発信基地のようなショップ『mellow’s』の看板ライダーでもあり、山田はこのショップで初めて言葉を交わしたと言う。

「自分はまだスノーボードを始めたばかりで、板を買いたくて店番をしていた彼に『スノーボードってどういう風に選んだらいいんですか?』って聞いたんですよね、そしたら『自分の気に入ったやつでいいんじゃん?』って言われて。拍子抜けしました(笑)。でも今思えば、適当に答えているわけではなくて、的を得た答えだと思います」(山田)

言葉数少なく、時に気難しいと思われてしまうこともある丸山だが、この時代からスノーボードに対する情熱は人一倍だった。初心者に板の形状の特徴や違いを説明するよりも、まずは気に入ったもので楽しむところから入るのが大切だということだったのだろう。好きなことを突き詰めていた丸山は、挑戦を繰り返し、結果を出すことで自信に繋がり、自己を確立してゆく。

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1991年JSBA PRO尾瀬戸倉。写真:佐藤 整

のちに「滑り手」としてだけでなく、コースの造成など「作り手」としても才能を発揮するようになる。

「そもそも作ると滑るってワンセットだったんですよ」(丸山)

スノーボードのコース作りにいつから関心を持ち始めたのか尋ねると、そこに明確な区別はなかった。仲間たちとジャンプ台を作って、飛ぶ。飛んではジャンプ台を補修して、さらに高く飛ぶの繰り返し。若い頃、そんな経験を原点に持つスノーボーダーも少なくないだろう。

「やりたい技があって、それをお互い見せ合う、そのステージを自分たちで作っていたということですね。大会に出てもパイプの形が良くないと気になって、選手みんなで雪付けをしたり、大会の運営も手伝うような、そんな時代でした」

Rを綺麗に作ればパフォーマンスは良くなる。あくまで自分のパフォーマンス向上のためのコース整備の経験は、「作り手」としての技量の礎となった。当時、各地のスキー場でボーダーズクロス大会が盛んに行われた時代でもあり、丸山は大会に出場するだけでなく、コース監修を請け負うなど、滑り手だからこそ創造できるコース作りに夢中になった。

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2004年ジャクソンホールのティトン・パス。写真:山田 博行

2000年以降スノーボーダーとしての活動は、コンテストからバックカントリーへとフィールドを移しつつあり、国内外各地の山々を滑り、自然地形を飛び、映像や写真撮影を通して表現。この頃には一緒に撮影に出かけるようになっていた山田博行は、丸山のスノーボードをこう表現する。

「バブルスの場合、板も身体の一部のように見えるんです。板に乗っているというよりは、道具の先まで自分の身体の一部のようなさばき方をする。どんな体勢になってもブレず、身体の動きと地形を熟知した上での身のこなし方が特徴的だと思います」

そんな彼の本質的な才能を見出し、契約メーカー移籍に誘ったのがゲンテンスティックの玉井太朗だ。2003年、ゲンテンスティックへの移籍をキッカケに、丸山はこれまで積み重ねてきた才能を開花させることになる。

今でこそ多数のラインナップを誇るゲンテンスティックだが、初期はパウダーボードに特化しており、新しいシリーズを展開するにあたり新しいメンバーの参入が求められていた。玉井は、丸山を適任と考え、ファミリーに迎え入れ新シリーズの監修とともにボウル作りのキッカケを彼に投げかけたのだ。

「2004年に妙高杉の原でゲンテンスティックの試乗会があったんです。その時に太朗さんが『バブルス、何か作れば?』と提案してくれて。自分が滑る以外に“作る”という自己表現はやりたかったことなので、太朗さんと相談しながらバンクを中心としたコースを作ろうとなりました。ボウル地形になったのは、偶発的に出来たようなものなんです。バンクを繋げていったら閉じちゃった、みたいな。ボウルはスケートボードでは存在したので、イメージはあって、雪で作るということの造形の美しさと、滑った時の面白さに夢中になったことを覚えています」

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THE WALL 2005 奥只見丸山。写真:佐藤 整

この『ゲンテンボウル』を起点に、2005年の春、奥只見丸山でキャンプイベント『THE WALL』を開催する。特別に造作されたボウルと3D地形のコースを使い、いかに創造的なライン取りをするか、板を走らせたり、地形を使ってワンアクションするか。ボウルを囲った仲間たちとともに、スノーボーディングの遊びの幅が無限に広がる。それまでになかった新しいムーブメントは各地へ伝播し、現在、世界中で楽しまれている。雪造ボウルの発信源こそ丸山たちが手がけた『THE WALL』だ。

「奥只見での『THE WALL』は、6シーズン、キャンプイベントとして続けました。そのうちに多くのライダーたちが掘りと滑りに集まり、アーティストが絵を描いたり、ライブも組み込んだりと段々と大きくなり、他の地域でもボウルを作ってほしいと頼まれることも多くなりました。大小さまざまなイベントありますが、基本は“ボウルを囲う”というところからイメージします。そこに人がどう集まるのか、どんなレベルの人が何人くらい滑るのか、周囲のブースでは何をメッセージするのか。軸を決めて細かいライン取りや、壁の角度を考えたり、難易度の高いセクションを入れ込んだり、大体1週間くらいかけてディガーたちと造作していきます」

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FROZEN WAVE PARK 2021 丸沼高原

地形イベントの経験は、のちに常設パーク作りへとシフトしていく。白馬八方尾根の『HAPPO BANKS』や丸沼高原の『FROZEN WAVE PARK』を代表するように、バンクを中心とした立体地形のパークはスノーサーファーたちの想像力を掻き立てるとともに、幅広いレベルの滑り手を受け入れ、人気を博した。

その間、丸山は人生の大きな転機を迎えていた。より自然に近い環境を求めて長野県信濃町へ移住、同じくプロスノーボーダーとして精力的に活動する鬼頭春菜との結婚。2児の父となり暮らしも大きく変化した。

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家族とともに豊かな自然の残る信濃町を拠点に、雪と親しみ自然負荷に少ない暮らしを送る。写真:山田 博行

「正直、若い頃はスノーボードのことしか頭になくて、自分が子をもつどころか、結婚するとも思ってなかったんですよ。今は四季を感じながら暮らす環境を大切にしていて、子どもと一緒に海山湖に出かけて遊び、自分たちで野菜を育てたり、除雪や薪割りもみんなでやったりと、家族とともに好きなことができる幸せを感じています」

丸山夫婦を筆頭に、信越・妙高エリアでスノーボードの深い楽しみ方を提案する『SLOPE PLANNING』のプログラムは、冬だけでなく、グリーンシーズンはSUPツアーも取り入れ、一年を通して地域に根付く活動に力を注いでいる。そんなライフスタイルと、それまでのイベントオーガナイザーとしての経験を生かし、何か今の自分にできることはないだろうか、と自問するようになったのは、5年も前のこと。『THE WALL』の他に、グリーンシーズンに斑尾高原で開催した『OVER THE WALL』も彼の記憶の中に色濃く残っていた。

「『OVER THE WALL』は、夏のゲレンデを使ってライブやアートに映画上映、ミニランプセッションやMTBなどのアクティビティなどを組み合わせたキャンプイベント。あまりにパワーを注ぎ込みすぎて2年で電池切れとなりましたが、『THE WALL』と『OVER THE WALL』の要素を生かしたイベントができないか、とずっと考えていました」

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クローズ後のゲレンデを貸し切って行われた『HARMONIZE SNOW SUMMIT』写真:藤田 一茂

長年の構想期間を経て、想いが形となったのが、2024年4月、妙高山の麓の小さなゲレンデで開催された『HARMONIZE SNOW SUMMIT』だ。 “HARMONIZE:調和”をテーマに、特設地形コースを作り、ベースエリアではリペアイベントやトークショー、マーケットなどが繰り広げられる2日間。

「地形イベントを軸に、自分たちと繋がっている人たち、地域といかに融合できるかということを重視しました。自然環境のこともただ一方的に発信するだけではなくて、春の雪を一緒に滑り共感した中で、雪の有り難みを感じ、次の一歩へと踏み出せるような流れができたらと。そのキッカケとなるような出店者やゲストスピーカーに声をかけました。次世代の子どもたちのことを考えながら、楽しさ8割なんだけれど、プラスして大切な気づきが得られるようなイベントをイメージしました」

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子どもから大人までどんなレベルの人も楽しめる地形をデザイン。写真:藤田 一茂

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スノーボーダー塚田隆弘率いるメンバーが朝から晩まで特設コース作り。写真:藤田 一茂

ステージとなった休暇村妙高ルンルンスキー場は、リフト1本のプライベートゲレンデ。斜度が緩やかで、ただ滑るだけでは上級者には物足りないが、この緩やかな斜面を立体的に造形していくことで、楽しみ方が何倍にも広がる。コース作りについて丸山はこう振り返る。

「子どもだから斜度なくていいよね、ではないんですよね。僕らは緩い斜面の楽しみ方を知っています。緩い中でも地形を使ってスピードをつけられる工夫をしました」

イベント前には高温や雨で融雪が加速、イベント開催も危ぶまれるような状況の中で、10数名の近隣ディガーチームが雪を守り続け、見事に美しいシェイプを作り上げた。

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信濃町をベースに、子どもたちが自然の中で遊べる環境作りを目指すリブラントチームによるレッスン。写真:藤田 一茂

そして丸山とともに、イベントの要を握り、場を盛り上げたのがスノーボーダー小西隆文率いるリブラントチームだ。キッズスノーボードレッスンや、ウェーブ地形を造成し、パンピングダービーを開催。子どもたちの楽しそうな声が終始響いていた。

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ベースエリアに多数並ぶブースも「環境」や「子ども」をキーワードに展開。写真:藤田 一茂

ベースエリアはキッズ用のスノーボードの試乗や、ウエアを長く着続けるためのメンテナンスの提案など、ただ自社商品を売るだけではない、作り手と使い手のコミュニティの場ともなっていた。フードブースは、丸山春菜が中心となり活動する『GREEN MARKET信濃町』のオンスノーバージョン。室内会場でのゲストによるスピーカートークも自然環境をテーマとし、3名の登壇者それぞれの専門である自然との深い付き合い方は、参加者に多くの気づきを与えただろう。

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子どもたちの未来を思い、私たちはどう過ごすべきなのか、思考を巡らせる人も多かったに違いない。写真:藤田 一茂

細かなところまで人と自然への優しさが溢れていた本イベント。親子、仲間たち、主催者と参加者、地域コミュニティと自然、まさにいくつもの「調和」が生まれ、この上ないあたたかな空気感に包まれ、大盛況で終えた。丸山もオーガナイザーとして終始動き回りながらも、家族や仲間たちと残雪に触れ、子どもたちの未来の姿を優しい目線で見守っていた。

「久しぶりに大きなイベントを取り仕切り、反省点も多々あるけれども、関わってくれたみんながものすごくパワーを発揮してくれて、思った以上に良いイベントになったと思います。まさに“調和”したと思うし、次に繋がる1回となりました」

かつては自分が滑ること、自分の技を磨くことに全てを注いでいた丸山だが、数々の経験やライフスタイルの変化から、「誰をどう楽しませるか」にベクトルが切り替わってきたという。しかし根底に流れているスノーボードへの情熱は何も変わらず、今も自身の滑りの追求を続けている。作り出される「地形」は、既存のパークでは見せられない自分のイメージするライディングを引き出す場であり、そのステージをみんなで共有することで、スノーボーディングの新たな価値を築き上げていく。

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親の手助けもなしに繰り返し地形を楽しむ丸山彗人。写真:藤田 一茂

5歳の息子が壁に当て込み、ジャンプし、ターンを繋いでいく姿は、親に教わったものではない。楽しむ父の背中を見て、子どもは勝手に吸収していく。次世代へ向けて、丸山が願う豊かな自然環境とスノーボードカルチャーの発信は、これからも続く。

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