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北極ばなな

遠藤 励  /  2023年9月20日  /  読み終えるまで10分  /  カルチャー

北極先住民の現在をドキュメンタリー作品として伝えるプロジェクト「POLAR EXPOSURE」。2017年から最も原始的な姿を追い求めてきた遠藤がその極北の地で見たもの。

この日は海氷上にテントを張って一夜を過ごす。猟師たちと犬ぞりで出かけた狩りにて。2022年 Melville bay

全ての写真:遠藤 励

張り詰めていた緊張から解放された私の頭上には幻想的なオーロラが舞う。旅の中継地となるイルリサットの街から、この氷河には何度も足を運んだがこれほど美しいオーロラは初めてだ。視界にはディスコ湾の荒々しい氷山が見渡す限りを埋め尽くし、そのデコボコした水平線の向こうには今回の遠征が始まった1ヶ月前に顔を合わせた満月がこちらを照らしながら見ていた。

初めて訪れた時は危険も多い北極圏の荒野に怯えていたが、今夜はまるでミュージカル映画の主人公になったかのように喜びが溢れ出し、私は「It’s a small world」のメロディーを口ずさみながら軽やかなステップでくるくると踊った。それが、5年を費やしたプロジェクトの旅の中で私の心が唯一解放された瞬間だった。

「とうとう終えたんだ。家に還ろう」

北極ばなな

語りかけてくるようなオーロラとじっとこちらを見つめる月、その状況の中にポツンとたたずんでいた私は次第に大地と同化していくかのように、意識だけが体を離れて、そこから見上げる宇宙に繋がっていた。費やした多くの時間、孤独や不安。パンデミックの苦悩。これまでに溜め込んでいたであろう苛立ちや焦りのような想いが消え、大きな一体感に満たされた私の頬には自然と涙が溢れていた。

雪国に暮らし、フォトグラファーを生業として仕事を続けてきた。2007年頃になると自分の写真にようやく感性が表れ始めたと感じるようになった。それらの写真は「Snow meditation(雪瞑想)」と名付けた作品群で、私を突き動かす原動力になったのは、その頃増えはじめた厳冬期の雨だった。子どもの頃には決して見ることのなかった冬の雨に対する悲しさや不安をポジティブな作品に置き換え創作に取り組んだ。

北極ばなな

フィルムに露光された一枚の写真。作品群から「Current(現在)」と私が名付けたその作品は2007年に日本の立山で撮影したもので、そのころ私は雪からのインスピレーションをテーマにした作品作りに励んだ。

北極ばなな

子どもの頃から雪遊びで感じてきたふわふわ・モコモコの柔らかな感触や、雪のあたたかさ。匂いや音。それら記憶や感情を作品に開示し、美しい雪の降る未来が続いて欲しいと願った。

やがて、厳冬期と呼ぶにふさわしいビシっと冷えた期間が続かなくなり、乱高下する気温サイクルの中で降る雨は例年の出来事に変わった。だけど、そんな冬の異変に対する驚きや悲壮感はそれから十数年の間に薄れていった。それが諦めや麻痺してしまった感情だったかと言えばそうではなく、いまある自然や雪に感謝して楽しもうとする心の変化だった。信州の北アルプスの麓に生まれた私は、スノーボードの写真を生業にかれこれ25年、作家活動としても雪にまつわる作品に傾倒し、自然がもたらす雪の恩恵を授かりながら生きてきた。そんな生い立ちからか雪国で暮らし、生活の根底に雪との関わりがある人々を「雪の民」として見出すようになり、その背景には「温暖化がこのまま進めば、雪の文化は消滅してしまう」という生活から感じ取る気候の変化があった。

北極ばなな

1980年初頭、自宅前の木崎湖にて。幼い自分がワカサギの穴釣りをしている様子。

2017年から「POLAR EXPOSURE」と名付けたプロジェクトを開始した。それは気候変動の影響が地球上で最も著しいとされる北極で先住民の「現在」をドキュメンタリー作品として伝えることが目的だった。アイスランドを二度訪れ、数週間のキャンプの間に消失する氷河を撮影し、さらにラップランドと呼ばれるスカンジナビアの北極圏を訪れた。ラップランドには先住民(サーミ人)が多く暮らしているが、遊牧民だった彼らは随分昔から北欧の近代的な生活様式が定着していた。ラップランドでの遊牧民の暮らしを通じて、私は現存する原始的な「雪の民」への関心が増していたことに気がついた。

極地に関する資料や文献を調べ、具体的な渡航計画を立てるために極地研究者の例会に出席し情報を収集した。そして翌年の2018年4月にグリーンランドへ最初の渡航を開始。先住民集落として地球最北に位置する小さな集落で暮らす大島育雄氏を訪ねることにした。現在76歳になる大島氏は日本人として初めて北極点に到達した日大北極点遠征隊の一員だった。当時その先住民集落には植村直己も滞在していた。大島氏は犬ぞりや狩猟の技術を学び、1974年に現地民の女性と結婚、北極の地で猟師として生きていくことを決めた。5人の子どもを育てあげ、現在も集落に住みながら息子家族と狩猟を営んでいる。

「僕は猟師としていい時代を過ごしたよ」

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最北の民族集落で半世紀を過ごしてきた大島育雄氏。2019年6月初旬、既に海が開け始めた沿岸にて伝統的な保存食「キビヤック」作りに勤しむ。

北極先住民が狩猟採集による自給自足の暮らしを営んでいた頃、そこには原始的な暮らしと未開のロマンがあった。彼の歩んだ特異な経歴と犬ぞりで狩猟に出かけた冒険の話に私の胸は高鳴った。時代や風潮にも流されず、自然の摂理と寄り添う姿は私が求めていたものだった。今振り返っても最初の大島育雄との出会いがその後進むべき指標に影響したことは間違いない。昨年、北極地方の生活の変化について尋ねると大島氏はこう話した。

「昔は獲物さえ獲れば食っていけるって感覚があったけど、最近はみんなお金を蓄えないと不安になるような暮らしに変わった」

1970年代から狩猟や民具の作り方を学びその多くを習得した彼はイヌイットの伝統を受け継ぐ猟師としてグリーンランドでは特に知られた存在だ。多くのイヌイットが伝統的な狩猟と知恵を失いつつある昨今、大島氏の作る狩猟具や伝統的な毛皮の防寒具をイヌイットが買い求めるという現象が起きている。

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大島育雄氏が製作した猟師の防寒具。イヌイットは伝統的にこの防寒具に白熊の毛皮を利用してきた。2019年Siorapaluku.

2020年以降は、パンデミックの渡航制限でグリーンランドでの活動は休止。その代わりにロシア(シベリア)の先住民の取材を始めていた。2022年2月末、2度目となるシベリアの北極圏に足を運んだが、今度はロシアがウクライナへの侵略を開始し、緊急帰国となった。計画に費やした多くの時間と資金は消え、プロジェクトの中断を余儀なくされた私は途方にくれた。しかし、グリーンランドへの入国制限が解除された知らせが届き、再び自分を奮い立たせた。この湧き起こる衝動は、一体どこからくるのだろうか?なぜ、こんなにも奮い立つのだろうか。それは、気候変動よりさらに早いスピードで変容する先住民の暮らしにあった。

活動再開後の2022年、2度の遠征で3ヶ月半をグリーンランドの取材に当てた。特別申請の許可を得て、白熊狩りへの密着、犬ぞりで大陸氷河を越えるイヌイットのキャンプへの同行と状況次第ではいつ帰れるかも分からない遠征だった。16時間ぶっ通しで走り続けた氷河越えでは意識が飛ぶ寸前の寒さを体験し、初冬の海に小型ボートで出かけたセイウチ狩りでは沖合で嵐に遭遇し、大波とホワイトアウトの恐怖を経験し、北極の米軍基地に保護されたりと覚悟しなければならない場面も何度かあった。

北極ばなな

2022年 Baffin Bay

中継地として3年ぶりに立ち寄った北部の村はスマートフォンがさらに普及し、ソーシャルメディアとインターネットは人々の娯楽として完全に定着していた。猟師たちは需要が急拡大した漁業と観光に携わるようになり、犬ぞりは狩りのためでなく一部の裕福な観光客を乗せるための収入手段として変わりつつあった。

2019年に私とイッカク猟を行った猟師は、定職を求め近代的な南の街へ引越し空港職員に転職した。これまでは食料品店のカーテン奥にひっそりと売られていた酒類はワインコーナーを設けるほどに拡大し、一角ではバナナが売られていた。「ああ、これが現在の北極の姿だ」。もともと飲酒文化のない北極民は泥酔したり問題を起こすことも多いため、伝統的な集落では飲酒はタブー視されてきた。言うまでもないが、南国で採れるバナナは痛みやすく、冷凍保存ができないため、流通鮮度が求められる。

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中継地であるイルリサットの街の郊外

既に多くの人々が周知のように氷床がかつてないスピードで消失を続けている。犬ぞりになくてはならない安定した海氷時期が20年の間に3ヶ月も短くなるなど、気候変動の影響が先住民の生活と直結したグリーンランドで、私が特に体感したのは彼らのルーツの変容過程だった。先住民集落に次々に運び込まれる商品と押し寄せる情報化の波は彼らの生活様式を変えた。それは我々先進国が求めた需要とシステムが北極の果てまで及び、ビジネスが導いた過度な消費社会がこの星を蝕んでいる姿が脳裏に浮かぶ。私たちの行動はこの世界全体に繋がっているのだ。膨大な自然資源が眠るグリーンランドでは氷が溶けはじめたことにより掘削作業が容易になる。実際に訪れた廃村でも先住民が労働力として充てられ資源開発がはじまっている。

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現在、北極海で漁れるカラスガレイは世界的に人気が高く、この村でも漁労が盛んになったことでさらに発展し、周辺の集落からも仕事を求めて猟師が集まってきている。

プロジェクトのはじまりは、北極の狩猟文化に焦点を当て、先住民による狩りと暮らしを写真に記録することに注力した。その撮影を通じて、現代人がエコロジーやサステナブルという言葉を掲げて自然の重要性を訴え始めるよりもはるかに昔から、地球や宇宙のサイクルと直結した原始的な狩猟生活を送ってきた彼らの生活を体験し、自然との共生についての学びを期待した。しかし、実際には先住民の伝統的な精神に基づいた自給自足の暮らしのほとんどは既に変容し、彼らは次のステージで歩みはじめていたと知ることになった。

私が頭に描いていた北極エスキモーの姿はもう歴史の残像だったのだ。

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資源開発の始まった消滅集落にて。 2022年Moriusaq


遠藤 励 作品展「MIAGGOORTOQ」(ミアゴート)

開催場所:AL Tokyo (東京都渋谷区恵比寿南3-7-17)
開催期間:20231027日(金)〜115日(日)
開催時間:12:00-19:00


「Polar Exposure」パタゴニア企画展
2017年から5年間、北極先住民の現在を追い求め続けたドキュメンタリー作品の一部をパタゴニア直営店で展示します。また、会期中には遠藤励をスピーカーに迎えトークイベントを予定しています。

■京都会場
会期   : 2023年10月19日(木)~ 11月5日(日)
会場   : パタゴニア 京都
営業時間 : 11:00~19:00

■福岡会場
会期   : 2023年11月8日(水)~ 11月19日(日)
会場   : パタゴニア 福岡
営業時間 : 11:00~19:00

■長野会場
会期   : 2023年11月23日(木)~ 12月6日(水)
会場   : パタゴニア 軽井沢
営業時間 : 11:00~19:00

北極先住民族のいま

ある衝動に駆られ立ち上がったプロジェクトのはじまりやそのプロセス、コロナ禍による苦悩や葛藤、そして、北極先住民族のコミュニティに足を運び、残存する希少な民族文化とその現状が等身大の言葉で語られます。また、イベント当日は地域のコミュニティに根差したゲストを迎え、遠藤とのトークセッションやライブを開催します。

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