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なぜ、私たちは新しいものを買い続けるのか?

アーチャナ・ラム, 西城 克俊, 角田 東一, 赤星 明彦, 辰己 博実, 進士 剛光, 邑上 守正, 野平 晋作, 金子 ケニー & 関口 雅樹  /  2023年11月16日  /  読み終えるまで14分  /  デザイン, Worn Wear, カルチャー, クライミング, スポーツ, ハイク, 環境

私たちの脳がそれを好む傾向にあるからだ。

全てのイラスト:ナイーマ・アルメイダ

はじめてのマイホーム購入は、賢い消費の勉強になった。それまで住んでいた家は契約終了と共に、寿命が尽きてしまいそうな思い出にならない物で溢れていた。家を買うからには、私たち夫婦とともに歳を重ねていくことができる物でその空間を埋め尽くしたいと思うようになった。だからといって、欲しいものを何でも買えるわけではないし、頭金と数十年にもわたる住宅ローンの支払いは、気が重くなるような足かせになる。いずれにしても、今回は新居に持ち運んだ物を大切にしたかった。

不用品交換会で譲り受けた1940年代のダイニングテーブル、家族のお下がりのラグ、職人技が光る新しい工芸品など、ほとんどは上手くいった。しかし、ソファだけは不発に終わった。空間に対して小さすぎたし、大人2人と1頭の大型犬が、みんなで快適にのびのびとするには小さすぎたのだ。ようやく買い替えを心に決め、そのために節約を決心した。私たちは徹底的に調べ、候補のソファに何十回も座り、夜に寝そべって映画を観る姿勢までシミュレーションを行った。長くそばに置いておけるものにしたかった。だから、販売員に何度もしつこく尋ねた質問は、「どれくらい長持ちするか」ということだった。

「おそらく、長く使い続けるよりも、先に飽きてしまうでしょう」と彼女は答えた。

彼女が正しいとは認めたくなかった。正直なところ、新しいソファが欲しいもう1つの理由は今のソファに飽きていたから、という事実に目を背けていた。より実用的な理由で隠そうとしても、確かに心のどこかで、何か輝く、新しいものを求めている自分がいた。

結果として、私の欲求が単に感情的なものではなく、神経学的なものであると後に知った。家具であれ、服であれ、食物であれ、流れてゆくソーシャルメディアのタイムラインであれ、私たちの脳は新しいことに注意を払う。わずかではあるが、新しさは神経系に活性化をもたらす。それは快感の神経伝達物資「ドーパミン」の波動であり、私たちが何か新しいものと向き合うたびに、ポジティブな反応を生みだす。

「生存競争という観点からみれば、なぜそうなったのかを想像できるでしょう」ハーバード大学医学部神経外科教授で、マサチューセッツ総合病院の小児神経外科部長を務め、『Minding the Climate: How Neuroscience Can Help Solve Our Environmental Crisis』(気候への懸念:神経科学は環境危機の解決にどのように役立つのか)の著者であるアン・クリスティン・デュハイム博士は言う。「もし先史時代の人、あるいは動物だったら、新しいブルーベリーの群生を見つけたら、とてもうれしい。でも、もしプレデターみたいな新しい脅威を見つけて、注意を払わなかったとしたら、それはまずいことになる。神経系は、よく知っているものよりも、新しいことに注意を引き付けられるように設計されています」

なぜ、私たちは新しいものを買い続けるのか?

人が新しいものを切望するのは、一因として、脳が私たちをその方向へ促すからだ。この特性は、先史時代の狩猟・採集社会では、新しいベリーの群生は吉、牙を持つトラは凶といったように有効だったが、現在では過剰な消費や気候危機の原因になっている。

これらのシグナルは脳の報酬系の一部であり、すなわち私たちの意思決定をサポートするフィードバック・ループでもある。デュハイムによれば、まず、ヒトは新しいものに気付くことで、ちょっとしたご褒美としてドーパミンを受け取り(これを「覚醒反応」という)、それによって行動が強化される。続いて、その新しいものが何であるかに応じて、別の反応が起こる。その時、私たちは判断を下し結果を体験する。有益な体験であれば、脳は記憶中枢(海馬)と協力して、そのポジティブなものとして関連づける。

この報酬系が発達したことで、ヒトはただ新しいだけでなく、多くの「新しさ」を求めるようになった。進化の過程の中では希少性が当たり前であるから、ヒトは強力なブレーキを発達させる必要がなかった。しかし、1700年代後半の産業革命や第二次世界大戦後の数年間にスケール、スピード、豊かさがもたらされてからは、「何事もほどほどに」は、生存メカニズムではなく、古臭い忠告となった。

今、私たちはかつてないほどのブレーキが必要であり、消費であふれている。エレン・マッカーサー財団によると、2000~2015年の間、服や靴、アクセサリーの生産量は、世界的に倍増した。個人レベルで考えてみると分かりやすい。1930年、アメリカ人の女性が所有する服の数は平均9着だったが、今ではそれがほぼ3倍になったと著書『Fixation』の中で、サンドラ・ゴールドマーク教授が指摘している。可処分所得が多い人の場合、その数はもっと多いだろう。

服であれ、それ以外であれ、ものを作ることは、地球にとってタダではない。しかし、その因果関係は、食物の環境コストほど明確ではないし公表されてもいない。食物を作るには、土、水、労働力、その他の資源が必要なことを私たちは知っている。服も綿であれ、麻であれ、新素材を合成する石油であれ、最初は同じだ。服が穀物からはじまり、生地から完成品になるまでに、多大な資源を消費し、大勢の労働者を必要とすることを無視するのは簡単だ。この断絶が現実である。

ある試算によると、被服産業の生産・加工工程の炭素排出量は、原材料の掘削・採掘・皆伐・抽出から、服の製造機械を動かす水やエネルギー(しばしば石炭)までを含めると、世界全体の炭素排出量の最大10%を占めている。リサイクル素材やオーガニックコットンといった素晴らしい努力でさえ、そうした影響を完全に打ち消すことはできない。例えば、当事者の口から直接聞いた例を挙げよう:パタゴニアでは、2023年の排出量の約90%が、サプライチェーンと原材料製造工場に起因している。

服は役割を終えると、お下がりやリサイクル、アップサイクルされないかぎり、大半が埋め立てられるか焼却処分になる。環境保護局によると、2018年には衣類の85%が埋め立てられ、1人当たりの廃棄量に換算すると約40kgになる。しかしながら、私たちはその捨てられた物の重さや大きさを理解していない。使い終えてしまえば、それらの服は他の誰かの問題になるからだ。ゴミ収集業者、寄付金の山から不用品を分別する非営利機関、あるいはこうした衣類の集積場にされる他の国々など。「採取し、製造し、廃棄する」というこの陰湿なシステムは、2030年までに被服産業の排出割合を50%に膨らませかねない。

もちろん、そこにはもう1つの報酬系が存在する。それはCEOや株主などが、私たちに物を売りつけ、すでに持っているものを修理するよりも新しい物を買う方が簡単で安いという選択肢を与えるインセンティブだ。神経学者のアン・クリスティン・デュハイム博士は、執筆時の調査で、マーケティング担当者向けにそうした神経系を分析した論文を見つけた。

「その研究は売ることを念頭に置いたものでした。経済は継続的に成長すべきと私たちは考えますが、でも、誰がなぜそれを買わせたがっているのかまでは考慮しません。CEOや役員がボーナスをもらうためにあなたにこれを買ってほしい、と彼らは言いません。似合うから買うべきだと言うでしょう。こうした消費が、私たちを取り巻く深刻な実存的危機を増大させており、それは世界的にみても悪化しています」

自身の消費熱をとがめる前に、脳が舞台裏で潜在意識の仕組みを動かしていることを思い出してほしい。特に買い物は、脳に直ちに短期的報酬をもたらす。それはつかの間の満足だ。数年か、数カ月(あるいは数週間)経つと、かつて手に入れたものに、今ではそれほど興奮を覚えなくなる。私のソファもそうだし、クローゼットを見渡して「何も着るものがない」と言う時もそうだ。

その原因の1つはファストファッションであり、次々と流行を回転させることが専門で、私たちにもっと多く、もっと頻繁に必要であることを訴えかける。しかもこれらの服は安価で、すぐ劣化するため、取り替えたいという衝動は合理的で身近なものに感じられる。「多ければ多いほどよい」という精神構造のもう1つの原因は、私たちの神経にある。私たちの脳は時間とともに、新しいものを知る余白を作るために、報酬価値を小さくしてしまう。購入した後の「高揚感」を再び味わいたければ、頻繁に買い物を繰り返すしかない。コンサルティング企業のマッキンゼーによると、平均すると服の着用回数は15年前と比べて36%減っている。

「進化論的には、常に同じ機会を利用していたら、決して新しい機会を模索することはないでしょう」と、サンディエゴ大学グローバル政策・戦略学部消費心理学助教授のユーマ R. カーマーカー博士は言う。「新しさは、食物を発見したり、新たな情報を発掘したりして、身の回りの世界を探求するのに実に有用です。おかげで私たちは行き詰まらなくてすむし、今よりさらに向上する機会を得られます」

カーマーカーは、その背景にある心理を説明しようとするが、それでも「新しい服は向上の機会」という考えは、せいぜい笑えるか、悪く言えば甘いし、利己的だし、恥ずかしいと感じられる。この10年ほどで、こんまり(近藤 麻理恵)の信奉者が急増したことから判断すると、「より少なく、より豊かに」の教えを理解する人々はたくさんいる。それでもなお、私たちは消費する。なぜなら、人が何かを買おうと決断する時に作用するのは、神経系の信号だけでなく、そこには感情・欲求・ニーズ・外部圧力による複雑に絡み合っているからだとカーマーカーは言う。

「購入のために、あなたを誘導したり、あるいは強く押しやる要素がたくさんある」とカーマーカーは言う。「取引が成立した場合、それは報酬になります。もう1つは希少性、つまり今買わなければ、もう2度と手に入らない。あるいは社会的な圧力もあります。チャンスを逃すことへの恐怖は、実に心理的な要因なのです。ブラックフライデーのような切迫した瞬間に、人が受け取る社会的情報は『自分は群衆がしていることをしているだけ』となります。手ぶらで店を出たら、それは間違いだったのでしょうか。しばし人々は、意思決定プロセス自体が楽しいので、好きでもないものを購入することがよくあるのです」

なぜ、私たちは新しいものを買い続けるのか?

割引、独占性、希少性はいずれも、購入しようとするものに私たちが割り当てる報酬、購入に踏み切るかどうかに影響します。

そうした生物的・感情的な揺さぶりを理解すると、サマー・ブラックフライデーやAmazon プライムデーのようなお祭り騒ぎが存在することの理由を説明することができる。最終利益の責任者は、私たちにどう働き掛けるかを、あるいはどうやって代金を回収するかも知り尽くしている。人は「これを買うと懐が痛む」などとジョークを言うが、それは単なる比喩ではない。「支払いの痛み」は、1996年に行動科学者のオファー・ツェラーマイヤーが考案した言葉だが、実際に存在する。

「脳の研究によると、私たちが感じるのは、身体的な痛みではなく、心の痛みです。これらの回路は重なっていません。電気的ショックに対してというよりかは、不快や悲しい気持ちに対する脳の反応のようなものです」とカーマーカーは言う。

現金は懐にとって最大の苦痛を伴うと彼女は言う。一方で、オンライン決済は支払いの痛みが最も小さい。物理的財布を持たず、請求書やクレジットカードの受け渡しもなくなり、私たちは過剰な支出や消費から人を遠ざける有益な足かせを取り除いてしまった。

その代わりに、私たちはより多くの感情を衣服そのものに注ぎ込むようになった。衣服はもはや、単なる実用品ではない。デザイナーブランド、ヴィンテージ、アスリートのためのウェア、リサイクル、アップサイクル、ハンドメイド、オーガニック、米国製、フェアトレード・サーティファイド工場での製造など、いずれにせよ、服は私たちが何者で、どうありたいか、何に価値を置くかという自己表現の一つの形態になった。子どもでさえ、着るものが持つ力を理解している。小学生の頃、ハロウィーンのために市販のクレオパトラのコスチュームがどうしても欲しくて、エジプト女王が自家製の手縫いの衣装で学校に行くなんて絶対に格好悪いと思っていた。

両親もまた、私のコスチュームには口をつぐんだものの、「新品」が持つ文化的価値と社会的価値を理解していた。数年後、私は両親が中古の自家用車を買ったと勘違いしたことがあった。彼らは即座に「あれは新車。もう誰にも中古と言わないように」と私を正した。親戚のお下がりや中古ではなく新品を買うことは、移民の2人にとって、米国で成功したことの証だったのだ。

文化的な側面はともかくとして、生物学的には脳が追い求めるものは必ずしも「新品」ではなく、「新しさ」であると、デュハイムは念を押した。感情の器を、より搾取的でない、しかし満足できる手段によって満たす方法はある。中古品を買ったり、友達から借りたり、服を新品同然に修理したりすることだ。新しさは本質的に悪いことではない。むしろ、物を買う機会が減ってがっかりするのではなく、その数少ないチャンスを大切にする有意義な機会と捉えてはどうかろうか。そして、他に新しさを見いだすポイントはないだろうか。

「価値のあるものがもたらすものは、一面的なものではありません」とデュハイムは言う。「例えば写真や陶器、家具など、昔から家に伝わる品があるとしましょう。もし、あなたにとってゆかりのある品であれば、そこには別次元の意味や記憶、思い出があり、さらには『必要以上に物を消費しなかった』という報いが加わることになります」

彼女の説明によると、ヒトや動物は新しさに反応する傾向があるが、それは絶対的ではなく、私たちが反応する多くの力の1つにすぎない。その他の要因、例えば気候危機への懸念などによって、優先順位が変わることはある。

「社会的報酬には、かなり大きな力があります。自分を異分子のように感じている場合、変化を起こすことは難しいでしょう。しかし、同じ志を持つ仲間を見つけて、社会的報酬を通じて互いを補い合い、周囲の人々から賛同を得ることができれば、同じような動機を持つ人たちが一緒に行動を起こし変化が広まっていくのです。私たち一人ひとりが影響力を持っているのです」

デュハイムは、擦り切れて穴だらけになったお気に入りのアルパカの手袋の話をした。それまでどこも修理をしたことはなかったが、毛糸店に行き、オーナーと修理方法について話しはじめた時、オーナーは肘を上げて、補修を隠すどころか目立たせる継ぎ当てを、誇らしげに披露した。

「そこで思い切って修理しようという話になりました。彼女も私と同じくらい、自分の一点物のセーターに思い入れがあったのです。今ではその手袋について誇らしげに語ります。ほんとうに素敵なの。新しい手袋を手に入れる必要はなかったし、節約にもなりました。私たちの神経系は、報酬と見なすものを変えられるように設計されています。必ずしも消費を増やさなくても、人は創造性やプライド、あるいはスタイルへの自信さえ、見つけることができます」

なぜ、私たちは新しいものを買い続けるのか?

アン・クリスティン・デュハイム博士は次のように言う。「私たちは人間です。私たちには喜びが必要です。しかし、人は健康に食べ、かつ地球にとってより良いものを食べることはできます。本当に楽しく、しかも、より地球のためになることを行えます。自分や子どもたち、そのまた子どもたちのために、より良い選択を下しながらも、大いに楽しむことができます。私たちは、より良い未来へのビジョンを持たねばなりません」

さらには、メッセージを送ることもできる。最も有名な例は、米国の前国務長官マデレーン・オルブライトだ。彼女は政治的な合図を送るためにブローチを用いた。1997年、イラクの役人に会う時は、ヘビ型のブローチだった。サダム・フセイン陣営の誰かが、彼女を「比類なきヘビ」と呼んだことへのお返しだった。(現在、国立アメリカ外交博物館には、彼女のこうしたメッセージブローチの代表的なものが所蔵されている。)

同じように、古着や修理した服、お下がりを着ることで「もう十分に持っているし、既にあるものをもっと生かすことは、単なるファッションへの意思表明だけでなく、より良い未来のために必要なことなのだ」というメッセージの発信に繋がる。

デュハイムは次のように言う。「地球が燃えている!と頭ごなしに刺激することは、人々を遠ざける可能性があります。しかし、自分の手で修理した素敵なセーターを通じて、人々にこのような問題について考えることを促すことができるのです。人生の喜びをあきらめず、消費を減らし、生き方を変えることは可能です。世捨て人になる必要はありませんが、私たちには、これまで以上にこの問題を真剣に考える義務があるのです」

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