上高地から親不知までの48時間
2024年の夏、トレイルランナーの木村大志はレース以上に掻き立てられる個人的なチャレンジを思いつき、実行へと移した。いつものフィールドから見えている北アルプスの稜線を辿って、上高地から親不知まで、できるだけ速い時間で。ベンチマークにしたのは48時間、丸2日以内で駆け抜けること。
幼少期に、あるいは思春期に。家の周りで遊んでいて、ふと遠くを眺めたとき、こう思ったことはないだろうか。
「今見えているあの端のほうまで行ってみたい」
人間の本能には探求欲求が備わっているという説がある。移動に対する好奇心はDNAの根っこに刻まれているというのだ。
上高地から日本海を目指す
トレイルランナーの木村大志は、ホームグラウンドの飯山・北信エリアの山々を駆け巡っているときに、幾度となくこう夢想していた。
「向こうに見えている北アルプスの、あの稜線を辿っていけば、日本海まで辿り着くのだよな」と。
上高地から親不知へ。
北アルプスの玄関口として広く知られる場所から、黒部湖や白馬を経由して、最北端にある日本海まで。総距離は140km弱に達し、累積標高差は登りが約1万5000m、下り約1万3000m。登山のコースタイムを単純に合計すると80時間前後になる。
北アルプスを、ファストパッキングスタイルで、縦走する。木村はここ数年、毎夏のようにそんな山遊びを重ねていた。やがて北アルプスの山域全体像がイメージできるようになり、上高地から親不知へと抜けるこのルートのことを思いついたという。あまりにも雄大な、裏山のエリア。思いついたときからずっと好奇心が高鳴っていた。
行程の大半で標高2000m台後半の稜線を辿り、途中では“破線ルート”になる本格的な岩稜帯も通過しつつ、北アルプスをひと思いに北上する。
狙うのは3日間の休みが取れるとき。当初は7月中にと考えていたが、休暇と天気図がかみ合わず、数回の延期を経て8月の盆明けを迎えた。

ホームフィールドから見えていた日本海へと繋がる稜線が、いざ眼前に迫る。写真:藤巻 翔
木島平の森に惹かれて
木村の職場は飯山駅から車で15分ほど、木島平村にある宿泊施設「スポーツハイムアルプ」だ。名前から分かるようにスポーツ合宿の宿泊利用を多く受け入れるほか、同施設をベースに活動するALP SKI TEAMに所属し、トレイルランやMTB、クロスカントリースキーなどのツアーガイド、さらにはトレイルランニングの大会も運営し、中でも「奥信濃100」ではコースディレクターを務めている。
生まれは秋田県の鹿角市で、学生時代はスキーの複合競技に打ち込んでいた。社会人になって自衛官として充実した日々を過ごしていたが、思うところあって妙高市にある、人と自然をつなぐプロの輩出を掲げる専門学校「i-nac(国際自然環境アウトドア専門学校)」で学び直すことに。カリキュラムの一環としてトレイルランニングに出会い、またそのフィールドである北信エリアにも魅了された。四季の変遷がダイナミックで、すぐそこの里山がとびきり豊かなこの場所をホームにしたいと強く思い、現在の職場に至っている。
だから北アルプスの、とりわけ北信エリアに豪雪を運ぶ上昇気流を生んでいる白馬連峰周辺の気象条件には明るく、8月の下旬が分水嶺になると感じていた。このタイミングを逃すと夜間の冷え込みが大きくなり、軽量コンパクトなトレイルランニング的装備での挑戦は難しくなる。木村自身がラストチャンスと想定していた8月20日の前日、天気予報は好転する。決行だ。
盆休みの宿泊業務とツアーに精を出し、月曜日の片付けがひと段落したあと、仮眠を取って上高地へと車を走らせた。

8月20日、5:12、上高地
軽量化のために山小屋での補給を積極的に利用する計画を立てていたが、今夏の営業の実情や通過する時間帯が不透明なため何が起こるかはわからない。インスタントのアルファ米や羊羹、カロリーメイトなどを中心に6500キロカロリーほどを詰め込み、トレイルランのレースよりも二回りは重いバックパックを背負う。
木村の後ろには、トレイルランのチームメイトであり、友人でもある小林海仁と保倉敏樹の2人が続いている。ともに駅伝の名門・佐久長聖高校出身で20代半ばと、31歳の木村からは後輩にあたる。今回のチャレンジはトレーニングではない。より冒険的な要素の湯問い山遊びだ。パフォーマンスアップにフォーカスするならば走りやすく、不確定要素の少ない山道のほうが効率的に追い込めるだろう。気心の知れた仲間とともに進む方が「愉しむこと優先」と割り切りやすいのだ。
まだ本格的なアルプスでの山行経験の少ない2人は、幻想的な靄が立ち上る梓川の美しさに目を丸くしていた。でも、先は長い。荘厳な静けさの中へと溶け込んでいくかのように、写真を撮るでもなく、地図に目をやることもなく、槍ヶ岳、そしてその先の双六小屋を目指す。愛すべき後輩を魅惑的な山岳の世界へと案内する感覚になる。

槍沢を槍ヶ岳へ。写真:保倉 敏樹
荷物の軽い2人がペースメイクするような隊列で、とりとめのない会話を交わしつつ、小気味いいスピードで進んでいく。懸念していた空模様は期待していた以上の晴れ間が広がり、槍から先の双六へと向かう西鎌尾根では、右手側に雄大な硫黄尾根を、それから裏銀座と表銀座の緑と茶と白のまじりあう山肌を臨む。大志さん、たまには大会じゃなくって山をやった方がいいですね。そりゃそうだよ、分かってくれた?
アスリートとしてレースで最良のパフォーマンスを発揮できる年月は限られているかもしれないが、今回のように岩稜帯の多いコースを小走りで、スピーディに通過することも、動体視力や反射神経が衰える前でないと出来ないかもしれない。それを考えると、今こそが最もチャレンジングな山遊びの出来る時期ではないかと木村は語る。だからさ、近いうちにまたアルプス行こうぜ。

3人パックで軽快に進む。写真:藤巻 翔
槍の肩には9時前後、双六小屋には11時15分ごろに到着した。想定以上の順調なペースだ。昼食どきの双六小屋でラーメンを購入する。しっかりと調理された小屋食は結果的にこのときが最後となる。
ペーサー2人とのランデブーはここまで。
双六岳から先は、トレイルランナーの注目を集める「TJAR(トランス・ジャパン・アルプス・レース)」でよく知られる薬師岳~剣岳の稜線には向かわず、黒部湖を挟んで東側の稜線を辿る。TJARルートでは登山道だけを通って日本海まで辿り着くことが出来ないし、何より木村がホームグラウンドからいつも眺めているのはこの東側の稜線だ。仲間に別れを告げると、水晶岳から先は行き交う登山者も減り、自分と向き合う時間が訪れた。赤牛岳からいったん黒部湖畔へと下り、針ノ木峠へと登り返すルートは、このコース中唯一のまったくの初見となる区間だ。
初日のポイントは、黒部湖の湖畔を日没前に通過できるか、どうか。崩落している箇所が点在していると聞いていたからだ。

双六小屋をあとにして、三俣を目指す。 写真:藤巻 翔
ここ数年、木村にはアスリートとしていい成績を残すという目標があり、9月と10月にビッグレースを控える身としては、今回のチャレンジを実行するかどうか、少し迷いがあったと言う。秋のレースでリザルトを残すには、夏場にそのためのトレーニングを最優先させるのがセオリーだ。
誤解を恐れずに言えば、木村の現在の力量を持ってすればゴールに辿り着けないレースはほとんど存在しないだろう。
けれども上高地-親不知というルートは、計画を立てているときから達成できない可能性もあることを十分に認識していた。ゴールまで辿り着けるという確証のない、己の力量に合わせたチャレンジ。飛び込んでみなければ分からない。失敗したくはないけれど、仮に失敗しても笑い話になるような。
とはいえ、途中で辞めたらまたいつか挑んでみようと思えるのか? 仕事の都合、アスリートとしてのスケジュール、気象条件の巡り合わせ……。
素直に山と向き合えるこの瞬間を大切にしよう。そう再認識したところで、西日で水面がきらめく黒部湖が眼下に迫ってきた。北の空はまだ明るい。3人で進んでいたときの貯金が効いている。

奥黒部の荒廃した木段の登山道。 写真:木村 大志
8月20日、21:54、針ノ木峠
黒部湖の周辺は予想通り崩落気味で、ところどころ怯んでしまうような朽ちた木段もあり、明るいうちに通過できたことはやはり正解だった。開けたポイントに出たところで、事前に水を注いでおいたアルファ米を口に運ぶ。標高は1450mまで下がっており、最も暖かいであろうこの場所で仮眠をとるべきか、どうか。
一呼吸おいて、冷静な判断を試みる。ここで頑張れば翌日の後半に控える唐松岳から先の不帰キレットを、ほぼ確実に日中に通過できるはずだ。幸いにも体調はすこぶるいい。ならば進むに限る。
針ノ木岳への標高差1400m近い登り返し、とりわけ黒部湖からの針ノ木谷区間では大いに苦戦させられた。ヘッドライトの明かりを頼りにしながら渡渉を繰り返し、足先から体温が奪われていく。ルートファインディングも難儀で、藪が生い茂る箇所も多く、立ち止まってはマーキングがあるかどうかと目を凝らす。マーキングを探せないときは諦めて沢筋を溯上する。トレイルは沢筋についているからだ。

針ノ木谷ではところどころ徒渉を余儀なくされる。写真:木村 大志
日没してから時間の流れが長く感じるようになって、1時間半ほど。20時30分、針ノ木出合で水を3L分の容器すべてに補給して、再び森林限界の稜線へ。月の明るい夜だった。月明りだけでスマートフォンで写真が撮れるほど。だから不思議と眠くはならない。

満月で遠くの山まで明るかった。写真:木村 大志
針ノ木岳の直下で、4時間ほどの仮眠を取った。ツェルトにエマージェンシービビィというミニマルな装備に身を委ねて、体を休める。靴下を替える。ついでにワセリンを塗り込む。
8月21日、5:01、岩小屋沢岳
夜明けは岩小屋沢岳で迎えた。肌寒いのでトレイルラン向けのライト&ファストなレインウェアを羽織っている。だから地肌が朝露に濡らされることもない。その先の種池山荘は、i-nac在校時にアルバイトをしていた山小屋だ。あの頃と変わらない朱色の三角屋根に、安心と懐かしさとを覚える。

切り立った登山道を慎重に進む。写真:藤巻 翔
2日目の核心部となる長い岩稜区間がいよいよ、冷池山荘より北の尾根から始まる。
ヘルメットを被って、慎重な足取りを意識する。鹿島槍から八峰キレット、唐松岳から不帰キレットと、気を張りつめなくてはいけない区間が順調に進んだとしても7~8時間は続く。急な登下降やクサリ、ハシゴが連続し、すれ違いも多く、そのおかげが眠気はからきし襲ってこなかった。
もっとも、軽量なトレイルランのレーシングシューズを履いているから、さすがに脚部への疲労が色濃くなってくる。疲れが蓄積しにくいとされる厚底シューズは捻挫のリスクが高くなってしまうので、今回のようなルートではパス。軽いシューズを履いている分、急斜面では自らの足での踏ん張りが要求されるので、足首がゆるくなってきたように感じる。

顔見知りのフォトグラファーにに再会した安堵感からか、思わず笑顔がこぼれた。写真:藤巻 翔
11時前に、岩稜帯のおよそ中間の位置にある五竜山荘へと辿り着いた。ここではi-nac時代の先輩がスタッフとして働いており、世間話を交わす。山のフィ―ルドでの人脈もi-nacで過ごした木村の財産だ。
唐松岳頂上山荘ではカップラーメンで一息つき、不帰は身構えていたほどは苦戦せず、天狗山荘には15時前に到着した。軽量化を追求した装備で、ガレた岩稜帯を無事通り抜けたのだ。

シューズを脱いで足の皮膚の予防的なケアを行う。写真:藤巻 翔
当初はここで一泊することも念頭に置いていたが、スマートフォンを取り出すと、白馬岳を越えて雪倉岳までは明るいうちに進めそうなことが計算できた。時刻を記した行程表を印刷し、スマートフォンの裏に張り付けていたのだ。バッテリーを少しでも節約するため、紙というアナログな手段で。北アルプスの眺望は2日目の日中を通じて素晴らしく、せっかくならこの先の景色にも出会いたい。ここからゴールの親不知までの区間では、水場が利用できるかどうか不透明だったため、再度3L分の容器を満たし、北へと進み続けることを決めた。

幸いにも岩稜帯での降雨を避けることができた。写真:藤巻 翔
数時間前に胸算用した通り、雪倉岳の山頂で辺りが暗くなった。
悪いことに、同時に強烈な眠気が襲い集中が途切れそうになってくる。木村にとっては過去に参加してきたトレイルレースを含めても、動きっぱなしで二晩目を迎えるというのは初めての経験だ。
このとき、岩陰に大きな動物の姿を捉えたような気がした。ひょっとするとクマかもしれない。安全のため数分ほど停滞し、いったん引き返してから再度戻ってみるが、そのケモノはいっこうに移動する気配がない。さて、どうしたものか。
そこでようやく、クマに見えたのは単なる大岩で、マーキングをケモノの眼と錯覚していたのだと気が付いた。疲労が幻覚を見せ始めているのだ。
8月22日、20:43、朝日岳
夜の朝日岳へは、ペースを落としながらもなんとか登り切った。朝日岳では山仲間が木村のことを待っていた。偶然にも同じ時期に、木村とは逆に親不知から南へと縦走してきた友人が、これ以上ない絶妙なタイミングで励ましてくれたのだ。

友人の若岡拓也さんに会い、元気をもらう。写真:武部 努龍
ここで靴下を一度脱ぎ、日中はバックパックのショルダーハーネスへと吊り下げて乾かしておいたものに再度履き替える。ゴールに向けて、今一度気持ちを入れるために。
朝日岳から麓の方向に目を向けると、一筋のヘッドライトがすぐ下のコルに向かってすさまじいスピードで迫ってくる様子が見えた。前日に双六小屋で別れた小林海仁が、最終盤のペーサーとして再合流しに来てくれたのだ。
21時すぎ。朝日岳直下の吹上のコルにて小林と再合流し、改めて、この先の所要時間を計算することにした。木村が密かに狙っていたのは、丸二日間、48時間以内でのゴール。この場所から親不知までの区間を登山コースタイムの50%で進むことが出来たら、48時間を切るフィニッシュが叶いそうだ。

魚津の街の灯りと海が見えてきた。写真:小林 海仁
その旨を小林に伝え、そこからは頼もしい先導にただ付いていくことを意識。気を紛らわすためか小林がいろいろ話しかけてくれるのだが、会話の内容はほとんど記憶にない。犬ヶ岳まではいやらしい小刻みなアップダウンを繰り返すことになる。二晩目で心身の疲労がピークに達し、大きくペースダウンしてしまう。ところどころトレイルの雰囲気が変わるため、湿原を抜けていることが分かる。日中に駆け抜けたらきれいなんだろうな。
あの先のピークが犬ケ岳かと小林に何度も訪ねてみるが、返ってくるのは「まだですね大志さん、あの奥ですね」という決まり文句のみ。もはや目標に必要なタイムを計算することもおぼつかなくなってくる。
8月22日、0:40、栂海山荘
山の中で迎える二度目の日付をまたいでから、ようやく犬ケ岳を越え、栂海山荘らしき建物がヘッドライトの明かりに浮かび上がった。山荘と名前が付いてはいるが、そこ無人の小屋だ。
残りのアルファ米をかっ込むも、活力が湧いてこない。ここまでの区間で大きくタイムをロスしたに違いなく、もう無理かもしれない。弱音を口にしてしまうが、そこで小林がくれたアドバイスが実に的確だった。
「コースタイム比50%のペースで進めば、夜明け前のフィニッシュにギリ間に合いますよ」
そうは言うもの、直前の区間ではコースタイム比70%までペースを落としていた。日本海まで下り基調とはいえ、登り返しがまだ700mほど残っている。フレッシュであれば朝飯前だが、今の木村には気が遠くなるような数字だ。
でも、ここまで来たからにはもう一度だけスイッチを入れてみよう。それでダメだったらしょうがないと諦めよう。
バックパックの重量を極力軽くするために残りの補給食をあらかた平らげ、小林に50%のペースで引っ張ってくれと伝え、最後の核心部へと足を踏み入れた。

標高の高いエリアではコメツガの林が続くため、栂の林と海を結ぶ道との意味で栂海新道と名付けられた。途中の補給や幕営地に限りがあるため、通しで縦走するにはそれなり山力と経験とが求められる。写真:小林 海仁
8月22日、4:57、親不知
足首は完全にゆるんでいて、斜面での踏ん張りはもうほとんど効かない。捻挫と隣り合わせなので、小さな岩場であってもポンポンッと跳ねるように進むことがままならない。中盤までのカモシカのような軽快さはまるで失われてしまっている。
こうして何十分、いや何時間が経っただろうか。白鳥山の下りでついに日本海の湿り気を感じるとともに、周囲が北信エリアで慣れ親しんでいるブナ林へと植生を変えていく。トレイルの路面は落葉によってまるで絨毯のように柔らかく、足裏の感覚がトレイルランの気持ち良さを再認識させてくれる。少しずつ楽しめる余裕が復活してくる。それと同時に、今度は幻覚ではなくはっきりとしたケモノの気配が感じられるようになってくる。それはそうだ、ブナの宵は彼らのテリトリーなのだ。
坂田峠の時点で、48時間以内の夜明け前のフィニッシュに1時間と30分の猶予を残していた。行けるかもしれない。
たまらず親不知から逆走してきたという保倉敏樹も合流し、上高地でのスタート時点と同じ3人のパックで海岸を目指す。クマを避けるために、めいめいが思い思いに手を叩きながら。それ以外は何も気にすることなく、ただただ仲間の進むペースに乗ることだけど考えながら。
やがて車の音がはっきりと聞き取れるようになり、空が白み始めて足元がほのかに明るくなってきたと同時に、長かったトレイルの終わりを告げる階段が現れた。

栂海新道終着点の国道8号線に出る。あとは海まで下るだけだ。写真:藤巻 翔
5時の夜明けまであと10分ほど。上高地を出てから47時間と44分。
薄い紅紫に色づく空の下、仲間たちが見守るなか、木村は酷使した足裏をアイシングするかのように日本海の中へと両の足を浸した。

日本海へ。写真:藤巻 翔

朝焼けが木村を出迎える。写真:藤巻 翔
幻想的な夜明けの日本海で考えていたこと
ゴール地点でもこの挑戦を記録するために訪れたフォトグラファーや、一緒にフィニッシュした仲間たちが興奮した様子で話しかけてくれたのだが、半ば朦朧としていたからか、何を話したかはよく覚えていない。
でも、木村はこれだけははっきりと覚えている。やはり自分は山が好きで、山で遊ぶ時間がかけがえのないものなのだと深く思い返したことを。山というフィールドがすぐそこにある今の環境は恵まれているのだなと。
誰かを山へと案内するツアーガイドを生業のひとつとしている身にとって、2024年の夏山での小さな大冒険は、決して忘れられない48時間となった。
海岸に辿り着いてから先はどうしたかって? ロードサイドの中華料理店に立ち寄って皆でラーメンをすすり、帰宅するやいなや気絶するようにベッドへと倒れ込んだ。目を覚ましたら足裏がヒリヒリととんでもなく痺れていたが、それこそがこのチャレンジの勲章だ。
そしてまた、自然に囲まれたいつもの職場へと出勤するのだ。

一人きりでのチャレンジではない。仲間たちに支えられた愉快な旅だった。写真:藤巻 翔
*注釈2024年9月現在、本記録は上高地から親不知間の、サポートテッドFKT(サポートクルー有りの条件下でのファステスト・ノウン・タイム。一般的に公開されている最踏破記録)である。
2024年8月20日~22日 上高地―親不知
ギアリスト
パタゴニア
- リッジ・フロー・シャツ
- フーディニ・ジャケット
- ストライダー・プロ・ショーツ
- ダックビル・ショーティ・トラッカー・ハット
- マイクロ・パフ・ジャケット
- ストーム・レーサー・ジャケット
- レインパンツ
その他
- バックパック20L
- アルミ製トレッキングポール
- ツェルト
- エマージェンシービビィシート
- ソックス×2
- ヘッドライト×2
- 予備バッテリー×4
- ファーストエイドキット
- 紙地図
- モバイルバッテリー
- ティッシュ
- 現金
- スプーン
食糧リスト(約6500キロカロリー)
- アルファ米×9
- アンドゥー×15
- カロリーメイト2本×6
- 羊羹棒×10
- おにぎり×1
- コッペパン×1
- 塩熱サプリ
- メダリスト粉末
- OS-1粉末