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理想と行動について

ケリー・コーデス  /  2012年10月9日  /  読み終えるまで5分  /  クライミング

もしかしたらこの題名はドラマチックすぎるかもしれない。結局のところ、「ただのクライミングだし、それは楽しくあるべきもの」というのがお決まりの文句だ。でもそれはしばし不誠実なものでもある。

しかし、僕らがクライミングを愛する理由は、今日の世界の日常のくだらなさからの逃避だったり、自由に動きまわれる野生の場所にどっぷり浸かり、好き勝手に行動できるからでもある。

そう、好き勝手に行動すること。

1974年にイタリアのラグニ・ディ・レコ隊によって初登されて以来、セロ・トーレにはコンプレッサー・ルートのボルトラダーに依存せずに山頂まで登攀するルートは、わずか3本しか開拓されなかった。僕はこれがいい話になると思った(ちなみにちょっと嬉しいことに、この3本の登攀全部にパタゴニアの製品テスターとアンバサダーが関わっていた)。というわけで僕はこのアイデアと物語を構想し、ロランド・ガリボッティコリン・ヘイリー、それからヘイデン・ケネディーから音声とインタビューを入手し、ナレーションとつなぎを自分で入れて野外の音を録音し、写真を選んでアレンジした。そしてオーディオとビデオのグルに磨きをかけてもらった。その結果が下記のビデオ形式になったナレーション入りスライドショーだ。

ここで僕がしたように、「ボルトラダーに依存せずに山頂まで登攀する新ルートに焦点を当てる」といった評価基準を導入するときにはかならず疑問が湧くのはいうまでもない。なぜ他の登攀を含めないのか?それはひとつには、このビデオを長くしすぎないようにしたいと思ったことがある。たしかにセロ・トーレは、昨年デイビッド・ラマがやった南東稜のフリーによる初登など、多くの素晴らしい登攀を見てきた。だが僕がここに含めなかった理由は、それがヘイデン・ケネディーとジェイソン・クラックの登攀の2.5ピッチのバリエーションだったからだ。南東稜をはじめて公平な手段で完登したのはヘイデンとジェイソンだ。だから彼らに初登が与えられる。もちろん彼らのルートはこれまでのさまざまなクライマーによる努力の集大成だという考え方も妥当だ。それはアングロ-アルゼンチンのチームが1本もボルトを打たずに南東崚の半分を登った1968年(マエストリとコンプレッサーはこの2年後)に遡り、1999年のエルマン・サルバテラとマウロ・マボニの偉大なる努力、そして2007年のザック・スミスとジョシュ・ウォートンの挑戦、さらに2011年のクラックとクリス・ジーズラーの素晴らしいニアミスにまで至る。同様に僕は1986年のラグニ・ディ・レコ隊よる西壁ルートのフリー化や東壁の「デビルズ・ディレクティシマ」と「クゥイニクゥ・アニ・アド・パラディサム」のコンプレッサー・ルートのヘッドウォールに合流する膨大な努力も含めなかった。

また、意図的にボルト撤去の議論を深く掘り下げることも避けた。もちろんこれを完全に無視するのは怠慢のような気がした。だが、それよりもこれらの公平な手段による登攀に焦点を当てることを選んだ。しかしそれもまた疑問を投げかけるものであった。「公平な手段」とはいかなるものか。それはたしかに熟考するのに値するものだ。

人生の多くのことと同じように、セロ・トーレの多くの登攀とそれを僕らがどう捕らえるかは、判断しにくい領域だ。セロ・トーレは長いあいだ、そしてこれからも、人間の行動の奇妙かつ興味深い舞台でありつづける。

では僕らはどこに一線を引くのか。

最初に戻ろう。「楽しくあるべきものだ」とか「ただのクライミングだ」は、何かを正当化するために使われることがある。以前、マスコミに自分の登攀について偽りを述べられて暴露されたクライマーと話したとき、彼は「だってただのクライミングだし、楽しくあるべきものだから」と言い、この嘘がどうでもいいことを僕に納得させようとしたのを覚えている。それは単発の例ではあるかもしれないが、これらのお決まりの文句が言い訳として使われるその頻度に驚かされる。

でももちろん、世界にはクライミングよりももっと重要なことがある。

そしてもちろん、クライミングは楽しくあるべきもので、そして多くの場合、そうである。(アルパイン・クライミングは通常、II型の楽しみ、すなわち思い出したときだけの楽しみだが)。 しかし、ウォーター・スライドを滑る楽しみと、セロ・トーレのような獰猛、かつ美しい山を登ろうとするときに個人が自由意志で耐え忍ぶ「楽しみ」には、違いがある。それは寒さを経験すること、疲れ果て、恐怖を体験することが保証されている場所、伝説的な風と暴力的な嵐が、海からさえぎられることなく氷冠を渡って来て山を打ち付け、ロープは水平になびき、クライミングの幻想を遮断する場所。僕らがそんな所へ行くのはただ「楽しい」というよりもより深い理由がある。

マイケル・ケネディーのパワフルなエッセイ「A Letter to My Son(息子に宛てた手紙)」からの言葉を借りると、献身的かつ情熱的なクライミングは、人生で愛し、自分自身を捧げるあらゆるものと同じように、「理想と、それを満たすために自ら負う犠牲のギャップ」を明らかにしてくれる。それは僕らが誰であるかについて何かを物語るのかもしれない。もしそれがただのクライミングで、楽しいものであったとしても。

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