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Mt Clemenceau North Face REVISIT:マウント・クレマンソー北壁再訪

加藤 直之  /  2014年9月22日  /  読み終えるまで7分  /  スノー

北壁を滑りこむ準備をする加藤。写真:山木匡浩

加藤直之岳人9月号』 ヴァリエーションリポート「人力で挑むカナディアン・ロッキー孤高の名峰:マウント・クレマンソー北壁、登攀・滑降の軌跡」』より抜粋

Mt Clemenceau North Face REVISIT:マウント・クレマンソー北壁再訪

北壁を滑りこむ準備をする加藤。写真:山木匡浩

日程:2014年4月28日~5月19日
メンバー:加藤直之(41)、廣田勇介(36)、山木匡浩(39)

われわれの遠征の目的は、昨年ジャスパー側のサンワプタフォールズから往復100キロをアプローチした結果、かすり傷ひとつ残せなかったクレマンソー北壁の登攀・滑降の再挑戦だ。今年は西のキンバスケット・レイクからカヤックを用いアプローチし、樹林帯から氷河を抜け、北壁基部へ回りこむ計画を実行した。表面的な結果よりプロセスを重んじるぼくらは、この美しすぎる北壁と1989年厳冬期に初登攀した先人の偉業に最大の敬意を表し、限られた情報の中でサポートなしのチーム・オンサイトトライにこだわった。

(中略)

5月11日

いつのまにかウトウトしていたのか、午前2時の目覚ましが鳴った時にハッとした。テントのジッパーを開け星空を確認すると緊張感が走った。いよいよ、この山旅のクライマックスだ。天気は味方してくれた。下部雪壁を登高しながら、東の空から出る真っ赤なご来光に感謝し、チームでタクティクス通りに全力を尽くすこと誓った。

ホテル・クレマンソーでクランポンに履き替え、ロープを結び合い、プラトーへは予定時間より早めに到着した。風もなく雲ひとつない真っ青な空にクレマンソー北壁。まさしくぼくたちは地球上で一番幸せを感じられる場所にいると確信した。プラトーのクレパスは思ったより悪くなく、廣田のリードで基部へ難なくたどり着いた。しかし、幅は3メートル、深さ10メートルほどあるだろうシュルンドが目の前に横たわり、乗っ越しに時間がかかってしまった。ぼくは強引に乗り越し、ビレイ点に2人を迎え入れると、ようやく北壁そのものと向き合うこととなった。雪の締まった50度強の雪壁だ。ピケットもかなりキマるので、コンテでぐいぐい進む。圧倒的な景観の中でロープを延ばしていると、ここが隔絶された地であることを忘れてしまいそうだ。左にあるセラックがいやらしいが、ボトルネックへ向け高度を上げて行くと、左右に複雑な氷塊の折り重なるネックの真ん中へやってきた。しかし、この頃からパイルの石突きが底づきするようになってきた。雪面下の氷に当たるのだ。高度を上げるとますます硬化してくる壁に少し戸惑いながら、ピケットを激しく打ち込みプロテクションを取るが、斜度も増してきて、ボトルネックからのスラフがかなり激しくなってきた。時間にして、10時をまわったところだった。北壁に当たる陽射しはまだギラギラ反射していたが、あと数時間もすれば凍てつく氷壁に豹変するのだろうか。

Mt Clemenceau North Face REVISIT:マウント・クレマンソー北壁再訪

ボトルネックをリードする加藤 。写真:山木匡浩

途中でビレイ点を作り2人を迎え入れる。彼等も雪面の変化に敏感に反応しており、浮かない顔をしていた。とりあえず、ボトルネックを抜けるところまで行けるか登ってみようかと問いかけ、ダブルロープシステムに変えスタカットで登攀を継続したが、それはもはや滑降のための登攀のレベルを越え、完全なるアイスクライミングと化していた。クランポンの前爪もかろうじて掛かる程度。スクリューもバチ効きの氷壁だ。うーん、今年は寒く根雪が付きにくかったのか!? 1ピッチ直登を試みたが、ますます硬くなる壁に辟易し、右上すると所々に氷の突起が剥き出しになっていた。そこで、2ピッチ伸ばした後、60度以上はあろうかという氷壁にへばりつき3人で話し合った。

頂上まであと約200メートル迫っていたが、ボトルネックを越えるとさらに斜度が増すことは3人の間の共通認識であり、コンディションが良くなるかどうかは全く不明だった。標高にして3400メートルを越えた辺り、北壁のど真ん中でこの旅最大の決断を迫られた。天気、気温、疲労、登攀そして、そして滑り手にとって一番重要な「滑降」についてひとつひとつ丁寧に話し合った。時計はすでに12時近くになっていた。北壁を照らしてくれている太陽もあと少しで傾いてしまうだろうが、好天は続きそうだ。体力に関してはまだまだ問題なさそうだ。これより上部をチームでコンテで登攀できるかは微妙だった。山木は登攀に多少の不安があるという。しかしスタカットでは遅々として進まないだろう。仮に登頂した場合、北壁の同ルート下降、すなわち板を担いでのクライムダウンやラベルダウンは時間やリスクを考えると厳しいだろう。反対側の壁や北東稜を下るオプションも考えにくい。ただ果たして山頂から滑降できるだろうか?山木とぼくは派手に格好良く滑ることはままならないまでも、なんとか板を履いたまま降りられると判断したが、廣田はこのコンディションはキャパシティを超えていると主張した。確かに滑降路の左下には巨大なアイスフォールが存在し、1ミリのエッジのズレも許されず、基本的には滑る対象とは考えにくい。そしてぼくは考えた。ここまで来れたのは3人のパッションとタクティクスが合致したからで、ソロでは絶対にたどりつけなかった領域である。チームでのオンサイト・トライを考えれば、ここが引き際か。

アルピニズムの真髄として、頂上に未練がないかと問われればあるだろう。ピークからの滑降に執心がないとも言い切れない。2人にも心残りはあっただろうが、ぼくたちはここから引き返すという決断を下した。山において一番重要なのは、言うまでもなくその時のコンディションそのものだ。ここまで登り詰めてきたが、最後の最後に北壁上部のコンディションが合わなかっただけなのだ。その時、3人の表情には悲壮感も絶望感もなかったと記憶している。

2ピッチ、クライムダウンして、少しは雪壁が続いている滑降ラインを見出した。氷壁を切り崩し、テラスを作り滑降の準備に取り掛かる。この手のトランジションは、ビスひとつ落とせない神経をすり減らす繊細な作業だ。準備を整えると、パイルを持つ右手に力が入る。雪の状態はまったく不明。スラフマネジメントは肝要だ。2人と握手すると山木から「気をつけて」の重たすぎる言葉。さあ、いざドロップインだ。最初の数メートルは氷にうっすら雪がついているだけのほぼ垂壁に感じた。意を決してパックサイドでターンを決める。そしてフロントサイド。スラフはアラスカで慣れているつもりだったが、今回は緊張感が半端ではない。右斜め品度程に大回りターンでかわしていく。緊張はいつしか悦惚に変わっていた。そして、眼下にシュルンドが現れたので、そのまま飛び越した。壁を滑り切り興奮冷めやらぬまま無線を入れる。滑ってきた北壁を振り返ると、2人の姿はもう全く見えない。スノーボードトラックがくっきり残る斜面を見て深いため息が出た。同時に2人も無事に降りてきて、と願った。

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下部雪壁を滑る加藤。写真:山木匡浩

30分後に山木、そして最後に廣田が降りてきた。プラトーの安全地帯で3人で心からの抱擁。その時点でぼくらには多くを語る必要はなかった。それぞれがそれぞれの考えでこれまでの山行を納得していたのだから。ベースに戻って予想以上に疲労していたぼくらは、泥のように眠った。

それから1週間をかけてハーバーに戻ったぼくらはボリュームある山行を共にした充実感を胸に盃を傾けたのだった。

報告・加藤直之

*全文は『岳人9月号』でお読みいただけます。


加藤直之はパタゴニアのスノーボード・アンバサダー。この遠征のきっかけとなった、2013年4月後半のマウント・クレマンソー北壁の登攀/スノーボード滑降のストーリー『山と旅とスノーボーディング』はこちらからクリーネストラインでお読みください。

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