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栂海新道:アルプスから日本海へ消える足跡を追って

森山 伸也  /  2025年6月11日  /  ハイク, スポーツ

日本海の親不知から北アルプス朝日岳へ続く総延長30kmの栂海新道。1971年に地元山岳会が11年かけて手作りで開拓した登山道の歴史と、その足跡を実際に辿った3日間の縦走記録。

写真:武部 努龍

熱中症アラートが鳴る8月某日、北アルプス(飛騨山脈)が日本海へ沈み込む断崖絶壁、親不知にいた。ここは、新潟と富山を結ぶ北陸道最大の難所。断崖と荒波が旅人の行く手を阻み、親は自分の安全を守ることに精一杯で、子を想う余裕がなかったことから「親不知」と呼ばれている。この天下の険から北アルプスの最北端、朝日岳2,418mへ歩き道が延びている。その名も、栂海新道。
総延長は約30km、高低差は言わずもがな2,418m、累積標高は4,000m近くになる。高所に広がる『栂』の森と、『海』を結ぶ道との意味でこう名付けられた。

一般的には、朝日岳から栂海山荘(無人)で1泊して、日本海へ下る登山者が多いようだ。事実、栂海新道の起点となる朝日小屋では、4か所の水場情報をリアルタイムで発信している。また、下り基調だから体力的にもラクで、水場は小屋の南側にあって、なにかと都合がよろしい。なにより、アルプスからの汗を日本海で流せるのだから、なんと粋であろう。
しかし、われわれはあえて海から登る、南下ルートを選んだ。この道を拓いた人たちの夢と苦労と達成感を少しでも体で感じとるために。
栂海新道は、54年前の1971年にある男たちによって、切り拓かれた道なのである。

小野健は、当時新潟県糸魚川市(旧青海町)のコンクリート会社に勤めていた。地元民に親しまれる日本三名山の黒姫山(標高1,221m)に登ったとき、生涯の夢となる壮大な構想を思いつく。
「白馬岳から続くあの稜線に道を拓いて、アルプス完全縦走という新しい登山形態をつくりたい。」

1961年、小野は社内で体力のありそうな連中に声をかけ『さわがに山岳会』を結成。仕事の合間に新道を開く意味や魅力を語り、ときに焼鳥屋に誘って口説いては会員を増やしていった。開通の実現は、やぶ刈り精鋭隊をいかに多く、継続的に確保できるか? にかかっていたからだ。

著書『栂海新道ものがたり』(小野健/考古堂)で小野は、当時の難工事をこう振り返る。
「やぶ刈り作業は、最初にルートを決めて鉈目を入れ、その線上に一人一〇メートルぐらいのスパンを受け持ち、鉈・鎌・鋸のやぶ刈り三種の神器で刈り進み、順送りで前進していく。これを三〇キロメートルも繰り返すことになるのだから並の作業ではない。」
ナタ、カマ、ノコを使っての人海戦術。当時はまだ週休1日制で、土曜日の勤務を終えてから現場へ登り、深夜に着いて、そのまま泊まって、翌日曜日の早朝から作業をしてさらに連泊。そして、月曜日の早朝4時頃に下山して、そのまま職場に出勤したことも多かったという。家族やプライベートを犠牲にして、新道開通に人生をかける意気込みたるや、常識を逸脱している。そんな幾人もの貴重な青春が、詰め込まれた山道を歩いてみたかった。

海水を片手ですくい上げ、すすっと口に含む。塩分補給はバッチリだ。海抜ゼロから標高差80mの階段を一気に登り、国道8号を跨いで、山へと分け入った。
踏み跡は尾根をいったり、沢を横切ったり、窪地を巻いたり、歩きやすい地形の弱点をついて延びていた。やぶ刈りも大変だが、豪雪に流されない地面を選んでルートを引く作業も大変だっただろう。一旦やぶに入れば現在地を失うGPSがない時代。地形図に表されない小さな凹凸に翻弄されながら、大きくコースを修正したこともあったと前述の著書には書かれていた。

感覚的に標高1,000mは稼いでいるはずなのに、現在地の標高はたったの600m。峠を越え、山頂に立ったと思えば、まだ峠へ下る。序盤からアップダウンが多く、さらに車の進入を匂わすアスファルトが横切り、メンタルがやられそうになる。
ここ坂田峠は、越中と越後を結ぶ山回りの北陸街道で、海岸の道が不通になったときバイパス道として重要な役割を果たしたという。なにも標高600mまで上がらなくても・・・と思うが、北アルプスの隆起と山を削る豪雪とが相まって、険悪な沢が複雑に入り組んだ地形なのだ。

次第に山頂や峠、水場などトレイル上のポイントに着く楽しみが生まれてきた。どんな風景が広がっているか? よりも、味のあるオリジナル道標に出会える楽しみである。

当初、栂海新道の道標は木材で立てられたが、雪に潰され数年で破損した。文字をペンキで書いてもすぐに落ちてしまう。そこで、ステンレスの板にドリルで打ち抜いた切り抜き文字を採用することに。手作りという唯一無二の存在感に温かみを感じ、下書きをしてドリルを立てる制作者の影が脳裏に浮かぶ。
「この案内板は、二十年以上経過しても全く損傷なく、登山者の名物看板として道案内をしてきた。」と小野さんは得意げに語る。
山道、道標、小屋、すべて手作り。時間と工夫を注ぐ縦走路から愛がほとばしる。こんな山道、なかなかない。
ちなみにこの道標、2009年に環境省が黒岩山から朝日岳までの登山道を整備した際、国立公園の規格に合わないとの理由で、その区間だけ撤去されてしまった。黒岩山から国立公園に入ってありきたりの味気ない道標に触れたとき、登山道から冷たさを感じたのは、標高が上がったという理由だけではなかっただろう。

山頂に小屋を抱える白鳥山を越えると、豪雪地らしいひときわ美しいブナの森が広がった。相変わらずのアップダウンが胸を突くが、明るいブナに背中を押され、暑さにやられた重い足は軽やかに進んだ。
ブナの森が雨雪を蓄えた黄蓮ノ水場で、明朝までの水を4ℓ汲む。今日のキャンプ地、栂海山荘には水場がない。バックパックが4kg重くなってからの、2時間弱の登りはさすがにコタエタ。逆の北上ルートであれば、栂海山荘まで20分ほどの北股ノ水場で水を取れる。やはり、栂池新道はサミット・トゥー・シーが正解のようだ。
(稜線上の水場は、水量が極めて少ない。枯れることもあるので、オフィシャルウェブサイトで要確認。)

登山者の寝床となる栂海山荘を作るためにさわがに山岳会は、ひとり50〜55kgの荷を背負って、計2トンの資材を人力で運んだというのだから、4kgごときで弱音など吐いてはいられない。その建築資金に小野は、みずからの結婚積立金をすべて充当したというから、さらに弱音など漏らせない。

小野の著書によれば、栂海山荘が建つ犬ヶ岳から黒石山までが、やぶ刈りにもっとも苦労した区間だという。海からの偏西風がもろに当たる細い稜線には、背の高いブナが育たず、日当たりがいいので、シャクナゲなどの低木が元気に大地を覆っていた。
「夕方になると握力がなくなり、鎌が手から飛び離れていくこともあった。一体、俺達は何のためにこんなことをしているのだろうか、自問自答のときもあった。ひたすらに完成の喜びを味わうためであろうか、考えると馬鹿らしくなるので、無心になって刈り進んだこともある。」
さわがに山岳会がなければ、この山道は存在しなかった。「歩かさせてもらう」という謙虚な気持ちが歩を重ねるごとに募っていった。

登山道の横に文子ノ池が、雪解け水を蓄えていた。
1970年、さわがに山岳会の栂海新道伐開作業が山岳雑誌『山と溪谷』のグラビアに紹介されたことがあった。この記事を読んで、手伝いたいという女性が長野市から小野のもとを訪ねてきた。小野は若い女の子にこんな苦行はさせられないと炊事係を頼んだが、彼女の入山は一度きりとなり、すぐに会を去った。この池塘は、彼女の名前、山崎文子から「文子ノ池」と呼ばれるようになったという。なんともさわがにらしいほっこりする話である。

標高2,000mへ高度を上げると、池塘が点在してきた。登山道から見下ろす大きな水溜まりは、照葉ノ池だ。平らで、水がとれ、風を避けられるここに、さわがに山岳会は幕営して作業を進めた。開通を目前にして感涙にむせんだ思い出の地でもある。なんて気持ちがいいところだろう。わたしたちもここで荷を解きたい。だが、もちろんいまはキャンプ禁止。いい時代だったんだなあと、目を細めずにはいられなかった。

吹上げのコルに立つと、蓮華温泉からの登山道が合流し、「栂海新道を経て親不知日本海へ さわがに山岳会」という味のある切り抜き文字の道標が残っていた。事実上、栂海新道はここまでということになる。
さわがに山岳会結成から11年という月日を経て、約30kmの栂海新道は開通した。
開通当初は、獣道より多少ましなやぶ道で、整備がなかなか追い付かなかったという。その後、ボランティアグループや、地元の若手有志が発足した「栂海岳友会」によって踏み跡は今日まで守られている。
草刈りや土砂流出防止など登山道を整備することは欠かせない作業であるが、誰にでもできるものではない。ひとりでも多くのハイカーが歩くことが、道の存続につながる。地面を蹴って歩けば、踏み跡は生き続ける。人が入っているとわかれば、自治体がそこにお金をかける。その道が気に入ったなら、歩くことが大事なのだ。次回は、アルプスから日本海へ抜けてみよう。

海抜ゼロからはじまった2日間の縦走で、この山道に青春、いや人生を賭けた彼らの生きざまを少しだけ垣間見ることができた。発起人、リーダーとして小野健の名前だけに光が当たる。しかし、その影には何十人という若者たちの青春があった。そのほとばしる情熱を足裏から感じるたびに、一歩一歩を大切に、地面を蹴り込む足に力が入るのだった。

いま全国各地でハイカーやランナーの手で登山道を整備するボランティア活動が広まっている。大雪山、雲ノ平、甲斐駒ヶ岳、奥信濃・・・。これまで行政任せだった登山道を遊び手やメーカー、ショップ、現場にいる山小屋の人たちの手で守るという意識が芽生えつつある。栂海新道のように一から登山道を通すという動きではないにせよ、同じような独立した精神やロマンを感じる。自分たちの遊び場は自分たちで整え、守る。いつまでも自然を歩けるように。
最後に、さわがに会の皆さんに敬意を評して筆を置きたい。

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