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ハッピーエンドの探し方

村岡 俊也  /  2023年7月20日  /  読み終えるまで13分  /  アクティビズム

林業家、ラフティングガイド、漁船の船長と、山・川・海すべてのフィールドで働く佐野文洋さんは、富士川の環境を取り戻す活動をしている。

写真:深水 敬介

駿河湾の味がするサクラエビ

夕暮れ前の長閑とした由比港の空気が一変し、60艘の船が連なるように駿河湾の沖へと向かう。文さんこと佐野文洋さんが操舵する「諏訪丸」もそれに続く。縦列して走っていた船が次第に並列になり、さらにバラけて、それぞれがサクラエビの群れを探す。文さんは周囲を見回し、時折、魚群探知機に目をやりながら船を走らせる。

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魚群探知機を確認しながら、船を走らせる。写真:深水 敬介

一時間以上走り、今日はダメかもしれないと諦めムードの頃に、また空気が変わった。一気に網を入れ、気がつけば隣に近づいてきたもう一艘と並んで網を引き上げていく。網には何か細かなものが刺さっていて、点々と白く見えた。操舵室にいた文さんが飛び出してきて、網を凝視しながら、「よしっ」と力強く言う。鋭い眼光が、高揚の色に変わっている。網の中からポンプで吸い上げられたサクラエビは、水色のケースに詰められ、あっという間に積み上げられていく。生きて踊るサクラエビを手に乗せ、まじまじと見る。たしかに殻は赤いのだが、身体はほとんど無色で、光が体内を透過している。頬張るようにして口に入れると、驚くほどの甘さと海の塩気を感じ、駿河湾と私の腑が繋がったような感覚を得た。

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透明で赤いサクラエビ。そのまま頬張って、海の味と甘みを感じる。写真:深水 敬介

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由比港と山もほど近い。出航前の和やかな雰囲気の文さん。写真:深水 敬介

林業を手伝いながら、
ウィンドサーフィンを始める。

文さんは、サクラエビ漁船「諏訪丸」の船長であり、駿河湾へと流れ込む富士川のラフティングガイドであり、家業を継いだ林業家でもある。いや、そもそものスタートは世界を回るプロウィンドサーファーだった。
高校時代、初めてのウィンドの道具は、山で父親の手伝いをしたアルバイト代で買った。足場丸太と呼ばれる、間引きした細長い間伐材を運ぶ仕事だった。成長しきっていない材とは言え、6m近い丸太を山から担いで車が通れる道まで運ぶ。あるいは、節のない真っ直ぐな木材を育てるために枝打ちをする。風が吹く御前崎に長く滞在し、風が止むと帰ってきて、また山に入った。
プロになってからは、もう一つの拠点がマウイ島になった。当時ワールドツアーを転戦していた日本人はおらず、文さんは主催者に「ワールドツアーなのにアジア人が一人もいないのは、おかしくないですか?」と直談判をして、次の大会、カリブ海のアルーバ島で空いた一枠に滑り込んだ。そんな風にして世界を回り出し、次第に順位も上げていく。
「スーパースターたちと一緒にスタートラインに並び、ここは夢の世界だって思った。酒も飲まずにアスリートとして活動していて、それが1994年から97年くらいかな。世界を回っている間に、何やらオゾン層が薄くなってオージーたちが皮膚癌になっているとか、その原因のひとつは森林破壊にあるらしいとか、環境問題について聞くようになったんだ」

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文さんは、ウィンドサーフィンのトッププロとして世界を転戦していた時代に、さまざまな価値観と出合い、吸収していった。

駿河湾から離れることで得た知識は、環境問題についてだけではなかった。
アメリカ西海岸のオレゴン州で、海から山へと吹く風に乗ってコロンビア川を遡る大会に参加した際、文さんはトップ集団を走りながらも、狭まった谷の風が強すぎてリタイアしてしまう。人がいる場所へと戻るには、崖を登ってヒッチハイクするしかない。どうにかよじ登って手を挙げ、止まってくれた車を運転していたのは、物静かなネイティブアメリカンの女性だった。何を話したのかは覚えていないが、初めて出合った空気感に、文さんは強く感銘を受けたという。初めてラフティングを見たのも、この時だった。オレゴンにはマウントフットの麓をコロンビア川が流れ、その風景に富士山と富士川が重なった。

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富士山の麓を流れる富士川。美しいロケーション。写真:深水 敬介

ウィンドサーフィンは一生続けたい。けれど、大会に出て、スポンサーから契約金をもらって活動し続けることに疑問を感じ始めていた。
「俺は毎日海にいて、たまに怖い思いもすれば、圧倒されるような風景に出合うこともある。最初は、ただウィンドサーフィンをしたかっただけ。だから海も、風すらも見ていなかった。でも旅するうちに、どんどん自分が小さくなっていった。自然がでか過ぎて、機嫌を損ねたら、俺なんてあっという間に消されてしまう。宇宙の塵に過ぎないって思ったら、それが心地よかった。俺はウィンドサーフィンのおかげで、そういうことに気づくことができたけれど、他の人はどうだろう。その場所に行かなければ気づけないものっていっぱいあるよなって思った」
「その場所」とはつまり、風が吹き、波が起こり、時に静寂が支配する自然の渦中。ラフティングは、手っ取り早くダイレクトに「その場所」へと人々を連れて行くことのできる手段だった。

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富士川にボートを浮かべる。文さんは、富士川でラフティングを始めた第一人者でもある。写真:深水 敬介

川の流れに身を任せる

サクラエビ漁の翌昼、文さんは富士川に着くとすぐにライフジャケットの浮力に任せて浮かび、少しの間、流されていった。その姿は、川に身体を馴染ませる作法のように見えた。穏やかな中にもいくつかの流れの筋があり、どのラインに乗っていくかによってスピードが変わる。アウトドアの遊びはすべて自然の中にラインを描くようなもの。そう考えながら、ボートに乗っていると、すぐに、川幅が一気に狭くなる「釜口」という急流スポットに辿り着く。渦を巻く、岩と岩の間に突っ込んでいく。波飛沫を浴びながら、押し上げてくるような水のエネルギーをボート越しに感じ、私は叫びながら、笑ってしまった。

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「釜口」の濁流。ガイドと一緒ならば、初めての人でもこの遊びをすることができる。写真:深水 敬介

急流を過ぎ、少し緩やかな流れになったところで、文さんはボートから飛び込んで、先ほどと同じようにただ流されていく。後を追って流されてみると、身体が水に溶けていくように同調していく。文さんは「余計なものが全部流されていくでしょ? だから煮詰まったら、こうするんだ」と笑った。私たちが流れた頭上には、太いパイプが宙を走っていた。

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奥には、上流部で発電用に取水された水の流れるパイプが見える。写真:深水 敬介

富士川の水を取り戻すために

日本三大急流と言われる富士川だが、文さん曰く「そう言われるのが恥ずかしいくらい」水量は少ない。主な原因と考えられているのは、戦前から続く、水利権だ。アルミニウムなどの製造を行う日本軽金属(日軽金)が、水力発電所のために上流部で取水し、その水は40km近くパイプの中を通って、富士川を流れることなく駿河湾に排出される。ほとんど山の中を走るパイプが、唯一露出しているのが「釜口」の先の宙空だった。流れる水の少なさに加え、河川環境が悪化していたという。文さんの記憶では、2010年前後から川に並ぶように立ち込んでいた鮎釣り師たちが一斉にいなくなった。

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この日は雨が続いた後で比較的水量が多かった。写真:深水 敬介

「ダメになっていくっていう一言では伝わらない。水が少なくて流れないから、夏になると臭くて、お客さんに申し訳なくて、悔しかった。富士川本来のあるべき水量はこんなものではないはず。川が犠牲にされている。誰も川なんて見てないから。鮎がいなくなって、サクラエビも獲れなくなってしまった。その状況を個人的に発信していたんだけど、2018年に静岡新聞が『サクラエビ異変』っていう連載を始めて、富士川の濁りとサクラエビ不漁の関係についての記事を掲載してくれたんだ。その連載を書いている記者さんと会った時、『そんなことをして、命を狙われないですか?』って聞いてみたら、『それくらいのジャーナリスト魂でやってる』って答えてくれた。それで、同志だと思って、俺も付き合いますって」

本来のサクラエビの住処

文さんは、漁師として矢面に立つように発信を続け、調査に協力をしながら、由比港漁業協同組合にも働きかけていく。2019年には、静岡新聞の取材によって、日軽金が出資する採石会社が凝集剤を不法投棄し、富士川の上流部の雨畑川に流出していたことが報じられた。凝集剤に含まれるアクリルアミドポリマーは、劇物に変わる恐れがある物質だ。山梨県は静岡新聞の報道に対して、科学的根拠に基づいていないと批判しており、現在も水質調査は続いている。だが、文さんら漁師の実感は明らかだった。
「漁師がサクラエビを獲りすぎたのも、確かにあると思う。小さいエビまで獲ってしまった年があって、それで相当な数を減らしてしまったかもしれない。でも、それと同時に、不法投棄の影響もあるはずなんだ。富士川の河口域、海底200〜300mあたりの住処が奪われて、サクラエビは沖に行くしかなかったんじゃないかな。それまでは港から15分の場所に漁場があったんだから。それで数年間は、同じ駿河湾に流れ込んでいる大井川の河口まで、1時間45分かけて獲りに行っていた。ある時、どうして大井川の河口にはいるんだろうって考えて、それで川とサクラエビの関係に気づいた。大井川では1980年代に住民による『水返せ運動』があって、十分ではないけれど、水量が戻っている。水が返って来ることによって、流域に暮らす住民の意識も変わっている。川と海は繋がっていて、それが河口にサクラエビを呼び戻すヒントかもしれない、そう思ったんだよね。だから俺は、濁りよりもとにかく水を戻して欲しかった。山の栄養が海に届いてないと思うから。

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一人、富士川に入っていく文さん。美しいランドスケープ。写真:深水 敬介

ただね、俺は闘いたいわけじゃない。『草の根活動家のためのパタゴニアのツール会議』っていう本を読んだらさ、著者の4歳の娘が『パパ、今はどんな本を書いているの?』って聞く。『そのお話は、“みんな幸せに暮らしましたとさ”って終わらなきゃダメよ』って言われたって書いてあった。それが心に響いた。俺にも日軽金で働いている友達もいるし、憎いわけでは全然ない。ただ、この土地で暮らす誰もが幸せになるためには、どうしたらいいのかを考えているだけ」
ステークホルダーである日軽金をいかに巻き込み、環境を復活させていくのか。文さんは動きながら、考え続けている。

富士川に自由な流れを。

いわば富士川にとっての「水返せ運動」として、文さんは「富士川Free to Flow」というアクションを始めた。二年に一度、導水管の点検のために取水が止まり、富士川本来の水量が戻る日を選んで、日本中の仲間たちとラフティングを行った。愛する川の本当の姿を知って欲しかったのだろう。賛同団体は100を超え、仲間と共に集めた8716筆もの署名は、国土交通大臣宛に提出した。

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「富士川Free to Flow」当日には、こんなにも多くの仲間が全国から駆けつけた。

国土交通省は今年3月、富士川水系の河川維持流量を初めて設定している。2036年までを目処に日軽金の水利権を順次縮小することになった。「諦めたくなるような結論だったけれど」と前置きをし、「それでも何も変わらなかったわけじゃない」と文さんは言う。
「一番水量が少ない時には、毎秒3トンしか流れていない。10数年後になってしまうかもしれないけれど、今の3倍の8.8トンを基準に、それ以上を維持流量とする。それから、流域住民と河川利用者の意見を訊くっていう内容の文言も書き込まれた。すぐには変わらない。それでも、今のまま頑張れば、この先に富士川の流量が3倍近くになることは勝ち得たと思ってる」

山で海を想う幸せ

ラフティングを終えた夕暮れ、代々受け継がれている文さんの山へ入った。見事に真っ直ぐに育った檜が、手入れされてきた年月を物語っている。一つの切り株を指しながら、その木は、船の材として切り、端材は友人の家のテーブルや店のデッキなどになり、さまざまな場所で使われていると教えてくれた。人の手が入った山には、木漏れ日が差し、低木が育っている。

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祖父の代に植えた樹を切って、多用途に使う。「林業の豊かさを教えてくれた木だ」と文さん。周囲には草木が茂っていた。写真:深水 敬介

「どうやったら川がきれいになるのか、サクラエビが増えるのか真剣に考えたら、家業としての林業の意味が初めてわかった。森は、木材を生産しているだけじゃなくて、水を浄化して、空気を作る尊い場所だって気づいたら、自分がやっていることすべてが腑に落ちたんだよ。春と秋にサクラエビ漁に出て、午前中は家事をして昼から山に入って、お客さんが多い時には川へ行く。もう迷うことなく、一生、このスタイルでいくだろうね」
「自然を理解することなんて、人間には絶対できない」と文さんは言う。では何を指針として生きているかと訊けば、「気持ちいいって感じるところ」と答える。それが「普遍的で、本質だと思う」と。生きたサクラエビを食べ、川で流れてから山に入ったためか、文さんの語る身体感覚を共有できた気がする。駿河湾へと注ぐ富士川のエネルギーは、サクラエビのおかげで、今も私の中で微動を続けている。

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文さんは弟さんと一緒に山を管理している。山と海は、川によって繋がっていると体で知っている。写真:深水 敬介

「高校生で間伐のバイトをしていた時、木漏れ日で昼寝してたんだ。鳥がこっちで鳴いてて、次にこっちにいた鳥が答えている。『あれ? この二羽、会話してるじゃん、なんて気持ちがいいんだろう。ああ、これが幸せだ』って思った。その感覚は、オレゴンで会ったネイティブアメリカンのおばさんの空気感とどこか通じるんだ。人も自然の一部っていうかさ。山で仕事して、木漏れ日の下で1時間昼寝して、それから漁に行くなんて、最高でしょう?」
宇宙の塵ほどの小さな自分が、自然に溶けていく。山と海を、川で遊びながら行き来する文さんの毎日は、その循環の中にある。

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手入れされているために、樹間から陽が差し、低木の育っている人工林。この森を守ることは、富士川と駿河湾の恵みを育むことでもある。写真:深水 敬介

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