息をする権利
全ての写真:ギャレット・グローブ
子どものころ、安心して息ができる、と感じたことは一度もありませんでした。毎日、母と私は南ロサンゼルスのアパートの窓をしっかりと閉め切り、外の空気が少しでも中へ入り込まないようにしていました。外は腐った卵の匂いのする空気が充満していて、チェリーやグアバ、柑橘類やチョコレートなどの合成芳香剤でごまかしていました。
私たちの自宅の前の道路をはさんだ向かい側、ロサンゼルス市の中心部には、地下で操業している油井がありました。ゲートに閉ざされ、見た目には何でもないような産業地区のこの隣人は、私だけでなく地域全体の健康を毒で冒す無言の怪物でした。
石油掘削から10メートル足らずのところで育った私は、幼少時代を奪われ、将来にも暗く長い影を落とされました。私はこの不正な行為を表現するための法律用語や科学用語をすべて知っているわけではないかもしれません。でも、自分自身の経験は知っているし、化石燃料産業が私の人生を取り返しのつかないほど変えてしまったことも理解しています。

アメリカ国内最大の都市油田のひとつである、ロサンゼルス南部のイングルウッド油田で稼働するポンプジャック。この巨大な敷地の8キロメートル以内に、100万人以上のロサンゼルス市民が在住する。
掘削がはじまったとき、私は9歳でした。それから数か月もしないうちに大量の鼻血が出るようになり、自分の血で喉を詰まらせないよう、椅子に座って眠らなければならないほどでした。10歳になると動悸と身体の痙攣がはじまり、数週間心臓モニターをつけ、母は私の弱った体をあちこちに連れて行きました。同時に、私の家族は三世代全員が喘息を発症しました。
カリフォルニア州だけでも、3百万人近くの住民が稼働中の油井やガス井から1キロメートル以内に住んでいる、という憂慮すべき現実があります。なかでもロサンゼルスにあるイングルウッド油田は、国内最大の都市油田のひとつです。私が育ったような地域はしばしば「犠牲ゾーン」と呼ばれ、低所得世帯や有色有色人種が汚染産業に近接して暮らし、白人や他の裕福な人種よりも著しく大気汚染にさらされています。このような状況の地域で暮らす黒人やラテン系の住民は、慢性的な吐き気、鼻血、呼吸器疾患、がんのリスクが高まることが証明されています。これが、環境的人種差別です。

コボの母モニク・ウリアルテが掲げているのは、アレンコの地下油井の横に立つ当時10歳の娘の写真。
私が幼かったころ、このような用語や統計は知りませんでした。でも自分の共同体を愛していた私は、私たちが攻撃されていることは実感していました。だから立ち上がり、反撃したのです。
9歳のとき、私と母は一緒に戸別訪問をはじめ、近所の人たちに私たちと同じような症状があるかどうか尋ねました。結果は明らかでした。油井が稼働する前は、近隣の何十もの家族は健康でした。しかしいま、私が知っていた子どもたちは救急処置室に入院し、幼少時代のすべてを失っていました。
この当時のある日に経験した、忘れられない思い出があります。4年生だった私はカトリック系の小学校から母と一緒に歩いて帰宅する途中で、石油掘削現場のゲートが開放されたままになっているのに気づきました。その光景が信じられなかった私たちは顔を見合わせ、衝動的にその敷地内へと駆け込みました。そこで現場作業員に出くわしたのですが、彼は私たちを温かく迎え入れると、見学ツアーに招待したのです。その数分後には、私たちは暗いトンネルへと狭い梯子を這い下りていました。まず低い振動音が聞こえ、それから突然、21列の稼働中の油井が目の前に広がりました。そこで作業員が誇らしげに語ったのは、油井はあまりに強大な圧力のもとに稼働しているため、彼と同僚たちは爆発の可能性を防ぐために、10〜15分ごとに特殊なバルブを手動で緩めなければならないということでした。
それから彼は、私に手土産を渡しました。それは石油と水の入った瓶。そして「水と油は決して混ざらないんだよ、覚えておいてね」と言いました。

いまから10年以上前、当時10歳のコボがアレンコ社の石油掘削現場で作業員から「手土産」としてもらった、石油と水が入った瓶。
ここを見学して、私は悪夢を見たような感覚に陥りました。私の共同体は一瞬のうちに消滅してしまうかもしれない……それなのに誰も気にかけてはいないのだ、と。それからの数か月間、私は15分おきに時計を眺めては息を止め、「あのおじさんがバルブを開けてくれますように」と独り言を呟きました。そしてその瞬間が何事もなく過ぎるたびに、作業員が私たちのことを忘れないでいてくれたことに感謝しました。しかしこの経験により、それまで以上に油井を閉鎖させたいという私の決意は固まりました。
私は学生、親、祖父母、先生、保健推進者、同じカトリック教会に属するメンバーなど、何千人もの地域住民で構成される組織を作りはじめました。私たちは皆でサウス・コースト大気質管理局(SouthCoastAirQualityManagementDistrict)に苦情を申し立て、市の集会に出席し、市役所での公聴会で発言し、自分たちで大気サンプルを収集しました。
共同体として、私たちは3頭の怪物と闘いました。それは石油産業と、油井が操業する土地を貸し出したロサンゼルスのカトリック大司教区と、そして有色人種をつねに傍観者扱いする壊れた規制体系です。私たちは自身が専門家となり、みずからを守らなければなりませんでした。
最初の症状が現れてから数年も経たないうちに、私はフルタイムの活動家になっていました。学校のダンス会には参加せず、会議に参加するために旅をし、都市での石油採掘を廃絶するために環境的人種差別について語りました。すべてをこなしながら、自分の体調も管理しました。活動家としての私の道のりは、自分が生き残るための闘いとしてはじまりました。そしていま、それは自分自身のためよりも、はるかに大きな意義へと発展しました。化石燃料産業の手によって健康危機に苦しまなければならない人を、これ以上出さないことです。
州内各地を訪れるうちに、私たちと同じような状況に直面する共同体に次々と遭遇しました。そして彼らとも力を合わせ、市全域や州全域の環境正義の同盟に加わることで、私たちの声はさらに強くなっていきました。2013年、道路の向かいにあった石油企業はついに掘削を閉業し、2020年には油井の封鎖と廃止を命じられました。さらに2022年には、ロサンゼルス市は油井およびガス井の新設を禁止し、既存のものも20年以内に段階的に廃止することを定めました。

ケネス・ハーン州立レクリエーションエリアに隣接する都市油田の前に立つコボ。1.5平方キロメートルに広がるこの公園は、何世代ものコボの家族が数十年にわたって訪れてきた場所。
私がこれを書いている2024年、カリフォルニア州の新たな上院法案1137が有効となります。これは新しい油井やガス井と、人びとが生活する住宅、職場、学校、公園、教会や寺院といった場所のあいだに975メートルの緩衝地帯を設けるというもので、さらに既存のものに対してもより厳しい安全規制を要求します。
しかしこのような大勝利を祝う一方で、私は気候危機の要因と同じ化石燃料の燃焼が毎日人びとを毒しつづけ、推定では世界中の5人に1人の死因が、石油とガスの排出による大気汚染であることを知っています。そして私のような生存者にも、深い傷痕を残すことも。
それは新型コロナウイルスの世界的大流行がはじまる直前、私の19歳の誕生日の1か月後のことでした。「あなたはがんです」という恐ろしい診断を受けたのは。ステージ2の、希少で侵攻性の高い生殖器系のがんで、私は生殖機能か命かという決断を迫られました。3回の手術、8回の処置、3回の化学療法、6週間の放射線治療を乗り越えたのち、がんはなくなったと断言されました。
上院法案1137のような法律は、罪のない人びとの命を守り、私のような子どもたちにとって生死を分ける意義をもたらします。しかし企業はこうした法律を阻止するために、あらゆる手段を投じます。過去2年間に「ビッグオイル」と呼ばれる大手石油企業が上院法案1137の阻止に費やした額だけでも、6,000万ドルにのぼります。私たちのような共同体は、黙らせ、見捨て、無視することができるものだと、外部の人間から見なされています。それでも私たちは、きれいな空気を吸うという基本的な人権を守るための揺るぎない決意を原動力として、歴史的な気候変動対策を推し進めます。
私たちは自己の命を救うために闘いつづけますが、それは自分たちだけではできません。私たちの声を聞いてくれる、そして大気汚染や増加する気候危機の脅威から私たちを守るために、手助けをしてくれる政治家が必要です。彼らを選出するのは私たち市民であり、彼らを落選させることができるのも私たち市民です。
今年の11月、あなたが投票用紙に記入する場所がどこであれ、気候危機の影響を直接を受けている罪のない人びとのことを思い出してください。窓から油井を眺める9歳の少女や、新たに診断された喘息に苦しむ80歳のおばあちゃん、がんの治療と高校生活を両立している10代の若者のことを考えてください。
私たちとあなたには、それほど違いはありません。私たちは皆、同じ空気を吸っています。私たちは皆、同じ地球に住んでいます。あなたの家族が危険にさらされるのは今日ではないかもしれませんが、私たちが化石燃料産業に責任を負わせないままでいれば、それが起こるのは明日かもしれません。前進の道は明らかです。この11月、気候変動対策のために投票してください。あなた自身の命が危険にさらされるまで待つことは、しないでください。

がんの診断にもかかわらず、コボは上院法案1137を守るために、最前線の共同体と政治のリーダーたちを組織しつづけてきた。