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一歩、そして一歩

マシュー・タフツ  /  2020年11月2日  /  読み終えるまで13分  /  スノー

トーレとフィッツロイ(チャルテン)の山塊に太陽が沈む頃、後退するトーレ氷河にそびえる南の尖峰をバックに弧を描く地元ガイドのマーリン。アルゼンチン、ロス・グラシアレス国立公園 写真:マシュー・タフツ

スキンのトレースをたどって女性に追い付くと、彼女はクスクス笑いながらスペイン語で何か話しかけてきたが、私の限られたボキャブラリーと上がった息のせいでほとんど理解できなかった。長髪に濃い口髭の昨夜のバーテンダーが数歩先から近づいて来て、クセのある英語で通訳を買って出た。

「彼女は『チャルテンの最速チームが一緒よ』と言ったのです。」

立ち止まり、ストックに寄りかかって笑った。ひと息付いてスペイン語の返答を考えたが、その間にも前を行く人々がグングン遠ざかっていく。これ以上立ち止まっていては、自分のチームを見失いそうだ。とりあえず肩をすくめて笑い「Sí(そうだね)」と短く答えた。出会ったばかりの新しい友が、その他大勢のためにトレースを作りながら山道を進んでいく。それでも彼らは他の誰よりも速い。車中でもっとマテ茶を飲んでおけばよかったかな…そんな考えも、いつものすり足歩行に没頭する中で遠のいていった。

“「営業スキー場を特権に基づく悪名高き閉鎖社会とするなら、バックカントリースキーはしばしば、ヴァルハラ神殿の最奥の聖域と見なされている。しかしそこには明らかに、個人の力量に根差す公有地でのアクティビティという排他性への皮肉が込められている。」”

南の太陽の照り返しで視界がホワイトアウトしかけたが、セラック(氷塔)の青い陰影が、汗でかすんだ目をいっとき休ませてくれる。覆いかぶさるような氷河の表面には特徴的なヒレのような出っ張りがある。そうサメのヒレだ。あの辺り一面の雪の下にサメが隠れていることを考えた。あの溝は鋭いターンでタイミングを誤った時に削れたのかもしれない。そもそも自分はなぜカーボンのスキー板だけを持って風食の進むこの世界の果てに来たのか。仲間と会話ができるくらい距離を詰めることに集中した。なぜなら、そのために来たのだから。そうチャルテンの最速チームの最新情報を得るために。スキーコミュニティを理解するには、熟練者が初心者にどう接するかをこの目で確かめなければならない。

一歩、そして一歩

地元ガイドの3人組トミー・ロイ・アギロ、フアン“ピパ”ラセーリ、ロベルト“インディオ”トリューが、チャルテン山域で最も人気のあるスキーゾーン、セロクレストンの側面をラッセルする。もちろん「人気」と言っても、スキーコミュニティの地元メンバーは総勢30人程度である。サンタクルス州、アルゼンチン 写真:マシュー・タフツ

夜明け前の長いアプローチ、スキン登攀中の瞑想、そしてパタゴニアの不安定な天候がもたらすエンパナーダ(ミートパイのようなアルゼンチンの家庭料理)を食べながらの停滞時間。その間に自分が何を見つけたいかを熟考する時間が十分にあった。私はこの土地の物語を探していた。業界がもてはやす怖いもの知らずのプロスキーヤーや企業スポンサーとは無縁の、スノーボーダー集団がヘリを借りて冬の魂に触れるといった陳腐な話とも違う純粋な物語を。けれどここで見たものは、今のところまだ物語とは言えない動きだった。30人ほどの地元メンバーが、あらゆる困難を乗り越え、草の根スキーコミュニティを育てていた。熱狂的なスノーボーダー、やる気満々の素人、(そして驚いたことに)その他大勢の単にスキーを覚えたいだけの人々。地球上で最も過酷なこの環境でだ。
「チャルテンでスキーが流行らないのには訳がある」どころか大有りである。暴力的で予測不能な天候で山は定期的に荒廃し、気候変動による雪線の後退や亜高山性のまばらな樹林帯はストームスキーを非現実的な夢物語にする。リフトへのアクセスにはどの場所からでも数時間はかかるし、地元以外の山に行きたい場合にはもっとかかる。地形は客観的に見て危険で、滑降不能地帯、クレバス、雪庇、ウインドスラブだらけだ。雪線にたどり着くまでに最低でも数時間はかかり、しかもここからはずっと登りだ。高リスクなだけの報われない遊び。

それなのにチャルテンのスキーコミュニティは、この地域の地形的・気象的な複雑性に反して、いやむしろそれゆえに存続している。このコミュニティが誇る成長戦略は、従来のスキー業界のそれとは全く異なる、このコミュニティの本質を象徴するようなやり方だ。

一歩、そして一歩

チャルテンでは、冬の最適期を除き、雪線にたどり着くまでにまず森林限界まで登らなければならない。地元民のフェデリコは、まだらに雪の付いたヒースの藪を進む。アルゼンチン、サンタクルス州 写真:マシュー・タフツ

「こんな場所は他にないよ。」ある日の午後、マックス・オーデルはラゴ・デルデジエルトに行く途中、彼の積み荷の間に乗り込む私たちに言った。「この辺りの人たちはほとんど、このバックカントリーでスキーを覚えたんだ。」クレステッド・ビュートとバリローチェで育ち、1997年にチャルテンに永住したアルゼンチン人ガイドのオーデルにとって、スキーはたまに南パタゴニア氷原(セロトーレ西壁をはじめ、主要な目的地へのアクセスポイント)で登山隊が利用しているのを見る以外、存在しないも同然だった。しかしオーデルはそうした不遇をものともせず、この地域の広大な山岳環境一帯で、しかも通常は単独行で、冬の滑降を開拓し始めた。

数年の間に次第に多くの人々が登山シーズンはチャルテンに移住するようになり、やがてこの村に定住するようになった。スキーコミュニティ(もしそう呼べるとすれば)は、まだ一般的には個人的活動でしかなかったが、明らかだったのは、潜在的に山のセンスを持つ民が大勢いること、そして冬の娯楽と言えば屋内ボルダリング施設やアイスクライミングくらいしかないことだった。オーデルと少数の地元ガイドやスキーヤーは、そこにチャンスを見いだした。

一歩、そして一歩

モスキート谷への滑降前、地元クライマーのアルハンドロと話すオーデル(左)。オーデルは地元ガイドであり、チャルテンのスキーコミュニティの「ゴッドファーザー」だ。アルゼンチン、サンタクルス州 写真:マシュー・タフツ

「人にスキーを教えることができたら、新しい仲間が増えることになる。」一日中、冬季登山用の物資を運んだ仕事の後でオーデルは言った。考え方としてはシンプルだ。オーデルが教えることで、地元民は山のスキルを拡充でき、一方でオーデルは、雑多でまばらなクライマーやハイカーの中から、さまざまなスキー仲間を得ることができる。実際、チャルテンにおけるスキーヤーの草の根教育は、スキー業界の常識からの大胆な離脱であり、障害は多い。この地域における気候変動の最も顕著な兆しは、トーレ氷河とピエドラス・ブランカス氷河の先端の明らかな後退であり、特に夏の観光シーズンには明白だ。環境の危機は、ただでさえ多難なスキーコミュニティの前途をさらに複雑にする。ここ数年、亜高山性樹林帯の斜面には積雪が少なく(ただし今のところ2020年はまれな例外になりそうだ)、技術に関係なくどのスキーヤーも、複雑で、時に氷結さえ見られる山岳地形を目指さなければならず、学習曲線はさらに急こう配になっている。

さらに樹林帯の雪の少なさは、チャルテンでスキー可能な総日数に深く影響する。この山岳環境でストームスキーはそもそもあり得ないため、雪線が上昇すれば、スキーの可能性は視界良好で風の穏やかな日に限定される。クライマーとスキーヤーのどちらもかなり意識するこれらの要素が、変動の激しい「ロアリングフォーティーズ」(吠える40度)では、プレミアム付きの幸運なのだ。初心者にとって親切な環境とはとても言えない。営業スキー場を特権に基づく悪名高き閉鎖社会とするなら、バックカントリースキーはしばしば、ヴァルハラ神殿の最奥の聖域と見なされている。しかしそこには明らかに、個人の力量に根差す公有地でのアクティビティという排他性への皮肉が込められている。基本的に、バックカントリースキーを学ぶには、まず数年をかけてリゾートに足を運び、その後、無意識的かつ実は意図的にパートナーを選択する。基本は似た者同士であること。つまり同じスキルレベル、同じリスク耐性、同程度のスキー経験、さらに性格さえ似ている方がよい。すべては、ただでさえ危険を伴うアクティビティで、リスクや衝突を避けることが大義名分だ。安全第一はもちろんだし、準備万端は大切に違いないのだが、いつから私たちは「できる」と「同じ」を勘違いしてしまったのか。

一歩、そして一歩

モレーン地形だ。さあ、みんな続け!地元ガイドのトミー・ロイ・アギロとフアン“ピパ”ラセーリは、セロヴェスピニャーニへのアプローチの途上、氷河が削り出した天国への階段を急ぐ。アルゼンチン、サンタクルス州 写真:マシュー・タフツ

オーデルは「新弟子」の1人を連れ、ロス・グラシアレス国立公園の奥地に入り、この山塊付近で新しい45度のコースをペアで滑降するというミッションを果たしてきたばかりだった。「フォームはベストじゃないけど、強くて熱心なやつだよ」オーデルは地元のパートナーについて笑顔で語った。「力量は十二分さ。」

多くの人々にとって、テクニックを要する複雑な地形を、基本的指示やスキーリゾートでの経験なしに訪れることは、怖いだけでなく、向こう見ずで不用意に思われるだろう。しかしそうした見方は、地元民の目に見えないスキルの多くを見過ごしている。そうしたスキルは、排他的なリフトでアクセスする管理された斜面では、あまり披露されることがないからだ。彼らは同程度の経験を持つ仲間を物色することにそれほどエネルギーを費やさず、冬の野外活動という全体的目的をより重視する。「彼らは山を理解している。それは彼らが急斜面で暮らしてきたからだ。」バックカントリースポーツの世界へ飛び込んだ地元民の1人であり、チャルテンで最も才能溢れるスキーヤーであるサンティ・ガズマンは言った。ガズマンにはスノースポーツ業界のいくつかの北米ブランドのスポンサーがいる。南半球の夏はほとんど米国で過ごし、南半球が冬になると自宅のあるチャルテンと、自身がコーチを務めるフリーライドのアルゼンチン代表チームの本拠地バリロッシェを行き来する。

「彼らはロープやハーネスの使い方を知っているし、セルフレスキューの仕方も分かっている。体型もいい。どの要素もバックカントリー式のスキーを学ぶには向いているから、地元の人たちは僕がスキーリゾートで最初にスキーを経験したときよりも上手なんだよ。」ガズマンは言った。「僕には優れたテクニックとスキー道具があった…(しかし)彼らには快適なゾーンから抜け出すための知識がある。」

一歩、そして一歩

シーズン初めはガイドでさえ「サメ」の餌食になることも。トミー・ロイ・アギロはカッコよく脱出した。アルゼンチン、サンタクルス州セロクレストンの鞍部付近 写真:マシュー・タフツ

もちろん、チャルテンの初心者スキーヤーの大多数は、この地域の最恐のラインに挑戦しようとはしない。彼らはプロセスを受け入れる。地元の関心が急激に高まったことで、数日間の初心者・中級者向けレッスンが、とても手軽な料金で開催されるようになった。教えるのは次世代の地元ガイドで、その中心には新たなコミュニティがあり、そしてセロクレストン山麓には出資を得て建てられた持続可能で環境負荷を抑えた避難小屋(スキー目的に特化した小屋としては南部パタゴニアでは初めてのもの)もある。スキル、年齢、経済状況に関係なく次世代スキーヤーを育成しようとするこの平等主義の視点こそ、困難を乗り越えてコミュニティが拡大し続けるおそらく一番の理由である。

「アルゼンチンでは、スキーはエリートのスポーツよ。高いから」地元ハイスクールの英語教師ローラ・イリアルテは言った。バリロッシェ辺りのリゾートで、レッスン付きで家族でスキーをするとなると、たった2日間で彼女の給料1か月分以上はかかるだろうと説明した。彼女の窮状からは、南半球を超えて響き渡る排他性の物語が聞こえてくる。「でもここチャルテンは違う。だれでもスキーができるのよ。中古の道具を手に入れたら、他の人も習えるようにそれを貸してあげるの。こんな場所はアルゼンチンではここだけよ。スキー旅行はタダなの。」イリアルテはアルゼンチン首都の郊外で育った。両親は大工と教師だ。スキーは、彼女がチャルテンのバックカントリーで過ごしたこの十数年間の成果だ。1人でがんばったのではない。イリアルテによると、地元のスキーコミュニティでは半数以上の人々がチャルテンのバックカントリーで、毎回苦労しながらスキーを覚えるという。

「(習うのは)大変だが、実際にそれはもう起きている。」サンティ・ガズマンは言った。「30歳でスキーを覚えれば、その子供たちがスキンや道具を手に入れたとき、次世代が形成される。今後発展し、上手くなっていくことは間違いないよ。」ガズマンは、南半球の夏季にアルピニストの間で有名な地元のバー「フレスコ」のオーナーだ。ハイシーズンの混雑が消えてかなり経った頃、明らかにそれと分かる地元の常連が狭く温かいバーに溶け込んでいく。小さなスキーコミュニティが活動後に決まって立ち寄る店。雑多な人々の集まりだ。自家製ピザを待つ若者たちや、道路から見える氷の形成を写した写真を興奮気味に登山者に見せるスキーヤー。数人のガイドは、ペンキの付いたカンバス地のつなぎを着た地元の男と家族について話し込んでいる。私の限られたスペイン語力でも、さまざまな方言を聞き取れる。「だれもここの出身じゃないですよ。」前にバーテンダーが言っていた。「みんな移住者です。」彼は誇張してはいない。チャルテンは1985年に正式に制定されたアルゼンチンで最も新しい町だ。多くの意味で、まだ成長途上なのだ。観光業の勢いによる経済的チャンスを求めて新しい人々が移住してくるため人口は急増しているが、私有地との境界をなす2本の入り組んだ河川と国立公園の間に位置するため、行政上は地理的限界がある。この公有地と私有地の違いが、観光交通の増加や地元人口の急増に合わせてチャルテンがいたずらに拡大することを阻んでいる。インフラの需要増からチャルテンの野趣を守ろうとする際の落とし穴である。似たような議論が、アメリカ西部一帯の閉ざされた山間の町でも高まっている。

一歩、そして一歩

チャルテンのアフタースキー:バー「フレスコ」のオーナー、ガズマンと友人らは、昼下がりのIPAを片手に、この村のゆったりとした冬を楽しむ。日が短い間はそれに合わせてハッピーアワーも数時間繰り上がる。アルゼンチン 写真:マシュー・タフツ

一緒にスキーをした地元民の1人は、途中赤ん坊を連れていた。町には産婦人科がないため、地元の子供たちは数時間離れた南のカラファテの病院で生まれる。本当の地元生まれはいないと人々が言うのは、おそらくそのせいだろう。ある母親が言っていたが、チャルテンには「田舎町としてのあらゆる良さがあるのに、通常は都市部でしか味わえないような大幅な国際化によるメリットもある。」子供たちは自由に駆け回ることができ、近所はみな顔見知りだが、さまざまな観光業が流入したことで、地元の人々はここに根を下ろし、育った土地に感謝することを教えられた。

バーを見渡すと、ガズマン、オーデル、そして前述の3人組ガイドのようなスキーヤーがいる。あのガイドたちとは頻繁に行動を共にし、情報を交換し、ビールを飲んだ。何より重要なことに、ここ以外ではスキーを知らなさそうな雑多な人々の集まりに勇気をもらった。少年が壁に貼ってある地元の山の写真を指でなぞり、山肌に明確なS字ターンを描いた。文字通りのチャルテン生まれはいなくても、この小さな村は、草の根バックカントリー・スキーヤーの生誕地である。

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地元民マーリン・リプシッツは、ロス・グラシアレス国立公園に畏怖を感じて立ち止まる。この雲は被写体としては効果的だが、このせいでテチャドネグロの北回廊は弾丸も通さないほど固いスケートリンクだった。パタゴニアでは常に天候が最終決定権を握る。アルゼンチンにて。写真:マシュー・タフツ

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