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倉上慶大が教えてくれたこと

横山 勝丘  /  2025年12月8日  /  クライミング

クライミングへの向き合い方を通して生き方を知る

ロープにぶら下がった5分後には、すでに嫌気が差しはじめていた。目の前に広がる凹角はわずかながら傾斜が垂直を越え、その両サイドに明確なホールドは見当たらない。かれこれ3年あまり、何度もぶら下がって何十通りものムーブを試してみるも、これだ!という瞬間は訪れない。だったらさっさと諦めればいいじゃないかと自問自答してもみるのだが、簡単に捨て去るにはあまりにも惜しいほどに、その巨大ボルダーのど真ん中を貫く顕著なランペは別格の存在感を放っている。それに、できていないのはたった1メートル。一瞬、できるかもしれないと思わせる岩の形状がまた、クライマーを惑わせる。何かの天変地異が起きてホールドが出現してくれないかしら、と荒唐無稽な望みを抱く自分に失笑する。もうぼくには無理なのではないか?と疑心暗鬼にもなるが、そんな時にはきまって、2024年6月に富士山で逝った倉上慶大の顔が脳裏をよぎる。

5年前の10月末、ぼくがかれこれ15年以上もほったらかしにしていた瑞牆山のプロジェクトに、彼を誘ったことがあった。全長40メートルの中に散らばるいくつもの核心のうち、どうしてもできない一手が残っていた。彼は、「このラインが人類に登攀可能であるかどうか」の証明のために投入されたリーサルウェポンだった。終了点からロープを2本垂らして、各自ムーブの解明に勤しむ。彼のクライミング能力の高さは誰もが知るところだが、この時ばかりは苦労しているのが手に取るようにわかった。標高2000メートルの稜線は、少しでも風が吹けば長袖を着ていても寒い。そのぶんフリクションは最高だが、指先第一関節の半分もかからないほどの小さく鋭利なホールドに、二人の指先はズタズタにされてゆく。それでも太陽が傾き始めたころ、彼はけたたましい咆哮とともに、ぼくがどれだけ頑張ってもできなかったクロスの一本指からカミソリのようなカチへのランジを止めた。
「ジャンボさん、繋がりましたよ!!」
少年のようなキラキラとしたその笑顔こそが、なぜ倉上慶大という男がクライミングの世界で唯一無二の存在なのか、端的に表していると思った。ただ難しいムーブをこなすだけではない。未知のものを既知にしてゆくプロセス。その計り知れない魅力に取りつかれた男の笑顔だった。

彼とのクライミング能力の圧倒的な差は脇に置いておくとしても、ぼくも同じ喜びを知っているという自負はあった。だからこそ、これまで世界中の未踏の山に赴いてきたし、家の近所の小さな岩にも同様の情熱を注いてきた。見つけたプロジェクトをルートという形にするそのプロセスに喜びがあり、他の誰でもない、自分自身こそがそれを実行すべきなのは百も承知だった。だけどいま、どれだけ頑張っても解けなかった謎を友人が解いたのを目の当たりにして、不覚にもぼくは満足感を覚えてしまっていた。
「ありがとう!いやぁ、なんだか清々しいな。登れるってことがわかっただけで十分だよ」
次の瞬間、普段は柔和な彼の顔が強張ったのを今でも覚えている。
「やる気があるうちにちゃんと真正面から向き合わないと、気づいたら登れなくなってしまうんですよ!」
お前は強いからそう言えるんだよ、いつだって好きなタイミングでこんな遠いところまで来れるわけでもないんだよ、他のことだってやりたいし…。そんなことを思わなかったわけでもないが、彼の言うことはしごくもっともだったし、結局ぼくが「できないこと」から逃れたかっただけなのを見透かされたようで、思わず下を向いてしまった。

倉上慶大との深い付き合いはたった5年ほどだが、ユタの砂漠や屋久島、はたまたお互いの開拓エリアなどで濃密な時間を過ごしてきた。いま改めて、あの時の彼の言葉を反芻してみると切なくなる。ただ目の前のラインを登るだけなら、それは数多あるうちのひとつの経験にすぎないが、彼の遺した足跡-ハードかつボールドなルートの数々-をたどっていけば、クライミングという行為は、彼自身の哲学を表現する手段だったのだと容易に想像できる。登れなくなる、ということはすなわち、ほとばしるエネルギーをひとつの形に昇華させる機会を失うということだ。
哲学の表現とは少し大袈裟かもしれない。彼のルートに、自身のクライミング能力や勇敢さの誇示は見られない。あくまでも自然の創り出した奇跡の力を借りて、真正面から向き合ってきた結果にすぎない。
実は、彼の主張が二転三転していることもままあった。でもそれは、単に考えの甘さや軽さからくるものではなく、一つの事象を様々な切り口から捉え、場合によっては一周して戻ってきた結果だろう。誰よりも悩み、迷い、膨大な試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ自身の哲学をブラッシュアップさせていく途上だったのだろう。ときとして起こるその迷走ぶりに茶々を入れると、真剣になって思いのたけを口にする姿に、ぼくはいつも好感を抱いていた。

彼ほどの実力と影響力を考えれば、なにをするにしても少ながらず非難されることもあったと思う。だけど、常に自身の行為とそれがもたらす結果や影響への戒めを忘れなかった。そして、それさえも次のステップの力に変えられるだけの心の強さがあった。自然に対して、過去や未来も含めたクライミングコミュニティに対しての責任感があった。そしてなにより、自分自身に対して純粋なまでに実直だった。
時としてそれは、本人にとっては苦しくもあったかもしれない、と思うことがある。自身の哲学から逸れるようなことがあっても「まあこういうこともあるさ」と構え、純粋に自然に中にいることを慈しみ、もう少し気楽に時間を過ごしていれば?彼の死がその実直さゆえの結果、というのは考えすぎかもしれないし、いまさらそんな議論が不毛なのは言うまでもないのだが。

実は一度目の心臓発作のあと、そんな変化もあった。「突き詰めすぎないことが大事なんですよ!」なんて、いつだってそんなメンタルのぼくに向かってドヤ顔で宣う彼は可笑しかった。だけど結果的には、根っからの実直な男の本能がそれを許さなかった。そしてそんな実直さがあったからこそ、いまでもぼくたちの心の中に生き続けているのは自明の理だ。彼のルートが彼の哲学を端的に表現しているのと同様に、彼の人生そのものが、一つの完成されたルートのようなものであったと感じるのは大袈裟だろうか?
ぼくが彼と同じように生きることは100%無理だと断言できる。性格も置かれた状況もまるで違うし、ぼくにはぼくなりの情熱のベクトルがある。だけどこれから先、大事な決断の折に倉上慶大の笑顔が脳裏を過るのは一度や二度ではない気がする。

巨大ボルダーの下の方でロープにぶら下がる自分の姿が滑稽だった。せっかく張ったこのロープも、あまりの可能性の薄さにサッサと回収しようかと考えていた。
でも……。もう一度だけ、ついさっき思い浮かんだばかりの新しいムーブを試してみることにした。一手、なんて劇的なものではなかった。ほんの一歩、たった10センチ、右足がいつもより高く上がっただけだった。とてもではないが、このプロジェクトの完成が近づいたといえるような状況ではなかった。それでも、その小さな前進が嬉しかった。
秋の日は短い。谷の向こうの空が朱色に染まり始めた。荷物を背負い、振り返ってプロジェクトに目をやる。ロープはそのまま残しておくことにした。どうせまた明日、ぼくはここに戻ってくるのだから。

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