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ユタの砂漠より

横山 勝丘  /  2017年12月14日  /  読み終えるまで12分  /  クライミング, アクティビズム

広大な土地に広がるベアーズ・イヤーズ国定記念物。写真:横山勝丘

2017年11月1~4日までの4日間、ぼくはユタ州南東部のモアブ近郊で開かれたパタゴニア主催のプレスイベントに参加した。このイベントは、多くの文化的遺産や豊かな自然を有し、その中で遊ぶ機会を提供してくれるベアーズ・イヤーズ国定記念物が現在抱える問題を皆で共有し、その魅力を再認識してもらうという目的のもとに行われた。北米のクライミングやMTBをはじめとした、さまざまなアウトドア雑誌の編集者たちがおもな参加者だったが、日本からはクライマー代表としてアンバサダーのぼくが参加することになった。イベントでは、MTBチームとクライミングチームに分かれて2日間フィールドに出た。ぼくは、せっかくなら世界的なMTBメッカとして知られるこの地でその体験をしてみたいという希望もあったものの、結局はクライマーの編集者たちに拉致されて、2日間ともに岩場で過ごすこととなった。とは言え、それが不毛な時間とはなりえないことはもちろん知っている。

このベアーズ・イヤーズには、世界的にも有名なインディアンクリークという砂岩の岩場が存在する。クラッククライマーには天国のようなエリアで、ぼくもこれまでに何度もこの地を訪れている。数年ぶりとなったインディアンクリークでのクライミングは、やはり期待を裏切らなかった。この雄大な自然の中、みんなでワイワイと一日を過ごす時間はかけがえのないものだ。ある日の夕刻、クライミングチームとMTBチームが合流して、インディアンクリーク内のとある岩壁に残された石積みの住居跡を目指してハイクアップした。数千年前にアメリカ先住民が住んでいたという。ガレガレの斜面を苦労して登った岩壁の基部に、それはあった。一歩間違えれば遥か下まで落ちて行ってしまいそうな場所だ。嵐や外敵などから身を守るためにこんな場所で暮らすようになったのだろう。その暮らしを想像すれば、彼らの苦労は想像に難くない。

ここから眺めた壮大な景観に心を打たれた。いまぼくは、数千年前の人たちと同じ景色を眺めているのだ。それ以上の言葉は見つからない。そして現在でも、こういう遺跡は随所で見つかるという。いくつかのアメリカ先住民にとって、ここベアーズ・イヤーズは数千年にわたって築き上げられてきた神聖な地だ。彼らの地道な活動によって、ベアーズ・イヤーズは2016年末に国定記念物として指定され、この地は守られることになった。しかし現在、その区域が大幅に縮小されようとしている。アクティビティを終えて滞在先に戻る夜は、ビール片手にその日の経験を皆で共有しあった。ほんの数日の短いイベントだったが、アウトドアでのアクティビティを愛するぼくたちは、ややこしい話を聞くよりも、そこで実際に遊ぶことによってその地を深く知る、という方が性に合っている。

ユタの砂漠より

インディアンクリーク内の遺跡を訪れた。一般には解放されていないが、今回は特別にすぐそばまで行かせてもらった。写真:横山勝丘

そしてこの地でいま起きている問題に対するぼく自身の認識は、どちらかと言えば希薄だったと告白しなければならない。それは、パタゴニアが最初にベアーズ・イヤーズの問題提起をしたときも、実際にこのイベントのためにこの地を訪れてからも、さほど変わりはなかった。インディアンクリークが素晴らしいエリアなのは理解しているつもりだし、仮にそこが開発によって登れなくなってしまったとしたら、当然悲しむだろう。けれど、頭のどこかの部分でそれは他所の国の抱える問題で、そこに住む彼ら自身が解決するものだという冷めた考えがあった。実際、遠く極東のぼくたちにできることは限られているし、たんに「自然や文化を守れ」という言葉だけを大義名分として、その地に関わりの薄いぼくがそれを声高に叫ぶことに対して、違和感があった。そんなぼくが遺跡を訪れたとき、疑問がわいた。遺跡のような守るべきものが存在する以上、その場所でクライミングなどというマイナーで危険な遊びを容認するなど、日本の社会ではあまり考えられない。ぼくはスタッフの一人にこう聞いた。

「この国定記念物内で新しくクライミングルートを拓いたり、そのためにボルトを打ったりするのにレギュレーションのようなものはないの?」

「ないよ」 彼は即答した。

聞けば、隣接するキャニオンランズ国立公園内ではボルトを打つことは禁止されているが、基本的にクライミングは容認されているようだ。そしてベアーズ・イヤーズ国定記念物では、遺跡がある岩場は例外として、全域に適用されるようなレギュレーションは一切ないらしい。

「ここは歴史的、自然環境的に貴重なエリアではあるけれど、それと同時に、みんなが平等に遊び、限界をプッシュすることができる地でもあるんだ。だから、心配しないでどんどん新しいルートを作ってくれよ」

この言葉を聞いてようやく、クライミングという行為もまた守られるべきものであり、この地を取り巻く大きな流れの中に、クライマーであるぼく自身も属しているのだと認識した。ある者にとっては神聖な地として、そして別のある者にとっては豊かな時間を過ごす地として、ベアーズ・イヤーズは存在する。別のプリズムを通して同じものを見ているだけで、形の違いこそあれ、その対象への愛というものが存在する。そもそもこの地はすべての人間に開かれた公有地である。一部の人間の私利私欲のために、それをぼくたちから奪う権利は誰にもない。開発は金を生み出すかもしれないが、多くの市民はその恩恵に与れない。そして、一度その豊かな自然が奪われてしまえば、同じものは二度と戻ってこない。自然は使い捨てではない。だが、クライミングやMTBをはじめとしたアウトドアアクティビティは世界中の誰もが共有できるものであり、それは次世代の人間にも平等に引き継がれる。

そんなイベントのあと、ぼくは一路コロラド州カーボンデールへと向かった。ぼくが渡米したタイミングで、偶然にもパタゴニアのクライミング・アンバサダーであり友人でもあったヘイデン・ケネディのメモリアルが開催されることになっていた。10月、ヘイデンと彼女のインジ・パーキンスはモンタナの山で雪崩に巻き込まれ、インジは帰らぬ人となった。ヘイデンは一命をとりとめたものの、下山後、大切なパートナーを追って自ら命を絶った。この出来事の数週間前、ふとヘイデンのことを思い出したぼくは、ちょうどぼくの家に遊びに来ていたコリン・ヘイリーに、ヘイデンの近況を訊ねた。ヘイデンは長年住んだコロラドを離れ、彼女と一緒にモンタナに移住して、クライミングとスキーをつづけていると聞いた。その矢先の悲報だった。ヘイデンと一緒にクライミングをした経験は数えるほどしかないが、会うたびに見せてくれた満面の笑みが忘れられない。見た目はどこにでもいる少年のようだったが、いざクライミングの話になるとハッキリとした哲学をもち、それに見合った能力を山で存分に発揮できる稀有な青年だった。そして彼はまた、一緒に登るパートナーや家族との関係を非常に大切にしていた。愛という言葉を自然と連想させられる、そんな笑顔の男だった。

メモリアルはもともと家族や親しい友人による小さな集まりの予定だったらしいが、話を聞きつけたクライミング仲間や幼いころの友人など、結局1,000人近くが集まった。ぼくも20人以上の旧知の友人たちとの再会を果たし、かつてのクライミング界のヒーローたちとも出会ってさまざまな会話をし、あらためて人との繋がりの大切さを実感した。笑いあり涙ありのメモリアルだったが、ここでも愛という言葉が何度も聞かれた。それは人のみならず、山や岩に対してもだった。ヘイデンはインディアンクリークでカーボンデール・ショート・バスというエリア初の5.14ルートを初登している。2012年のことだが、インディアンクリークは彼にとってもまた、自身の限界をプッシュし、そして愛する地でもあったのだろう。

ユタの砂漠より

ヘイデン・ケネディの育ったコロラド州カーボンデールで行なわれた彼のメモリアルには1000人近い友人が集まった。写真:横山勝丘

その翌日、ぼくにとってのヒーローのひとり、ジェイ・スミスとともに、モアブ近郊の彼の家に戻った。せっかくユタまで行くのなら、できるだけクライミングしたい。渡米前に、彼と彼の妻のキティ・キャルフーンと連絡を取ると、ジェイから1枚の写真が送られてきた。美しい砂岩の壁にスッパリと割れたクラック……。メールにはこう書いてあった。

「とある秘密のエリアで真の宝物を見つけた。これをトライしに来い」

彼ほど、ユタの砂漠から世界中の山にいたるまで、数々の初登を勝ち取ってきた男もいない。ユタの砂漠といえばインディアンクリークやモアブ近郊の岩塔群が有名だが、この辺りはまさに宝の山で、まったく手つかずのラインはまだ無数に存在する。かれこれ30年以上にわたってこの地で開拓しつづけてきた彼をして、そのクラックのある峡谷には、最近になってはじめて足を踏み入れたという。そして彼が歩いて確認したかぎり、そこにはまだルートが1本しかないとのことだった。

早速ジェイと一緒にその峡谷に向かった。ひとたびそこに足を踏み入れて、驚いた。全長20キロメートル以上にわたった両岸に高差100メートルの岩壁が連なり、そこには無数のクラックが立ち並んでいる。ここはキャニオンランズ国立公園やベアーズ・イヤーズ国定記念物の外ではあるが、ユタ南東部の地図を眺めれば、この峡谷とて巨大なコロラド川の一支流に過ぎない。同じような峡谷は他にもまだひしめき合っていると言うのだから、言葉がない。ダートの道をトラックで突き進み、道のない斜面を30分ほど歩いて、お目当てのクラックの下に立った。それからの数時間、下から掃除しながらエイドクライミングをつづけ、50メートルものクラックを登り切ってテラスに立ち、そこにボルトアンカーを打ち込んだ。ヘトヘトになって下まで降りてくると、ジェイがこう言った。

「このルートは俺からお前へのプレゼントだ。フリーで登れば、この砂漠の中でも一二を争うほどの素晴らしいルートになるだろう」

現在63歳の彼は数週間前に肩の手術をしたばかり。怪我に加えて年齢的なこともあり、このクラックは彼の手には負えないと言う。だがこうして、リハビリも兼ねて手つかずの岩場を探し、歩きつづけている。そしてこうつづけた。

「だけど肩が治ったら、もしかしたらこのクラックをトライできるようになるかもしれない。その時はやらせてもらうからな。それに、他にもまだまだ素晴らしいラインはたくさんある」

彼はそう言い残すと、そのまま隣の岩壁を偵察しに行った。その飽くなき情熱こそが、ぼくがジェイを敬愛してやまない理由だが、そんな彼にとっても妻のキティにとっても、ここは特別な地。手つかずの新しいラインを見出し、それに自分自身の情熱をぶつけ、限界をプッシュする。そんな機会を与えてくれるこの地を、彼らは愛している。

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ジェイ・スミス(中)とキティ・キャルフーン(左)はぼくの敬愛するクライマー。彼らの家に数日間お世話になった。写真:横山勝丘

それからの数日間、ぼくは朝から晩までこのクラックをトライしつづけた。ジェイとキティがユタを離れてからは、1人でレンタカーを借りて峡谷に向かった。四駆ではないレンタカーでは道の途中までしか入れず、そこでキャンプをしながら、夜明け前には歩きはじめ、片道2時間以上歩いて、クラックを目指した。昼間は灼熱でろくにムーブさえも起こせない。岩のコンディションの良くなる夕方には、すでに指も身体もボロボロ。それからヘッドライトを灯してふたたび長い道のりを車まで戻る。最終日、ようやくルートすべてのムーブを解明した。だがいまのぼくの実力では、この50メートルを落ちずに繋げて登るイメージは湧かなかった。登れなかったことへの悔しさよりも、こんなにも美しい地に、自分だけの特別のプロジェクトをもつことができた事実が嬉しい。もっと強くなって、ふたたびここに戻ってこよう。そう心に決めてこの地を離れた。ユタに滞在した10日間という短いあいだ、ぼくはすっかりこの地の虜になってしまっていた。少し恥ずかしいが、これもまた愛と言うべきものなのだろう。

ベアーズ・イヤーズのみならず、似たような問題は世界中に、それこそ日本国内にも存在する。ぼくたちは愛する地をより深く愛さなければならない。それはまた、ぼくたち自身が本当にその地を必要としていると再認識することでもある。そのプロセスを蔑ろにしては、そこを守ろうという熱い思いも生まれない。その小さな熱い思いの集合体が大きな流れを生み、徐々に周囲をも巻き込んでいく。公有地にはそうした皆の愛が詰まっている。

人、場所、そしてルート。さまざまな形の愛に触れた旅であった。

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全くの手つかずの砂岩の壁が延々と続く。残念ながら詳しい場所は秘密だが、このような峡谷は周囲にいくらでも存在する。写真:横山勝丘

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プロジェクトにて。指先しか入らないクラックが前傾壁に20メートル続く。写真:横山勝丘

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虚空に人がいるのがわかるだろうか?周辺では、ハイラインやボート、MTBなどのアクティビティが 盛んに行なわれている。写真:横山勝丘

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