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生まれてきた理由を知らない魚たち

阪東 幸成  /  2019年11月29日  /  読み終えるまで9分  /  フライフィッシング, アクティビズム

ヤマメは近年「ヤマメ・トラウト」としてグローバルに知られるようになってきた。日本のフライフィッシャーたちの花形でありファンも多く、もちろんヤマメたちには迷惑がられている。 写真:阪東幸成

釣り人はすべからく楽観的である。どんなに釣れないときでも「次の一投で!」「次の淵には!」「奥の滝壺にこそ!」「夕方になれば……」「明日こそ!」「来年になれば……」と希望を先延ばしにして渓を遡る。楽観的でなければ釣り人は次の一歩を踏み出すことも、竿を振ることもできないから、理論上、悲観的な釣り人は存在しない。どれだけ過去に痛い思いをしていてもあきらめることはない。東で釣れたと聞けば東へ向かい、西で釣れていると聞けば西へ向かう。それが釣り人の生きる道なのである。

しかしあらゆるものごとには「程度」というメジャーメントがある。日本の多くの釣り人は、わたしを含めて、やや楽観的過ぎるかもしれない。シリアスな映画のラストシーンで、死んだ恋人がむっくりと生き返るような大ドンデン返しを期待しているような、楽観というよりは、むしろノーテンキと呼ぶべき釣り人が多いのではないか。少なくともわたし自身について言えば、長い間「魚は天から降ってくる」といった感覚で釣りをしてきた。もちろん魚は天から降ってこないし、川から湧いて出てこない。でも気分的には神様任せ的であったことは事実なのだ。来年になれば、きっと魚も戻ってくるだろう、と。

生まれてきた理由を知らない魚たち

イワナは無骨で、不器用で、憎めない。だからかどうか、釣り人からも好かれてしまい、イワナは自分の良い性格を嘆いている。 写真:阪東幸成

少年時代に読んだ星新一の短編に忘れられない一篇がある。ある家庭に手のつけられない不良少年がいて、親が叱るたびに、少年は今で言う「逆ギレ」して「うるせー、誰が産んでくれって頼んだっていうんだ!」と悪態をつく。母親も父親も息子がそう叫ぶと、黙って俯いてしまう。ところがある日、いつものように親子ゲンカが始まり、息子がおきまりの「誰が産んでくれって頼んだっていうんだ!」と叫んだ途端、家のドアが開いて「わたしです」と言う男が現れるのだ。じつは両親は少年が成長したタイミングで男に引き渡す契約をしていたのだった。息子は「お父さん、お母さん、助けて!」と泣き叫ぶが、契約を反故にするわけにいかない両親は黙って連れ去られる息子を見送ることしかできなかった。半世紀近く前に読んだ小説で、タイトルも覚えていないし、記憶ちがいもあるだろうが大筋はまちがっていないと思う。映画『ブレードランナー』の原作であるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電脳羊の夢を見るか』や、近いところではカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』同様、「自分は誰かの意思によって意図的に作られたのではないのか?」という疑問をテーマにした恐ろしい短編である。

牧場で草を食む牛、あるいは養魚場の水槽を泳ぐ魚たちは、自分の出生の真実を知らないまま生まれ、育てられ、殺されていく。そのことが倫理的に良いか悪いかを議論する余地がないほど、人間の経済は人工的「Artificial(アーティフィシャル)」に生産される生命を必要としている。仮に人間が神様、もしくは全能の宇宙人によってArtificialに地球上にバラまかれていたとしよう。病気になって苦しんで死んだり、肌の色のちがいで集団の殺し合いをしたり、あるいは速く走ったり、泳いだりと、家畜の人間たちが競争する哀れな姿を見て、神様が笑っていることが判明したら、わたしたちは自ら生きることをやめるだろうか。

生物を生み出す側である人間が心しなくてはならないのは「生物が生まれた理由」と「生物自身が生きている意思」は、似て非なるものであることをはっきりと認識することではないだろうか。『Artifishal(アーティフィッシャル)』(スペルミスではありません!)は、観た者にそういった深刻な問題を突きつける、本来釣り人が観てはならない「R-Fisher指定」の一級ホラー映画だ。日本の魚がゾンビ化することを防ぐのは神様ではなく、自分たちに他ならないと気付かされてしまう。

生まれてきた理由を知らない魚たち

ニジマスは日本の天然魚ではないが、およそ100年前に北海道に移植されて以降、野生化して生息域を広げてきた。ところが今では環境省により要注意外来生物に指定され、人間はあまりに勝手過ぎる、と怒っている。 写真:阪東幸成

『Artifishal』の内容を乱暴に一言で言ってしまうと「鮭(鱒)の放流を止めよう!」というメッセージの映画である。放流魚は天然魚にネガティブなインパクトを与える。放流魚と天然魚が交雑すると、魚が小さく、少なく、弱くなるという事実が語られ、さらに、地域経済と深く絡み合った釣りビジネスが問題を複雑化していると告発する。驚くべきは、その告発者であるはずのパタゴニア社自体が当のフィッシング・ビジネスの一翼を担っていることであり、つまりこの映画は、経営者自身による大々的な内部告発ドキュメンタリーとして観ることさえできるのだ。

主に映画で語られるのは米国内のことで、日本の河川、海洋の文化、歴史、環境、そして何よりも釣りが地域経済にもたらす影響力があまりにちがいすぎて、この映画のメッセージをそのまま受け入れることはできないとは思う。そもそもいまどきの日本の釣り人の多くは対象魚が天然魚だなんて期待すらしていない。すでにしてあきらめているのだ。

「そりゃあ、テンネンが良いに決まっているけど、そんなの、いないでしょ」

生まれてきた理由を知らない魚たち

アメマスの人工的な放流はほとんど行われていないが、70センチを越す個体も少なくない、日本を代表する天然魚だ。 写真:阪東幸成

日本の釣り場は昔に比べて良くなったのか、それとも悪くなったのか? 先輩たちから、いわゆる「昔は良かった話」を散々聞かされてきたわたしたちの世代の釣り人はすでに「昔は良かった話」さえしない。どうしてか? 魚は放流されるものだと思ってきたからである。内水面漁業協同組合(漁協)の放流量によって左右される釣果を語るのに昔も今もあったものではない。いつ、どこで、どれだけ放流されたか、されるかという情報こそが重要なのである。日釣り券を買わずに釣りをして、漁協の監視員から現場売りの割増料金を支払う段になって、

「全然、釣れないけど、ほんとに放流してるの?」

という、ささやかな抵抗を試みる哀れな釣り人にしても、放流されていることを前提に川に立っているのである。

じっさい漁協の多くは「魚類の増殖が義務付けられている」という縛りの範囲内で「釣り人が放流を求めているからやっている」と言う認識のもとに活動している。未だにキャッチ・アンド・イートが主流の日本では、釣りに出掛けたからには、天然でも、養殖でも、なんでも良いから、家に持って帰る魚が必要なのだ。潮干狩りのために人為的に浜にバラまかれるアサリと同じく、川にヤマメ、イワナがバラまかれているだけの話だ。

生まれてきた理由を知らない魚たち

米国ではロッキー山脈の西にブルック・トラウトは生息していなかったが、ニューヨーカーたちが地元と同じ魚を釣りたがったためか、米国全体に広がった。日本では日光の湯の湖、湯川に放たれて野生化している。日本の天然種ではないが、日本のフライフィッシングの始まりと密接な関係があるため、フライフィッシャーから愛されている。 写真:阪東幸成

もちろん釣り人から漁協に対して発せられる別な意見もある。数は少なくても野性的な魚を釣りたい。スーパーで売っているような尾ヒレの丸いニジマスを釣ってもちっとも面白くない。あるいは数や大きさよりも、魚の野生さを重視する釣り人の意識改革から始める必要がある、と発言する人もいる。しかし釣り人全体からすれば、そんな彼らはマイノリティと言わざるを得ない。日本において、未だ釣りは漁でありつづけているのだ。だからといって、釣り人が満足しているかと言えば、じつはそんなこともない。いつだって、数、大きさ、野生さ、そのすべてを、もっともっと、と欲しているのが釣り人という欲張り屋さんなのだから。

ゲーム・フィッシングのあり方、フィッシング経済の規模があまりにちがいすぎる米国発の問題提起を「これは日本ではできないよー」と言ってしまうことは簡単だ。けれども「じゃあどうするの?」という問いに対して、明確な手段を示すことができる人、リーダーシップを取れる人は残念ながら日本にはいない。日本の釣り場の現状が理想的だと思っている釣り人なんて、ひとりもいないのに、わたしたちは何もできない、あるいはしないでいる。

生まれてきた理由を知らない魚たち

北米に生息するブラウントラウトは天然魚ではなく、ヨーロッパからの移植魚である。長い間イエローストーン周辺のローカル・フィッシング・ビジネスを支えてきた魚だというのに、近年ネイティブのグレーリングやカットスロートを追いやった犯人として悪役扱いされ始めている。真の黒幕は人間だというのに。 写真:阪東幸成

数十年来、フライフィッシングの聖地と言われるイエローストーンに年一回の巡礼行を欠かさないわたしだが『Artifishal』を観て、気づいた。

「オレは巡礼者の衣をまとった、亡命者だったんだ」

タチの悪いことには、この映画を観るまで、わたし自身には亡命している自覚すらなかった。なにしろ魚は天から降ってくると思っていたのだから。

自分の生まれ育った国が内戦で荒廃し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びつつ、最後の最後まで抵抗した結果も虚しく、泣く泣く新天地を求めて亡命するなら理解もされるだろう。しかしわたしという亡命者は、なにひとつ努力をしてこなかった。放流をほぼ一切していないモンタナ州やイエローストーンに行き、天然100%の鱒を釣り「やっぱ魚はテンネンに限るよね!」とノーテンキに喜びつつ、経済的に米国に貢献しながら、日本ではあきらめのため息をついている、それが今までのわたしの偽らざる非国民的姿であるということが、映画を観てよくわかった。さあ、どうする?

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