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思いついたら、やればいい

村岡 俊也  /  2024年5月28日  /  読み終えるまで9分  /  サーフィン

SUPレースで世界を転戦していた佐藤優夏は、練習のために訪れた奄美大島で競技者であることをやめ、動物たちとともに暮らし始めた。自分の心に従うシンプルな生き方、その自由について。

軽トラに、ロングボード。丘の中腹にある畑から、波チェックができる。写真:土屋 尚幸

犬1匹、ニワトリ30羽、山羊2頭に肉用牛5頭とともに暮らしている。人間よりも、動物と向き合っている方がいい。なぜなら、正直だから。嘘もつかず、愛を与えたら何倍にも返してくれるから。
4年前から奄美大島に暮らす佐藤優夏さんは「土地に根付いた仕事を」と、牛を飼うことを選んだ。一人暮らしにまず犬がやって来て、畑で野菜を作っているうちにニワトリをもらった。自分に牛が飼えるのか、確かめるために山羊との生活を始め、毎日の草やりを身体で覚えた後、母牛を譲り受けた。移住者が島で畜産業を始めることはとても難しく、優夏さんの他に例はない。今もまだ周囲からの信頼を得ている真っ最中という。けれど、彼女に牛飼いの手ほどきをしている島の先達に尋ねると「やりたいって言うからね。いや、大丈夫だと思ったよ。だって野生児だから」と笑った。

思いついたら、やればいい

スキンシップをしながら、健康チェック。写真:土屋 尚幸

牛を飼い始めるまでの優夏さんは、世界を転戦するSUPレースの競技者だった。体育大学ではラクロス部で活躍するも、集団スポーツ特有の閉塞感もあって、四年時には逃げ出すようにしてサーフィンを始める。義務のようだったスポーツから初めて解放された遊びだった。
好きになった海での仕事に就くために、サイパンでダイビングのインストラクターの免許を取得する。「帰ってきたら日本が窮屈に感じ」られて、日本と国外を行き来しながら働いていた。けれど、「あくまで海で働く手段として選んだ」ために、ダイビングが特別に好きなわけではなく、飽き始めた頃に今度はSUPと出会った。

「日本で流行り始めたばかりだったし、レースでいいとこまで行けるんじゃない? みたいな感じ。どうやら上に行けば賞金があるらしいよって友人に言われて、当時は貧乏だったから、賞金のためにレースに出始めたんです。そうしたら人よりもちょっと速かった。それまでのスポーツでベースはできていたから。ひたすら先頭を追えばいいっていうシンプルさが自分にぴったりだったんでしょうね。海外に出ていくための手段としてはいいかもしれないと」

ゴー!と言われて、一直線に漕ぎ出して、脇目も振らずに進む。その純粋さに情熱を燃やした。海、湖などさまざまなコンディションで行われるSUPレースだが、ただ一心不乱に漕ぐことが重要だった。特に性格に合っていた種目は、激流の中で行われるダウンリバーだった。

「川下りは止まれないから、とにかく行くしかないんです。川幅の中で、どこがもっとも流れが速いのか、岩の位置を考えて駆け引きしつつ、ひたすら下るんです。シンプルに、ごちゃごちゃ考えず、とりあえず走れー!って。何事もシンプルな方が好きなんですよ」

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優夏さんには、リバーサップの豪快さがよく似合う。

コロラドで行われたダウンリバーの世界大会で、二度の優勝を経験する。団体競技では得られなかった自己充足を感じつつ、賞金を獲得して、世界中を転戦した。オーストラリアのレースでは、波高がダブルオーバー近い荒れた外洋をダウンウィンドで陸地を目指した。船が並走できないため、渡された発煙筒で危機を知らせるように指示されるが、「濡れても大丈夫なものなの?」と尋ねると、「ダメです」と返された。つまり、自力で生きて帰って来いという意味だと理解した。

「コンパスを見てもよくわからないから、とにかく漕ぐしかない。もう海と自分しかいないわけで、海に聞いて、対話しながら行くしかない。それは楽しかったかな」
あるいはフランス、パリのセーヌ川で行われたレースでは、いわゆるゾーンを経験する。早朝に起きて、栄養補給のために餅を10個も平らげ、「今日はいける」という予感通り、いくら漕いでも疲れない。カメラがついてこられないほどのぶっちぎりで優勝した。

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エッフェル塔をバックに、セーヌ川でのレースに参戦。一人だけ半袖。

SUPレースの魅力に次第に惹かれ、6年ほどの競技人生の中で、アスリートとして能力を出し切る喜びも知った。けれど、SUPはあくまで日本を抜け出すための手段であり、愛と呼べるほどの感情は育まれなかった。1位以外には価値がなく、例えワールドツアーで5位に入賞したとしても、「5位なんていう順位はないのと同じ」だった。転戦を続ける中で仲間も多くできたが、心の底から信頼できるかと聞かれたら、返答に窮する。どこかで出し抜いてやろうと考えているのではないかという猜疑心が拭えず、翻って、それは自分自身が同じように思われている証左だった。優先されるのは常にレースであり、ハングリーに成績を求めるほどに、欲深くなっていく。自分の心性に気づいたのは、コロナ禍で移動が制限され、練習のために訪れていた奄美大島で「陸に上がってから」だった。日本の窮屈さから逃れるようにして海外を転戦することを選んだ優夏さんが辿り着いたのは、美しく、小さな島だった。

思いついたら、やればいい

牛舎と農作業の合間に、潮と相談しながら、クイックサーフ。写真:土屋 尚幸

「ああ、自分はがめつくて汚いって、動物のおかげか、気づけるようになったんですよね。今の私は、それを洗い流すために海に行くんです。人を蹴落としてまで1位になりたいっていう欲望は今でもどこかにある。でも、私はもうそれを知っているから」

傲慢な自分に気づいたら、急いで海に行く。動物たちの世話で忙しい合間を縫って波乗りする時間を大切にしている。規則正しく与えている餌の時間を、ほんの少しだけ前倒しにして、牛たちに「ごめん!」と謝りながら軽トラックにロングボードを積み込む。奄美大島の海は、信じられないほど透明で、その海によって浄化されている感覚があるという。SUPレースのボードも持っているが、ほとんど使うことはない。

思いついたら、やればいい

海で遊ぶと、この笑顔に。写真:土屋 尚幸

最初の冬には、サトウキビの収穫の仕事を手伝った。1日3万歩近く歩きながら、カットされたサトウキビを拾っては運ぶ。「こんなことをするために来たんじゃないのに」と思いながら働いていたが、4年後の現在は、お世話になっていた農家からサトウキビの葉っぱを譲ってもらい、牛の飼料としている。おかげで「冬なのに牛が太っている」と先輩たちに褒められるという。

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付き合いのある農家さんからいただいたサトウキビの葉。牛たちの貴重な栄養源。写真:土屋 尚幸

「選手の時にはわからなかったんですよ、点と点がつながって、線になるっていうことが。最初から線引けよって思ってた(笑)。でも今は毎日新しい気づきがあって、本当に楽しいんです。あの時、サトウキビ畑で働いた経験が、きちんと今に繋がっている。奄美にいることも、きっとそうなんですよね。点をきちんと打って生きてきたから、導かれたような気さえする。
移住したっていう感覚はないんです。実際、一ヶ月くらいの滞在のつもりでやってきたから実家の私の部屋は4年前に出かけた時のまま。それから一回も帰ってないですから。最低限の服とボードがあれば、あとは何もいらない。動物たちもいるからもう帰れないですし、帰るつもりもない。やっと自分がいたい場所ができたっていう感じ。ここだったらいいなっていう場所で、自分を受け入れてもらえたのが奄美だったんです」

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平飼いの鶏たち。卵も販売するようになった。写真:土屋 尚幸

飼っている2頭の山羊を見せてもらう。1頭は、野生種に近いトカラヤギ。牛飼いを教えてくれた先達が、島で迷子になっていたトカラヤギを捕まえて連れてきたという。そのエピソードの自由さに、なぜ奄美大島だったのかという理由の一端を思う。髭を生やした立派な体格のトカラヤギの角を捕まえて、優夏さんは相撲のように押して遊び出す。「オスの山羊は臭いんですよ、ほら、匂いを嗅いで」と角を抑えながら鼻を近づける。確かに、野生児の片鱗が垣間見える。先日まで飼っていた1頭は、牛飼いの先輩たちと一緒に食べたという。牛飼いのための練習として毎日しっかりと餌を与えていた山羊は、脂が乗っていて、美味かったそう。屠り、毛をむしるところから、教わりながらすべて自分の手で捌いた。
畑では、鶏糞と野菜屑と落ち葉のコンポストで堆肥を作っている。ニワトリは毎日、有精卵を産む。鶏小屋からは、先ほどまで一緒に波乗りをしていた海が見える。

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波がなければ、泳ぐことも。とにかく海に浸かる。写真:土屋 尚幸

「自分はずっと海から世界を見ていたように思うんですね。その視点をちょっとチェンジして、地に足をつける意味もあって、陸に上がってみようと。最初は野菜かなと思っていたけど、それでは食べていけない。で、島を観察しているうちに、牛かな? って。牛って決めたら、もうそれしか見えないから(笑)。周りに話しても、飼えるわけないじゃんって。県の担当に相談に行っても、Iターンだしって何度も言われる。それでも、私は自分が食べている肉がどうやってできているのか知りたかった。
ずっと、海のために何かしたかったけど、何をすればいいのかわからなかった。でも陸に上がってみると、赤土の流出とか、農薬の過剰散布とか、海を汚す原因が陸にあるはずで。牛のげっぷには、メタンガスの問題もある。今は、牛を飼うっていうだけで精一杯だけど、この先には牧草の育て方から、ひとつひとつ変えられることがあるかもしれない」

島のやり方を体で覚える。まずは、そこから。少しずつ牛を増やして50頭規模を目標としている。いずれは自分の牛舎を建てて、自分の理想とする畜産業を営んでいく。すると次の世代に影響が伝播していくはず。優夏さんはそう考えている。長い道のりのように思えるが、ゴールが見えたら、脇目も振らずにそこに向かって進むだけ。発想と行動が直結する、そのシンプルな生き方は、海から教えてもらったものだと言った。

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牛舎に干してあったウェットスーツ。優夏さんの日々が垣間見える。写真:土屋 尚幸

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