海を陸から立て直す
すべての写真:Taishi Takahashi
海はいま、気候変動の影響により、水温や海水面の上昇など重大な変化に直面しています。とりわけ人間活動の影響を受けやすい沿岸域では、サンゴの白化や藻場の衰退など、生態系へのダメージが深刻です。この危機に接して、パタゴニア日本支社は、「Ridge to Reef」プロジェクトを立ち上げました。全国各地の草の根活動の支援を通して、山の尾根(Ridge)から海の岩礁(Reef)まで、流域をまるごと捉える視点で、劣化しつづける沿岸域を再生していく取り組みです。
海に至る流域を一体的に捉えて
プロジェクトの立ち上げを記念して、パタゴニア日本支社は2025年7月23日、東京にてシンポジウム「Ridge to Reef Restoring Our Ocean ―流域思考でひらく海洋再生の道」を開催しました。
パタゴニア日本支社長のマーティ・ポンフレーさんは開会挨拶で、日本発祥の「里海」の概念に基づくRidge to Reefを、「陸と海の有機的なつながりをよみがえらせていく旅」と表現しました。
アジア海域環境管理パートナーシップ(PEMSEA)のエイミー・T・ゴンザレス事務局長がビデオメッセージの祝辞の中で評してくださった通り、Ridge to Reefは「持続可能で包摂的かつレジリエントな日本社会の実現に向けた変革を促すことを目指して」発足した官民連携プロジェクトです。この日、環境省とパタゴニアは、「流域の視点からの沿岸生態系の再生を通じた里海づくりの推進に関する協定書」に署名しました。
協定締結後、Ridge to Reefの概要を紹介したのは、パタゴニア日本支社オーシャン イニシアティブス ディレクターの柳谷牧子さんです。柳谷さんは、環境省や生物多様性条約事務局、国連大学サステイナビリティ高等研究所での勤務経験から、海洋保全のカギとして沿岸生態系に注目。2024年からパタゴニア日本支社で、Ridge to Reefの立ち上げに奔走してきました。
長期的な海洋再生プロジェクトであるRidge to Reefでは、これまで市民活動と協働してきた知見を活かし、まず全国11か所の流域での活動(地図参照)を支援します。
柳谷さんは、ここ80年の干潟の埋め立てや河川域の開発など「土地利用の改変」が沿岸生態系の劣化の大きな要因の一つであり、「沿岸域だけを切り取ってその保全再生を考えることには限界がある」と力説しました。Ridge to Reefは、草の根レベルでの取り組みの成果を分析し、そこで得られた知見をもとに、社会のシステム・チェンジも検討していきます。
柳谷さんは別の談話の中で、人口が急減し日本社会が変わらざるを得ない今こそ、国土デザインを見直し、沿岸域総合管理(ICM)を進める好機であると語りました。全国的に災害規模が拡大していることもあり、流域治水やグリーンインフラが重要度を増しています。同プロジェクトの根底には、「Ridge to Reefの分析結果を政策などの再検討に活かしてもらえれば、2030年までに陸と沿岸生態系のつながりを意識した社会的な流れを創出することが可能」という明るいビジョンがあるのです。
続いて、環境省 海洋環境課長の水谷好洋さんが登壇し、同省の「戦略的『令和の里海づくり』基盤構築支援事業」について解説しました。じつは、「陸域と海域を一体的かつ総合的に管理する」という文言は、すでに2013年には内閣府による第2期海洋基本計画に盛り込まれていました。2022年に、日本も批准している生物多様性条約で2030年までの国際目標として「ネイチャーポジティブ(自然再興)」が掲げられ、いよいよ、官も民も本腰を入れるべき時が到来したわけです。
環境省が2025年度から3年間の「令和7年度 戦略的『令和の里海づくり』基盤構築支援事業」に選定した8カ所。
- 宮城県 特定非営利活動法人環境生態工学研究所
- 宮城県 一般社団法人東松島みらいとし機構
- 石川県 和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会
- 三重県 国立大学法人三重大学
- 大阪府 貝塚里海づくり未来協議会
- 広島県 尾道東部漁業協同組合
- 福岡県 一般社団法人ふくおかFUN
- 熊本県 肥後銀行、公益財団法人肥後と水とみどりの愛護基金
ここに、パタゴニアのパイロット・プロジェクト(下の地図参照)の11か所を加え、Ridge to Reefではまずは、全国で約20事例を分析していく。
流域リーダーたちからのメッセージ
基調講演には、流域視点で活動してきた2人の講師を招きました。まず、行者のいでたちで登壇したのが、〈一般社団法人Bisui Daisen〉の大原徹代表理事です。Ridge to Reefのパイロット・プロジェクトの一つ、鳥取県大山町で大原さんたちが2023年から展開する「流域を身体化するプログラムin大山」は、すでに地域の流域治水を絵に落とし込んでいる点で先駆的です。
サーファーでスノーボーダー、そして修験道の行者でもある大原さんは、わずか100年で土壌が1cmも形成されるほど豊かな日本列島と、そこに海からやってきた渡来人、「お山で流域を身体化して里に降ろしていた」山伏など、もともと霊山であった大山で育まれた人々の感性や自然観について、静かに語りました。
「たたら製鉄と稲作で定住の革命が起き、約1500年前から火山列島を水脈と見立てる知性が誕生しました。役行者、空海さん、西行さん、そして山伏たち、通常の村人が山から学び、その智惠を里に降ろせるような構造が生まれました。私も絶賛、勉強中です」と大原さん。
土壌や樹幹はもちろん、岩盤や人体の中にも水は流れており、「そのすべてを『流域』と捉える」視点を提示し、会場に強い印象を与えました。
次に、「共創する流域治水」と題して講演したのは、熊本県立大学の島谷幸宏特別教授です。島谷さんは、かつては国土交通省や土木研究所で治水の現場と向き合っていました。自然共生型の河川づくりを長年実践し、現在は流域治水から国土の再編を検討中の専門家であり、Ridge to Reefの実現に欠かせないキーパーソンです。
島谷さんは、「流域とは、そもそも河川工学の用語で、集水域のことです。国土交通省は、下流の氾濫域も含めて流域と呼んでいます。治水とは、水を通したリスクのマネジメントと恵みのマネジメントを一緒にやっていきましょう、ということです」と解説し、氾濫原で育つイネを主食に選んだ日本人と「流域治水」の来歴を分りやすく伝えました。
また、最近の激しい河川洪水の例を挙げ、「貯水力のない都市はダムや堤防だけでは守り切れない」と語りました。国土を「水をゆっくり流す構造」に変えていくことは、防災のためにも流域生態系の保全のためにも急務です。島谷さんは具体策として、金融を巻き込んだ「産官学金民」共創の仕組みづくりや、貯留・浸透のための小さな池を各地に分散させる「雨庭」を紹介しました。
海人も交えてRidge to Reefセッション
続くダイアログでは、2人の講師に柳谷さんが加わり、「雨庭」からトークを深めました。東京の暑さは水の循環を絶ってしまった結果であり、「結局は土です」と島谷さんが土壌の大切さを強調すると、大原さんは、行者の先達と微生物に満ちた豊かな土の上を歩く時に、「お山は神様、仏様。優しく足を置きなさい」と教わった話を披露しました。島谷さんは、福岡の海の民が山をたたえる「山ぼめ祭り」など、海と山のつながりを尊重する伝統的な価値観を紹介。柳谷さんは、「(Ridge to Reefは、)自然が本来持っている力を解放するキッカケをつくる。そうすれば後は流れていく」とまとめました。
さらに、沖縄県の久米島から来場した海人2人と、環境省の水谷さんが合流し、パネルディスカッションが始まりました。サンゴはいま、「増えるスピードより死ぬスピードのほうが速いから増えにくい」と、久米島漁業協同組合サンゴ養殖部会長の伊関亜里砂さん。沖縄県指導漁業士の仲与志勇さんは、「久米島は自分が子どもの頃に『土地改良』が始まり、赤土が流れてきて海が駄目になった」と語りました。実際に海と毎日接しているお二人の登壇は、このシンポジウムのハイライトでした。
島谷さんは、干潟や湧水の事例を挙げて、「調査に基づくきめ細かい対策が重要で、まだ諦める必要はない」と語り、「いろいろな人が関わるチームや共創の仕組みづくりが重要」と繰り返しました。柳谷さんが「相互に学び合う」Ridge to Reefの進め方を述べ、最後は質疑応答など会場も交えた対話へ。そして、マーティ・ポンフレー支社長の「早く行きたければ一人で進め、遠くへ行きたければ共に進め」というアフリカのことわざを引用した挨拶で幕を閉じました。
こうして、Ridge to Reefプロジェクトは、「協働」「チーム」「ネットワーキング」といったキーワードを得て船出しました。海は広大で効果が見えにくいけれど、良い変化の連鎖に期待して、いますぐ行動を起こす必要があります。集まった方々の明るい笑顔に力をもらえるイベントでした。