走ることで心を解放していく
ランニング専門店「RUN-WALK Style」(以下ラン・ウォークスタイル)のオーナー三浦佐知子さんは大阪のトレイルランナーたちにとって姉のような存在だ。温かな人柄と芯の通った強さに憧れるランナーは少なくない。店の創業者である夫・三浦誠司さんがトレイルランニング中の事故で急逝したのは2020年7月だった。
「誠司さんは日頃から、大切なことを言葉にして手渡してくれました。”走ることが楽しくなる商店” というキャッチコピーもそのひとつ。よくぞ残していってくれたなと感謝しています」
誠司さんと石川弘樹さんとの絆
毎年9月、長野と新潟にまたがる信越エリアで開催される信越五岳トレイルランニングレース(以下、信越五岳)で、ラン・ウォークスタイルはブースの出展と2箇所のエイド運営を行っている。オリジナルキャラクター「ガンバフンバくん」もエイドやコース上に登場し、ランナーたちに声援を送る。こうした大会期間中の活動のみならず、準備期間中も佐知子さんはスタッフと信越エリアに足を運び、コース整備や参加賞の袋詰め作業などを手伝ってきた。
ラン・ウォークスタイルが裏方として信越五岳に携わるようになったのは、既存の110kmに加えて、100マイルのカテゴリーが新設された2017年からだ。それまでは誠司さんも佐知子さんも、選手やペーサー、サポーターとして参加していた。
大会プロデューサーの石川弘樹さんと三浦誠司さんとの付き合いは長く、出会いは20年以上前に遡る。ラン・ウォークスタイルを立ち上げる前、誠司さんは大阪のアートスポーツに勤務しており、同じ頃に東京店に勤めていたのが石川さんだった。走る喜びやトレイルランの楽しさを伝えたいという想いが共鳴した二人は、その後、それぞれの場所、それぞれの方法で、日本のトレイルランニング黎明期を盛り上げていく。
ラン・ウォークスタイルを創業した誠司さんは、毎日のようにイベントや練習会を開催してランナーの裾野を広げるほかに、長野県の乗鞍高原で「乗鞍天空マラソン」のプロデュースを行っていた。一方の石川さんはプロトレイルランナーとして独立し、斑尾フォレスト50や信越五岳をはじめとする大会づくりに力を注いでいた。それぞれが手がける大会やイベントを応援し合ったり、ときにはお互いの家族や仲間と一緒に、アメリカや台湾などのトレイルトリップに出かけたりしていた。
かつて、誠司さんに石川さんとの友情について尋ねたことがある。
「僕は誰かをリスペクトするということは正直そんなにないけれど、弘樹さんのことはとても尊敬しているんです。彼が僕のことをどう思っているのか直接聞いたことはないけれど、僕は同志だと思っています」
絶望のなか助けてくれた人たちのことは忘れない
2020年夏、六甲山でのトレイルラン中に誠司さんが水難事故に遭ったというニュースを知ったときの衝撃は、いまでも忘れられない。おそらく多くのトレイルランナーが同じ思いだったろう。関西エリアのリーダーとして慕われていた誠司さんは、厳しさの奥に優しさを秘めた人で、日本のトレイルランニングの未来がより明るくなることを願っていた。そして、やりかけの仕事や情熱を佐知子さんに託して亡くなった。
突然の出来事に戸惑う佐知子さんが、最初に決断しなければならなかったのは大阪と名古屋の店を続けるか否かだ。誠司さんが亡くなったのは、名古屋店が移転オープンする一週間前のことで、すぐに内装作業を再開する必要があった。コロナ禍の影響により、家族だけで葬儀を執り行うことを決めると、葬儀への参列を予定していた石川夫妻や親しいメーカーの人たちが佐知子さんの代わりに名古屋に駆けつけ、内装作業や商品陳列を進めてくれた。名古屋から大阪まで、会社のハイエースで荷物を運搬してくれた人もいた。
「もう、頭が上がらないですよね。絶望しているときに助けてもらった恩は一生忘れません。そのときのことを思い出すと、自分は鴨のようだと思うんです」
鴨は生まれて初めて見たものを親だと認識するという。それと同じように、窮地を救ってくれた人たちの温かさを、佐知子さんは親の愛情のように感じている。
「あのとき、店を辞めるという選択肢は私にはありませんでした。私がやるしかないと思っていたのです。一緒に働いている義弟の武さんは、私が店を続けると言ったら驚いていましたけれど」
人を喜ばせることが生き甲斐だった店長
佐知子さんが誠司さんと出会ったのは、大阪マラソンに当選した2011年のことだ。しばらく店の練習会に参加していたが、マラソンを無事に完走すると足が遠のいた。2013年に再び大阪マラソンに当選して、また店に通うようになる。そのタイミングで誠司さんから声をかけられ、トントン拍子に話が進んで結婚した。
「店長(誠司さん)は練習会などでは厳しい人でしたけれど、普段はとても優しくて、繊細な人だったんですよ。可愛いものや綺麗なものが好きで、人の気持ちに敏感。私にもよく心のこもったプレゼントをくれました」
アートスポーツ退職後の数年間、乗鞍高原に移住して山のガイドをしたり、蕎麦店を経営したりしていた誠司さんは、人をもてなすのが得意だった。ラン・ウォークスタイルで初心者向けのトレイルランニング練習会を開催していたときには、生駒山で走った後、店に戻って誠司さんが料理をし、ビールを飲みながら参加者たちと食事をするのが恒例だったという。
「とにかくみんなを喜ばせることが大好きでした。よく言っていました。僕は走ることが好きなわけじゃない、走ることに携わることが好きなのだと。それが真っ直ぐ形になったのが、ガンバフンバくんだったと思います」
冒頭で紹介したガンバフンバくんは、誠司さんからのリクエストを受けて、友人のイラストレーターが描いたイノシシのキャラクター。その後、3D化を果たし、店の人気キャラクターとして成長していく。ランナーから頼られ、店ではどこかで “リーダー三浦誠司” という役割を演じていた誠司さんだが、ガンバフンバくんの中に入ったときだけは、素のままに振る舞うことができた。それが楽しくて仕方がなかったという。
「これからは佐知子の時代だから」と
中学高校と陸上部の主将を務め、トレイルランでも数多くの大会で表彰台に上っていた誠司さんだったが、2017年頃から膝の痛みに悩まされるようになる。それと入れ替わるようにして、”ゆるいランナー” を自認していた佐知子さんの走力が上がっていった。きっかけは、ヨーロッパを7日間走り続けるステージレース「トランスアルパイン」に夫婦で出場したことにある。
「トランスアルパインの出場を機に私が走れるようになってきたので、店のイベントなども私に引っ張るよう頼むようになっていました。『これからはスタッフサチコ(佐知子さんの店での愛称)の時代だから』なんて言ったりしていましたね」
誠司さんに限らず、どんなランナーでも、年齢とともに回復力が落ちて怪我をしやすくなる。店に通ってくれるお客さんもそれは同じだ。「これからは、怪我を予防しながら走り続けることを伝えていきたい」と誠司さんは走りのベクトルを変えつつあった。
100マイル完走と言葉のちから
私が佐知子さんに初めてインタビューしたのは2022年の冬だった。思いがけず経営者となった佐知子さんは、そのときすでに覚悟を持って店を切り盛りしていたが、未来に対してはまだどこか迷いがあったように思う。それから2年半が経ち、この夏、あらためて佐知子さんに店や誠司さんの話を聞く機会を得た。佐知子さんは進化していた。数年前は「誠司さんだったら、こんなときどうしただろうか」と考えることもあったというが、いまはほとんどない。
「不思議ですが、そう考えることがなくなってきたんです。亡くなって2年くらいは店の仕事もわからず、戸惑うことも多かったけれど。思い返すと、きっかけは2つあったように思います。ひとつは、2022年10月にBAMBI100に出場して、100マイルを走ったこと。もうひとつは、その冬に千葉さんのインタビューを受けて、思っていることを言語化したこと。そこから少しずつ何かが変わりました。言葉にすることは大事ですね」
BAMBI100(以下、BAMBI)とは、大阪在住のトレイルランナー・土井陵さんが仲間とともに始めた100マイルイベントで、「誰にでも挑戦しやすい100マイルを」をコンセプトに掲げている。生駒山を舞台に40キロを4周する周回コースで、制限時間は40時間、3周目から1周につき3名までペーサーをつけることができる。誠司さんと親しかった土井さんから「第一回目に出場してみませんか」との誘いを受け、一生に一度のつもりで100マイルを走ることにした。
もともと、夜を越えて走る100マイルの世界にはまったく興味がなかった佐知子さんだったが、ペーサー制度があることに心を動かされたのだ。佐知子さんは大切な人たちにペーサーを頼みたいと思った。それは誠司さんの事故に立ち会ってしまった3人のランナーたち。心に深い傷を負ってしまった3人と、佐知子さんは一緒に走りたいと願った。初めてその話を佐知子さんから聞いたとき、私は文章として記すことを控えた。しかし時が過ぎ、あらためて佐知子さんからいまの気持ちを受け取ったことで、記すべきときがきたことを悟った。
誠司さんから受け継いだものづくりの精神
誠司さんが亡くなった後、多くの仲間たちが佐知子さんに手を差し伸べた。古くからのお客さんや久しぶりに訪ねてくれたお客さんたちが、店をもり立ててくれた。BAMBIではそんなランナー仲間が佐知子さんをサポートし、大切な人たちと最高の時間を共有することができた。「走っている間中、守られている感覚がすごかった。もう一生、100マイルは走らなくていいと思った」と、佐知子さんは口にする。
この経験を経て、佐知子さんのなかから迷いが消えていく。誠司さんが日常のなかで何気なく残してくれた言葉たちが、佐知子さんの背中を押し、次第に店を自分の色で彩るようになる。たとえば、店長が開発したロングセラーのオリジナル・ランニングポーチ「YURENIKUI」のリニューアル。さらに自ら企画した同シリーズの新商品「POKKE」の開発。また、人気のランニングボトルが廃盤になることを知ると、店のオリジナル商品として復刻製造することを決めた。ボトルは好評を博し、2度も追加発注することになる。
「ボトルは私がつくろうと決めたはずなのですが、なぜそう思ったのか、どうしても思い出せないんです。以前の自分だったらきっと躊躇したはず。いつからか、誠司さんが私に乗り移っているんじゃないかと思うんですよ」
自分の道を歩むときがきた
BAMBIが変えたのは、佐知子さんの心だけではない。事故に遭遇し、走ることをやめていた一人の仲間は佐知子さんのペーサーを務めたあと再び走り始め、翌年のBAMBIで初100マイルを完走した。もう一人の仲間は結婚し、第一子が誕生して母となった。もう一人の仲間は、世界最高峰の100マイルレースといわれるUTMBへの出場を目指し、日々トレーニングに励んでいる。
「その仲間がUTMBに出場できたら、私たち4人はみんな解放されると思っています。それは、なにもかも忘れるという意味ではなくて、あの場所から心が解き放たれ、それぞれが自分の道を進んでいくという意味です。少しずつですけれど、そのときが近づいているのを感じます」
彼女たちの心を解放してあげたいと願い続ける佐知子さん自身もまた、3人の前向きな気持ちに触れることで癒やされ、少しずつ解放されているのかもしれない。
「私、聞こえるような気がするんですよ。ごめんっていう声が」
突然、佐知子さんはそうつぶやいた。誠司さんが彼女たちに対して謝っている声が聞こえる気がしてならないのだという。誠司さんはいつでも、人の気持ちに寄り添いながら行動する、気遣いの人だった。
「すごく申し訳ないと思っているのが、私にはわかるんです。だからなんとか3人には羽ばたいてほしいと思っています」
あの夏、誠司さんは数年ぶりに膝の痛みを感じることなく過ごしていたという。もう以前のようには走れないと諦めていたなかで、再び走る喜びに浸ることができた貴重な瞬間だった。「神様がくれた時間なんや」と嬉しそうに語っていた。
「いま思うと、少しフワフワしていたところがあったような気もします。よく山で怪我をして帰ってきましたから。それくらい誠司さんは走れることが嬉しくて仕方がなかった。また痛みがぶり返すかもしれないから、いまのうちに走っておこうと思っていたのでしょう」
創業20周年に恩返しを
2026年4月1日、ラン・ウォークスタイルは創業20周年を迎える。記念の年に、佐知子さんには実現したいことがある。
「大人の運動会を開催したいんです。陸上競技場を借りて、お客さんやメーカーさん、日頃お世話になっている方たちをたくさんお誘いしての運動会。まだ細かいことは何も決めていないんですけどね」
このアイデアを話す間も、佐知子さんにはまったく迷いが見られない。その場にいた武さんやスタッフの井口さん、店の常連さんは「これが必要だろう」「これを準備した方がいいのでは?」と具体的なアイデアを挙げていくが、佐知子さんはニコニコと笑っているだけだ。きっと上手くいく、そんな確信があるかのように。
「もしかしたらかつて、誠司さんが運動会という言葉を口にしていたのかもしれません。とにかくアイデアに溢れた人で、思いついたら人に話さずにはいられませんでしたから」
運動会をみなさんへの恩返しの場にしたい、と佐知子さんは言う。それは参加したすべての人にとって、きっと幸せな時間になるだろう。誠司さんの思い出を語り、ラン・ウォークスタイルの過去と現在と未来を繋ぐ時間に。
信越五岳での大仕事を終え、この秋、佐知子さんは仲間とともに来年の舞台づくりに取りかかろうとしている。