デイブ・ラストヴィッチの絶滅
そこには誰かいるのか。それが問題だった。タイトルは「デイブ・ラストヴィッチの絶滅」ではなく、「デイブの方舟」にするつもりだったが、締め切り前にそれが嘘になってしまった。方舟には誰も乗っていなかったからだ。
時間や楽しみを消さずに残すライフスタイルの消費は、惑星の存続にとって余計である。行動上、信念上、サーファーは過去の風潮や現在の欲求に対して破壊的だ。我々の99.99パーセントは有罪だ。黒板に書かれたサーフィンの美徳は、未来の指針となるライフスタイル、痕跡を残さない画期的行動であると評価されたが、今となっては、こすり落とされた大量のチョークの粉にすぎない。快楽主義的ムーブメントの歴史の中にも、似たようなことがありはしないか。サーファーにとって皮肉なのは、生活習慣上、最も清らかな人間であり、かつ最も汚れた人間であることだ。
1970年になり、大物ブルース歌手のジョン・メイオールは、ライブスタジオ・アルバムUSA UnionのためにLA入りした。作曲から、レコーディングを経て、ミキシングまで48時間。そのサウンドの完全性は無敵だった。USA Unionは、1970~73年にかけて、環境ブルースの意識を大いに重視した曲で、サーフィンにカウンターカルチャーを供給した。当時それは、これまでレコード化されたなかで最も素晴らしいグリーンブルースだった。おそらく今もそうだ。そして読めば分かるとおり、この問題の重大性は決して取り上げられることがなかった。
自然が消えていく
人間は汚い生き物だ
大地や水や空気を凌辱している
明日ではたぶん遅すぎる
今こそ気付くべき時
自然が消えていく
汚染された死が近付いている。気になるかい?
ゴミには行き場がない
じきに玄関前には汚物がまかれる
湖や川はよどんで悪臭を放ち
数年前とちがって何も棲まない育たない
自然が消えていく
当たり前と思っていた世界がまもなく消える
公害の記事を読もう
製造業者を困らせよう
市場をボイコットしよう
返却できない容器
アルミニウム、ガラス、プラスチック
永遠不滅の廃棄物
僕らの世代は
天寿を越えて生き延びるだろう
でも子どもたちはどうか
人間スライムとなって窒息死するために生まれてくる
自然が消えていく
この甚大な犯罪の加害者は僕らだ
デイブはガネットの近くにいた。この小屋から昼食を食べに帰る際、彼は道中のほとんどを小川に沿って、ウォーキングをした。キッチンで彼はバランスのよい食事を用意した。手順を急ぐこともなければ、食品を噛まずに飲み込むこともない。実際、朝の長時間のサーフィンが自然の食欲増進剤になるのとちがって、リサイクルしたカタマランの船体を長時間かけて磨くことは、毒を吹きつけた粉塵を体内に吸い込むので腹がすかない。空腹であろうとなかろうと、毒で汚染されていようといまいと、家主は自分がテーブルに付く前に、まず僕をもてなした。家主としては、短い時間ながら完璧だ。
デイブの食事を中断させるのは無作法だったが、僕は率直に短いおしゃべりの核心を突いた。後継者のことだ。誰かいるかと。
彼の口から正確な答えが出ることはなかったが、デイブは意味ありげに黙っていた。数秒が過ぎた。10秒、20秒、ゆっくりとした咀嚼がアクセントになる。心の奥で何かが鳴った。ある名前。ジャック。ジャック・マッコイだ。デイブは名前を吟味しているのか、それとも口をいっぱいにして数えているのか。僕には20年前のジャックの大声が聞こえた。ジャックは本日のおすすめ料理をゆっくりと食べおえようとしており、彼の声はほかに客のいないビーチサイドの酒場にとどろいていた。僕ら3人は、彼の監督作品『Blue Horizon』のためにそこにいた。ジャックはゆっくりと、でも騒々しく立ち上がり、注意深いシンコペーションで説教を唱えた。
「1口…につき…30回…噛むと…消化に…良いんだ」
デイブはずっと自分の咀嚼をいちいち数えていたのか。だが、おそらくそうではない。彼はついに僕の質問に回答をくれた。
「誰も思い付かない」
アルビン・トフラー著『未来の衝撃』(原題:Future Shock)は、世界的な未来学の研究で、USA Unionがリリースされた同じ年に刊行された。革命とまでいかなくても社会的混乱に乗じて、ニューヨークタイムズ紙の1970年代ベストセラーのどの書籍よりも長いこと売れ続けた。この統計は重要だ。そこではサーファーが称賛されていた。ドロップアウトすることで、人間に置き換わるテクノロジの台頭を邪魔し、新たな道を切り拓き、ひいては「未来の衝撃」を回避していると。それは単純化しすぎだ。1970年代初期には、デイブのようなサーファーが大勢いて、新しいライフスタイルで持続可能性を実現していた。たとえその中に、単に麻薬の栽培で成功するために、政府や都市の問題から逃げている連中が一定数いたとしても。その世界に究極の日常的プラグマティズムを紹介したのは、亡命アメリカ人のマーシャ・コナーだった。彼女は、それまでオーストラリアでは見たことのない、カリカリのグラノーラを一発ヒットさせ、日常的な持続可能性の先駆者になった。彼女は時、場所、ムード、ニーズを分かっていただけでなく、防水包装を採用した。サーファーは、サーフィンの日、そのパックを一日中持ち歩き、ただミルクを注げばよかった。
サーファーは、良くも悪くも未来への道標であり、神経質な西側世界の発信源だった。サーファーによる厭世的なライフスタイルが増殖し、非サーファー人口に影響を与え始めていたように、トフラーの呼び掛けも不意打ちを食らった。全世界のサーフィン族の中のごく一部が、最大の打撃を与えた。そこは皮肉だった。史上最も自由気ままで聡明なサーファーである、オアフ島プナホウカレッジのフレッド・ファン・ダイクが、米国本土の主流の大会と併せて、サンセットビーチでスミノフ・プロアマ選手権を企画した。プロサーファーの原型を、数で勝るソウルサーファーの対極に据えるとは、これは「転がる石にコケは生えない」の隠喩である。1969年から1978年の現象を最も象徴する2人のサーファーは、すっきりした控えめなラインが特徴だった。それはピークビハインドからバレルを抜けることで、同じ異名を持つジェリー・ロペスとウェイン・リンチ。2人は、競合力のあるプロサーファーとして未来主義を説くことはなく、少なくとも一部のサイレントマジョリティの心を揺さぶった。たとえ金をもらって演技をするサーファーへ転身したとしても、何が悪いというのか。
主流派による攻撃は、突然の侮辱に向けられた。シドニーのスポーツ・ジャーナリスト、マイク・ハーストは「ブロンズド・オージーズ」という名の好戦的愛国主義グループを結成した。彼は地元のESマークス陸上競技場に、1マイル走の世界記録保持者ジョン・ウォーカーが登場するのを利用して、メインレース前に、やつらにトラックを1周させた。1977年1月中旬のことだ。やつらは数千人を前に、濡れそぼったサーファー野郎ではなく、体にぴったりフィットしたベロアのジャンプスーツを着たスーパースターとして歩いた。“世界評価チャンピオン”(ピーター・タウネンド)、“ワールドカップ・チャンピオン”(マーク・ウォーレン)、“ジャック・トンプソン似の愚かなでかぶつ”(イアン・ケアンズ)。彼らは、笑みを浮かべ、笑いながら手を振り、ラウンドガールさながらの歓待を受けた。ハーストは翌朝、印刷と電子版の両方の紙面をでっちあげたが、騒ぎはそれだけで済まなかった。これにより、偽装とおぼしきものをとがめる点において、陸上競技とサーフィンの雑誌間に最初で最後の固い結束が生じた。ブロンズド・オージーズは、サーフィン界全体を代表するものではなかった。しかし結局、今日に至るまで、そういうことになっている。
僕は2021年にThe Surfers Journalに「Evolver 100」という記事を書いた。その時点での理想的サーフィンの代表例をリストにするという贖罪の試みだった。ジェンダー、ハンディキャップ、規律、身体、ボードに至るまで、全てを考慮した。義務はフットプリントだけにとどめた。なぜなら、環境の費用対効果分析によると、サーファーを惑星との前向きな関わりに(つまり、トフラーに)復帰させるには、フットプリントがカギであるのは明白だ。プロのツアーサーファーは、概して100位にとどかなかった。ステファニー・ギルモア、ジョン・フローレンス、ジョーディー・スミスを取り上げた。13位と評価された「ある無名サーファー」よりも上にいる唯一の現役競技者はケリー・スレーターだ。楽しみなことに、「13位」は未知の驚異だった。もしかしたら、泥で固まった深い森のはずれにある、コチコチの砂底の通年ポイントブレークの隣で、自立して隠遁しているのかもしれない。古い防弾装備で、ハイラインにカッコよく乗り、どこかでデイブの後継者になることを夢見ていそうな…
デイブの結果に疑いの余地はなかった。2位はトーレン・マーティン。その時、優れた洞察を得た。13位までの平均年齢は55歳。中にはフライ、ムニョス、シュイナードのような80歳以上もいる。これは、ほかのサーファーよりも、むしろデイブの領域になるのだが、産業は50年にわたって逆方向を走っている不経済な列車だ。その「逆方向」の最たるものが、量産サーフボードの製造・廃棄だが、産業物資の空輸や廃棄物処理も引けを取らない。量産経済の消費社会に組み込まれてしまったら、環境への懸念を主張するサーファーであっても、決してそこから抜け出せない。デイブや、高名なボード製作者のゲーリー・マクニールでさえも。
グリーンとは無駄がないこと、無駄がないとは地元産ということ、地元産とは輸送料がほぼゼロということ。巨大な公的・私的なプロアマ管理組織が叫ぶ「逆方向」は、難解な信念体系を命令するが、そこでは陸送・空輸が内部関係者のネガティブなダーウィン的群集心理と並走する。「逆方向」は、子どもにインサイドを攻めろと刷り込むボードライディング・クラブにも見られるが、それはほとんどのラインナップにおいて、主要な犯罪行為だ。
そして、ここにデイブがいる。時間経過による21世紀のパラドックスにおける先祖返り。かつてあったかもしれないものの発信源。
1世紀前の大学の書籍が、ロビン・フッド伝承の起源について、おそらく逃亡中の放浪者というより、集落境界の守衛であろうと述べていた。そのような人物が、シャーウッドの森付近におそらくいたが、「ロクスレーのロビン」としてではなく、さらにおそらくは「ゆかいな仲間たち」も存在せず、ましてや「マリアン姫」がいた可能性はさらに低い。たぶん、読み書きが不十分ながらも体格のいい若者で、こん棒の技を習得しており、それを使いこなして、ロンドンから北に向かう道に最も近い門で、半餓死状態で戻ってきた十字軍兵士が村に侵入することを阻止していた。その人物像は、謙虚で、毅然として、スゴ腕だ。この数十年のプロサーフィンは、ブロンズド・オージーズのモデルを背景に、スポーツの基盤として良心的な働きかけを身につけてきた。不当な環境破壊に対して良心から異議を唱えるような働きかけに比べれば、どんな取り組みも及ばない。
1,000万人のサーフィン人口のうち、200万人の優れたサーファーを見てみよう。彼らは、実際に波に乗る際の良いまたは悪いテクニックを熟知している。そのうち、例えば30万人(これは控えめな試算である)は、人類学的に厳格なネオダーウィン主義の中で、群集をすり抜け、サーフィンの頂点捕食者として振舞っている。底辺に向かう人類の競争の典型例だ。国であれ、地域であれ(ただし、マハカは例外)、地域社会によって全体的に育まれるこの文化横断的な一般的精神状態は、おそらく無作為の旅行者によって巧みに持ち込まれる。こうした人は、一番奥のインサイドポジションから何度も水に挑んでは、自身の汚物の中を転げまわり、診断前のソシオパスになるために、サーフスポットにやってくる。おっと、性別に関する警告を忘れていた。全員が13歳以上の男性だ。200万人に1人のサーファーが、さまざまな前線で頂点の防衛戦を繰り広げている。
きれいな足で逃げられるサーファーはほとんどいない。デイブでさえそうだ。オフセットや一括オフセットにより、彼は環境にとって大いにやさしい存在へ昇格した。デイブの名声は、パタゴニアという企業だけでなく、耐久消費財メーカーの社会経済的信条を鼓舞している。主な仲間にはゲーリー・マクニールがいる。彼とデイブの成果は、必然的に国境を越え、数十年にわたり存続している。それに比べ、その師であるディック・ヴァン・ストラーレンは、その個店哲学と水平的試行のせいで、国境を越えることを避けてきた。デイブが環境に与えた影響は(嫌々引き受けた感もあるが)、輸送のように最も基本的な二次的要因によるものだ。それだけでなく、マクニールと手掛けた最先端の亜麻素材ボードを生産する際の非画期的素材の使用率も影響している。このボードは、リサイクル・ウレタンフォームの使用率も特徴の1つだ。さらに、デイブの名を冠さず販売するために作られる標準生産ボードも、結局は彼のチームの影響を強く受けている。
ランチに戻り、デイブの過去を振り返った。小学生の頃にニュージーランドを離れたこと。風変わりな子どもパドラーで、同じクラブで海のスイマーのグラント・ハケットの引き立て役だったこと。実験的に作った、座って漕ぐ船で冒険にでたこと。キッズサーファーとしてバリで優勝したこと。ナイキを着てビーチを歩いていた奇妙な老人をうっかり無視しかけたが、最後の最後にディック・ヴァン・ストラーレンと自己紹介され、それは何年も前から気になっていたバーレーの伝説的デザイナーだったこと。
そして本来の質問に答えて、デイブはある名前を挙げた。「いるよ。サニーコーストのルビー・サウスウェル。俺たち(パートナーのローレン・ヒルとデイブ)は、彼女といっしょに最高のポッドキャストをやったのさ。最高傑作の1つだ。実際、それはステフを思い出すようなもんだったよ。彼女はコロナで全てが閉ざされた頃、メンツという村にいて、それが人生を変えたんだ。古いやり方に適応し、土地の言葉を学んだ。旅行者が戻りだした時、彼女は村のサーファーを守った。船が運んできた最初の旅行者は、群集がいないことをすばらしいと言った。だが彼らこそ群衆であり、ルビーは彼らに同じ言葉を返したのさ。」
ルビー、気負うことはない。「デイブの方舟」はたぶんまだ大丈夫だ。