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何も変わらなければ、すべてが変わる

ダニエル・リッツ  /  2023年8月4日  /  読み終えるまで18分  /  フライフィッシング

最も失うものが多い世代が、北西部のサーモンとスチールヘッドを救うために団結している。

全ての写真:メイソン・トリンカ

アイスハーバー・ダムは、ワシントン州バーバンクのコロンビア川との合流付近でスネーク・リバーをせき止めている。そのバーバングは、アメリカで10番目に広大な流域に穏やかな運河が回廊のように張り巡らされた小さな農業都市だ。

雲ひとつない砂漠の空に太陽が昇ると、ダムの上に立ったヘルメットをかぶった12人の高校生が、遠回しな非難を込めて重箱の隅を突くように、無防備なツアーガイドをやり込めている。

「それはこのダムの発電容量であって、実際に発電されたエネルギーじゃないですよね」水力発電の統計リストをスラスラと読み上げるガイドを、ヘンリー・ローラーがさえぎる。「これらのダムのどれも、リストにあるような容量を発電したことはないですよね。実際はスネーク・リバーの下流ダム(LSRD)を全部合わせても1,000メガワット程度じゃないですか?それって、容量の3分の1くらいでは?まして、これらのダムで生産される多くは余剰電力で、赤字販売されていませんか?」

「私はあなた方に真実でないことを話すつもりはない。それについては、詳しく調べなければならない」圧倒されたガイドは、口ごもる。

バーバンク市民のボランティアガイドは、ツアーの間、質問攻めにあいながらも気さくに応じてくれた。しかし、地元の誇りとして彼が紹介している施設のサタデー・アフタヌーン・ツアーは、普段とは明らかに異なっていた。

「これらのダムに、なぜ、そこまで愛着を持つのでしょうか?」ダムの向こうの温かい湖から視線を逸らさずに、リジー・デュークモーは問いかける。

「それは感情的なことだ。ダムは、私が生まれた時からここにあり、雇用を創出し、産業を支えてきた。私が知っているのはそれだけだよ。」ガイドはすかさず応じる。

デュークモーは納得できず、言葉をのみ込んだ。

「君たちがここに来た目的が分かった気がする。個人的には賛同しかねるが、応援はしよう」ガイドはヘルメットを脱ぎ、汗の滲んだ額を拭く。「君たちはアメリカの未来だ。現状に挑戦する必要があるし、発展とはそういうものだ。つまり、私は法の支配を信じるよ。もし彼ら(選挙で選ばれた議員)がダムを撤去したいと思うなら、そうすべきだ。しかし、それまではダメだ」。

おそらく善意からなのだが、こうしたやりとりは、ボイシを本拠地とする<ユース・サーモン・プロテクターズ>(YSP)のメンバーにとっては日常茶飯事だ。この最も多くを失う世代のリーダーたちは、事あるごとに「皆、君らが人類を人類の手から救ってくれると頼りにしている」と言われる。

何も変わらなければ、すべてが変わる

左:魚の旗を立てる。ユース・サーモン・プロテクターズのメンバーは、スネーク・リバーでの抗議集会の前にポスターを準備する。

右:年老いて、邪魔になる。ワシントン州バーバンク付近のスネーク・リバーの土手から眺めるアイスハーバー・ロック・アンド・ダムは、世界で最も豊饒なサーモンの川を平凡な運河に変えた。

かつては、毎年数百万匹のサーモンやスチールヘッドが成長し、アイダホの河川に戻ってきた。しかし、60~70年代に、スネーク川の下流ダム、すなわちアイスハーバー、ローワーモニュメンタル、リトルグース、ローワーグラナイトが建設されてから、スネーク・リバーの漁は崩壊した。

ボンヌビル電力事業団の料金納付者や納税者の190億ドル超は、魚の生息数が減少し続けている時に、ダムによる影響の緩和という点では破滅的失敗としか言いようのないものに費やされてきた。

アイダホのサーモンとスチールヘッド(絶滅危惧種保護法の対象)の生息数を回復するためにLSRDの撤去が重要であることは科学的な合意のもとに明確になっている。

LSRDの撤去が必要である証拠は、SAR(Smolt-to-Adult Return)率がLSRDの上流と下流で明らかに違うことだ。SARとは、海洋に向かった稚魚のうち、成長期を海で過ごしてから、産卵のために生まれた川へ無事に戻ってきた個体の比率である。LSRDよりも下にあるヤカマ川流域へ遡上するサーモンやスチールヘッドは、4基のダムを横切るだけでよい。それらは、LSRDの中で最も奥に位置するローワーグラナイト・ダムの上流へ帰る群れの約3倍のSARを維持できている。ちなみに後者のSARは、キングサーモンが0.9%、スチールヘッドが1.3%である。

スネーク・リバーで、サーモンやスチールヘッドの健全で漁獲可能な生息数まで回復するには、放流される稚魚100匹当たり、成魚4匹が帰ってくる必要がある。

絶滅を避けるには2%は必須だ。

アイダホでは、絶滅と存続の境界線は、越えてはならない一線ではない。それはスネーク・リバー峡谷の黒玄武岩の壁を仕切る4つのコンクリートの塊だ。

“「アイダホのサーモンやスチールヘッドを復活させ、気象や部族の正義によって北西部の未来を形成することは、史上最大の保護プロジェクトであり、サーモンのようになることが、それを成し遂げる方法になります。」 ”

‐シバ・ラジバンダリ

「アイダホのサーモンやスチールヘッドは自分自身です」YSPの共同リーダーで、18歳のシバ・ラジバンダリは、ボイシ・コープの駐車場で最初にインタビューした時にそう言った。若者らしい丸みを帯びた頬にカールした黒髪がかかり、背が高く、自信をもって胸を張る姿は、はるか年上の男性に見える。

「サーモンやスチールヘッドは、困難なことを成し遂げるために必要な強靱さをもっている。シーシュポスが何度も転げ落ちる大岩を山頂へ押し上げたように、アイダホのサーモンやスチールヘッドを復活させ、気候正義や部族の公平を守りながら北西部の未来を形成することは、史上最大の保護プロジェクトとなるだろう。そして、サーモンのようになることが、それを成し遂げる方法になります。」

2018年に発足した<ユース・サーモン・プロテクターズ>は、スネーク・リバー下流ダムの撤去によって、北西部全域のサーモンを保護したいと考えている。同時に太平洋岸北西部(PNW)に、部族の公平性を守ることや気候正義をもたらそうとしている。このグループはアイダホ保護同盟に参加しており、この記事の執筆時点で、ボイシ高校の活動的な学生2人が協力して指揮していた。前述のラジバンダリと、現在はブラウン大学に通う共同リーダーのデュークモーだ。

昨年の9月、気候変動とメンタルヘルスを掲げて立候補したラジバンダリは、学生として史上初、ボイシ学区評議委員に選出された。原理主義極右グループのアイダホ・リバティ・ドッグズが支援する現職の教育委員を2,500票差で破った。

「我々は、アイダホ・リバティ・ドッグズやいわゆるボイシ学区の保護者会のように、いじめに屈することはありません」ラジバンダリは選挙の数日前、18歳の誕生日に発表した声明の中で述べた。「我々のコミュニティは、憎しみよりも愛を、無関心よりも思いやりを大切にします。これらの特長は、僕の仲間や先生たちによって日々実践されています。学生初の教育委員として、僕はこれからの価値感を代表するつもりです」

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左:シバ・ラジバンダリは、ユース・サーモン・プロテクターズのリーダーの1人だ。2022年9月、彼はボイシ学区評議委員に選出され、評議会に参加する最初の学生になった。

中:コロンビア川流域のサーモンとスチールヘッドに関する2022年のレポートで、アメリカ海洋大気庁(NOAA)海洋漁業局は、次のように結論している。「科学は、河川景観全域にわたる水生環境の段階的回復、ダム撤去、生態系に基づく管理を断固肯定し、今すぐにでも行動を起こすことを全面的に支持する」

後日、ボイシ中心街のデュークモーお気に入りのカフェで、彼女はチャイを飲みながら、16歳でYSPに加入した時のことを、いかに自分が出遅れたように感じたかを語った。

“「今こそ、あらゆる声を拾い上げることに目を向けるべき。私たちの声を『反抗的な若者』で片付けていられる時間はない」”

-リジー・デュークモー

「8年生の時、図書館にLGBTQIA+のコミュニティに関する本がないことにショックを受けたのを覚えている。司書に聞くと、これまで誰も頼まなかっただけと言われた。それで欲しい本のリストを作るように言われ、そうしたら、それらの本を入れてくれました。」デュークモーは言った。

「ボイシの町でレズビアンの両親に育てられたゲイの少女である私自身のアイデンティティは、アドボカシーやリーダーシップに対する考え方を形成する上で、とても大きな役割を果たしてきた」デュークモーはそう認め、そして図書館でそれらの本を手に入れた数年後、地元でLGBTQIA+の権利に関する地域勉強会を企画したことに触れた。

勉強会の後、ある女性から次のように言われたことをデュークモーは覚えている。「この勉強会を企画してくれてありがとう。こんな環境で大きくなるなんて、かわいそうに。ごめんなさいね。申し訳ないと思うけれど、あなたのような人たちが未来を担ってくれることを、とても幸運に思うわ。」

「この女性が、たぶん自分自身が楽になりたくて謝ったこと、さらに私が変化を起こすのを待つと言ったことには、イラっとしました。その気持ちには感謝します。私への賛辞のつもりだったことも分かりますが、いつ聞かされても、すごくモヤモヤします」デュークモーは言う。「この女性は55歳くらいで、私よりもはるかに多くを持っているはずなのに、私が変化を起こすことを待っているのです」

「アイダホ出身の若い同性愛者でブロンドのティーンエイジャーがそれを起こせるなら」デュークモーは、湯気を立てるマグカップの縁に目を泳がせながら、きっぱりと言った。「誰だってできる」

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左:サーモンのプラカード。スネーク川アイスハーバー・ロック・アンド・ダム近くのデモ隊による抗議活動に先立ち、ユース・サーモン・プロテクターズのアクティビストは、抗議ポスターを準備する。

中:ユース・サーモン・プロテクターズのメンバーは、スネーク川アイスハーバー・ロック・アンド・ダム付近の夜を徹した抗議活動で、スモアを分かち合い、サーモンについて語り合う。

右:ニミープー環境保護のコーディネーター、ジュリアン・マシューは、アイスハーバー・ロック・アンド・ダムの抗議活動で、ユース・サーモン・プロテクターズに話をする。

アイスハーバーの厳しい視察を終えたYSPは、近くのキャンプ場に移動し地域集会を行った。しかし、用心深いキャンプ場のスタッフが、周辺のキャンパーから苦情があったとして、ダム反対のプラカードを一般の人々から見えない所に移動すると主張したことで、よどんでいた空気はさらに重くなった。

「私はこの国に尽くしています。私は熟練者です。ゴンザガ大学を卒業しました。家があり、税金を払っています。部族の一員でもあります。狩猟もするし、釣り、採集もします。二流市民ではありません」マシューは痛々しい笑みを浮かべて言う。彼のカリスマ性は、自分自身も権利剥奪の感情に苛まれている若き擁護者達の心を打った。

ネズパース族は、LSRDを撤去する数十年にわたる闘いの中心にいる。多くの部族が生きている間に、ダムはコロンビアとスネークを野生の川から、巨大水力発電所と運河へ変容させた。1855年の条約によって祖先が留保し、米国政府が認可した漁業権にもかかわらずだ。サーモンやスチールヘッドは、伝統的な先住民文化が存続するための核心だ。ネズパース族をはじめ、PNWの多くの部族にとって、魚は部族の起源を語る上で中心的な役割を担っている。

「ニミープー環境保護やYSPを通じて集まる若い人々は、未来における市長、市会議員、我々の各コミュニティの部族リーダーです」とマシューは予想する。彼の口調は仰々しいというよりも直訳調だ。「若者に働き掛け、コミュニティ間のつながりを育成することが、我々の目標です。いっしょになることで、彼らは我々を未来へ導きます」

白人がほとんどを占める、非部族の都会人グループは、先住民の声を象徴化することなく、部族の正義を擁護できるのか、できるとすればどのような形で?とマシューにたずねた。

「部族民と非部族の若者によるこのような会合は、部族民が自身の声で自らを語る実に望ましい機会です。彼らはつながり、1つの声で、より上手く語ることができます。誰も誰かを代弁する必要はありません」とマシューは言う。

その夜、YSPは1人1人、冷めたピザとスモアを手に、焚火を囲んだ。北西部各地から集まったメンバーは、魚の問題にとどまらず、自分が故郷と呼ぶ地域社会にとってLSRDの撤去が何を意味するのか、自分自身との関わりを語り合った。

シアトルから自分の車を運転してきたローラーは、この会合のわずか1週間前に、サザンレジデント・シャチのK群に生まれた子どもの話をした。この群れに子どもが生まれるのは11年ぶりで、エサである成長した天然キングサーモンの供給が減少しているため、危機に瀕している。

YSPアイダホ州ルイストン支部のリーダー、スカウト・アルフォードは、祖父母が語る故郷の話をした。西部の最も内陸にある港町で、勢いよく自由に流れる河川と砂のビーチを持つ美しい河畔の町だったという。でもアルフォードが知っているスネーク・リバーは、運河を維持するために捨て石が並べられ、近付くことが難しい。ビーチはすっかり消えてしまった。祖父母がとても懐かしく思い出すルイストンは、彼女が決して知ることのない、でも取り戻したいと願う町だ。

ボイシ支部のコナー・マコールは、アングラーであることをあっさり認め、できればもっとたくさん魚を釣って持ち帰りたいというシンプルな理由から、魚がかつての豊かさを取り戻すことを願っている。消えゆく火を囲みながら、熱のこもった賛否の声が上がり、そうした感情はYSPの関心の多様性を示している。

ラジバンダリは、自分が話す番になると、盛り上げ役を買って出て、一同に呼びかけた。

「皆さんの多くが知っているように、僕は走ることが好きだ。この夏は900マイルのランニングに取り組んでいる。それはアイダホ・サーモンが産卵のために遡上しなければならない距離と同様だ。走る時、サーモンが僕の励みとなる。何か困難なことにぶつかったとき、僕はサーモンの強靱さに思いを馳せる。人は何かとても大きなものに立ち向かう時、例えばこれらのダムを壊すことがそうだが、自分がかつて大きなことを成し遂げたことを思い出す必要がある。僕らはもう1度できる。けれど、それは困難なことをやらねばならないということだ。不屈の精神こそが、我々をそこへ導いてくれる」ラジバンダリの語りは、モノローグを通して最高潮に達した。

長い1日が終わり、その時が来た。

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左:生息地が危ない! ユース・サーモン・プロテクターズは、ワシントン州バーバンク付近スネーク川にかかる米国ハイウェイ12号線の橋上で抗議する。

右:何がこの若者達をそれほど熱くさせるのか。それはスネーク川下流ダム4基を破壊し、部族との合意を尊重し、野生のサーモンやスチールヘッドを救うことだ。

スネーク川の数百フィート上に架かる12号線の鋼橋に、シュプレヒコールが跳ね返る。YSPの河畔の基地からはすぐだ。

我々は何を望むのか?
ダムを撤去しろ!
いつがいいか?
今だ!

我々は何が欲しいか?
部族の公正性だ!
いつ欲しいか…今だ!

橋の中央では、数十もの手が「スネークを解放しろ、部族との合意を尊重しろ」と書かれた幅25フィートのバナーを掲げている。辺ぴなバーバンクの町から西へ向かって、橋の下を上流のアイスハーバーへ向けて航行する空の荷船からはっきりと読み取れるほど、大きくて太いフォントだ。他には、さまざまな種類のサーモンやスチールヘッドの手書きの絵を掲げている者もいる。

橋の上で繰り広げられる光景を見ながら、こうしたデモの実際的な影響について思いを巡らせた。時速約80マイルで走り去るトラックが長いクラクションを響かせたが、その音は金属の構造物に共鳴し、「がんばれ」の意味なのか、それとも「失せろ」の意味なのかは分からない。

「過去には、他のアクティビスト・グループが、建物を壊したり、物を燃やしたり、たくさんの過激な行動をとってきたけれど、私たちには彼らのように憂さ晴らしをしている時間はない。私たちにはそんな時間はないし、サーモンにもそんな時間はない。今こそ、あらゆる声を拾い上げることに目を向けるべきだ。私たちの声を『反抗的な若者』で片付けていられる時間はない」デュークモーは語る。

バナーを丸め、最後のトラックに手を振って、橋を後にするYSPは、ストレスを発散し、高ぶっている。橋に向かって歩いていた時は、集中し、寡黙だったが、今は狭い金属の歩道で、前になったり、後ろになったりしながら、大声で笑い合っている。

「真の対話はパワーバランスがあってこそ可能です」橋の外へ歩きながら、ラジバンダリは言った。「ボリュームを下げ、話しをすべきタイミングを知ることが重要です。でも、時には力を獲得するために断固闘わねばなりません。話すべき時と闘うべき時がある。その違いを見極めることが肝心ですが、どちらも重要です」

今日、彼らは切羽詰まって声を上げた。誰かが聞いていたかどうかは、問題ではなかった。

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スネーク・リバー・アイスハーバー・ロック・アンド・ダムの木陰で、ユース・サーモン・プロテクターズは、サーモンとスチールヘッドを救うために水に入る。

「もし彼らがここにいたら、今、行動を起こそうとするでしょう」ラジバンダリは力を込めて言う。「彼ら」とは、前アイダホ州知事セシル・アンドラスと前上院議員フランク・チャーチだ。2021年にボイシのセシル・アンドラス・センターのイベントで、米国上院議員ロン・ウェイデンがスピーチで彼らを引き合いに出していた。

のどかなオレゴン州ラグランド市の静かなカフェで、ウェイデン上院議員の代理人であるキャサリン・キャセイが、ラジバンダリの向かい側に座る。そのオレゴン民主党職員を、汗まみれの、ほとんどがアイダホ州在住の20数人のYSPが取り囲んでいる。抗議活動の後に直行し、オレゴンの起伏に富んだ高地を3時間ドライブして到着したばかりだ。

「スネーク・リバー下流ダムに関して、上院議員により直接的行動を促すために、YSPに何ができるでしょうか」ラジバンダリの放ったジャブにどう応じようかと考えているキャセイを、デュークモーが促した。

キャセイはYSPに、上院議員の管轄区に住むオレゴンのYSPメンバーと話すことが最も有効だろうと伝えた。その場にそうしたメンバーがいなかったからだ。

「できます!」デュークモーは、自分たちの誤りに気付き、息巻いた。「オレゴンのメンバーは、どんどん増えています。ちょうど大きな集会を終えたばかりで、オレゴンのメンバーの多くが家へ帰らなければならなかったのです。絶対にやってみせます」

握手をして別れ、YSPはぞろぞろとメインストリートへ出た。そこでは、デュークモーがひるまず、猛烈にメールを打っている。

彼女は上院議員事務所との次の面談を手配していた。今度は、地元のYSPメンバーをまじえて。

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オレゴン州ラグランド市で、米国上院議員ロン・ウェイデン(オレゴン民主党)の補佐官キャサリン・キャセイは、ユース・サーモン・プロテクターズとの対話で苦境に立たされる。

ボイシへの帰路、オレゴン東部とアイダホ南西部の起伏に富んだ小麦・大麦の丘陵地帯は、YSPが深刻に懸念している問題について考える十分な時間と空間を与えてくれた。

これで十分なのか。選挙で選ばれた地域、地方、連邦議員との終わりのない会合。膨大な数のはがき、電話、Eメール。慎重に計画されたデモ。

足りないのではないか。遅すぎるのではないか。

YSPは、名指しや非難合戦に多くの時間を割かない。彼らは議論する時間がないことを危惧している。誰が悪いかなんてどうでもよい。手遅れになる前に、彼らは何とかしなければならないのだ。

1つYSPが確信しているのは、何も変わらなければ、すべてが変わることだ。スネーク川やアイダホのサーモンとスチールヘッドは、あと数世代で、絶滅に瀕する。ほとんどのYSPメンバーは、生きてきた歳月よりも短い期間内に、スネーク川の天然サーモンやスチールヘッドのいない時代を生きる最初の人類になるかもしれない。

彼らにその責任があろうとなかろうと、彼らが将来どんな仕事に就こうとしていても。

「この活動は永遠です」YSPが日々直面する現実を並べながら、ラジバンダリが言う。「決して消滅しないどころか、今ではとても重要です。サーモンやスチールヘッドを復活させ、気候正義や部族の公正性を守るためにできることが既に分かっているのに、謝罪し、未来の世代に期待する――僕の子どもたちにはもうそんなチャンスはないというのが現実です。我々には限られた時間しかありません。待ってはいられない。」

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「今こそ、あらゆる声を拾い上げることに目を向けるべき。私達の声を『反抗的な若者』で片付けていられる時間はない。」リジー・デュークモーは言う。

詳しく知りたい方に:パタゴニア・フィルム2014年ドキュメンタリー「Dam Nation」およびパタゴニア・ブックス2023年発行「Cracked: The Future of Dams in a Hot, Chaotic World」(Steven Hawley著)は、魚を殺すダムを撤去し、再び河川を連結する環境上の必要性や機会をテーマにしています。

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