雪片のなかに存在する空間
日本における欠けとバランス。
写真:ギャレット・グローブ
日本へのはじめての旅では、スキーのことしか頭にない。
たっぷり遊べる地形での信じられないほど深いパウダーの噂を追い、それ以外はおまけ。あくまでもスキー三昧の旅で、楽しい文化的な風味はその上に散りばめられるだけ。実際に何が待ち受けているのかわかっていない。思いつくのはせいぜい「美味い寿司にありつけるかな?」程度。
でも東京駅——大都市の鉄道網に鼓動する心臓——に到着するやいなや、あらゆる音と匂いと動きの嵐に巻き込まれる。人の川の流れに飛び込む前に地下鉄の券売機でチケットを買い、急に大きくなったようなスキーバッグを必死に押し込んで改札口を通り抜ける。小さな紙のチケットいっぱいに印刷された数字や日本語は自分には解読不可能なため、苦しいときの神頼み的にそれを見知らぬ親切そうな人に見せる。そしてその人たちが正しい乗車ホームを指し示してくれることを願う。
あっている。ついに新幹線に乗り、列車は時速280キロメートルで滑るように静かに雪山へと進んでいき、都市の灯は薄れ去っていく。
翌朝、驚くほどに品揃えのいいコンビニで仕入れた、謎めいたラベルの軽食(これがあとで重要になる)でエネルギー補給。支払いでお金を渡しつづけると、店員が笑って「もう十分です」という身振りをする。そしてスキーの時間。
パウダーはお約束通りクレイジーで、積雪量は笑えるほど控えめに報道されている。ひょっとして深すぎるかも? いや、そんなことはあり得ない。さらに雪を求めてホワイトルームに突入し、滑りつづける。そのあとは温泉で茹でられるような安らぎにどっぷりと浸かる。数日の寒さと絶え間ない動きから劇的に回復し、癒された憩いのときが訪れる。それはこの辺りの山間の村の多くでは、贅沢ではなく日課。
山を下りると、読めないメニューのなかから適当に指を差し、うまくいくことを祈る。言語や文化、ルールや礼儀など、そのすべてが濃密で複雑に思える。でも地元の人たちの温かい親切によって、そのギャップはすぐに埋められる。見知らぬ人たちがわざわざ遠回りしてまで助けてくれることはしょっちゅうで、とくに片言の日本語を勇気を出して話し、新しい言葉を学ぼうとする好奇心をちょっとでも示したら、それはなおさらだ。
最終日は晴れ。森林限界のはるか上までシールで登る。周辺のいたるところに頂が見え、ボウルや夢のような尾根が点在している。ここにもそんなものがあるのか?
旅が終わって家に帰ると、それはさらに夢のような非現実的なことに思える。友人にこれを説明しようとしても、正確に語ろうとすると、かえって話を盛りすぎているようにしか聞こえない。本当に現実だったのだろうか? 現実だったら、そんなに良かったわけがない。
次の年は、探索する時間をスキーの合間に余分にとり、事前にちょっとした日本語も覚えようとしてみる。日本到着日は晴天、友人の友人がロードトリップに出るので便乗する。彼の英語は自分の日本語よりマシで(比較の基準が低すぎるかもしれないが)、自力で見つけられることよりはるかに豊かな体験への橋渡しをしてくれる。彼のあとにつづいて聞いたこともない山へ入り、完璧な間隔で生えているブナ林のなかをシールで登る。尾根に出ると、アラスカから持ち出してきたかのような稜線の壁に迎えられる。
この「ジャラスカパン」はあまりに素晴らしすぎるが、今回は現実だ。雪は太陽の熱でクラストしているが、また来年がある。
旅を重ねるごとに、まだまだ探求すべきものがあると気づく。嵐と好奇心を追いかけながら、そのリズムとマナーと言語にだんだん慣れてくるにつれて、どんどん自主的に日本国内を移動するようになる。そして海外でも評判の高い大きなスキーリゾートよりも、地形図のおもしろいラインに惹かれていく。
険しく深い滑降ラインが人があまり行かない場所へと導いてくれることに変わりはないが、やがては物理的な風景だけでなく、文化的な風景にも、同じくらい多くの発見をするようになる。地元の人に穴場の夕食店を尋ね、よりによってなぜ冬の真っ只中にこの小さな町を訪れているのかを説明する。他の外国人の姿はほとんど見なくなる。もし見かけたとしたら、それはリゾートや観光地という安易な快適さに近づいてしまったという兆候だ。
そのころには、最初の旅で説明に苦しんだ概念を言葉で表せるようになる。そして空白の部分、全体のバランスを生み出す欠けの重要性がわかるようになる。それは芸術や建築や音楽のなかにあり、会話のペースや日常のリズムのなかにもある。木々のあいだに広がる空間にもそれを見いだし、降ったばかりの新雪の軽い質感にもそれを感じる。雪片のなかに存在する浮遊空間は、飛んでいるような感覚を与えてくれる。
あらゆる場所に門が現れはじめる。鳥居や橋は俗世と聖域の境界を示しているが、その象徴的な意味は、さらに微妙な境界に反映されているようだ。雨の多い沿岸部の嵐と信じられないほど激しい吹雪を分ける、何キロメートルもつづくトンネルや、寒い外からしばし逃れるための5人分しか席がない小さなレストランの扉。あるいは、存在すら知らなかった高山の世界へと向かうために越える森林限界。
そして、地図や写真を丹念に調べているある年、そこが目に留まる。はじめて訪れたときのジャラスカパンの稜線を彷彿とさせるエリア。今度はもっと気温が低く、願わくばもうちょっと大きく、もっともっと遠くにあることを期待する。だが天候は気まぐれだし、決断は山がみずから下すもの。でも本当のところ、それはただの言い訳でしかない。イイ雪があろうがなかろうが、最高のものになることはわかっている。
残念ながら、山の答えはきっぱりと「ノー」。数日前に気温が急上昇し、どの斜面もぱっくりと開いた危険なクラックや雪崩のデブリだらけ、沢も水が流れだしている。でも大丈夫。他にも選択肢はある。
するとある友人が1枚の写真を送ってきて、計画が一気に決まる。それは元祖ジャラスカパンの稜線のフェイス。10年にわたる探求をはじめたきっかけだ。「コンディションは悪くない」と彼は言い、「怪物級の嵐がやってくる。帰る直前には晴れるかもしれないよ」とつづける。
それから10分もしないうちにバンに荷物を積み込み、6時間の運転を開始させる。
最後の道のりはいくつものトンネルで締めくくられる。トンネルを抜けるたびに白い世界が広がっていく。道路脇の除雪された雪の壁はバンの屋根よりも高くなり、向こうのブナ林の木の上部にまで達している。腰まで埋もれながらシールで登る苦しみは、喜んで受け入れる。広々とした木々のあいだを跳ねるように滑っているあいだ、笑いがずっと止まらない。斜面の下部で、疲れたようなカモシカ(日本に生息する、ヤギに近いウシ科の動物)に出遭う。シールを貼る様子を静かに眺めたあと、腹まで雪に埋もれながらゆっくりと去っていく。
夕食のレストランで、店主がローカルの仲間と日本語で話しているのが聞こえてくる。こんな大嵐のなかでスキーをしてるなんて信じられないと言う。翌日はさらに数人の友人が到着。シールで登りながら挨拶やハグを交わすと、皆それぞれがその日に滑るエリアへと散っていく。情報交換は今夜の温泉で。ここで出会ってからずいぶんと経ち、それ以来多くのことが変わったようで、でもほとんど何も変わっていない。
嵐は猛威をふるいつづける。町は閉ざされ、日々の区別がつかなくなっていく。最後に太陽を見てから1 週間が過ぎる。ときに雪は深すぎて、雪が頭上に舞い上がるなか、ふわふわの雪のうねりとともに浮遊感を感じながら滑る。夜、地鳴りのような音が聞こえ、翌朝起きると巨大な雪崩が谷全体を埋め尽くしたことに気づく。
雪崩は何百メートルも上の、あの尾根のすぐ隣のボウルで発生したとわかる。
まだ雪が降っている最終日、シールで登っているとローカルに呼び止められる。8 年前にここで会ったと彼は言い、自分の名前とスキーのブランドを早口でまくし立てる。話をした時間は10 分もなかったが、あのときのことは自分もよく覚えている。ハイタッチを何度か交わし、彼は目的地へ向かって進んでいく。
つかの間の交流は完璧な、思いがけないギフトで、夢のような旅の最高の仕上げ。そうだ、良かったどころか、現実にはおそらく、それ以上に良かったのだ。でも帰ってから誰かに聞かれても、それを説明しようとはしない。正確に描写する唯一の方法は、何も語らないことだと気づいたからだ。