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ペースを保つ

リサ・ジュン  /  2024年8月6日  /  読み終えるまで10分  /  トレイルランニング, スポーツ

夢を追う人たちを何度も助けることで自身を成長させる、あるランナー。

ペーサーの仕事はランナーを走らせつづけることだけではない。「ネバー・サマー100K」でエイミー・マルコヴィッチに重要なスイカを手渡すリサ・ジュンは、その好例。

全ての写真:ブレンダン・デイヴィス

最初に転んだとき、トムの体はもう何時間も前から硬直状態だった。彼は「2001年ウエスタンステイツ100マイル・エンデュランスラン」の約85マイル(137キロメートル)地点にいて、私は最後の約20マイル(32キロメートル)を彼と一緒に走っていた。24時間以上トレイルにいて、彼の筋肉は体が左に傾くほど、ひきつっていた。岩や木の根や窪みに当たって足元がぐらつくたびに、バランスを崩して転倒してしまう。私はそんな彼の体を起こし、右腕を地面に向かって引いて、まっすぐに立たせた。そうして私たちはまた一緒に走り出した。

私たちをつないでくれたのは、ある共通の友人だった。トムはペーサーを必要としていた。レースの一部を一緒に走り、食料や水の補給を助けて、効率よく走ることができるようにしたり、悪い冗談を言いながら楽しいパートナーとなる人を。私は、その夏の終わりに開催される、数日にわたるアドベンチャーレースのトレーニングのために、長距離を何日も走るトレーニングが必要だった。私は29歳、トムは64歳で、私たちは34歳もはなれていた。お互いについてほとんど知らなかったことは、問題ではなかった。

私は62マイル(100キロメートル)地点のフォレストヒル・エイドステーションでトムを待ち、私のしつこいジャンパー膝が彼の足手まといになるのでは、と心配していた。私のせいでペースが落ち、次のペーサーに彼を引き継ぐ前に失格になるのではないかと。でも、その夜に砂埃を上げて走り出すと、私の痛みも、新しいランニングパートナーであるということのぎこちなさも、あっという間に消えていった。

トムと長い時間走っていると、私は自分の体を感じなくなった。膝の痛みは消えていた。私は自分の任務だけに集中し、トムにはエイドステーションを素通りさせ、私は彼のウォーターボトルに水を補給し、行動食をつかむと、彼に追いついた。カットオフまであとわずかのところで、食事休憩を取る余地はない。私は走りながら頭のなかでタイムを計算し、次のエイドステーションに少しでも早く着き、失格にならないように彼を励ました。トムがウエスタンステイツに挑戦するのは今回が3度目で、彼がどれほど完走を望んでいるかが痛いほど伝わってきた。もし彼に私の左半身を譲ることができたなら、きっとそうしていただろう。

彼がレースの制限時間に間に合わず、94マイル(151キロメートル)地点で失格となったとき、私たちはふたりして泣いた。でも帰りの飛行機では、窓に頭をもたせかけてにんまりと笑みを浮かべていたのは確かだ。私は、大好きなスポーツを経験する新しい方法を見つけたのだ。そして、私はまたこの役目を果たすことを誓った。

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ランナーは個人としてトレイルレースに出場するが、チームとして完了する。マルコヴィッチ(右)が空のボトルと満タンのボトルを交換するあいだ、ジュン(左)は彼女のシューズの交換を手伝い、マルコヴィッチの母(上)は行動食の注文を取る。

次の機会は3年後の夏に訪れた。新しい友人ダーシーのペーサーをすることになったのだ。彼女は意図せず私を威圧する傾向があった。彼女がある冬のアドベンチャーレースで私を打ち負かしたのが出会いだった。その後、私はダーシーが住むコロラド州ボルダーに引っ越した。それ以来、何度か一緒に走ったことはあったが、この午後のランニングが彼女にとってその日2度目のセッションであることは確かだった。

「レッドヴィル100」の76マイル(122キロメートル)地点で、日没後まもなく、ダーシーは私と合流した。彼女は第3位につけていた。私はそこからゴールまでペーサーを務めながら、彼女についていけるかどうか、緊張していた。エイドステーションを出るたびに、私のストレスは募った。給水パックは十分に補充したかしら、行動食は足りるかしら、次のエイドステーションまでの距離計算は正確だったかしら……と。

「手袋をちょうだい」とダーシーが言ったのは、夜更けに高山の空気が凍えるほど冷たくなったときだった。私はストライドを乱すことなく、背負っていた彼女のパックをくるりと体の前に移動させ、なかのギアをかき回した。片方が見つかった。ホッとして、それを彼女に手渡した。のろまな新入社員の私は、永遠にも思えるほど引っかき回したあげく、やっともう片方の手袋を見つけ、彼女がそれをはめるのを手伝った。

私たちはターコイズ・レイクの周辺を走り、背の高い松の林のあいだから月の光がきらめく水面を垣間見た。私は前を走り、夜の暗闇のなかでダーシーを導いた。やがて町へ向かう3.5マイル(5.5キロメートル)の上り坂に差しかかると、遠くで発電機の音がするのが聞こえた。ゴールだ。ダーシーを確認しようと振りかえると、私たちの背後に2つのヘッドランプが見えた。確かに女性の声が聞こえた。

「追いつかれるわ」と私は彼女に言った。ダーシーは何も答えなかった。

私はもう一度振りかえった。そしてまた。

「それ、やめてよ」とダーシーは言った。私は彼女をイラつかせていた。でも、もし私が彼女だったら、イラつかせてほしいはずだと思い込んだ。その後のことはそのときになんとかすればいい。

私は何度も後ろを振りかえっては、ペースを上げつづけた。ダーシーは私がいなくてもペースを速めることはできただろう。でも私はプッシュしつづけ、彼女もついてきた。

そのレースのあと、ダーシーがもう午後のランニングに誘ってくれるかどうかわからない期間がしばらくあった。私は、この町で一緒に走ってくれる新しい人を見つけなければならないのだろうかと思った。ペーサーとしては成功したと確信していたのに、友人としては失敗したのかもしれないと思い悩んだ。私たちが深い絆で結ばれ、友情を築くために必要だったのは、一緒に走った時間と距離だけだったということが、あとになってわかった。

私はカルマ(業)を信じない。私がトムやダーシーのペーサーを務めたのは、別の機会に恩返しをしてほしかったからではない。私は彼らに食料や水や精神的な支えを提供したり、彼らが付いてきやすいように前を走ったり、彼らの後ろからヘッドランプで道筋を照らしたかもしれない。でも、その報酬として私が得たものは、友情、コミュニティ、目的意識、一歩踏み出して自分よりも大きな何かの一部になる機会など、はるかに大きなものだった。それに突き動かされないでいることは不可能だった。そして、それをまたやりたいと思う衝動を抑えることも。

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優秀なペーサーがいれば、マイルはあっという間だ。ネバーサマー100Kでノリノリで走るジュンとマルコビッチ。

数年前、私は友人であり隣人でもあるブラッドのために、14マイル(22.5キロメートル)のペーサーを務めるためにレッドヴィルに戻った。彼の家族と私は、100マイルコースの62マイル地点にあたる、ツイン・レイクスの高山の谷で日没を迎えたブラッドのことを心配していた。午後9時、ブラッドは19時間走りつづけていた。彼は、標高3,840メートルにそびえるホープ・パスの峠と、私たちがやきもきしながら待つキャンプ場の駐車場のあいだのどこかにいるはずだった。

私が最後にレッドヴィルに参加してから数年のあいだには、いろいろなことが起こった。まず、パンデミックがはじまった。その直前、私の父と母が3か月のあいだに立てつづけに亡くなった。その悲しみだけでなく、そのあとの途方に暮れるような手続きに奮闘していた私に、ある賢明な友人が勧めてくれたのは、誰かのために何かよいことをする、というものだった。「そうすることで、自分の状況に対する気持ちを晴らしてくれることもあるから」と言われた。私はそうした、そしてそれはその通りだった。

私はペーサーを務めると、よい気分になることに気づいた。2人の子どもを育てながらも、未だ冒険に憧れがあり、両親ともにこの世を去り、埋めがたい心の痛みを残していた人生のこの時期、ブラッドのチームの一員として見つけたコミュニティは、まさに私が必要としていたものだった。私は自分が完全で、バランスがとれていて、有用な人間に感じられた。このレースでダーシーのペーサーを務めてから20年近くが経ち、私は誰かのゴール達成を手助けすることは、私自身がゴールを達成するよりもやりがいのあることだと思うようになった。

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ペーサーの仕事は、前を走ることもあれば、後ろから走ることもある。また、並らんで歩き、会話をし続けることもある。

午後9時半、上下に揺れるヘッドランプがブラッドの汗だくの顔を照らすと、私たちはアウトドア用チェアやクーラーボックス、コンロ、食料とギアが念入りに整頓されたプラスチック容器などでいっぱいの休憩所に彼を連れていった。そこに座らせ、ソックスを履き替えさせ、ラーメンを食べさせた。ツイン・レイクスを出発する制限時間の午後10時の数分前、ブラッドは立ち上がり、周囲に集まった人びとの歓声とベルに送られてまた走り出した。

この100マイルレースの最初の62マイルは、ブラッドが単独で走った。ここからは私が一緒だ。私は彼のパックを受け取り、自分のパックの上にのせた。おなじみの役目に戻った私は、コロラド・トレイルのシングルトラックへの短い急勾配の坂を喘いで上りながら、彼の動きを見極めた。アスペンの梢の上で満月が踊り、真夜中近い漆黒の空を照らしていた。私たちは暗闇のなかを足音をたてて走り、その足取りはブラッドがここまでのレースで語った物語をリズミカルにBGMにした。私たちはパートナーとして調和したのだ。

私は自分の任務に真剣に当たった。45分ごとに、歯で開けたエナジージェルをしっかりと、でも優しくブラッドに手渡し、彼がそれを完食したのを確かめると、そのゴミを引き取る。30分ごとに、私は彼に塩タブレットを渡し、私の給水パックのチューブか彼の給水フラスクからの水でそれを飲み下させる。自分が水を飲むときは、彼も十分に水を飲んでいることを確かめる。下り坂や平地は軽やかなペースを、上り坂は力強いペースにする。彼を励ます。前向きにさせる。良きパートナーでいることに努める。14マイル走り5時間経った午前3時頃、私はブラッドを次のペーサーに引き継いだ。私たちが稼いだ時間は45分。私は満足して眠りに就いた。

ウルトラマラソンは笑ってしまうほど大変だ。ブラッドは残念ながらその年、ゴールまであと数マイルというところで失格となった。しかし翌年の8月、彼は再びレースに戻る。そして私も。

ツイン・レイクスで待機するあいだ、私は2人用テントのなかで1日を過ごした。真っ昼間で騒々しいにもかかわらず、読書、食事、昼寝、執筆、そしてさらに昼寝。各ランナーのサポートチームやペーサー、犬、発電機、アナウンサーの声や音が飛び交うせわしない場所の真っ只中で、私はまどろんだ。

私はものごとの側面を区別して相互に影響をおよぼさないようにするのが上手くなった。両親が生きていた最後の数年間は、カリフォルニア州サンディエゴの認知症ケア施設にいた。私は両親との面会中はそのことがすべてで、それから海に飛び込み、ブリトーとビールでごちゃ混ぜの感情から立ち直った。ボルダーの自宅に帰ると、そのすべてを忘れようとした。

ブラッドのペーサーを務めるまでの丸1日、私はエネルギーを温存し、自分自身に集中した。出発の時間になると、ヘッドランプを着け、エイドステーションで2人分の予備の行動食をもらい、1年前に一緒にスタートしたのと同じ急坂の上で彼に追いついた。

14マイルを走った午前2時、私はブラッドを次のペーサー、ダーシーへと引き継いだ。その6時間ほど後、ブラッドがフィニッシュラインに向かって突進して姿を見たとき、私たち全員が喜びの叫び声を上げた。

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太陽がなくても大丈夫。とくにペーサーがいれば、トレイルで真っ暗な時間に立ち向かうことになっても、会話や冗談で元気を与えてくれる。昼から夜への移行も順調なジュンとマルコヴィッチ。

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