凪と大波の間で
千葉で漁師として生きる渡部大介にとって、ハワイでのビッグウェーブへの挑戦は、人生の行先を示す羅針盤になっている。
身体を使って人生を構築しているかどうか、握手をすれば大体わかる。分厚くザラザラとした力強い手は、日々、何かを掴むために格闘してきた証だ。千葉県鴨川市江見漁港で漁師をしている渡部大介もそういう手をしている。
東京の下町に生まれたが、初めて波乗りをした18歳の時に「俺は、これだ」とわかったという。20歳から千葉で暮らし始め、紹介してもらった漁師の仕事を手伝って、同じように「俺は、これならやっていける」と、またわかった。
27歳の時、夢だったオーストラリアに行くために船から降りて、ベルズ・ビーチやマーガレット・リバーなど世界有数のポイントで波乗りをしながら暮らした。帰国して鴨川に戻ると、漁業権が今も切れていないことを知らされ、再び海に潜るようになった。けれど夢を叶えてしまった後には何をすればいいのかわからない。あの大きく美しかった波と比べて、日本では滅多にサイズのある波が立たない。「やべえ、どうしよう」と落ち込んでいた時間に見つけた新しい光が、ハワイだった。
夏は潜り漁をして、それ以外の時間には先輩が経営する清掃会社の仕事をしながら金を貯め、ハワイに行った。それが、30歳の時。世間的に見たら、遅いデビューかもしれない。けれど渡部は、ハワイで人生の指針を見つける。

コンディションの良かった夕暮れのサンセットビーチ。写真:中澤 海斗
「もちろん、もっとでかい波も世界を見渡したらいっぱいあるけど、これが最高峰だと思ったんです。それは、でかい波もそうだけど、エネルギーに満ち溢れているからだと思う。冬のノースショアに、世界中からブワッと自然のエネルギーが集まって、巨大な波が立つわけですよね。それに乗りにくるサーファーたち、追いかけてくるメディア、さまざまな人間たちのエネルギーも集まってくる。それぞれの定宿に世界中からやってきて、みんな目標は違うけどチャレンジしようという思いがあって、互いに共有している。その感覚が、俺には堪らなかったんです」

マカハビーチで行われていた〈バッファロービッグボードクラシック〉の様子。アライアやボディ・サーフィンなど、多様な種目で行われる。純粋に波に乗る楽しさを求める、お祭りのような大会。写真:中澤 海斗
ビッグウェーブ・デイには、誰かがサーフィンに行こうとすると、「あいつ、どこに行くんだ?」とピリッと緊張が走るような日々。渡部は「戦場にいるような」気持ちだったという。挑戦を繰り返しながら、互いを応援し合う戦友との刺激的な毎日。初年度には、世界有数のビッグウェーブのポイントであるワイメアに波が立つような日はなかったが、持っていた7‘4の板は「木の葉のようで」サンセットのピークに近づくことすらできなかった。それでも憧れていた田中宗豊や四国のレジェンドである青山弘一らビッグウェーバーたちと知遇を得て、宿のオーナーに「来年も絶対に来ます」と約束して帰った。

2016年はエルニーニョの影響で大波の日が多かった。大先輩である青山弘一と一緒にワイメアにパドルアウト。写真:前山 剛志
「2年目か3年目に、ワイメア・デーが一日だけあったんです。スモール・ワイメアですよ。少しずつガンの乗り方がわかってきていた頃だったと思う。その日はサンセットがクローズしていて、なぜかワイメアに足が向いてチェックしに行ったらブレイクしていた。宿に帰って宗豊さんに話したら、ゆったりしたペースで『じゃあ、もう一回見に行こうか〜』って。初めてだったから宗豊さんに連れてってもらいたかった。その時に自転車のハンドルに段ボールを嵌めてカバーにして、片手で重い板を持っていく方法を教えてもらったりして。ちょっとサイズが上がってたけど、俺はもう着いていくしかないから。『じゃあ、大ちゃん、適当に見て来て』みたいな感じ。チャンネルでずっと見ていたら、宗豊さんがすぐに波をつかんだんです。ワイメア滑ってる! やばい! かっこいい!って」
数本乗って宗豊は先に上がり、いつも入っていたサンセットよりもサイズが大きいのに、残された渡部の心は不思議と穏やかだった。どうにか一本滑ったが、上がり方を聞いていない。そのまま湾の真ん中を突っ切ってパドルして、辛くも浜に上がったら、宗豊から「大ちゃん、行く時と一緒で、端から戻るのがセオリーやで」と言われた。
青山からはオンショアのサンセットこそ、「誰も入っている人がいないから、こういう時に練習すんねん」と言われた。しっかりした太いうねりで修行の日々を過ごしていた。

ハワイに通い始めて、サンセットビーチの波に慣れ始めた頃。アウトのピークから乗って、インサイドボウルへ。写真:熊野 淳司
翌シーズンからは自分がシェイプしたボードを持ち込むようになり、少しずつサーフボードに関する知見も体得していく。
「もう本当に一歩ずつですけど、それがすごく楽しかったんですよ。でかい波に乗るっていうことだけじゃなくて、自分で板を削って、滑って、乗りこなす。その姿を先輩方に見せてもらって、でもワイメアは毎年立つかどうかわからないから、インプットもなかなかできなくて(笑)。同時に、どうやったらライフスタイルとしても確立させられるか、真剣に考えるようになりましたね。憧れていた宗豊さんが農業を始めて、少しずつ実現していく姿を見せてもらっていたから。めちゃくちゃ勉強させてもらったんです。俺も同じくらい自然が大好きだし、どうせなら漁業で自分の人生にコミットして、サーフィンをやっていこうと思ったんですよね」
潜り漁の他には先輩から掃除とサーフボード修理の仕事を回してもらってハワイに通っていたが、漁師としての独立を決める。改めて修行しようと定置網船に乗って過ごした日々は、20代で初めて船に乗った時のように、ほとんど休みのないハードなものだった。それでもどうにかハワイだけは欠かさずに通い続け、その間にハワイを愛する女性と結婚をして、子どもが生まれた。

仕掛けた網を回収して、伊勢海老を外す
今では小さな船を操り、一人で漁に行っている。夕方に伊勢海老やサザエ、ヒラメ等を狙って網を仕掛け、早朝に回収する。あるいは夏の凪には、海士・海女組合の人々と一緒に潜ってアワビを捕る。漁村のローカルコミュニティの一員として働きながら、同時に波が来るのを待っている。
「これは俺にとっての暮らしの条件と言えるかもしれない。それなりのサイズの波があって漁に出れないときには、絶対にサーフィンができるんですよ。凪なら漁、ある程度のサイズがあればサーフィン。生活がかかっているから、『今日、漁に出ていたらいくら稼げたのに』なんて思いながら波乗りしたくないんですね。でも台風みたいにでかい波の時には仕事ができないから、サーフィンに集中できるんです」

条件が整えば、よくサーフィンする近所のお気に入りポイント。写真:西川 雄斗
コロナ禍でハワイに行けない期間に自分の生活の土台を築くことができた。家族と共にあり、漁師として独立し、波乗りとのバランスの良い暮らし方を見つけた。
その上で昨シーズン、3年ぶりにハワイに滞在した。ずっと頭の中で描いていたハワイへの想いをもう一度、焚き付けたのは、同行することになった20代のカメラマンからの「ハワイ、いつ行くんすか?」という問いかけだった。
「もう一度ハワイでお世話になった人たちに会いたいとか、先輩方に背中を押されたとか、オーストラリアに行く時にいきなり辞めてしまった船が俺に渡すはずだった金を15年間も取っておいてくれたとか、いろんな理由が絡み合っているんですけど(笑)。もう一度ハワイに行っていつもの宿に泊まって、自分の中ではネクストステージに入ったなって感じたんです。過去10年間のハワイ行は宗豊さんや青山さんから、俺は受け取ってばかりいて、スーパー・リスペクトする先輩たちの背中をずっと追いかけてきたんです。今でも会ったら大先輩であることに変わりはないけど、これからは俺のやり方で行こうって思ったんです。誰かがいなきゃ行けないっていうよりも、今度は自分で行こう。今度は誰かに見せてやらなきゃいけないって」

一人でパドルアウトしようとしたら、どうしたらいいかと話しかけられた。タイミングを見計らって一緒に沖へと向かう。無事にショアブレイクを抜けた。ワイメア。写真:中澤 海斗
少しでも何かを伝えたい。ビッグウェーブ用の10‘4のガンを自転車で運ぶ方法のような、些細だが、とても価値あるノウレッジだけでなく、自分なりに道を開いていく思想や行動原理までが含まれる。「さんざん甘えて」いた先輩たちも今回は宿にはおらず、自分が一番年上だった。
そして、滞在10日目にワイメアに波が立った。
「今回の滞在では、絶対に一回だけだと思った。その1日だけだろうって。1時間半くらいチャンネルでチェックして、もうあそこしかないなってスペースを見つけたんです。初めて座ったディープなポジションに、自分が『これしかない!』っていう波がいきなりバーンと目の前に来た。『俺が挑戦できるのはこれだ!』っていう波。結果的にそれをメイクすることはできなかったんですね。その日は3本キャッチできて、滑れたのは1本しかなかった。でも、滑った波よりも、思い描いていたあの波の方を鮮明に体で覚えてる。それはもう超貴重な自分のインプットですけど、あのワイメアの波と乗っていた板と、その合わせたデータを落とし込んで、次はもうちょっと行けるかもしれない。一緒に行った若いカメラマンが、滑った波は撮ってなかったけど、あの波はパシっと撮ってくれていて、嬉しかったです」

ワイメア。チャンネルでしっかりと波をチェックしてから、少しずつ奥へとポジションを移した。写真:中澤 海斗
結局、6時間ワイメアの海に入って、ヘロヘロになって浜に上がった。
ビッグウェーブは、そこに挑もうとするサーファーに人生を捧げることを要求するのかもしれない。波に乗っていない間の生活も規定されてしまうからだ。だが、それは同時に、人生に素晴らしい軸を手に入れたことを意味する。自然のエネルギーに対していかにバランスを取って生きるかが、暮らし。ビッグウェーバーで漁師の渡部は、自分が大いなる流れの中にいることを知っている。