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ナショナル・シーニック・トレイルの危機

利根川 真幸  /  2025年9月3日  /  ハイク, スポーツ

ハイカーとトレイル団体による、ロング・ディスタンス・トレイルを未来に残すための戦い。

写真:利根川 真幸/ジェフ・キッシュ/Pacific Northwest Trail Association

2025年6月16日。僕は、ワシントン州北部に位置する、ウィルダネスと言われる原生自然の中にいる。日本では見たことのない2mはあろう巨大なノコギリを、2人がかりで押して引いてと、炎天下の中汗だくになりながら倒木と格闘していた。

場所はパシフィック・ノースウエスト・トレイル (PNT) の中で最も手つかずの自然が残るエリアのひとつと言われているパサイテン・ウィルダネス。トレイルをふさいでしまっている巨大な倒木を取り除くべく切断しているのだ。1本を切るのに30分もかかる見事な巨木ばかりだ。

2年前にコロラド・トレイルをスルーハイキングして以来の渡米だった。

アメリカではウィルダネス・エリアに指定された場所では、人間による環境へのインパクトを最小限にするため、重機やモーターの付いたものを使用することが許可されていない。そのため、倒木の処理もチェーンソーは使わずに、何十年も前から使われているような昔ながらの人力のノコギリを使用するのだ。

この大きなノコギリの両端を2人でつかみ、全身の力を使って木を切断していく。暑い日差しのなか、トレイルメンテナンスのクルーたちは汗をかきながら、ハイカーが安全に歩けるようにトレイルを整備している。

ウィルダネス・エリアでのメンテンナンスクルーの作業は、すべてが人力だ。切断した倒木も、みんなで体重をかけて斜面に蹴り落とす。

もしハイキング中に、このような巨大な倒木に出くわしたら、迂回を余儀なくされ滑落などの危険な場所を通らなければいけない状況になることがある。また無理にまたいだりくぐったりしたときに倒木が動いて大怪我を負う危険もある。

なぜ僕が海を渡り、アメリカのトレイル整備の現場にいるのか。

きっかけは、ハイカー仲間のジェフ・キッシュから届いた一通の悲痛なメールだった。そのメールは、僕が所属しているTRAILS (トレイルカルチャー・ウェブマガジン) のクルー宛てに送ってくれたものだった。

「TRAILSのみんな、元気にしていますか?

先日、パシフィック・ノースウエスト・トレイルの現状について共有しましたが、あの後、信じられないほど事態は急激に悪化し、本当に壊滅的な状況に陥っています。

ハイカーや、自然を大切にしている人たちにとって、アメリカの状況は悪化する一方です。森林局やトレイルを管理するNPO (非営利団体)、また国立公園、自然保護区等の公有地に対する圧力がおさまりません。

この数ヶ月の間にも、大統領の政策に対する抗議活動が数多く立ち上がり、自分もそのうちのひとつに参加してきました。

今年もパシフィック・クレスト・トレイルなどアメリカのトレイルをロング・ディスタンス・ハイキングする日本人ハイカーはいるのでしょうか。日本のハイカーは、アメリカのこのような状況を、どれくらい知っているのでしょう。

ジェフ・キッシュ
パシフィック・ノースウエスト・トレイル / エグゼクティブ・ディレクター」

僕が所属するTRAILS クルーは、ジェフと10年以上の親交がある。最初に出会ったのは、パシフィック・クレスト・トレイル沿いにあるポートランドのブリュワリーだった。その後ジェフは、TRAILSを通じて、日本にパシフィック・ノースウエスト・トレイルについて発信し続けてくれている。しかしこの10年で、ジェフからこれほど危機感のこもったメッセージを受け取ったのは初めてだった。

パシフィック・ノースウエスト・トレイルは、東のグレイシャー国立公園の大陸分水嶺から、西のオリンピック国立公園のある太平洋を結ぶ約2,000kmのトレイルである。ロッキー山脈、オカノガン高原、ノースカスケード山脈、そしてオリンピック半島と、ウィルダネスが濃く残るエリアを通る、野生味あるトレイルとして知られている。

ジェフは、2012年にパシフィック・クレスト・トレイル (全長4,300km) を約半年かけてスルーハイキング (ワンシーズンでの全線踏破) した。その後、より深くて濃いウィルダネスを求めて、2014年にパシフィック・ノースウエスト・トレイルを歩いた。

以前に、ジェフはパシフィック・ノースウエスト・トレイルに惚れ込んだ理由を、次のような言葉で表現してくれたことがある。「アメリカ大陸において、地球本来の姿が残されている最後の場所のひとつなのではないかと感じたんだ。このトレイルを歩いた時、自らが自然の本来の姿であるウィルダネスに没入し、一体化していく感覚になったんだ」と。

僕は同じハイカーとして、この言葉にとても深い共感を覚える。自分もロング・ディスタンス・ハイキングの魅力において同じような感覚を抱いており、この感覚は今もウィルダネスの中を長く歩き続ける理由のひとつだ。

ジェフは、パシフィック・ノースウエスト・トレイルにより献身したいという思いから、このトレイルの管理団体へと入った。今では団体のエグゼクティブ・ディレクターを務めるようになり、このトレイルに人生を投じる生活を送っている。

このパシフィック・ノースウエスト・トレイルは、アメリカで11本ある「ナショナル・シーニック・トレイル」のなかで、最後に指定されたトレイルである。それ故、よい意味でも整備がされすぎておらず、野生味あふれる自然が多く残っている。

ナショナル・シーニック・トレイルとは「壮大な自然の美しさを感じ、アウトドアレクリエーションを楽しむ」ことを目的としたトレイルで、国により指定される。アメリカの有名な3大トレイルも、このナショナル・シーニック・トレイルに指定されているトレイルである。

現在、このナショナル・シーニック・トレイルは、政府による予算削減・人員削減により、今までのようにトレイルを存続させるための活動がままならなくなり、危機に頻している。

ジェフからのメールは、その厳しい現実を知らせてくれる、現場からの叫び声であった。

同じタイミングで、アメリカの3大トレイルのなかでも、最も歴史があり、多くのハイカーが歩くアパラチアン・トレイルと景観の素晴らしさから人気のパシフィック・クレスト・トレイルを管理する団体も、異例の共同声明を出した。「私たちのナショナル・トレイルが 危機に瀕している」と。

この共同声明では、これまで安全なトレイルを維持するために、連邦政府からの支援を受けて存続してきたが、最近の資金凍結と人員削減により、将来の存続が脅されていることへの危機を訴えていた。

そして対策を講じなければ、整備が間に合わず、トレイルの一部区間が閉鎖される状況になったり、さらには数十年にわたるトレイルの周辺の自然環境に対する保護活動も無駄になりかねない状況であると伝えていた。

ジェフも連邦政府のあるホワイトハウスまで出向き、多くのトレイルに関連する職員やスタッフが解雇されたことにより起こっている問題を伝え、ウィルダネスとトレイルを守っていくためにすべきことを訴えた。

ジェフは、前例のない難題に対して、なんとか未来を前進させるために戦っていた。

トレイルを守るためのシステムが機能不全に陥っている現状を、なんとか打破しようと必死に奔走していた。僕たちTRAILSはロング・ディスタンス・ハイキングを愛するハイカーとして、何かしなければならないという危機感から、自分たちが次にとるべき行動を話し合い、僕が渡米したというわけだ。

まずはワシントン州のセドロウーリーの町にある、ジェフが働くパシフィック・ノースウエスト・トレイルの管理団体 (PNTA) のオフィスまで行くことにした。

ジェフと会うと笑顔で僕を迎えてくれ、オフィスにあるトレイルの歴史を物語る昔の写真や道具を見せてくれた。しかし、話がトレイルの現状に及ぶと表情は一変し、真剣な面持ちでこう言った。「アメリカにおける国立公園、自然保護区などの公有地の管理と保護の現状は、この国の歴史上かつてないほど変化しているよ」。

ジェフは「今の政権はハイカーが大事にしている自然を大切にしない。政府はまるで森林を木材が取れる場所としてのみ捉えているように思う。自然を保全する価値や、自然を楽しむ価値といった、森林本来の価値には目を向けていないんだ」と語った。

パシフィック・ノースウエスト・トレイルについても、昨年はトレイル整備の仕事をしていた人が約70人いたが、今年はその半分もしくはもっと減ってしまう可能性があるということに、ジェフは強い危機感を抱いていた。

この状況では十分にトレイルの整備をすることができず、今年このトレイルを歩くハイカーには、大変な思いをさせてしまうかもしれない。そして来年以降のハイカーにはもっとひどい状況になってしまう可能性が高いということを伝えてくれた。

僕の人生を変えてくれたアメリカでのロング・ディスタンス・ハイキングの旅が、今後どのように変わっていくのか。僕はハイカーとして、ナショナル・シーニック・トレイルの現実を目撃するべく、ハイカーとしてできる行動をし続けるべきだと心に決めた。僕はセクション・ハイキングという方法で、数年をかけてパシフィック・ノースウエスト・トレイルの全線を歩くことにする。そしてハイキングをする際は、毎年必ずトレイル整備の現場にも入りたいと思う。

こうして僕のパシフィック・ノースウエスト・トレイルのセクション・ハイキングの旅は、トレイルの西の基点である、太平洋を望むオリンピック半島の海岸線からスタートした。

ウィルダネス・コーストと呼ばれる、人の手がほとんど入っていない野生味の濃い海岸のトレイルだ。岩礁帯や荒々しい巨大な岩が海から突出している。ウミドリやアザラシやラッコなどの野生動物が棲む海沿いのトレイルを歩いていく。

この先のオリンピック国立公園では、パシフィック・ノースウエスト・トレイル全体でもハイライトのひとつとなる、高山帯の迫力あるスペクタクルが広がる景色が待っているはずだ。

これからの未来も、ナショナル・シーニック・トレイルの旅を続けることができるのだろうか。歩きながら、ジェフの言葉を思い出す。

「パシフィック・ノースウエスト・トレイルには、ロング・ディスタンス・ハイキングの良きレガシー (遺産) が残っていて、他にはない良質な孤独を体験することができる。だからこそ、ハイカーはここで真の自立を実践する喜びを得ることができるんだよ。」

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