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グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

根津 貴央  /  2023年3月15日  /  読み終えるまで10分  /  ハイク

ピークを目指さず、標高3,000mを超えるヒマラヤの村々を繋ぐロングトレイルを歩く。

ドルポのツァルカ村 (標高4,300m) は、チベット文化が色濃く残る。

全ての写真:根津 貴央

「ヒマラヤは世界最大の里山だ」

ヒマラヤに通いはじめて、もう9年目になる。そう言うと、大抵「どこに登ったんですか?」と聞かれるが、どこかの頂上を目指す旅ではない。毎回、グレート・ヒマラヤ・トレイル (GHT ※1) を歩きに行っているのだ。

GHTとは、ヒマラヤ山脈を横断する1,700㎞のロングトレイルである。ヒマラヤ山脈は高峰が連なってはいるが、人を寄せつけない隔絶された場所ばかりではない。標高4,000mを超える所にも村があり、そこで暮らす人々がいて、村と村をつなぐ生活道が縦横無尽に走っている。GHTの大半は、そんな村人たちの生活道なのだ。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

GHTはあらたに作られたトレイルではない。そのほとんどが既存の道を利用している。

私は、アメリカのロングトレイルがきっかけで、長期間の歩き旅に魅了された。それはロング・ディスタンス・ハイキング (※2) と呼ばれ、数週間〜数カ月にわたって、野営をしながらトレイルを歩き、町と町をつないで補給を繰り返しながら旅をするハイキングのスタイルである。

このスタイルでGHTを歩いてみたいと思った。アメリカであればトレイル沿いのトレイルタウンにわざわざおりて補給するが、GHTの場合はトレイル上に村がある。生活道ゆえにアメリカのように整備されたトレイルでもない。

そんな山上の村々をつないでヒマラヤのマウンテンライフを味わいながら旅をする。まさにGHTならではのロング・ディスタンス・ハイキングだ。こうして、私はGHTに通いだすようになった。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

ダウラギリ山群が眼前に広がるシェリ村では、民家の庭にテントを張らせてもらった。

しかしながら、新型コロナウイルスの影響もあり、ここ3年は行くことが叶わなかった。実に4年ぶりのGHTだった。今回歩いたエリアは、西ネパールに位置し、「ヒマラヤ最奥の聖地」と称されるドルポ。周囲は山々で囲まれており、どの方角からも5,000m以上の峠を超えなければ辿り着くことができない地域でもある。

ドルポの東側にあるカグベニ村を出発した私たちは、GHTを歩きながら5,000mの峠を超え、次の村へと向かっていた。この峠道もヒマラヤで暮らす地元の人たちの生活道である。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

村々を繋ぐ生活道を歩く。村で食糧を補給して、また次の村へ。

テント泊をしながら、もう丸6日間も歩きつづけていた。標高4,563mの野営地で迎えた7日目の朝は、いくつかの山あいから朝陽が差し込み、穏やかで、柔らかな空気に包まれていた。

テントは結露でビショビショになっていた。両手で生地を大きく広げ、勢いよく上下に振る。舞い散る雫が陽光に照らされ煌めいている。ひとしきり水を払ったら、湿った寝袋と並べて天日干しにした。

よし、そろそろ行こうか。ギアが乾いた頃合いを見計らって仲間同士、声をかけあう。今日もまた歩きはじめることにした。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

標高4,563mの野営地。ようやく太陽が顔を出した。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

歩き続けること1週間。ついにツァルカ村が現れた。

野営地を出発して2時間が経ったころ、遠くに家並みが見えてきた。ツァルカ村 (標高4,300m) だった。

石積みの壁に、木の枝を束ねた屋根を組み合わせた、昔ながらの家々が立ち並んでいた。一角に、たくさんの村人が集まっていた。どうやらお葬式が行なわれているようだった。邪魔してはいけないと遠目から眺めていたのだが、こちらに気づきどうぞと招かれる。お葬式の場所には、不思議と沈痛な雰囲気はいっさいなかった。合掌だけさせてもらい立ち去るつもりだったが、そのまま別の部屋に通され長椅子に座ると、白濁した飲み物が差し出された。

チベットでよく飲まれているバター茶だった。甘みはなく、塩っ気のあるお茶である。日々の疲れが蓄積していたせいもあるだろう、ひと口飲むと、脂質と塩分がカラダじゅうにしみわたっていく心地がした。

飲み終えると、女性のひとりがチベットの調度品とおぼしきポットで注いでくれる。しばらくしてそろそろ飲み終わるというタイミングで、また継ぎ足される。そう、自らストップをかけないと終わらないのだ。遠慮がちに言うとお構いなしに笑顔で注がれてしまうので、気をつけないといけない。GHTを旅していると、行く先々で、このようなヒマラヤの暮らしのなかに自然と溶け込んでいく。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

ツァルカ村からドゥネイ村へとつづく道の途中、とある放牧地で野営をする。

ツァルカ村では、村人からこの先のGHTについて話を聞いた。2022年は例年より早く雪が降ったこともあり、GHTのルートになっている道は、雪で閉ざされているところも多いようだった。ただ、GHTのルートではないが、ドゥネイという村へとつづく道は村人がよく使う道でもあり、こちらは問題なく歩けそうだった。

私は、プランには入っていなかったこの道を歩いてみたくなった。GHTの正規ルートでもない、ヒマラヤの人々の純粋な生活道である。しかしある意味で、そこにこそまだ見ぬGHTの魅力が詰まっているような気がしたのだ。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

村人たちの憩いの場でもあるバッティ (茶屋) に立ち寄る。

ツァルカ村を後にして、5日目のこと。標高約3,000mのあたりで、道の両側に石造りの家屋が立っていた。バッティ (茶屋) だった。

こんなところにも暮らしがあるのだ。アメリカだったらこの標高に生活は存在しない。補給をするならトレイルを離れて下界におりる必要がある。これまでさまざまなトレイルを歩いてきたが、こんなトレイルは初めてである。ヒマラヤは巨大な里山なのだ。

バッティの軒先には、女将さんが座っていて、私たちを見るやいなや大声で語りかけてくる。笑顔だから、きっと怒っているわけではないのだろう。でも、なにを言っているのかさっぱりわからない。とりあえず、笑顔でナマステ (こんにちは)、サンツァイ (元気です)、ボクラーギョ (お腹が空いた) など、知る限りのネパール語を並べ立ててみた。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

道沿いの民家にお世話になり、自家製のロキシー (ネパールの地酒) をいただくこともあった。右は、一緒に旅をしている写真家の飯坂大。

ニワトリがあたりをかけめぐっていた。これはもしかしたら? と淡い期待を抱いた。私たちの旅の食事は、基本、現地調達である。もちろんネパールの首都カトマンズから背負ってくるものもたくさんあるが、日本から持っていくことはほぼない。現地の食を味わうことも、ヒマラヤをロング・ディスタンス・ハイキングする際の楽しみのひとつだからだ。

淡い期待というのは、ニワトリを食べられるんじゃないかと思ったのだ。そして案の定、生きたニワトリ1羽を4500ルピー (約4,650円) で買うことができた。一緒に旅をしているネパール人が手際よくニワトリを絞めて、捌く。火にかけた圧力鍋に放り込まれると、ジュウジュウとけたたましい音を立て、すぐさまいい匂いが漂ってきた。

できあがったのは、ダルバート (ネパールを代表する家庭料理で、ダルは豆、バートはごはんのこと) ならぬ、ククラコマスバート (ククラコマスは鶏肉のこと)。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

新鮮なニワトリを捌いて食べた、鶏肉ごはん。ネパールの食を味わうことも、私たちの旅には欠かせない。

鶏肉のカレーというよりは鶏肉のスープで、表面には鶏肉からでた油がたっぷりと浮かんでいる。その濃厚なスープをごはんにぶっかけて、おもいおもいにかき混ぜて口に放り込み、ワシャワシャと食べる。もちろん手食である。みんな空腹だったのだろう。ひたすらに食べつづけた。飲み込むように食べた。そしておかわりをして、またかきこんだ。

たまに顔を上げてお互い笑顔で目配せをする。この鶏肉の旨味と油と、塩っ気の強い味付けがたまらないね。そう思っているに違いなかった。

居心地が良くて、2時間ほど滞在してしまった。そろそろ歩き出さないといけない。今日はあと10km近く歩く予定なのだ。出発の支度をしていると、また笑顔の女将さんが大声で喋りかけてくる。引き留めているのか、旅の無事を祈ってくれているのか、残念ながら私には彼女のネパール語を理解する力がなかった。とにかく、鶏肉は最高だったし、女将さんには感謝しかない。私は笑顔で、そして大きな声で「ダンネバート、フェリベトゥンラ! (ありがとう。またね)」と言った。

前方からは、角材を背中に積んだロバが列をなして歩いてくる。これまで私が立ち寄ってきた村に運び、何かを建てるのだろうか。そんなロバを見送りながら、私たちは逆方向へと歩きはじめた。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

今回の歩き旅のなかで、荷物を積んだロバとすれ違うことは何度もあった。

私たちのヒマラヤの歩き旅には、何か特別なことが起こることはまずない。

ただひたすらに現地に浸り、馴染む。まるで村人のごとく、村々を歩いて、食べて飲んで寝る。まぎれもなく旅に来ているのだけれど、そこにあるヒマラヤの日常は、私にとっても日常である気がしてしまう。ヒマラヤの生活道を歩く旅とは、そういうことなのだと思う。

これまで6回足を運び、GHTの1,700kmのうち約1,100kmを歩いた。あと3〜4回で残りを歩き切る予定だ。

グレート・ヒマラヤ・トレイル:暮らしの道を歩く旅

寝食を共にし、一緒に歩きつづけた仲間たち。

(註釈)
※1 グレート・ヒマラヤ・トレイル (GHT):2011年10月1日に開通したネパールのロングトレイル。ヒマラヤ山脈を貫くトレイルで、Upper route (山岳ルート) とLower route (丘陵ルート) の2本で構成されている。総延長は、前者が約1,700㎞ (標高3,000〜6,000m超)、後者が約1,500km (標高1,000〜4,000m超)。このUpper routeを踏査し、里山としてのヒマラヤの魅力を日本に広めるために2014年に立ち上げられたのが『GHT project』。メンバーは山岳ガイドの根本秀嗣、TRAILS編集部crewでライターの根津貴央、写真家の飯坂大の3人。

※2 ロング・ディスタンス・ハイキング:数百km、数千kmにもおよぶ長距離 (Long distance) トレイルを歩きつづける行為。自然のなかのトレイルを歩き、数日〜1週間おきに町におりて食料などを補給し、また自然のなかに戻って、トレイルを歩きつづける。そんな旅のスタイルである。そのスタイルやカルチャーについては、日本初のロング・ディスタンス・ハイキングにフォーカスした書籍『LONG DISTANCE HIKING』(TRAILS) に詳しい。

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