嵐を乗り越える
全ての写真 ドリュー・スミス
ドリューのカメラのレンズに映し出された光景は、僕らの状況がいかに常軌を逸しているかを物語っている。シーベはハンギングビレイで震えているはずだ。彼は1時間以上も僕をビレイするために待っていた。ショーンが僕と同じように凍てついたクラックから氷をかき出しているのが見える。僕は登る代わりにナットツールで氷を打ち砕いている。僕らはもう11日間この壁に取りついていて、この7日間は天候の回復を待っていた。ここ南米パタゴニア、「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」の23ピッチ目にいる僕らの行く手には、ハードなクライミングがまだたっぷりと待ち構えている。このルートをフリー化できるかどうかの唯一のチャンスは、どれだけ苦しみに耐えられるか次第ではないかと思いはじめている。いまでは、氷を叩いているのは、もはやピッチを登りやすくするためではなく、体を温かく保つためだ。僕はいったいここで何をしているんだ。
僕のクライミング歴はもう数十年になるが、こんな状況でクライミングをするなど、考えたこともなかった。気温は氷点下、風は吹き荒れ、岩には氷が詰まっている。手袋をはめていても指の感覚はほとんどなく、足の感覚は皆無。とはいえ、次の嵐が来るとさらに2日間ポータレッジに足止めを食らうことになりかねない。それが説得の材料となって、僕らはトライすることにした。失うものは何もないだろう、と。
ひとつひとつのムーブ、そしてプロテクションをどう設置するかを頭の中で反芻し、あらゆるリスクを想定する。前向きな気持ちで自分を奮い立たせようとするが、悪天候、露出感、そしてチームメイトの沈黙が、僕の疑念をますます大きくする。

「過去に何度もトーレス・デル・パイネを訪れているけど、この岩塔群を目にしたときの気持ちはずっと変わらない」と言うニコ・ファブレス。「なんて場所なんだ!」

ルートへ向かうニコ・ファブレスとショーン、そしてここには写っていないシーベ・ヴァンヘ。「岩塔へ近づくにつれて、自分がちっぽけに感じられる」と言うのはニコ。
この場所にいた20年近く前のことを鮮明に覚えている。当時は、その経験がのちの18年にわたる僕のクライミング人生を形成することになるとは、まったく思いもしなかった。まだ20代前半で、高山のビッグウォールを登ることに夢中になりはじめたころだ。まるでお菓子屋にいる子どものように冒険に飢えていたものの、経験はまったく未熟だった。その僕もいまでは40代の既婚者。クライミングはいろいろな面で上達したものの、このような山岳地域での判断ミスや予想外の危険が深刻な結果を引 き起こすことも目の当たりにしてきた。
若いころは僕は認識が甘かったのか、それともたんに怪我をあまり恐れていなかったのか、それはわからない。けれども久しぶりにここに戻ってくると、以前よりもずっと危険を意識するようになったことに気づかされる。後退することを昔よりも容易に受け入れることができる。世界中のビッグウォールを登ることで得た迫力ある経験のおかげで、僕は素晴らしい人生を手に入れた。でも、それを失うことをこれまで以上に恐れている気がする。

23ピッチ目でホールドに付着した雪と氷を取り除きながら「ここで何をしているんだ?」と自問。これほど寒い状況で、これほど難度の高いフリークライミングに挑戦しようとは考えてみたこともなかった。
「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」に戻ったいま、僕らはそのフリー初登に挑んでいる。このピッチは最も傾斜が強いうえ、非の打ち所がない黄金の花崗岩に走る極細のシンクラックを突破する必要があり、とりわけ手こずった記憶がある。ルート上部へと抜けるための核心となるピッチで、フリーで登られることは稀だ。どのホールドも重要きわまりなく、むき出しの壁でパタゴニアの壮大な景観の上空800メートルにさらされながら、滑らかな岩肌を登っていく。これは僕にとって完璧なピッチの定義だ。少なくとも、氷を削り落としていないときは。
重圧が肩にのしかかるのを感じる。見込みは薄いものの、今日先へ進めるかどうかは自分にかかっていることは承知している。ショーンの平然とした態度からは、彼の感情は読み取りにくい。彼はまだ、本当に今日登れると信じているのだろうか。素手で難度の高いムーブをこなし、この氷が詰まったクラックを登る様子を想像する。掃除したばかりのホールドがことごとく雪しぶきに覆われていくと、絶望的な状況であることは認めざるを得ない。「尋常じゃない」と言うしかない。

僕にとって完璧なピッチの定義というべき23ピッチ目。ルート上部への魔法の通路のごとく、どのホールドも絶妙に配置されている。
ショーンは僕の方に向き直り、手短にこう答えた。「ここまで来たんだから、絶対にトライしないと。コンディションを良くすりゃできる」そして氷の除去作業をつづける。
彼は正しかった。自分たちの行動に疑念を抱いても意味はない。疑念を打ち明けることで、少し同情してほしかったのかもしれないが、こういうときに共感されると余計なことを考えてしまいがちだ。ショーンはそのことを知っていた。僕らは精神を強く保つ必要があった。登るタイミングが訪れたときに備え、脳を遮断して氷をかき出す作業に専念すべきだ。寒さが和らいだり、風が弱まったりする根拠はどこにもなかったが、それでも、もう1日ポータレッジに閉じこもるよりはここにいるほうがマシだった。
何年ものあいだ、自分の快適ゾーンを抜け出して困難に挑むモチベーションはどこから湧いてくるのだろうと考えてきた。自分ひとりだったら間違いなく断念していただろう。だけど、ここにいるチームメイトと一緒なら、もっと深く追求できる。皆、同じ夢を共有しているからだ。

南米パタゴニアの「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」の4ピッチ目で悪天候に見舞われたショーン・ヴィラヌエバ・オドリスコール。
2 時間後にはピッチが整備され、ようやくトライできる状態になった。トップロープを張ってムーブの最終確認をしながらウォームアップを行い、指の感覚をできるだけ鈍らせる。極寒の状況では、それが指の力を最大限に発揮するための最善策だ。指先に血流が戻ると、あまりの痛みに吐き気がこみ上げてくる。激痛が治まったあとは、指のしびれを少しだけ長く我慢できる。核心部のシークエンスを何度か反復するうちに、ホールドがわずかに湿り、風が弱まってきたことに気づき、かすかに希望が湧いてきた。
シーベの待っているアンカーまですばやく下降する。ギアをラックにセットし、頭の中で各ムーブをリハーサルしているあいだ、全員がそれぞれの配置につく。セルフビレイを解除すると、心臓の鼓動が全身に伝わってくる。興奮のあまり序盤のいくつかのムーブでは震えすら感じたものの、先へ進むにつれてペースをつかみ、流れに乗った。

敗退前にビレイポイントでロープを束ね直す。ギアを良い状態に保つために、嵐の到来に備えて万全を期すことが重要だ。
岩は凍てついているが、各ムーブを練習通りにこなしながら、すばやく登っていく。核心部に差しかかるにつれ、指先の感覚がなくなりはじめた。そしてこれまでで最難と思われる試練に直面したまさにその瞬間、僕のクライマーとしての30年の経験が突如として実を結んだ。一緒に登っているシーベとショーン、そしてドリューのエネルギーを感じる。指の感覚を失いながら、ムーブごとに全身の力を振り絞って対応する。核心最後のキーホールドはふたたび雪をかぶってしまったが、指をねじ込んで力のかぎりを尽くした。指先は何も感じないのに、ぶら下がっていられることが奇跡のようだ。 そこから少し簡単になったコーナーを登れば、ピッチの終了点に到達できる。アンカーにロープをクリップすると、安堵感が全身にほとばしる。まだあと18ピッチ残ってはいたものの、ビレイポイントでショーンとドリューとハイタッチを交わすと、下からシーべが祝福の雄叫びを上げた。リードしたのは僕だが、皆自分のことのように嬉しそうだ。そしてある意味そうだった。そのおかげで、この経験全体がより充実したものになったのだから。

午後11時、嵐が迫るなか、ようやくキャンプに戻ってきた。進展が遅く、長い1日となったが、ポータレッジの中から夕食の匂いが漂ってくる。すぐにでも中に入りたいが、まずはハーネスに装着したギアを外さねば。

朝の通勤中のショーン。

すべてが凍てつき、寒さは厳しかったが、数日以内に天候がさらに悪化することはわかっていた。僕らは少しでも先へ進むことにした。

めずらしく太陽が顔を出した夢のような朝、次の試練に備えるショーン。

外で嵐が吹き荒れているとき、内なる自己以外に行く場所はない。

「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」の30ピッチ目を登るショーン。前傾した美しいフィンガークラックは、このルートの最後の核心ピッチにあたる。問題はかなり上部に位置することと、クライミングに適した条件が揃うことがめったにないということだけ。寒すぎると登れず、暖かすぎるとクラックが滝と化してしまう。

寒すぎることは明白だったが、ショーンは譲らなかった。気温は少なくとも氷点下5度ほどだったはずで、僕らはビレイポイントで体を温めるのに必死だった。ショーンが壁に取りついてからわずか数メートル後、手足の感覚を失ったまま格闘する彼の叫び声が聞こえた。まるで命がけで取り組んでいるかのように、叫び声はどんどん大きくなっていった。彼はそのほんの数メートル先で墜落し、ようやく寒すぎることに同意した。

「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」の31ピッチ目。 傾斜の強い7cのフィンガークラックのタフなオンサイトトライの末に、血だらけでやや落胆気味のショーン・ヴィラヌエバ・オドリスコール。 ほんの6週間前に肘を故障した彼は、このときもまだ持久力を完全に取り戻してはいなかった。

初登者たちの残置物。「ライダーズ・ オン・ザ・ストーム」は1991年にクルト・アルベルト、ベルント・アルノルト、ノルベルト・ベッツ、ぺーター・ディートリッヒ、そしてヴォルフガング・ギュリッヒが初登し、VI 5.12d A3とグレーディングされた。

岩壁での生活は質素だ。寝て、登って、食べて、用を足して、本を読んで、音楽を奏でる。他に何が必要だろう。

山頂からの懸垂下降。「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」は東壁にあるため、このように岩塔の影を見渡せることは稀だ。天候はつねに西から東へと移り変わり、影が見えるということは好天の到来を告げているということ。